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笑う真犯人 検証・恵庭冤罪事件「13のナゾ」

特集

笑う真犯人 検証・恵庭冤罪事件「13のナゾ」




第95回(最終回):エピローグ 山口正紀(ジャーナリスト)
  最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)は2006年9月25日、「本件上告を棄却する。当審における未決勾留日数中250日を本刑に算入する」との決定を出した。約3週間後の10月17日、Oさんはそれまで収監されていた札幌拘置支所から、同じ敷地内にある札幌刑務支所に移され、「服役」した。事件が起きた時、Oさんは29歳だった。仮に「満期」ということになれば、「外」に出てくる時、彼女は47歳になっている。29歳から47歳――。多くの人にとって、人生で最もエネルギーに満ちた時期、何かを成し遂げることのできる時間だと思う。その二度とない大切な「とき」を、彼女は不当な「懲役=懲らしめ」を受け、狭い檻に閉じ込められて過さなければならない。(2007/12/29)


第94回:第13のナゾ――遺体鑑定書 山口正紀(ジャーナリスト)
  現場に残された足跡・タイヤ痕や指紋などの物証・目撃情報と被害者の交遊関係・利害関係などの捜査から、その接点を見つけ、犯人に到達する。これは犯罪捜査の基本だ。遺体鑑定結果すなわち「遺体が語る」さまざまな犯人情報の捜査にも、同じことが言える。その宝庫となる重要な遺体鑑定書の日付が、なぜ事件発生から2か月半も後になっていたのか。前回検討した事件現場に残されたさまざまな物証(足跡・タイヤ痕・指紋など)に関する捜査報告書と同様、このナゾも、起訴の日付との関連から「真犯人隠し」という視点で見ると解けてくる。(2007/12/22)


第93回:第12のナゾ――捜査報告書 山口正紀(ジャーナリスト)
  警察の捜査は通常、「犯人を見つけるために」行なわれる。しかし、この事件では、それが「犯人を隠すために」行なわれた――。私がそう考えざるを得ない理由はいくつもある。前回検討した「不自然・不合理なアリバイ捜査」と並んで、警察の「真犯人隠し」の痕跡をくっきり残しているのが、事件発生直後に採取された主な物証に関する捜査報告書や関係文書の内容及びその日付だ。以下、主な報告書・文書の日付を列記してみよう(日付の年は、いずれも2000年)。(2007/12/15)


第92回:第11のナゾ――アリバイ偽造 山口正紀(ジャーナリスト)
  この事件では、発生直後から警察上層部の指示によると思われる真犯人隠し工作が始まった。そう私が考える大きな理由の一つが、きわめて不自然・不合理なアリバイ捜査だ。捜査の不自然さの第一は、アリバイ捜査の対象を被害者が勤務していた日通キリンビール事業所従業員51人に限定したこと。検察は一審冒頭陳述で、「本件は右女子更衣室に怪しまれずに出入りすることが可能であるキリンビール事業所の従業員による犯行と認められたが、警察で同事業所の従業員全員のアリバイ、殺害動機等を捜査したところ、被告人以外には本件各犯行の容疑性のある者はいなかった」と述べた。(2007/12/08)


第91回:第10のナゾ――遺体焼損 山口正紀(ジャーナリスト)
  一審に提出された鑑定書などによると、被害者の遺体は、全身がかなり高度に焼損し、背部の骨盤の一部・腰椎、外陰部から肛門にかけての部分が炭化していたほか、上肢・下肢、頸部も炭化状態で発見された。警察・検察にとっては、「殺害」と同様、この「高度の遺体焼損」も、Oさんの犯行でなければならなかった。そのために創り上げたのが、「被害者に対する憎悪の念が募り、その憤まんを晴らすため、被害者を殺害した上、その死体に灯油をかけて火を放ち、焼損しようと決意した」というストーリーだ。(2007/12/01)


第90回:第9のナゾ――殺害方法 山口正紀(ジャーナリスト)
  Oさんを何としても犯人に仕立て上げなければならない警察・検察にとって、「犯行動機をどうするか」以上に苦しんだのが、「殺害方法をどうするか」だったと思われる。前回述べたように、警察・検察は逮捕・起訴時点で「犯行動機」を説明できず、2000年10月27日の一審初公判・冒頭陳述でようやく「交際相手を奪った被害者に憎悪の念を募らせ、その憤まんを晴らすため」と主張した。一方、「殺害方法」は冒頭陳述でも「被害者に対し、殺意をもって、その頚部を圧迫し、同人を窒息死させて殺害し」と述べるにとどまった。単なる「死因説明」にすぎない。(2007/11/24)


第89回:第8のナゾ――「犯行動機」 山口正紀(ジャーナリスト)
  事件捜査において、「犯行動機」は、被疑者を絞り込むきわめて重要なポイントだ。裁判でも、それは認定の大きな要素となる。被害者を殺害したうえ、遺体を黒焦げになるまで焼損したこの事件で、警察・検察は、Oさんを逮捕・起訴した際、「動機をどうするか」に苦しみ、逮捕・起訴時点では公式に何も言及することができなかった。検察がようやく「犯行動機」を明らかにしたのは、逮捕から5か月以上もたった2000年10月27日の一審初公判。その冒頭陳述で、検察官は概略,次のように述べた。(2007/11/17)


第88回:第7のナゾ――Oさんのアリバイ 山口正紀(ジャーナリスト)
  殺人事件では、被害者の死亡推定時刻が犯人を絞り込むうえで重要な意味を持つ。殺害の時間帯に被疑者が犯行現場に存在することが不可能なことを示す証拠・証言、すなわちアリバイがあれば、被疑者から除外される。死亡推定時刻は概ね、遺体発見時の胃の内容物の消化状態、直腸温度などから推定されるが、遺体の損傷状態、現場の温度などの環境から、ある程度の幅を持たざるを得ない。一般的には、前後数時間程度の「誤差」が見込まれる。冤罪が争われる事件では、その「誤差」が重要なポイントになる場合もある。ところが、この事件ではそうした不確定要素のある「殺害時刻」ではなく、明確な「犯行時刻」が存在した。(2007/11/10)


第87回:第6のナゾ――ロッカーキー 山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年10月27日、一審初公判冒頭陳述で、札幌地検・小林俊彦検事は「被告人が本件犯人と判明した経緯等」としてこう述べた。「(4月14日に)差し押さえた被告人の車のグローブボックス内からは被害者使用ロッカーのキーが発見された」。二審判決は、「被告人の犯人性を示す間接事実」の第一に、「被告人車両から被害者のロッカーキーが発見された事実」を挙げた。物証が何もないこの事件で、事実とすれば唯一「被告人と犯行を結びつける」直接証拠となる「被告人車両内からの被害者のロッカーキー発見」。だが、二審判決は、それを「間接事実の一つ」にとどめた。なぜ「直接証拠」として認定できなかったのか。(2007/11/03)


第86回:第5のナゾ――遺品焼却 山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年4月15日午後、被害者が殺害された際に所持していたと見られる遺品の一部が、Oさんの住む早来町の「町民の森」で、半ば焼かれた状態で見つかった。Oさんの「任意取り調べ」が始まって2日目のことだ。発見したのは、Oさんの支援者・多田政拓さんが代表をしている「学校のドングリの子孫を残す会」の委託で森の植生調査をしていたNさん。午後4時20分ごろ、何かを焼いた跡を見つけ、多田さんに連絡した。(2007/10/27)


第85回:第4のナゾ――「タイヤの傷」  山口正紀(ジャーナリスト)
  遺体発見から3日目の2000年3月20日、Oさんは車のタイヤに傷があることを知った。一審第18回公判証言によると、Oさんは同日、被害者の告別式に一緒に行った際、同僚から「タイヤがつぶれているんじゃない」と言われた。それが心配だったのとオイル交換のために寄った自動車用品店で、店員に「タイヤの溝がないですよ」と言われた。見てみると、左前輪の接地面に、「びろびろっとした、削られたような痕」(Oさん)があった。そんな傷がいつ、どこでついたのか、まったく心当たりがなかった――。(2007/10/20)


