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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2008年08月07日12時25分掲載
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広島、長崎への原爆投下の正当化は、米国の基本的な見方
米国のシーファー駐日大使が、8月1日に福岡県宗像市で行われた講演会に出席し、高校生たちとの質疑応答で、1945年の広島、長崎への原爆投下を正当化する発言をし、日本で波紋を広げている。現在、米国に在住している身だが、米国の高校生たちが使っている歴史教科書や、大学で使う初歩の歴史参考書など読んでみたが、その骨子は、日本への原爆投下によって、太平洋戦争を早期に終結することができ、また連合軍が日本本土への上陸作戦をする必要がなくなったことで、多数の米軍兵士の犠牲を回避することができた、という肯定的な意義付けになっている。従って、シーファー大使の発言は、米国で公式見解になっている原爆投下の正当性を繰り返したことになる。戦後半世紀以上が経っても、日本人の心から原爆の恐怖が消え去ることはないが、たまたま手元に普通の本屋で手に入る米国の大学生向けの参考書があるので、日本への原爆投下についてどのような記述が行われているのか、簡単に触れてみたい。(戸田邦信)
参考書によると、原爆投下については、当時のトルーマン大統領が、広島と長崎への原爆投下を決定したことにより、旧日本軍の降伏を早め、多数の米国人兵士の生命を救ったと記述されている。開戦当時の米国の大統領は、ルーズベルトだったが1945年4月に急死。このため副大統領だったトルーマンが、急遽後継者になった。
トルーマンは、大統領に昇格した後、原爆使用による影響を深く考える時間的余裕がなかったという。その理由は、日本上陸作戦計画を敢行すれば、25万の連合軍兵士が死亡すると恐れていたからだという。対日戦争を早期に終結しなければ、若い米軍兵士が多数死亡する恐れがあることが、原爆投下に踏み切らせたという解釈だ。言い換えれば、あの戦時状況では、原爆投下は、やむを得ないものだったという意義付けである。
日本は、結局トルーマンが突きつけた無条件降伏の最後通牒に応じなかったため、8月6日に米爆撃機「エノラゲイ」が「Hiroshima(広島)」に原爆を投下、市は廃墟と化し、7万8000人が死亡。さらに同年末までに被爆で7万人が死亡した。8月9日には、二番目の原爆が「Nagasaki(長崎)」1に投下され、10万人以上が死亡したと述べている。
手元にある参考書は、2005年の印刷になっているが、「エノラゲイ」について、B39爆撃機となっている。「39」ではなく、「B29」のはずだが、単純な誤植か、勘違いかどうかはわからない。
ともかく、参考書は、原爆投下で、連合軍の日本本土への上陸作戦は回避された評価している。長崎への原爆投下の後、日本政府は無条件降伏を受け入れ、45年9月、日本は米ミズーリ艦上で正式に降伏文書に調印したとしている。以上、米国の参考書を基に、至極簡単に記述してみた。
日本人としては、なぜ原爆を投下したのか。なぜ民間人を大量に殺害する兵器を二度も使用したのか。日本を原爆投下の実験台に使ったのか、などの疑問が常に頭から離れないが、当然、そうした点についての記述はない。確か、以前読んだ米国の記事の中で、広島への原爆投下はやむを得なかったが、長崎への投下は必要なかったという論調があった。
米国の高校でも、当然、日本との戦争や原爆投下を教えている。世代間のギャップがあるので、彼ら十代の若者が、半世紀以上も前の戦争をどう考えているのか、本音を聞きだすのは容易ではない。
身近にいる18歳の女子大学生に尋ねてみると、米国の高校生の間で、「日本への原爆投下は必要ではなかったのでは。何か、ほかの方法があったはず」と話す者もいるという。しかし、こうした問題にあまり関心を寄せない者も多いという。
米政府は、現在のアフガニスタン、イラク戦争でも、民間人の犠牲を最小限にとどめる努力をしていると力説している。裏を返せば、半世紀前の日本への原爆投下の際は、そうした配慮をする余裕も、考え方もあまり育っていなかったということになる。
一方、アフガニスタン、イラク戦争の過程で、強く感じたのは、米国人の報復心の高まりであった。米国でよくみられる論調は、日本人は原爆投下による犠牲者感情を強調しすぎるとの不満である。米国人は今でも、旧日本軍の真珠湾奇襲攻撃(ハワイ)で多数の米国人が犠牲になったことを忘れることはできない。果たして、日本への原爆投下の背後にも米国人の報復感情が潜んでいたのだろうか。
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