東洋の一角に「最小不幸社会」を国造りの政治理念として掲げている経済大国(?)があると聞く。よほど不幸が社会に蔓延(まんえん)しているのだろう。そうでなければ、この政治スローガンに意味はない。同じ東洋に「国民総幸福」をめざしている小国がある。ほかならぬチベット仏教国・ブータンである。「最小不幸社会」か、それとも「国民総幸福」社会か、そのどちらに魅力を感じるだろうか。 その選択はもちろん人それぞれだが、私なら「国民総幸福」の国造りに賭けてみたい、というよりは軍配を挙げたい。「最小不幸社会」を陰とすれば、「国民総幸福」には陽のイメージがある。国を挙げて「みんなの幸せ」を願って生きる、という前向きの姿勢が素敵ではないか。
2010年4月来日したジグミ・ティンレイ・ブータン王国首相(注)は第23回全国経済同友会セミナー(「今こそ、日本を洗濯いたし申し候」というテーマで高知市で開催、企業経営トップら900名余が参加)の基調講演、さらに日本記者クラブ(東京・内幸町)での記者会見で、国造りとして目指している「国民総幸福」(GNH=Gross National Happiness)について詳しく語った。 (注)ブータン王国はヒマラヤ山脈東部に位置し、人口200万人程度の小国。チベット仏教が国教となっている。首相は、1950年生まれ。米国ペンシルヴァニア州立大学修士で、デンマーク、スウェーデン、EU、スイスなどの大使、さらに外相、内務・文化相を歴任、現在3度目の首相の座にある。趣味はガーデニング、ゴルフ、トレッキング(山歩き)。
以下に全国経済同友会セミナーでの基調講演(『経済同友』・2010年6月号に掲載)を中心にその要点を紹介する。
▽ 国民総幸福とは(1) ― 四本柱の戦略で追求
20世紀はGDP(国内総生産)崇拝主義によって人類史上最大レベルの富が生み出されてきた。GDPは、ある特定の時間・場所において、モノやサービスがどれくらい取引されたかを表す尺度だが、これがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。 しかし最近の金融危機などで、富と呼ばれていた株や銀行の預金残高、豪華な家などが一夜にして全部消えてしまい、手にしたと思った富が幻想だったことに気がついた。手段と目標を混同し、人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。 最近では多くの学者、政治家や一般の人たちが、幸福と物質的な富は別のものと考えはじめ、GDP中心の成長は持続不可能で危険な道であると考えるようになっている。
国民総幸福(GNH)は、ブータンの国民全体の幸福を意味し、政府が目指すべき基本的な考えとして、国王が生み出した。幸福の実現は物質的なものと精神的なもののバランスを取って初めて達成される。 政府は「GNHの柱」と呼ばれる、次の四本柱の戦略によって、国民の幸福を追求できるような環境を整えることに注力し、実行してきた。 (1)持続可能かつ公平な経済社会の発展 (2)ブータンの脆弱(ぜいじゃく)な山岳環境の保全 (3)文化・人間の価値の保存と促進 (4)良きガバナンス(統治) われわれは近代性と伝統、物質と精神、用心深い成長と持続可能性のバランスを取って運営してきた。
しかしGNHそのものが精神論的な言説に終始していてはいけない。GNHそれ自体がある尺度を持って測定可能にならなければ政策プログラムに転化できない。そのため政府はGNHインデックス(指標)を確立した。その際は日本を含む世界の学者や実務家など様々な方に支援をいただいた。 このインデックスは前述の四本柱を詳述しており、九つの区分に分けて分析し、それを72の変数で測定している。九つの区分は以下の通りである。 �”郎い離譽戰襪鯊�定する生活水準、�∋猖肝┐籔躊砧┐魎泙猜欸魃卆検↓6軌蘓綵爐噺従�の関連性、�せ餮讃�況、生態系などの環境、�ナ顕修梁人誉�とそのしなやかさ、��人間関係の強さ・弱さを測る地域社会の活力、�Ч駝韻了�間の使い方、精神的・情緒的な健康、��暮らしへの満足感、��統治の質