第84回:第3のナゾ――「被害者の車」 山口正紀(ジャーナリスト)
  被害者Hさんが通勤に使っていた三菱パジェロ(RV車)は、遺体発見から約12時間後の2000年3月17日午後8時19分ごろ、勤務先の日通キリンビール事業所から約200メートル離れたJR長都駅前の南側路上で発見された。被害者はふだん、退社後にJR千歳線を利用して札幌方面に出かけたりするときは、帰途の便を考え、長都駅北側にある駐車場に車を置いていた。では、パジェロはなぜ、ふだん駐車する「長都駅北側駐車場」ではなく、「駅南側路上」に放置されていたのか。(2007/10/13)


第83回:続・第2のナゾ――「2台の車」 山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年3月16日夜遅く、少なくとも午後11時5分から25分ごろまでの約20分間、恵庭市北島の農道にいた「2台の車」の搭乗者は、いったい何をしていたのか。これについて一審判決は「ゴミ焼き等による炎上として単に傍観していたものと推認」した。だが、二審判決は「2台の車」の存在は否定できないまま、「ゴミ焼きの傍観者かどうか」も含め、何の判断も示さなかった。では、なぜ二審判決は一審の「ゴミ焼き傍観説」を踏襲しなかったのか。おそらく札幌高裁の裁判官たちは、この説明に「荒唐無稽だから」という以上の重大な矛盾があったことに気づいたのだ。(2007/10/06)


第82回:第2のナゾ――「2台の車」  山口正紀(ジャーナリスト
 〈第2のナゾ=「2台の車」の目撃証言〉――炎とともに目撃された「2台の車」は、現場で何をしていたのか、警察は「2台の車」に関して、どんな捜査を行なったのか。前2回にわたって検討した〈第1のナゾ――「戻された携帯」〉とは異なり、〈第2のナゾ=「2台の車」の目撃証言〉は、警察にとって徹底的に隠さねばならない「真犯人隠し工作」のアキレス腱、危険な爆弾だった。(2007/09/29)


第81回:続・第1のナゾ――「戻された携帯」  山口正紀(ジャーナリスト)
  だれが、何のために、被害者の携帯電話を彼女の勤務先ロッカーに戻したのか。これについて私は前回、「Oさんでは有り得ない」根拠を示した上で、二つの可能性を提示した。第一に、キリンビール日通事業所の従業員または配車センターに出入りしていた関係者。ただし、その人物が真犯人である必要はなく、真犯人に頼まれた「事後共犯者」でもよい。第二は、捜査員K・Sの直接ないし間接の関与。「直接の関与」とは、K・Sが事前に携帯を入手し、それを持ち込んだ疑い。「間接の関与」とは、犯人が携帯をロッカーに戻したことをK・Sが事前に知り、携帯の指紋の拭き取りなど、真犯人隠蔽工作を行なった疑い。いずれにせよ、捜査員K・Sの「何らかの関与」が、「戻された携帯」のナゾを解くカギとなる。(2007/09/23)


第80回:第1のナゾ――「戻された携帯」  山口正紀(ジャーナリスト)
  〈第1のナゾ=「戻された携帯」〉――だれが、いつ、何のために、被害者Hさんの携帯電話を彼女の勤務先ロッカーに戻したのか。この事件の最初にして最大のナゾが、被害者の携帯電話をめぐる、いくつもの疑問だ。携帯電話は、警察によってOさんを逮捕する「決め手」とされた。2000年5月23日早朝、Oさんを「殺人、死体遺棄、同損壊」容疑で逮捕した道警と千歳署の捜査本部は同日午前、記者会見を開き、《佐藤正義道警捜査一課長は「逮捕の決め手は被害者の携帯電話が(事件後)会社に戻っていたこと。社内の犯行ということで詰めの捜査をしていた」と説明した》(『苫小牧民報』23日付夕刊)。(2007/09/15)


第79回:犯人隠蔽捜査――「13のナゾ」を解く視点 山口正紀(ジャーナリスト)
  本連載を開始したのは、2005年11月末。当初、30回ぐらいの連載に、との大ざっぱな見通しで執筆に着手した。控訴棄却から約2か月の段階で、それまでの取材を通じて私の中に生まれた疑問を「13のナゾ」とし、それを事件・裁判の経過を追いながら解明していきたい、というのが当初の心積もりだった。しかし、毎回の記事を書くに際して関連資料に目を通すうち、さらにまた上告審に向け、「支援会・東京」で事件・裁判の全過程の見直しを進めるうち、私が当初イメージしていた「事件像」は、少しずつ変容していった。(2007/09/08)


第78回:有罪判決確定――Oさんへの手紙 山口正紀(ジャーナリスト)
  証拠に基づかない判決。名ばかりになった三審制。しかし、この現代の暗黒裁判=2006年9月25日付で出された上告棄却決定に、メディアはほとんど関心を示さなかった。上告棄却を全国版で報じたのは『読売新聞』『毎日新聞』『日本経済新聞』だけだった。それも20行前後のベタ記事で決定要旨を伝えただけ。「権力チェック」を標榜するメディアは、捜査段階で犯人視報道を繰り広げ、冤罪に加担するだけの存在になった。逮捕から6年半、判決確定でさらに十数年、Oさんは無実の罪で獄に囚われる。(2007/07/21)


第77回:上告棄却――最高裁は死んだ 山口正紀(ジャーナリスト)
  「きょう午後、札幌拘置所のOさんのところに最高裁から上告棄却の通知があり、ついさきほど、Oさんからお父さんにそのことを知らせる電報が届きました。電報は伊東秀子弁護士にも届いたそうで、いま伊東さんは拘置所に面会に向かっています」。2006年9月27日午後5時過ぎ、恵庭冤罪事件被害者支援会(北海道)の多田政拓さんから私の自宅にこんな電話が入った。 (2007/07/14)


第76回:新証拠――タイヤ損傷実験          山口正紀(ジャーナリスト)
  「論より証拠」という。最高裁に二審判決を見直させるには、判決の誤りを「論」で指摘するだけでは弱い。判決が有罪の根拠とした事実認定の誤りを、「証拠」として提示する必要がある。Oさんの車の左前輪タイヤにあった損傷に関する認定こそ、二審判決の決定的「ほころび」であり、「新証拠」の提示によって判決を見直させる突破口になる――。「支援会・東京」はそう考え、2006年1月以来、タイヤ損傷実験を弁護団に呼びかけてきた。弁護団がそれに応えて動いたのは5月。自動車工学の専門家である北海道自動車短期大学教授・林一元氏に、タイヤの損傷原因に関する工学鑑定を依頼した。(2007/07/07)


第75回:タイヤの傷――上告理由補充書        山口正紀(ジャーナリスト)
  2006年3月6日付で「上告理由書」を提出した後、弁護団は3通の「上告理由補充書」を次々と最高裁第一小法廷に出した。補充書(一)(5月30日付)は、上告理由書の主張を総括的に補足したもの。(1)被告人が本件事件の犯人として特定された背景事情(2)7つの間接事実は犯人が被告人であることを指し示しているか(3)被告人が犯人であるとすれば、合理的説明のつかないこと(4)複数犯人説に立つことによって初めて説明できる「数々の疑問」(5)間接事実しか存在しない事件と「合理的な疑いをいれない程度の立証責任原則」について、説明・主張した。(2007/06/30)


第74回:憲法違反の主張――上申書(4)          山口正紀(ジャーナリスト)
  「支援会・東京」会員たちが最高裁に出した「上申書」は、さまざまな立場から二審判決に疑問を提示し、判決を根本から見直すよう求めた。私も一会員として、取材・公判傍聴を通じて感じた疑問を上申書に書いた。《私は、これまで新聞記者として行ってきた取材・報道活動、「人権と報道・連絡会」世話人としてかかわってきた幾多の無罪判決事件の取材・支援活動の経験から、この一審札幌地裁・二審札幌高裁の判決には、かつて冤罪が明らかになり、無罪判決が確定したさまざまな事件と同じような、きわめて重大な疑問・問題点があると考える。以下、その理由を述べ、貴・裁判所に判決の見直しを求める意見を上申する》。特に強調したのは、弁護団の「上告理由書」がなぜか触れなかった憲法違反の問題だ。(2007/06/23)


