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2011年12月07日12時31分掲載
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永井浩著「見えないアジアを報道する」(晶文社)
アジアとは何か、考えると難しい。ヨーロッパに比べると、アジアは一筋縄でいかないように思われる。80年代に「地球の歩き方」というガイドブックが出版され、円高を背景に海外旅行のブームが起きた時、発展途上国の、あるいはもっと直裁に言えば貧困だったアジア諸国を好んで旅する若者が少なくなかった。ところが僕にはそのような志向がまったくなかった。
テレビに関係する知人の中にもアジアにこだわってきた人が少なくない。日刊ベリタで紹介した「少女売買」の著者・長谷川まり子氏はネパールやインドを旅し、それら貧しい国をしばしば報じてきた。数年前、ネパールで取材中に高山病にかかり亡くなったディレクターの古賀美岐氏もアジアにこだわってきた一人だ。アジアを社名に冠したアジアプレスという会社もある。自分にもアジアプレスに加わる可能性がかつてあったのだが、しかし、アジアの言語を学び、その国に何年も滞在し、そこにディープにこだわって生きられるかと思うとつい引いてしまった。最近、そんなアジアに目を向けてきた人々の底に何があるのか、逆に言えば自分になかったものが何かを知りたいと思うようになった。
永井浩著「見えないアジアを報道する」(晶文社)はそんなとき出会った一冊だ。永井氏は日刊ベリタの創刊者の一人である。毎日新聞の外信部の元記者で、本書は1980年から1984年まで特派員としてタイのバンコク支局に滞在した時の観察と考察をつづっている。この本は普通の本に比べると密度が高いと思う。最近の新書のようにすらすら水が流れるように素早く読めない本である。しばしば立ち止まり、考えさせられる。自分にとってなじみのなかったアジアの濃さがページに満ちているように感じられる。永井氏の思いは次の文に込められているように思える。
「ときおり思い出したように、日本のマスコミでもアジア重視が叫ばれる。アジア報道の量も、最近は増えてきている。ところが、その報道姿勢には、無意識のうちにも、どこか肝心なところで日本、それも経済大国としての日本を中心においた価値判断の基準が刻印されている。」
求められるアジアの記事というものが日本が儲けるための情報でしかないというところに問題があると指摘しているのである。その姿勢は日中戦争や太平洋戦争の時代とつながる一方的な価値観ではないか、というのである。そのため、「このような現状からは、日本におけるステレオタイプ化されたアジア像を突き崩す新鮮な国際報道は期待しがたい」とする。そして、永井氏は共同通信記者だった石山幸基氏のことに触れている。石山幸基氏は1973年10月、カンボジアの「解放区」の取材に旅たったまま行方不明となり、8年後の調査で病死していたことが確認された伝説の記者である。石山記者は「国際報道の可能性」と題する遺稿を残していた。
「国際報道はこれまで、諸国家群の動態観察の羅列に終始してきた。そのこともたいせつだ。だが羅列された国家の観察記録のなかに歴史的文脈を構成することとあわせて、民衆の意味を発見していくことが、これからの歴史をつくっていくうえで有用になるのではないだろうか。」
しかし、永井氏は石山記者は自分のわずかな取材体験から簡単にその国の人々はこうだとすぐに判断するような安易な態度はとらなかったと注意を喚起している。
「・・・おれがもっているのは「アジアの心」ではなく、「日本の心」であり、そしてそれは「先進工業国民の心」でもある。それだけだ。だから「アジアの心」はわかっていない。 いつか、それがわかるようになるだろうか。オーウェルが象を撃って回心したようにオレも、なにかを撃って「アジアの心」に目を見開くときがくるだろうか」
永井氏はこうした石山記者の問いかけに、日本のアジア報道が答えを出せたのか、と問うている。本書で永井氏はそのような問題意識から、日本が経済大国としてアジア進出を強めていった80年代前半の東南アジアの事情をつづっている。この本の重さはインターネットで瞬時に世界をかけめぐる情報の軽さと対置される性質の重さである。地を這う眼差しがあり、自分の姿勢が問われる毒があり、それゆえに簡単にページが進まないのだろうと思う。
■永井浩著「見えないアジアを報道する」(晶文社)
本書が刊行されたのは1986年である。前年プラザ合意があり、日本では円高とバブル景気が始まっていた。あとがきには「1986年2月25日 マルコス独裁政権崩壊の報をききながら」と書かれている。永井氏は1941年生まれ、東京外大ロシア語科の出身である。
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