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2007年04月16日09時59分掲載
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根津教諭の「君が代」拒否
<停職6ヶ月「出勤」日記・3>京都の大学で教え子との素敵な再会
4月9日(月)
午前中は南大沢学園養護学校へ。昨夜、今日が入学式であることを知り、お祝いのことばと私の自己紹介を書いた保護者宛手紙を、校門前で保護者に手渡し、子どもたちには声をかけた。見ず知らずの私に挨拶を返してくれる子どももたくさんいた。
私が校門に立ってほどなく校長が副校長ら3人(うち、1人は都教委の人)とともに私のところに来た。 校長「晴れの日なので、ここでチラシ配りはおやめください」 根津「どういう権限でそれをおっしゃるのですか」 校長「教育公務員ですよね」 根津「職務命令ですか、停職中の私に」 校長「南大沢学園の教職員ですよね」「ご理解ください」
校長はこれだけ通告すると、私の返事など聞かずに校舎内に戻った。他の3人は一言も発せず、校長に続いた。時計は7時42分を指していた。
またしばらくして、今度は副校長2人が校門に出てきた。訊くと、「いつもこうして子どもたちを迎える」のだということだった。
午後は立川二中へ。入学式が終わり、下校がほぼ終わるところだった。その中には顔を知る在校生もいて、挨拶を交わした。 「こんにちは。お久しぶりです」と笑顔で応えてくれる生徒。「お久しぶりです。僕のこと覚えていますか?また、君が代ですか」(――「そうよ。おかしいことには、どんなに脅されても服従しないのよ」)「生活できるんですか」(――「何とかします」)と言う生徒。(何で?)という顔つきをする生徒も。
新入生親子には、カメラマンを買って出た。
中学生が帰ると入れ違いに、この3月卒業した生徒が新しい制服に身を包んで何人、何組もやってきた。懐かしい対面。
私立高校に進んだというAさんは、「高校じゃ先生たち、君が代の時立たなかったよ。校長先生もだよ」と告げてくれた。都立高校に進んだBさんは、「入学式で私は『君が代』、歌わなかった。なぜ歌うのか分からずに歌うのは嫌だったから」「他の人がなぜ歌わなかったのかは知らないけれど、歌う人はあまりいなかった。そしたら、都教育委員会の人が、お祝いの言葉の時に『国歌をきちんと歌いなさい』って怒っていた」と憤慨していた。
高校2年生になった生徒も何人かと出会ったり、嬉しいことに、時間をやりくりして私に会いに来てくれた卒業生もいた。石原都知事の3選に怒りまくるCさん。「間に合った」と駆けつけてくれたDさん。
何人もの卒業生が、「新聞見たよ!」と告げてくれた。9ヶ月ぶりの会話で、この年齢の人間の成長のすごさにハッとし、感動することしばしば。 石川中の卒業生Eさん他、二人の訪問も。たっぷりエネルギーをいただいた。
4月11日(水)
鶴川二中へ。前回「出勤」した日から5日が経つ。八重桜とつつじがつぼみをつけ、咲き始めている。葉を出し始めたばかりだった柿の葉の緑も数倍に広がっている。そう、昨年もここで木々の成長に命を感じていたことを思い出す。
そんな感慨にふけっているところに、次々に訪問者。20年もの間不当解雇と闘ってこられた国労闘争団の方が7人。学区にお住まいのAさん、Bさん、Cさんも立ち寄ってくださった。
闘争団の方々は、1ヶ月の予定で九州、北海道から上京され、行動されているのだという。ご自身のことでお忙しいのに、と申し訳ない気持ちになる。闘っている人たちがいるから、私も闘えると、いつも思う。
Aさんは、小学生のお子さんが私宛に書いてくれた手紙と朝摘んだ草花をくださった。今朝お子さんが、登校時に私に会えるかもしれないと用意してくれたのだとのこと。どうも1,2分の差で会えなかったようだ。