第73回:技術者の批判――上申書(3)         山口正紀(ジャーナリスト)
  「支援会・東京」会員たちが最高裁に出した「上申書」の紹介を続ける。一審判決には携帯電話に関わる記述が異常に多い。「被害者携帯電話の移動経路と被告人の足取りとの整合」、「発信先と被告人の精通性との符合」などを認定し、有罪の根拠とした。控訴審ではその認定の誤りを弁護側が論証し、大半が崩れた。しかし、二審判決にはなお、重要な点で誤りがあった。東京都世田谷区の磯部忠さんは、放送関連企業で研究開発の技術者として勤務した経験から、携帯電話の位置認定や発信操作について、二審判決認定の問題点を詳細に指摘した。(2007/06/16)


第72回:二審判決への疑問――上申書(2)             山口正紀(ジャーナリスト)
  「支援会・東京」会員たちが最高裁に出した「上申書」の紹介を続ける(一部抄録)。横浜市の土屋翼さんは、「国賠ネットワーク」の活動でさまざまな冤罪事件に関わり、裁判を見てきた経験から、こう書いた。《私は「情況証拠で有罪」という一、二審判決に対し、上申書に「情況証拠で無罪」という表題を与えたいと思います。述べたい項目は沢山ありますが、被害者の目にタオルが巻かれたまま焼損されたことに関して述べます。…(2007/06/09)


第71回:支援者の声――上申書(1)          山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護団が提出した「上告理由書」(2006年3月6日付)の内容を知り、「これでは門前払いされる」と危惧した「支援会・東京」は3月末に開いた会議で、「上告審に向けて支援会として何が出来るか」を話し合った。会議では、「理由書」に対する不満の声が相次いだ。しかし、すでに出してしまった「理由書」をいくら批判しても仕方がない。とにかく最高裁調査官に、この事件と裁判に関心を持たせ、そうして関係書類に目を通させることが大事。そんな方向で議論がまとまり、具体的な活動として、支援者各自がこの事件・二審判決に対する思いを綴り、「上申書」として最高裁に出そうということになった。(2007/06/02)


第70回:門前払いの危惧――上告理由書(5)       山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護団が2006年3月6日、「上告理由書」(以下、理由書)を最高裁に提出したことは当日から翌日にかけ、北海道内の各メディアで報じられた。理由書の内容を「支援会・東京」が知ったのは3月末。「支援会・東京」は会議を開き、今後の支援活動の方針を話し合った。「これでは、最高裁に門前払いされる。なぜ405条を上告理由に挙げないのか」――会議の冒頭、こう言ったのは福富弘美さん。本連載第68回で紹介したが、自身も冤罪被害者として長い裁判闘争を経験し、恵庭冤罪事件では「支援会・東京」の理論的支柱として、重要な問題提起を続けてきた人だ。(2007/05/26)


第69回:真犯人の影――上告理由書(4)        山口正紀(ジャーナリスト)
  上告理由書(以下「理由書」と表記)には、「稲葉事件」の違法捜査にからむ「中村均警視」のほかにもう一点、捜査・裁判で隠された「事件の真相」に迫る重大な言及がある。私がこの連載で何度も指摘してきた「真犯人の影」に関する具体的な指摘だ。この事件には、事件直後に「不審な行動」を見せ、関係者の記憶に残って弁護団の目にとまることになった複数の人物がいた。Oさん・被害者が勤務していた会社の従業員だ。私は一審途中から事件を取材し、Oさんの支援に加わる中でそれを知った。(2007/05/19)


第68回:違法捜査――上告理由書(3)       山口正紀(ジャーナリスト)
  上告理由書(2006年3月6日付。以下「理由書」と表記)で、弁護団が「稲葉事件」「小樽事件」に象徴される北海道警の闇に言及したのは、「ロッカーキー発見」に関する控訴審判決認定の誤りを指摘する記述中でのこと。控訴審判決は「被害者のロッカーキーが被告人車両のグローブボックス内に存在したことは動かし難い事実であり、被告人の犯人性を示す有力な間接事実である」と述べた。このロッカーキー問題について、弁護団は一・二審公判で次のように主張していた。(2007/05/12)


第67回:北海道警の闇――上告理由書(2)       山口正紀(ジャーナリスト)
  2006年3月6日付で最高裁に提出された上告理由書に、一・二審で弁護団が取り上げたことがなかった、ある事件に関する重大な指摘があった。いわゆる「稲葉事件」である。恵庭冤罪事件の一審公判が終盤にさしかかっていた2002年11月14日、同じ札幌地裁で、北海道警の少なからぬ幹部たちを戦々恐々とさせる一つの刑事裁判が始まった。被告人は北海道警の稲葉圭昭・元警部。同年7月、覚醒剤使用、拳銃不法所持などの容疑で逮捕・起訴、懲戒免職になった。かつて道警本部生活安全部銃器対策課の「エース」と呼ばれた敏腕刑事が、実は暴力団と癒着し、拳銃や覚醒剤を「ヤラセ摘発」したり、違法な「おとり捜査」を繰り返したりしていたことが明るみに出た。これが「稲葉事件」だ。(2007/05/05)


第66回:情況証拠――上告理由書(1)         山口正紀(ジャーナリスト)
  札幌高裁(長島孝太郎裁判長)の控訴棄却判決から約5か月たった2006年3月6日、弁護団は最高裁第一小法廷に「上告理由書」を提出した。弁護人の署名は、「主任弁護人・伊東秀子」ほか6人。二審から弁護団に入った東京の今村核弁護士の名前がなかった(今村弁護士は二審の間、秋山賢三弁護士とともに「支援会・東京」のさまざまな問題提起に熱心に耳を傾けてくれた弁護人。私は、弁護方針の総括をめぐって札幌の弁護団と意見の齟齬があったのではないか、と思った)。「上告理由書」は、伊東弁護士の「あとがき」も含めて全文139ページに及ぶ。(2007/04/28)


第65回:問題提起――上告審に向けて        山口正紀(ジャーナリスト)
  上告審をどう闘うか――。札幌高裁がOさんの控訴を棄却した2005年9月29日以降、「恵庭冤罪事件支援会・東京」は、月に2回のペースで会議を開き、上告審に向けて、支援会として何ができるか、何をすべきか、話し合いを重ねた。その議論の間、さまざまな冤罪事件に取り組んできたメンバーたちが強く意識せざるを得なかったのが、年々厚く・高くなる一方の「最高裁の壁」だ。(2007/04/21)


第64回:反省――続・支援活動と弁護団        山口正紀(ジャーナリスト)
  控訴審の本人質問が終わりに近づいた2005年2月、「支援会・東京/有志」は「恵庭冤罪事件・弁護人の皆さまへ」と題した長文の手紙を送った。その一部を紹介する。《弁護人の皆さまのご努力、ご奮闘にもかかわらず、控訴審の審理は依然として「Oさんの無実を明らかにするために必要なことをやり尽くした」とはとうてい言えないのではないでしょうか。それは何よりも、弁護団が求めてきた重要な証拠が、控訴審においてもほとんど開示されていないこと、したがってそれらの証拠調べが実現していないことです。だからこその証拠開示請求だったと思います。……》(2007/04/14)


第63回:不信――支援活動と弁護団          山口正紀(ジャーナリスト)
  「きょうは、もしかしたら皆さんにうれしい報告ができるかと思っていたのですが、ご存知のような結果になってしまいました。これから、事件の顛末をご報告するとともに、今後のことを考えたいと思っております」。札幌高裁「控訴棄却」判決から10日たった2005年10月8日午後、東京・渋谷勤労福祉会館で開かれた「恵庭冤罪事件・控訴審判決報告集会」。秋山賢三弁護士は、苦渋をかみしめるように、重い口調で話し始めた。(2007/04/07)


