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2006年06月18日11時05分掲載
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根津教諭の「君が代」拒否
道行くお年寄りの多くが、「今の日本は危ない」「戦前だ」と心配
6月13日(火)、14日(水)
鶴川二中へ。両日とも、車のスピードを徒歩ほどに落とし、私を観察する車がかなりある。出てきて、疑問をぶつけてくれればいいのに、と思う。
私はいつものように、知り合いになった人たちと挨拶を交わし、時間に余裕のあるおじいさんとは長い時間を共にし、昔話を聞いたり歓談したり。
14日の昼下がり、おじいさんとおしゃべりをしているところに、通りかかられた70代の女性が声をかけてくださった。脇には図書館のラベルのついた本を3冊抱えていらっしゃる。少女だった戦争中のこと、戦後、一人の労働者として闘いに立ち上がられた時のことを伺った。
そのご自身の体験から、現在を「戦前」と断言される。「戦争はもう、こりごり」、と心の底から噴き出すことばを聞いた。おじいさんも、「そうだ、戦争はだめだ!」。
女性は、私にカンパの申し出をしてくださった。ご自分のことのように感じてくださったことに、私も熱いものがこみ上げた。
同じ自民党国会議員であっても、戦争観、政治観が、戦争体験者と非体験者とで大きな違いがあることに示されるように、道行くお年寄りの多くが、今を「危ない」とおっしゃる。
月曜日まで出かけていて、小倉の松本清張記念館に寄った。最後のインタビュー記事が紹介されていた。「その飽くなき好奇心の根源にあるものは何ですか」と問われ、「『疑い』だね。…体制に対しても疑うし、学界的に偉い人が言ったことでも鵜呑みにせずに疑ってかかる。…もう少し加えて言うと、歴史にしても社会現象にしても、上から見ないで、底辺から見上げること」(1992)と。全くそう思う。
6月15日(木)
立川二中へ1週間ぶりの「出勤」。「おはよう、お久しぶり」の挨拶。遠くの方から手を上げて歓迎してくれる生徒。走り寄って、修学旅行のことを報告してくれる生徒。登校時だけでも私は元気をたっぷり分けてもらった。
2年続けての校門前「出勤」なのに、初めての出会いがいまだにあるものだ。今日声をかけてくださった60代の女性は、犬の散歩で時々ここを通られていたと言うが、今日が初対面。「日本の状況、ひどくなる一方なのに、皆、自分の得にならないことには、黙っていますからね…。」「大人社会を見れば、子どもが親殺しをすることだって、不思議じゃないですよ」とおっしゃる。「大人が道理ある行動をしたら、子どもは見ていると思います」と私。同じ思いをもっている人は、かなりいるものだ。
都立高教員のIさんの「もの言える自由裁判」を傍聴するため、午後は、「休暇」。
そして夜は、私と河原井さんの停職を心配した友人たちが開いてくれた「40秒で停職なんてとんでもない」集会に参加。250人もの人が集まってくださった。
6月16日(金)
恒例となった都庁前でのチラシ配りと訴え。「都庁で働く皆さんのお仕事の中にも、都民の幸せには決して繋がらない、と思われることがあるのではないでしょうか。そうしたことをぜひ、都民に晒してください。内部告発をし、ともに、都民の幸せに繋がる行政、教育行政をつくっていきましょう」と訴えた。
そしてその後は、私への処分を決める際、提出した署名がどのように扱われたかについて、質問してきたその続きで、都教委教育情報課の担当者と会った。
すでに提出していた5つの質問に答えをもらうことから始まった。今回も人事部職員課の回答を、教育情報課の課長が読み上げる。およそ回答とは言えないものなので聞き返すが、教育情報課には、それ以上の権限はない。
私たちはさらに、「職務命令が憲法違反でないかどうかはどこでチェックするのか」「職員課は都民の世論をどう考えているのか」などについて答えてほしいと要請してきた。
今日は雨だったため、昼近くになっても、ホームレスの人たちが動けずに庁舎前に大勢いらした。こうした風景は、常にこれを目にしている都の職員には、どう映るのだろうか、と思った。これでも、「平和な日本・平和な東京」と認識してしまうのであろうか?
夕刻、20年以上前の教え子にばったり遇い、しばらく立ち話をし、私はその中で停職であることを告げた。彼女は、東京の「君が代」処分について知ってはいなく、びっくりしていたが、「先生、曲がったことは、だいっ嫌いだったものね。今、そういう先生が少ないよ。がんばって」と、妙に納得していた。
彼女は私のクラスではなかったのになぜ、そんなふうに感じていたのかと訊くと、「授業を受けたらわかるわよ」。「化学調味料の授業は、今も忘れない。今も周りの若い子に話しているのよ」とも。懐かしさとともに、さわやかな気持ちになった。
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