手紙を開けると、「先生がんばれ KIMIKO ファイト!」。さらに開くと、3年生になっての近況や私への応援が、とっても丁寧にきれいに書かれている。紙面いっぱいに彼女の気持ちが溢れている。気持ちがうれしい。相手を想う気持ちは年齢や知識だけではないことは、いつも感じてきたことだが、小学校中学年でもこんなふうに感じることができるのだ。しばらくの間もらった手紙や花を眺めていて、気づくと私の顔の筋肉はにっこり状態で固まっていた。この小さいお友だちとは、昨年の停職「出勤」中に知り合いになったのだった。
Bさんは、「ここの1年生にも根津さんを想う生徒がいるよ」とその生徒の話をしてくれた。
下校時には一人の生徒が、プラカードをしばらく見ていて、それから私の方を向き、「先生、がんばってください」と丁寧に言ってくれた。ファシズムの空気が漂うこの地域で、生徒からこう言ってもらえることは、ことのほかうれしい。
3月中に「教職員定期評価本人開示通知書」(業績評価の開示)を受けていたが、急に異動をさせられたので、評価についての説明をしてもらわないままに3月が過ぎてしまっていたところ、今日その説明を受けた。開示通知をみんなで公開したら、業績評価制度はぐらつくのだけれど・・・。
4月13日(金)
8時、都庁へ。出勤する人たちにチラシを配りマイクで訴える。昨年の停職から始めたので、2年目になる。河原井さんと私を含め9人。いつもより少し寂しいが、協力してくれる仲間がいて続けられること。声をかけてくださる方、ご自分から手を出してくださる方もいる。
10時からは、東京地裁で多摩中事件(2002年3月の減給処分撤回を求める)の進行協議。
そして午後からは、京都へ。大学の新入生歓迎学習会で話をするためだった。「君が代」不起立の映画を途中まで観て、続けて私の話し、そして質疑。 質疑の終わり近くになってあどけさの残る表情の新入生が発言した。「私は、先生がいた調布中の卒業生です。先生に家庭科を教わりました。・・・」 名前を名乗られ、じっと彼の顔を見ていると、3年前の顔が浮かんだ。私は思わず、甲高い声を発してしまった。小説のような話し。彼は、たまたま手にしたチラシで知って参加したのだと言う。
当時の同級生たち何人かで会うと、根津の話題が出ると言う。当時は気づかなかったけれど、根津から大事なことを教わったと。「他の先生たちとは違っていた。当時はただびっくりだった」家庭科の授業もよく覚えてくれていて、「ウインナーソーセージの食べ比べやだし汁の味比べ。こんな授業は初めてで、驚いた」。障がいを持った人を招いての授業、「忘れません」とも。 新聞報道でその後の私への処分も見て気になっていたとも語ってくれた。
都教委はこの年から、嫌がらせ、みせしめをする目的で異動要綱を改訂し、1年での異動、片道2時間の通勤を可とした。私はそれに漏れずに、調布中は1年で出された。でも、その1年の中で、他の教員とはちょっと違って映った私の言動から、考えるきっかけを少しでもつかんでもらえたのなら、本当にうれしい。調布中に在職した意味があったのだから。こんなに素敵な出会いをつくってくださった、学生の皆さん、ありがとう!
2004年調布中での卒業式は、10・23通達が発出されて初めて迎えた卒業式だった。私は、卒業式が近くなってから授業があった3年生半分のクラス(注:家庭科の授業は2週に1度しかないので)で「君が代」に起立できない私の気持ちを話し、着席した。
起立しなかった「強制に反対する」私の気持ちをその日の夕刊が報じたところ、校長は激怒し、全職員がいる前で私を怒鳴ったが、同僚が校長のそれを制してくれた。保護者や生徒何人もから、根津の言っていることはよく分かる、という声が届けられた。通達を出した初年度の2004年はまだ、「強制」への抵抗感を持った人たちが多くいた。3年後の今と隔世の感がある。
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