第62回:報告集会――再びの有罪判決(4)            山口正紀(ジャーナリスト)
  2005年9月29日午後5時前、札幌市の北海道立道民活動センター520研修室。室内は、重苦しい沈黙に包まれていた。まもなく「恵庭冤罪事件被害者支援会」と「恵庭冤罪事件支援会・東京」共催の控訴審判決報告集会が始まる。約50人の支援者が、弁護団の到着を待っていた。公判を傍聴できなかった人、判決後に駆けつけた人もいる。札幌高裁・長島孝太郎裁判長が「控訴棄却」判決を言い渡してから、すでに3時間半たっていた。(2007/03/31)


第61回:控訴棄却――再びの有罪判決(3)          山口正紀(ジャーナリスト)
  二審判決の批判を続けていくと際限がないが、あと1点、どうしても触れておかねばならないことがある。ロッカーキー問題だ。弁護側は、警察が「被告人車両から発見・押収した」と主張する被害者のロッカーキーについて、一審以来一貫して「警察の証拠捏造」と主張してきた。警察は、「千歳署車庫内で被告人車両グローブボックス内からキーを発見し、配車センター内女子休憩室の被害者ロッカーキーと酷似する」として、法的手続き(被告人の同意、令状請求)を経ずにキーを持ち出し、「ロッカーの鍵穴と照合したところ一致した」としている。この事件で、唯一「被告人と犯行を結びつける物証」らしきものが、このキーだ。(2007/03/23)

第60回:控訴棄却――再びの有罪判決(2)         山口正紀(ジャーナリスト)
  控訴審判決の「有罪認定」の論理構造は、(1)「被告人の犯行であることを直接証明する証拠はなく、被害者の殺害方法、殺害場所も不明」だが、(2)「被告人が犯人であることを示す幾多の間接事実が存在」し、(3)「犯人性を一応疑える者の中で、動機があり、かつ、犯行とかかわりを持つ可能性がある者は被告人以外に存在せず」、(4)「被告人が本件犯行自体や犯人がとった行動に及ぶことが不可能である、ないしはそれが可能であると判断することに不合理、不自然な事実が存在するなどの事情は全く認められない」から、(5)「被告人が犯人であると優に認めることができる」――というものだった。(2007/03/17)


第59回 控訴棄却――再びの有罪判決(1)         山口正紀(ジャーナリスト)
  2005年9月29日午後1時半すぎ、札幌高裁8階5号法廷。静まり返った法廷に、長島孝太郎裁判長の声が響いた。「主文、本件控訴を棄却する」。エッ、控訴棄却?裁判長はそう言ったのか?ほんとうに控訴棄却と?その瞬間、私が感じた疑問を取材記者たちも抱いたようだった。普通なら主文朗読直後、一報を伝えるため一斉に法廷の外に飛び出すはずの記者たちが、一瞬中腰になったまま動けないでいた。記者たちは数秒の「奇妙な間」をおき、ようやく次々立ち上がった。(2007/03/10)


<番外編>対『新潮45』訴訟判決          山口正紀(ジャーナリスト)
  月刊誌『新潮45』2002年2月号に《恵庭美人OL社内恋愛殺人事件》のタイトルで掲載された記事と、それを収録した「新潮文庫」による名誉毀損への損害賠償、「新潮文庫」の出版差し止めなどを求めた損害賠償訴訟の判決が、2007年1月23日午後、東京地裁(高野伸裁判長)で言い渡された。「被告新潮社は……の部分を含んだ状態で増刷及び販売してはならない」。エッ、「増刷、販売をするな」と言った?一瞬、耳を疑った。続いて、二度「110万円を支払え」という言葉が聞きとれた。 傍聴席の「恵庭冤罪事件支援会・東京」メンバーが「ヨシッ」と、廷内全体に聞こえるような「声のガッツポーズ」。刑事裁判、国賠訴訟と、悔しい結果ばかりだった恵庭冤罪事件で、初めて支援者たちが明るい表情を見せあった。(2007/02/02)


第58回:控訴審13回――検察側最終弁論     山口正紀(ジャーナリスト)
  2005年5月24日に開かれた控訴審第13回公判は、弁護側弁論の後、休憩を挟んで札幌高検・八幡検事による検察側の最終弁論が行なわれた。八幡検事は、用意した弁論要旨を聞き取れないほどの早さで棒読みした。そのすさまじい早口は、「まるで一刻も早く法廷の場から逃げ出したくて」のように思えた。そのメモを取りながら、私は2年前の一審判決公判を思い出した。遠藤和正裁判長も、聞き取れないほどの小声かつ猛烈な早口で、Oさんを有罪とする判決文を読み上げた。(2007/01/27)


第57回:控訴審13回――弁護側最終弁論(4)   山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護側最終弁論の要点紹介を続ける。◆第4章「本件冤罪は、何故、生まれたのか」【第1点】――千歳署は3月17日、被害者携帯電話の発着信記録から被告人による多数回の電話を知り、被告人を最有力容疑者と断定、被告人に的を絞った捜査を開始した。【第2点】――警察は、通例行なわれるべき基礎的捜査を怠り、事件発覚翌日に「現場に停車していた2台の車」という重要情報を得ていたにもかかわらず、これを無視し、「三角関係のもつれによる怨恨殺人」の先入観に固執、被告人の身辺・周辺捜査のみに集中した。(2007/01/20)


第56回:控訴審13回――弁護側最終弁論(3)     山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護側最終弁論の要点紹介を続ける。◆第3章「被告人犯人説」の破綻と崩壊【第6点 「被告人車両から発見された」とされる「被害者ロッカーキー」の意味】警察は「4月14日、千歳署車庫内で被告人車両グローブボックス内からキーを発見し、それが配車センター内女子休憩室の被害者ロッカーキーと酷似する」として法的手続きを経ずにキーを持ち出し、「ロッカー鍵穴と照合したところ一致した」としている。しかし、この「持ち出し、照合」は、被告人の同意も令状請求もない違法行為だったことは、一審判決も認定した。(2007/01/13)


第55回:控訴審13回――弁護側最終弁論(2)       山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護側最終弁論の要点紹介を続ける。◆第3章「被告人犯人説」の破綻と崩壊。【第1点 「殺害の動機」がない】。一審判決は、被告人が被害者を殺害する動機として、(1)結婚まで意識していた相手を奪われ、悪感情を抱いたことが推認でき、それが殺意に発展することは十分にあり得る(2)その根拠として230回も「嫌がらせ電話」を繰り返した――ことなどを挙げた。しかし、被告人と男性Iさんの関係からは「殺害の動機」は認定できない(2007/01/06)


第54回:控訴審13回――弁護側最終弁論(1)     山口正紀(ジャーナリスト)
  「本件第一審判決は完全な誤判であり、被告人は無実であり、無罪である」「弁護人は真実と科学の名において無罪判決を求める」――2005年5月24日午後1時半過ぎ、札幌高裁第5号法廷。秋山賢三弁護士の力強い声が、満席の傍聴席まで朗々と響き渡った。前年3月に始まった控訴審はこの日、第13回公判を迎え、弁護側・検察側双方の最終弁論が行われて結審した。 (2006/12/30)


第53回:集会・街頭宣伝――最終弁論へ      山口正紀(ジャーナリスト)
  「恵庭冤罪支援会・東京」の桃太郎旗が、晴れ渡った青空に映えた。2005年3月21日午前8時、札幌市の新札幌駅前。「恵庭冤罪事件・不当勾留5年/無実のOさんに無罪判決を」と大書した看板を取り付けたワゴン車の前で、三浦和義さんがマイクを握った。「おはようございます。ロス疑惑の冤罪に巻き込まれた三浦和義です。5年前に起きた恵庭OL殺人事件で無実を訴えているOさんを支援するため、東京からまいりました」。土曜日の朝とあって、駅を出入りする人の数は少ない。しかし、「三浦和義」の名を耳にとめた人は、「なにごとか」と振り返った。(2006/12/23)