<安原の感想> 経済成長は持続不可能で危険な道 ブータン首相の講演は、経済同友会の経営トップらを前にして、経済の基本概念・GDPへの次のような根源的な批判から始まった。これは明らかに仏教経済学的視点からの批判といえる。 ・GDPがあたかも人間の幸せの尺度のように勘違いされていた。 ・人間を単なる消費者や数に置き換えてしまい、幸福な人生とは何かを考えることを忘れてしまっている。 ・GDP中心の成長は持続不可能で危険な道である。
上記の「四本柱の戦略」のうち特に「持続可能かつ公平な経済社会の発展」は、それと根本から対立する「GDP中心の経済成長」にこだわり続けてきた日本の多くの経営トップらには大きな知的刺激となったに違いない。ただブータン首相を基調講演者としてわざわざ日本へ招いたことは、ブータンが国を挙げて取り組んでいる「国民総幸福」路線に経済同友会としても関心を抱いているからだろう。そこが保守的な財界人の総本山・日本経団連とはやや趣(おもむき)を異にしているところではある。
▽ 国民総幸福とは(2) ― 国民の97%が「幸福だ」
ブータンでは大家族を社会の中で最も強い持続可能性のある経済的、社会的、精神的なセーフティネット(安全網)として、重要な社会資本ととらえている。福祉サービスは、豊かな国であっても、コストが高くつく。 5年前に行われたブータンの国勢調査では、「そんなに幸福ではない」と答えた人の割合は3%、「幸福だ」と答えた人は52%、「とても幸福だ」は45%だった。ブータンではこれだけの幸福の度合がある。
GNHのインデックスは主観的なデータに基づいており、幸福も主観的な考えだから、どんな社会もこれを基にして統治することはできない、という議論がある。しかし現実というものは基本的に主観的なものなのである。そして国家の主たる義務は、国民が幸福を追求できるようにすることなのである。
日本が今回の経済危機で痛手を受けたとしたら、それはGDP中心の繁栄を手にした結果ではないか。日本は、成功の頂点を極めたわけだが、これを継続することはできない。日本人の知恵で、新しい経済、新しいやり方、新しい暮らし方を探り、早急に挑戦していくという強い意志が必要である。 日本は、あの壊滅的な被害を受けた世界大戦の灰から立ち上がった国である。これほど強靱(じん)な回復力を見せた国民は世界にはない。そしてユニークな文化を持っている。規律、勤勉、尊厳、誇り、不屈の精神、イノベーションの力を持ち、世界から尊敬された国で、より持続的な価値を追求する能力があるはずである。 日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だと確信している。
<安原の感想> 小国ながら堂々とした助言に試される日本 まず「ブータンでは大家族を・・・セーフティネット(安全網)として、重要な社会資本ととらえている」という首相発言に注目したい。大家族を基盤とする社会の中での人間同士の温(ぬく)もり、絆、安心感などを連想させる。だからこそ国民の97%が「幸福」と答える国柄なのだろう。 さて肝心の日本はどうか。家族が崩壊し、ゆがめられた個人主義、身勝手主義が横行している。温もり、絆、安心感などは願望の対象ではあっても、現実ではない。最近、百歳を超える高齢者の所在不明が続出する一方、幼児・児童虐待事件も後を絶たない。これが経済成長中心の豊かさを追い求めてきた経済大国・日本の成れの果て、ということなのか。
ブータン首相は次のように指摘している。 「日本こそ、ほかのどの豊かな国よりも真の幸福に向かって歩み、GNH社会を作っていくのに最も適した国だ」と。これは小国ながらいかにも堂々とした有難い助言ではないか。この助言を生かすには、日本国憲法の九条(戦争放棄、非武装、交戦権否認)と二五条(生存権、国の生存権保障義務)の理念を実現していくこと、貧困・格差の拡大と人権無視をもたらしたあの新自由主義(=自由市場原理主義)と完全に縁を切ること ― が不可欠である。 日本という国の英知と器量が試されようとしている。
本稿は「安原和雄の仏教経済塾」からの転載です。 *http://kyasuhara.blog14.fc2.com/
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