・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・入管
・中国
・市民活動
・米国
・国際
・欧州
・みる・よむ・きく
・アジア
・核・原子力
・検証・メディア
・反戦・平和
・外国人労働者
・司法
・国際
・農と食
・イスラエル/パレスチナ
・文化
・市民活動告知板
・人権/反差別/司法
・教育
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年11月13日
・2024年11月12日
・2024年11月11日
・2024年11月09日
・2024年11月06日
・2024年11月02日
・2024年10月30日
・2024年10月27日
・2024年10月26日
・2024年10月25日
|
|
2013年07月27日13時09分掲載
無料記事
印刷用
みる・よむ・きく
山田文比古著「フランスの外交力〜自主独立の伝統と戦略〜」(集英社新書)
山田文比古著「フランスの外交力〜自主独立の伝統と戦略〜」は冒頭にずばんとテーマを1行で語っている。「なぜ、フランスは米国に「ノン」と言えるのか。これが本書のモチーフである」このモチーフはアメリカが起こしたイラク戦争を発端にしている。当時、イラクに開戦しようとするアメリカに対し、フランスが抵抗していたことは多くの人の記憶にあるはずだ。
米仏間の確執−。そうした問題意識から本書はフランスの外交がどのような思想や背景によって生まれるのかを述べている。米仏関係はその後、シラク大統領からサルコジ大統領に政権が移ったことで大きく変わったのも事実である。とはいえ、今日もフランスは独自路線を維持している。近年、はったりこそあれ、内容が薄い本も乱立する新書だが、「フランスの外交力」は立ち読みだけでなく、買って家でじっくり読むだけの中身を持つ本だ。つまり、アメリカという国とどうつきあって行けばいいかを考える上で興味深い例がフランスである。フランスと同じ戦略を取る必要はないが、それを日本外交の道を考える上での参考資料にすることはできる。
山田氏はフランス外交を語る上で欠かせないのが第二次大戦中にドイツに占領されてしまった経験だととらえている。あの屈辱と被害を繰り返してはならない。その誓いから戦後フランスの独自路線が形成されたというのである。その最たるものは核武装である。また、その前提として電力の7割を占める原子力発電もあるだろう。核保有の動機は冷戦時代のソ連への警戒だったろうが、アメリカの核の傘に入ることをフランスは拒否し、独自の核兵器開発に着手したのである。核兵器開発の話は本書の終盤で語られるが、それはまさにフランス外交の行き着いたところだったのだ。しかし、それは福島の原発事故を経て今後変化がありうるのかどうか。
「フランスの核開発計画」
興味深いのは1945年10月の時点ですでに民生利用の研究開発を目標としたフランス原子力庁が生まれていることだ。しかし、この段階ではフランスは米国の核の傘に入ることをよしとしていた、というのである。核兵器の保有は技術的にも財政的にもフランスの能力を超えているものだと考えられていたそうだ。ところがその思考に変化が起きたのは1950年代だという。
軍の技術将校や技術系行政官たちが密かに核開発に向けて動き始めたのだ。それは当初、「特別兵器対策班」と呼ばれた。班長に任命されたアイユレ大佐(後に参謀総長)は核兵器の費用対効果を計算し、一刻も早く核兵器を保有すべし、と提言したのである。こうした流れを経て、1954年のピエール・マンデス=フランス内閣で核爆発委員会の設置が決定された。
本書によれば1950年代にフランスが核開発を進める決めてとなった事件があった。それが1956年7月のスエズ危機だった。エジプトのナセル大統領がスエズ運河国有化を宣言した時、英国とフランスがともに軍事行動を起こしたが、米国の圧力で失敗に終わる。この時、フランスは米国に従属する道を廃して対米依存からの脱却を図っていくが、それを可能にしたのが核兵器開発だった。フランスが最初に核実験を行ったのがサハラ砂漠である。それは1960年2月のことだった。その後、欧州連合の成立とともにフランスの核戦略はさらなる構想に向けて動いているという。
すでに日本にも核兵器保有を提言する人たちが生まれている。フランスの道をこうしてたどると、日本が核兵器を持つかどうかは冷戦終結後に必然的に直面する問いだったと思われる。それは日本が独自外交を行えるかどうか。その場合に核兵器を保有するかどうか。被爆国でありながら、アメリカの核の傘に入っている矛盾をどう考えるか。もしすべての核から撤退するなら、日本の外交や防衛はどのようなものになるのか。あるいは独自外交は難しいからあきらめるか。
こうしたテーマを考えるとき、核兵器への賛否は別にして、フランスがこのような核開発国になっていった過程の資料は貴重な参考になるだろう。いやそもそも英国やイスラエル、あるいは中国やロシア(旧ソ連)などの核兵器保有への道が具体的にどう進められていったのか、米国のマンハッタン計画の例を除くとあまり知られていないのではなかろうか。これは核保有の参考にもなるだろうが、核廃絶の参考にもなるはずだ。
フランス人にとっては第二次大戦であっけなくドイツに占領されたことと、その解放も米軍に依存していたことがトラウマになっているのではなかろうか。そして核開発とは別に、欧州連合という欧州統合の道もフランスは追究していた。それはドイツとフランスが二度と戦争を起こしてはならないという決意から生まれたものだった。フランスはその核抑止力をフランス一国ではなく、欧州全体の安全保障に使おうと呼びかけているという。これは「欧州核構想」と呼ばれているのだそうだ。
著者の山田氏は外務省所属の官僚で、フランス国立行政学院(ENA)に留学した経験がある。山田氏は本書でこう語っている。
「アングロサクソンであれフランスであれ、どちらも色眼鏡には違いないが、複数の色眼鏡で見れば、少なくとも複眼的かつ立体的なものの見方は可能になる。もちろん、日本独自の眼鏡を持つことが一番重要であることは言うまでもない。そのためには、情報収集力の強化も積極的に図っていかなければならない。」
■ピエール・マンデス=フランス(Pierre Mendes-France:1907- 1982)
フランスの政治家(急進社会党)。任期は1954年-1955年。フランス第四共和政における最も卓越した政治家と評せられる。1954年から1955年に掛けてフランスの首相を務め、第一次インドシナ戦争を終結させた。(ウィキペディア)
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|