第52回:『新潮45』訴訟――許せません      山口正紀(ジャーナリスト)
  札幌高裁で控訴審の本人質問が続いていた2004年秋から冬にかけ、Oさんは刑事裁判の進行とは別に、ある迷いに揺れていた。月刊誌『新潮45』が2002年2月号に《恵庭美人OL社内恋愛殺人事件》のタイトルで掲載した記事に対して、名誉毀損訴訟を起こすかどうか、その決断のタイムリミット(時効)が迫っていたのだ(連載第29回参照)。事件発生直後から逮捕にかけ、メディアはOさんを追いかけ回し、逮捕後はすさまじい犯人視・プライバシー侵害報道を繰り広げた。(2006/12/16)


第51回:控訴審第12回――本人質問(5)     山口正紀(ジャーナリスト)
  2005年2月24日、控訴審第12回公判が開かれた。被告人質問6回目のこの日は、検察側、裁判所の最終質問が行われた。検察側質問を行なったのは、八幡検事。高橋検事が転任し、代わって質問に立った。彼は、Oさんを起訴した時の札幌地検次席検事。見かけは温厚そうだが、証人台のOさんを大声で怒鳴りつける「恫喝検事」だった。八幡検事の質問内容は、(1)事件2日後(00年3月18日)にIさんから「Sさんに確認してほしい」と頼まれた電話の件(2)事件発生以降のIさんとの関係の変化(3)被害者Hさんへのリダイヤル電話の状況――など。(2006/12/09)


第50回:控訴審第10〜11回――本人質問(4) 山口正紀(ジャーナリスト)
  控訴審第10回公判(2004年12月20日)は前回に続き、検察側による2回目の本人質問が行われた。前回は準備不足からか、中身も迫力もない質問で傍聴席の失笑を買った高橋検事。だが、この日は言葉遣いも荒々しく、Oさんの「記憶違い」や、捜査段階で弁護人に「灯油の買い直し」について話していなかった問題などを執拗に追及した。(2006/12/02)


第49回:控訴審第8〜9回――本人質問(3)    山口正紀(ジャーナリスト)
  控訴審第8回公判(2004年11月16日)は弁護側による2回目の本人質問。伊東秀子・主任弁護人が質問を担当し、Oさんの事件前の恋愛関係、事件直前の心境を通して「犯行動機」の不存在を立証しようと試みた。一審判決は「被告人が結婚まで意識したIを奪われたとして、被害者に悪感情を抱いたことを合理的に推認できるのであって、これが殺意に発展することは十分にあり得る」とした。仮に「悪感情」を抱いたとしても、それと「殺意」の間には大きな違いがある。さらに「殺害の実行」や「遺体の焼損」との間には、もっと重大な隔たりがある。(2006/11/25)


第48回:控訴審第7回――本人質問(2)      山口正紀(ジャーナリスト)
  前回に続き、控訴審第7回公判本人質問の主な内容を紹介する。一審判決は、3月17日未明、被害者の携帯電話から発信された7回の電話を「被告人がかけた」と認定した。その根拠を電話先(キリンビール工場関係とOさんの交際相手)を「内部の者しか知らない番号」とした。事実はどうだったのか。(2006/11/18)


第47回:控訴審第7回――本人質問(1)       山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年10月28日午後、札幌高裁で控訴審第7回公判が開かれ、本人質問が始まった。この日、証言台のOさんの表情は少し強張っているように見えた(4年半も拘置所に閉じ込められ、弁護士の接見や家族・支援者の面会時以外、人と話す機会のない日々。「質問にどう答えるかより前に、きちんと言葉を話せるかどうか。そんなことが不安になるんです」。翌日面会した私に、彼女はそう話した)。本人質問の第1日は、控訴審から弁護団に加わった秋山賢三弁護士が担当。膨大な一審記録に目を通し、二審公判で明らかになった新事実も踏まえて質問事項が準備された。(2006/11/11)


第46回:二審の転機――事実調べ打ち切り       山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年9月20日に開かれた第2回全国集会「無実は無罪に――恵庭冤罪事件 控訴審無罪判決を求めて」の報告を続ける。集会の第3部では、支援会メンバーでもある「人権と報道・連絡会」事務局長・山際永三さんの司会で、秋山賢三、渡部保夫の両弁護士が「元裁判官の目から見た恵庭冤罪事件と裁判」について語り合った。以下、その主なやりとり、発言を紹介しよう。(2006/11/04)


第45回:危機感――第2回支援集会         山口正紀(ジャーナリスト)
  控訴審第6回公判前日の2004年9月20日、北海道と東京の支援会主催の第2回全国集会「無実は無罪に――恵庭冤罪事件 控訴審無罪判決を求めて」が札幌市内で開かれた。集会は、同年3月に控訴審が始まって以来、公判の推移を見守ってきた支援者たちが、札幌高裁・長島孝太郎裁判長の訴訟指揮に危惧を覚え、急きょ準備・開催したものだ。もう一度、控訴審への市民の関心を高め、公正な審理をするよう裁判所に「プレッシャー」をかけようというのが、集会の主な狙いだった。(2006/10/28)


第44回:控訴審第5〜6回――新証拠        山口正紀(ジャーナリスト)
  《一審認定覆す証拠/恵庭OL殺人札幌高裁公判/被告のアリバイで》(北海道新聞)《恵庭OL殺人事件控訴審第5回公判/被告の給油時刻で新証拠/一審の認定事実覆す内容/札幌高裁》(苫小牧民報)。2004年8月20日付各紙に、こんな見出しが躍った。前日19日、札幌高裁で開かれた控訴審第5回公判は、この裁判を取材し続けてきた司法記者たちに一審判決の誤りを実感させ、大きく記事化させるものとなった。(2006/10/21)


第43回:控訴審第4回――ブタ燃焼実験       山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年6月29日午後、控訴審第4回公判が開かれた。札幌高裁5号法廷の傍聴席は前回に続いて満席。各地からOさんの支援者が駆けつけた。控訴審に入っても、この裁判は大きな関心を集め続けている。それは裁判官に「おざなりな判決」を出させない大きなプレッシャーになるだろうと思った。この日の証人は、八十島保弁護人。弁護団が2004年2月11日に行ったブタの燃焼・焼損実験ビデオの証拠採用をめぐり、実験報告書の作成者として実験の概要を証言した。(2006/10/14)


第42回:控訴審第3回――遺体は語る       山口正紀(ジャーナリスト)
  《法廷に出された「寺沢鑑定書」は、ある操作を施された「二次鑑定書」ではないか》――本連載第17回で、私は事件の「第13のナゾ」として、こんな〈疑惑〉を提示した。遺体が発見された2000年3月17日午後、北海道大学医学部法医学教室の寺沢浩一教授によって解剖が行われた。その遺体鑑定書の日付が、解剖から2か月半もたった「6月6日」だったことに、私は最初、素朴な疑問を抱いた。なぜ、そんなに時間がかかったのか。その疑問は、捜査の経過と照らし合わせた時、ある疑惑に突き当たった。(2006/10/07)

第41回:控訴審第2回――幻の三角関係       山口正紀(ジャーナリスト)
 〈事件〉は、人の運命を変える。被害者・被疑者、その家族はもちろんのこと、冤罪事件では、濡れ衣を着せられた人の人生そのものを奪ってしまう。私は、戦後、再審で死刑台から生還した4人のうち、免田事件、島田事件、松山事件の冤罪被害者3人にお会いした。ほかにも、布川事件、甲山事件、「ロス疑惑」など数多くの冤罪被害者に会い、記事を書いたり、支援活動に加わったりしてきた。人生を突然、警察権力に奪い取られ、冤罪との闘いに一生を費やさざるを得なくなった人たち。その無念や理不尽さは、どんなに言葉を尽くしても言い表しようがない。(2006/09/28)


第40回:新証拠――続・控訴審初公判       山口正紀(ジャーナリスト)
  札幌高裁で開かれた控訴審初公判(2004年3月22日)は、約1時間に及ぶ弁護側「控訴趣意要約書」朗読に続き、検察側の「答弁書」朗読に移った。「答弁書」は、弁護側が前年8月19日に提出した「控訴趣意書」に検察側が反論したもので、同年10月22日に提出された。全文21ページ、弁護側「控訴趣意書」(120ページ)に比べ、6分の1という簡略な文書だ。(2006/09/23)


第39回:控訴審初公判――控訴趣意書       山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年3月22日午前10時30分、札幌高裁5号法廷は、張り詰めた空気に包まれていた。いよいよ控訴審が始まる。初公判には、「今度こそ公正な裁判を」と東京、大阪などから10数人の支援者が駆けつけた。傍聴券抽選には約130人の希望者が並んだ。抽選でいつも「勝率」の低い私は今回も「ハズレ」だったが、地元支援者に傍聴券を譲ってもらい、法廷に入った。初めて見る長島孝太郎裁判長の印象は、その経歴・評判などから予想していたイメージとあまり違わなかった。(2006/09/16)


第38回:私は無実です――Oさんの訴え      山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年3月21日午後、札幌市で開かれた支援集会「恵庭裁判を考える――控訴審無罪判決をめざして」の報告を続ける。恵庭事件弁護団には一審判決後、新たに東京から4人の弁護士が加わった。そのきっかけになったのは、一審判決から半年後の2003年9月11日、日弁連刑事弁護センターが東京(弁護士会館)で開いたシンポジウム「状況証拠と冤罪」。恵庭弁護団の伊東秀子弁護士が「冤罪・恵庭OL殺人事件―― 一審判決に見る誤判の構造」と題して特別報告した。(2006/09/09)


第37回:支援集会――「冤罪の恐怖」訴え      山口正紀(ジャーナリスト)
  2004年3月21日午後1時過ぎ、札幌市の北海道大学・学術交流会館。キャンパスのあちこちに残る雪だまりを避けながら、続々と人が集まって来る。「恵庭裁判を考える――控訴審無罪判決をめざして」。ステージ中央に大きな横断幕が掲げられた会場は、開会前に300人を超す参加者で埋め尽くされた。前年3月26日、札幌地裁・遠藤和正裁判長による「懲役16年」の信じ難い有罪判決からまる1年。札幌高裁の控訴審第1回公判を翌日に控えたこの日、恵庭冤罪事件で初めての大規模な支援集会が開かれた。(2006/09/01)


第36回:一審判決――「可能性」で有罪          山口正紀(ジャーナリスト)
  2003年3月26日午前10時過ぎ。札幌地裁8階2号法廷から飛び出してきた記者たちが、一斉に携帯電話に向かって叫んだ。「有罪、有罪です。懲役16年」。法廷の前で朗報を待っていたOさんの支援者たちの間から、「エーッ」と悲鳴に近い驚きと落胆の声が上がった。支援者と一緒に法廷前にいた私も、にわかには信じ難かった。あの立証でなぜ有罪判決が出せるのか――。記者たちにも予想外の判決だったのだろう、有罪の一報を電話で吹き込む表情に困惑の色が見えた。記者の多くは「無罪」を想定した夕刊用の「予定稿」を書いていたに違いない。(2006/07/29)


第35回:一審公判(15)――最終弁論        山口正紀(ジャーナリスト)
  Oさんに懲役18年を求刑した検察論告から約1か月、2002年12月18日、札幌地裁で第45回公判が開かれ、弁護側の最終弁論が行われた。弁論は全文170ページ。午前10時に始まった4人の弁護人による弁論朗読は昼休みを挟み、夕方まで約6時間に及んだ。弁論は、激越な捜査批判から始まった。(2006/07/22)


第34回:一審公判(14)――懲役18年求刑    山口正紀(ジャーナリスト)
  公判を傍聴したり、裁判の記録を読んだりしていて、問題が殺人事件や冤罪など深刻な問題なのに、思わず笑ってしまうことがある。2002年11月20日、札幌地裁で開かれた第44回公判で、検察はOさんに懲役18年を求刑した。その論告で吉田克久検事は、初公判の冒頭陳述では「殺意をもって、その頚部を圧迫し、被害者を窒息死させて殺害」としか説明できなかった「殺害方法」に初めて言及し、こう述べた。(2006/07/15)


第33回:一審公判(13)――証拠調べ終了      山口正紀(ジャーナリスト)
  前回公判(第39回)に、それまで存在をひた隠しにしてきた「2台の車と炎の目撃者」が証人として登場、窮地に陥った検察は2002年8月21日の第40回公判に、「新たな目撃者」を証人として引っ張り出してきた。事件当夜の2000年3月16日夜、JR長都駅前で「若い女性二人が乗ったパジェロらしい車を見た」という証言だ。だが、検察が苦し紛れに出してきた「新証言」は、目撃時間からして、話にならないものだった。(2006/07/08)


第32回:一審公判(12)――検察が震えた日 「2台の車」目撃証言 山口正紀(ジャーナリスト)
  2002年7月3日――本来ならこの日は、「検察が震えた日」として記憶されることになったはずだ。2000年3月17日の遺体発見直後に警察が接触し、供述調書までとりながら、その存在をひた隠しにしてきた「2台の車と炎の目撃者」が突然、弁護側証人として初めて一審公判の舞台に登場したのだ。その証言は、警察・検察が描き、メディアが広めてきた「同僚による嫉妬殺人」という「事件の構図」をズタズタに引き裂き、「複数の犯人による犯行」という事件の「隠された相貌」を、初めて明るみに引き出した。(2006/07/01)


第31回:一審公判(11)――弁護側証人      山口正紀(ジャーナリスト)
  第36回公判は2002年5月8日に開かれ、弁護側が申請した二人目の証人、A・Kさんの証人尋問が行われた。彼女は、Oさんが職場で親しくしていた同僚。事件の約3か月前に日通キリンビール事業所から札幌東支店に異動し、事件後再び、以前自分が担当していた被害者Hさんの業務を引き継ぐ形でキリンビール事業所に戻った。この尋問で弁護側が意図したのは、事業所業務に精通したA・Kさんの証言を通じ、検察側証人としてOさんの事件前後の行動を怪しげに描いた事業所幹部や同僚の「悪意」証言を一つ一つ「つぶす」ことだった。(2006/06/24)


第30回:一審公判(10)――裁判長交代      山口正紀(ジャーナリスト)
  一審公判終盤の2002年3月、Oさんの弁護団に一抹の不安を抱かせる知らせが入った。2000年10月27日の初公判以来、34回に及ぶ公判を指揮してきた佐藤学裁判長が退官し、裁判長が交代することになったのだ。それまで弁護団は佐藤裁判長に、「この裁判長なら公正な判断を下してくれるかもしれない」と、ある程度の期待感を持っていたように思われる。恵庭事件の審理と並行して進められていた、いわゆる「城丸君事件」で2001年5月、無罪判決を下していたからだ。(2006/06/17)


第29回:報道被害――『新潮45』に犯人断定記事  山口正紀(ジャーナリスト)
  一審の検察側立証もほぼ終わりに近づいた2002年2月、「Oさんを支援する会」の多田律子代表をはじめ、支援者たちを驚かせ、憤激させる「事件」が起きた。月刊誌『新潮45』2月号が、《恵庭美人OL社内恋愛殺人事件》と題した記事を掲載し、その中で、Oさんを名指しで犯人と断定したのだ。記事の前文には、こう書かれていた。《職場内のありふれた恋愛が終わる時、殺意は芽生えた。女は、男が新しく選んだ若い同僚を絞め殺し、焼き捨てた》(2006/06/10)


第28回:一審公判(9)――「偽証」疑惑       山口正紀(ジャーナリスト)
  検察側証人尋問の最後となった2002年3月20日の第34回公判。事件翌月の2000年4月に千歳署刑事一課長に就任し、捜査を指揮した佐藤正幸警部が証言台に立った。検察側立証の締めくくりとあって、検察官の尋問は多岐にわたった。その証言内容は、それまで法廷に登場した捜査員たちの「証言のほころび修理」ないし「つじつま合わせ」的なものが多く、目新しい内容はなかった。その一方で、捜査の異常さを浮き彫りにし、「偽証」を疑わせるような証言があった。(2006/06/03)


第27回:一審公判(8)――恥をかいた警察官     山口正紀(ジャーナリスト)
 この事件では、北海道警本部・千歳署の警察官約200人が捜査に関わったと見られるが、その中に何ともみっともない役割を演じさせられた気の毒な捜査員が3人いる。多くの傍聴者が見守る法廷で、「自分の捜査がどれほどいい加減だったか」を、一生懸命「証明」しなければならなかった捜査員たちだ。(2006/05/27)


第26回:一審公判(7)――検察側証人尋問     山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護側・検察側・計8回に及ぶ被告人質問が終わった後、第23回公判(2001年10月3日)から再び検察側証人尋問が始まった。以後、第34回公判(2002年3月20日)まで、検察側証人尋問は12回にわたり続けられた。証人は、捜査員8人、Oさんの勤務先の上司・同僚3人、北海道セルラー社員1人の計12人。「Oさんを支援する会」のホームページには、各公判の内容が詳細に記録されている。それを読んで感じるのは、「検察はいったい何を立証したいのか」という素朴な疑問だ。(2006/05/20)


第25回:一審公判(6)――検察側被告人質問        山口正紀(ジャーナリスト)
  弁護人による4回の被告人質問に続き、2001年7月18日の第19回公判から検察側による被告人質問が始まった。私はこの日、初めて札幌地裁を訪れ、公判を傍聴した。その約3か月前、「ロス疑惑」報道被害者・三浦和義さんから恵庭事件のことを聞いた私は、「Oさんを支援する会」の多田政拓・律子さん夫妻に連絡を取り、早来町を訪ねた。政拓さんの案内で、恵庭市の遺体発見現場、千歳市の日通キリンビール事業所、JR長都駅、早来町の被害者遺品焼損現場など、事件に関係する場所を回り、札幌拘置所でOさんに面会もした。(2006/05/13)


第24回:一審公判(5)――続・弁護側被告人質問        山口正紀(ジャーナリスト)
  被告人質問の4回目、弁護側質問最終日となる2001年7月4日、Oさんは「サザンオールスターズ」のTシャツを身に着けて公判に臨んだ。親友のI・Kさんが差し入れたばかりのシャツだ。前年、事件が起きる少し前、OさんとI・Kさんは、夏に予定されていたサザンの茅ヶ崎コンサートに行く約束をしていた。約束は逮捕で果たせなくなった。Oさんに対する接見禁止は逮捕から1年以上たっても続いていた。それが全面解除されるのは、一審公判終盤の2002年9月。友人たちは、法廷での「視線による会話」と差し入れでしか、彼女と意思疎通できなかった。(2006/05/06)


第23回:一審公判(4)――弁護側被告人質問       山口正紀(ジャーナリスト)
  逮捕からちょうど1年たった2001年5月23日、札幌地裁で15回公判が開かれ、弁護側による被告人質問が始まった。Oさんはこの日、「支援する会」メンバーが「春だから明るいものを」と差し入れた薄い水色のシャツ・ジーンズを着けて本人質問に臨んだ。質問初日とあって、弁護団はまず、事件とOさんの関係の全体状況を裁判官が概括的にとらえられるよう、基本的な質問を重ねた。(2006/04/29)


第22回:一審公判(3)――崩れた検察の論拠      山口正紀(ジャーナリスト)
  第8回公判から第13回公判まで6回にわたって続いた「北海道セルラー」(現au)社員の証人調べ。2001年3月23日の第11回公判は、北海道セルラー札幌支店の通信運用部センター長Y・Jさんが証言台に立った。証言全体は、「230回の嫌がらせ電話」を立証したい検察側の意図に沿った内容だったが、尋問中、検察の意図とは裏腹に、「O=犯人」とする根拠の一つを覆す証言が飛び出した。(2006/04/22)


第21回:一審公判(2)――綻びる検察立証       山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年12月22日の第5回公判と2001年1月12日の第6回公判では、Oさんと被害者Hさんの勤務先だった日通キリンビール事業所O・M所長の証人尋問が行われた。所長は検事の質問に要旨次のような証言をした。「4月24日に退職のことで話した時、彼女は『大きな借金をしたので、中に入ったら返せなくなる』と言っていた。借金とは弁護士費用、中とは刑務所のことだと思う」。私はこの記録を読んで、「この所長にはなにか、検事に迎合しなければならない理由でもあるのか」と勘ぐりたくなった。(2006/04/15)


第20回:一審公判(1)――検察側証人       山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年10月27日、札幌地裁(佐藤学裁判長)で始まったOさんを被告人とする「殺人・死体損壊」事件の一審公判の審理は、ほぼ月2回開廷という速いペースで進行。2003年3月26日の判決まで、2年5か月の間に重ねられた公判は、計46回に及んだ。一審の審理経過をざっと振り返ると、審理の大半が検察側立証に費やされ、弁護側の立証機会はごく限られていたことがわかる(2006/04/08)


第19回:支援――無実を信じる人たちの輪        山口正紀(ジャーナリスト)
  《Oさんが逮捕されてから五ヶ月、ようやく初公判が開かれました。その間、接見禁止の状態におかれ、両親さえも会うことができませんでした。(中略)検察側の冒頭陳述を聞いても、ことさら彼女を悪い人間だと思わせようとしているだけで、確たる証拠(秘密の暴露)等の提示もなく、なぜ?の思いを強くしただけでした。冒頭陳述が読み上げられている間、彼女は背筋を伸ばし、しっかり前を見つめて聞いていました。何ヶ月か会わないうちに髪は伸び、その彼女の姿は痛々しく、胸がしめつけられる思いでした。不条理な中に身を置く彼女を一刻も早く助け出さなければなりません》。「Oさんを支援する会」機関紙『みなねっと』第1号(2000年11月15日発行)で、支援会代表・多田律子さんは、10月27日の初公判を傍聴した思いをこのように伝えた。(2006/04/01)


第18回:弁護――「不幸な偶然」の真実           山口正紀(ジャーナリスト)
  この事件には、裁判で解明されなかった不可解なナゾが、少なくとも13もある――本連載の第1回〈プロローグ――「証拠なき有罪判決」〉で、私はそう書いた。連載第2回以降、2000年3月17日の遺体発見から一審初公判(同年10月27日)までの約7か月間に生起した複雑な動きを検証してきた。そうして前回までに、必要な範囲で一・二審公判の審理にも言及しつつ、事件をめぐる「13のナゾ」、事件と捜査の問題点を、ほぼ明らかにすることができたと思う。(2006/03/25)


第17回:鑑定書――遺体は何を語ったか             山口正紀(ジャーナリスト)
  「遺体は嘘を言わない。正直にその人の過した時間、生命の断ち切られた無念さも映し出す」――これは、東京都監察医務院の監察医として30年間に約2万体を検視した上野正彦さんが今年1月30日付『毎日新聞』のインタビューで語った言葉だ。上野さんが89年に退職後、出版した『死体は語る』(時事通信社刊)は、大ベストセラーになった。2000年3月17日朝、恵庭市の農道で黒焦げの状態で発見されたHさんの遺体は、いったいどんなことを「語った」のだろうか。(2006/03/18)

第16回:証拠――隠された真犯人の痕跡             山口正紀(ジャーナリスト)
  「被告人と本件犯行を結び付ける直接証拠は皆無であって、合理的疑いを差し挟まない程度に被告人が本件犯行を犯したとする立証も全くなされていない」。2000年10月27日の初公判。検察側冒頭に対し、Oさんの主任弁護人・伊東秀子弁護士は、異例の弁護側冒頭陳述で、こう述べた。実際、この日までに検察側が証拠調べを請求した約170件の証拠の中に、「被告人と本件犯行を結び付ける直接証拠」は、全く存在しなかった。それだけではなく、明らかに作成されたはずの捜査報告書も提出されていなかった。(2006/03/11)


第15回:偽造――アリバイ捜査報告書             山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年10月27日の初公判・検察側冒頭には「不自然・不合理な犯行動機」「限りなく不可能な殺害方法」「解明されない遺体焼損の動機・方法」という三つのナゾが存在した。この冒頭陳述にはまだもう一つ、見過ごせない問題がある。「犯行可能性」と「事業所関係者のアリバイ」をめぐる問題だ。検察官は冒頭陳述終盤で、「被告人が本件犯人と判明した経緯等」を説明したが、この主張には、連載第2回「遺体発見――戻されていた携帯電話」で簡単にふれたように、大きなごまかしがあった。(2006/03/04)

第14回:遺体焼損――その目的と方法は?       山口正紀(ジャーナリスト)
  「恵庭OL殺人事件」は発生当時、大きな関心を集めた。地元メディアだけでなく、全国紙、テレビの全国放送で報じられ、ワイドショーや週刊誌も事件を大きく取り上げた。その理由は、被害者が24歳の若い女性だったことだけではない。遺体が、《全身が真っ黒に焼けただれ損傷が激しく、タオルのようなもので目隠しされ》(2000年3月18日付『北海道新聞』)た状態で発見されたこと。その無残さが、大きな衝撃を与えた。(2006/02/25)

第13回:殺害方法――非現実的想定        山口正紀(ジャーナリスト)
  前回に続き、2000年10月27日の一審初公判・検察側の冒頭陳述から、警察・検察が描いた「事件の構図」を検討する。前回、「犯行動機」について、「嫉妬殺人」説の根拠のなさ・荒唐無稽を指摘したが、それ以上にあいまいなのが、「殺害方法」に関する主張だ。被告人が、いつ、どこで、どのようにして被害者を殺害したのか。これは本来、冒頭陳述で明らかにすべき、事件の核心部分だ。しかし、札幌地検の冒頭陳述は…(2006/02/18)

第12回:初公判――「犯行動機」             山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年10月27日午前10時、札幌地裁(佐藤学裁判長)で、Oさんを被告人とする「殺人、死体損壊」事件の第1回公判が開かれた。逮捕(5月23日)から5か月余たった初公判。札幌地裁には、公判開始の約1時間前から傍聴希望者が続々と詰めかけ、報道陣も殺到した。地元のメディア各社はもちろん、東京からもテレビのワイドショーリポーターや週刊誌記者などが駆けつけた。裁判所構内にはテレビ各局の中継車が乗り入れ、全国に初公判の模様を放送した。(2006/02/11)


第11回:起訴――アリバイ隠滅工作            山口正紀(ジャーナリスト)
  Oさんの自宅に対する不可解な捜索から3日後の2000年6月13日、札幌地検は殺人・死体損壊の罪でOさんを札幌地裁に起訴した。地検が起訴を発表したのは午後8時。起訴の発表が、夜になるのはきわめて異例だ。なぜ、こんな遅い時間帯の発表になったのか。(2006/02/04)


第10回:疑惑――ナゾのロッカーキー         山口正紀(ジャーナリスト)
  「証拠はいっぱいあるんだから、聞くことはない」――2000年5月23日の逮捕後、Oさんに対するこんな「奇妙な取り調べ」が続いていた6月10日、早来町のOさんの自宅に突然、大掛かりな家宅捜索が入った。捜索は、約2時間に及んだ。家宅捜索には、Oさんの父親Kさんと母親Eさんが立ち会った。捜索は複数の部屋で一斉に行なわれ、捜査員が何をしているか、逐一確認するのは不可能だったという。(2006/01/28)


第9回:勾留――奇妙な取り調べ           山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年5月23日早朝、Oさんが逮捕されたことを知った伊東秀子弁護士は、ただちに防御・反撃の行動に移る。午前7時、札幌地裁に対し、「身柄を拘束する理由がなく、自白強要を目的とした不当・違法逮捕」として仮釈放を求める「人身保護請求」を提出。さらにOさんとの接見を求めて千歳署に向かう。午前10時半すぎ、伊東弁護士ら弁護団は札幌市内の司法記者クラブで記者会見し、Oさんの釈放を求める「声明」を発表した。(2006/01/21)

第8回:逮捕──一斉に犯人視報道         山口正紀(ジャーナリスト)
  2000年5月23日早朝、Oさんを「殺人、死体遺棄、同損壊」容疑で逮捕した千歳署の捜査本部は午前8時過ぎ、Oさんを千歳署から道警本部に移送し、取り調べを始めた。被疑者を捜査本部のある署でなく道警本部で取り調べるのは、被害者が単独のケースではきわめて異例であり、この事件の捜査が道警本部主導で進められていたことを物語る。(2006/01/14)

第7回:攻防──入院、国賠提訴、逮捕へ
  Oさんに対する千歳署捜査本部の「任意取り調べ」は、2000年4月14日、15日と続き、16日の日曜日にはいったん中断、17日に再開され、19日までさらに3日間続いた。この3日間の「任意取り調べ」は、最初の2日間ほど高圧的・威嚇的ではなかったようで、18日と19日には、犯行を否認する調書も作成されたことを検察官が法廷の尋問の中で明らかにしている(2001年7月4日、一審第18回公判の被告人質問)。(2006/01/07)

第6回:遺品焼却──だれが、何のために    山口正紀(ジャーナリスト)
  Oさんに対する千歳署捜査本部の「任意取り調べ」が始まって2日目の2000年4月15日。後に裁判の大きな争点となる出来事が起きた。Hさんが殺害された際に所持していたと見られる遺品の一部が、Oさんの住む早来町の山林で、焼かれた状態で見つかったのだ。(2005/12/31)

第5回:Xデー──任意同行・取り調べ        山口正紀(ジャーナリスト)
  警察が被害者Hさんの同僚・Oさんに「疑いの目」を向けたことは、メディアに直ちに察知された。警察が意図的にリークしたのか、それとも記者がすぐ気づくほどおおっぴらな捜査だったのか。警察の「行動確認」が始まった2000年3月18日、メディア各社の記者たちは早くもOさんの周辺取材を始めた。(2005/12/23)

第4回:監視──犯人視とタイヤの傷
  2003年3月、北海道恵庭市の農道で24歳の女性会社員が黒焦げの遺体で発見された「恵庭OL殺人事件」。殺人などの疑いで逮捕された被害者の同僚女性Oさんは、一貫し無実を主張したが、札幌地裁につづいて同高裁も今年9月、有罪判決を下した。判決はいずれも、直接証拠に基づかない認定であり、「疑わしきは被告人の有利に」という刑事裁判の大原則に反するものだった。Oさんの無実を信ずるジャーナリストの山口正紀さんは、警察の捜査と裁判経過を綿密に検証し、なぜか解明されなかった13のナゾを一つずつ探っていく。今回挑む「第4のナゾ」とは何か。(ベリタ通信)(2005/12/17)


第3回:疑惑──目撃された炎と2台の車
  2000年3月17日朝、北海道恵庭市の農道で黒焦げの遺体となって発見された日通キリンビール事業所従業員Hさん。遺体解剖の結果、彼女は死後に焼かれたことが判った。では、彼女の遺体はいつ焼かれたのか。それは、犯行時刻を特定し、犯人のアリバイを左右する捜査上の重要なポイントとなる。(2005/12/10)

第2回 焼け焦げた女性遺体発見/戻されていた携帯電話
  2000年3月17日午前8時45分ごろ、北海道恵庭市北島の農道わきで、全身が焼け焦げた女性の遺体が見つかった。発見したのは幼稚園の送迎バスを運転していた女性。彼女から頼まれた近所の主婦が119番通報し、消防からの連絡で千歳署が捜査に乗り出した。──これが、後に一人の若い女性の運命を大きく暗転させることになったいわゆる「恵庭OL殺人事件」=恵庭冤罪事件の発端だ。(2005/12/03)

第1回 プロローグ「証拠なき有罪判決」
  「疑わしきは被告人の利益に」──という戦後日本の刑事裁判を支えてきた大原則・鉄則が、根底から崩されようとしている。「直接証拠がなくても、犯人と疑える状況があれば有罪と認定できる」──こんな論理から被告人を有罪とする判決が2005年9月29日、札幌高裁で言い渡された。(山口正紀)(2005/11/27)








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