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2017年11月04日21時06分掲載
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反戦・平和
「チビチリガマ」損壊事件と戦後70年 根本行雄
沖縄戦で住民が「集団自決」(集団強制死)に追い込まれた、読谷村波平の自然壕「チビチリガマ」の内部や入り口が、何者かによって荒らされているのが見つかった。器物損壊容疑で県内に住む16〜19歳の少年4人が9月15日に逮捕された。少年たちは「心霊スポットに行こうと思った」「肝試し」などと供述し、4人は「やったことは間違いありません」と容疑を認めているという。「終戦」から72年がたち、「平和学習」を困難にしているのは沖縄戦の体験者から直接話を聞ける機会が減っていることも大きいだろう。 しかし、戦後70年と、安倍政権の5年、日本の戦後はマッカーサーによって方向づけられていたことが一番大きな要因であろう。これまで通りの市民運動のやり方では改憲の動きを阻止することはできないだろうと思わずにはいられない。
すでに、「日刊べリタ」の読者には、ルドルフ・ラメル著『政府による死』、前田朗著『軍隊のない国家(27の国々と人びと)』、行田稔彦著『摩文仁の丘に立ち(「生かされた」人びとの告白)』を紹介している。再読してもらえたらと思う。
□ チビチリガマについて
今回は下嶋哲朗著『沖縄・チビチリガマの“集団自決”』岩波書店 1992年3月刊(岩波ブックレット246)を紹介したい。
下嶋は「はじめに」において、次のように述べている。 「太平洋戦争は、平和なガマを一転して地獄に変えてしまいました。このためチビチリガマはけっして近づいてならない場所、触れてはならない名前になるのです。チビチリガマをタブー化した村人たちは、ついにその存在、その名前さえ忘れてしまいます。/チビチリガマはどこか。そこでいったい何が起こったのか。私は村人たちに調査の必要性を7年の間訴え続けました。そしてついに調査は実現しました。日本の敗戦から38年後のことです。その結果、多数の村人たちがチビチリガマで“集団自決”をするという、史上稀に見る悲惨な戦争体験が明るみに出ました。」(3ページ)
チビチリガマの「集団自決」の実態とはどのようなことであったのか。「チビチリガマへ入った世帯数、31。総人口194名。“自決者”数は82名。死亡率60%です。」(33ページ)「注目すべきことは“自決者”の半数が、子どもだったということです。半数の41名が12歳以下、つまり小学生と幼児でした。中学生を加えると、47名です。高校生を加えると、50名に達します。これは全“自決者”の、61%になります。」(34ページ)「“集団自決”とは、子どもたちが集団で自決したことになります。しかし幼児や子どもたちが、“集団”で“自決”する意志があるものでしょうか。考えられないことです。」(35ページ)疑問に思った下嶋は調査をし、「わが子を死なせた“集団自決”の実行者は、母親だった」(36ページ)ことを解明する。
この事件の背景には、「『日本軍が中国などでやったように、捕虜になったら惨殺されると思い、だれひとり出なかった。』/チビチリガマの体験者は、口ぐちにそう証言します。日本軍は兵隊に、捕虜になることは最大の恥だ『生きて虜囚の辱めを受けず』と教え込みました。捕虜になる前に、死ね。ということです。死なずにおめおめと捕虜となる人間を、恥知らずの非国民だと教えたのです。」(15ページ)「『殺して死ね』と教える教育勅語を唯一絶対とする教育は、正常な人間を軍国主義に凝り固まった異常な人間へと化すのに有効でした。そして自由意見を表明する勇気を抹殺しました。我が子を道連れにした母親には、骨の髄まで『殺して死ね』という教えが染みこんでいたのでしょう。」(39ページ)
「この異常な出来事を説明するとき遺族たちは口ぐちに『あの時代はみんなそうだった』『仕方がなかった』『国のやることには逆らえなかった』『死にたくない。というとしかられると思い、黙っていた』などと証言した。/ある人は『いやでも何でも天皇陛下バンザイして、死ぬほかなかったんだ』と証言しました。証言から、村人たちは一糸乱れず、納得してあるいは積極的に“自決”したのではない、という事実が浮き上がってきました。“自決者”の多くは、実は生きたいと願い、死んでいったということなのです。」(40ページ)
「38年目の調査。なんという長い時間でしょうか。しかしこの時間は村人たちがみずから作ったタブーを、みずから打ち破るにいたる、必要な時間でもあったのだと、わたしは思うのです。調査を経て教育や軍国主義という国家の犯罪が明確になったとき、村人たちは何げなく使っていた“集団自決”という言葉に疑問を抱きました。『“集団自決“ではない。”集団強制死“だったのだ』と。」(44ページ)
□ チビチリガマ損壊事件について
下嶋は『チビチリガマ世代を結ぶ平和の像』が完成したときのことを次のように述べている。 「遺族・関係者、村人たちの手で、チビチリガマの入り口に、『チビチリガマ世代を結ぶ平和の像』が完成しました。除幕式は”集団自決”から42年後、調査からは3年後の1987年4月2日でした。遺族や関係者、村人たちは像を、ガマの中で失った子どもの命、家族の命を今によみがえらせる意志をもち製作しました。ある母親はわが子に『ごめんね・ごめんね』と幾度も詫びながら、土をこねました。その土でわが子をよみがえらせたのでした。/像の名前が示すとおり、像にチビチリガマの悲劇を忘れず、隠さず、世代を越えて語りつぐ意志を込めました。同時に、”自決”当時のままの、チビチリガマの内部を一般に公開し、見てもらう決意をしたのです。」(48ページ)
琉球新報(2017年9月13日)は、「チビチリガマ損壊 『3度殺された』散らばる遺骨、遺品、千羽鶴」という見出しで、次のような記事を載せている。
暗闇を明かりで照らすと、粉々になった瓶のガラス片や折り鶴が無残にも散らばっている。「ミルクユニガティ ムルシラシドゥル チビチリガマ(平和な世を願い、みんなに伝えていこう チビチリガマ)」。「チビチリガマ」の歌碑は引き抜かれ、ガマの入り口に建立された「平和の像」の上に投げ出されていた。1987年11月にも平和の像が破壊された。ガマを再び襲った暴力に、チビチリガマの遺族会の与那覇徳雄会長は「初代会長の比嘉平信さんは『遺族は2度殺された』と話したが、今回で3度殺された」と唇をかみしめた。
「遺族は2度殺された」とはどういうことだろうか。じつは、『チビチリガマ世代を結ぶ平和の像』は、1987年11月に破壊された事件が起きていたのである。それについて、下嶋は同じ著書において、次のように述べている。 「人びとが悲しみと勇気をこめ、製作した像がわずか7カ月後、ハンマーやバールという凶器で、めった打ちに破壊されてしまいました。犯人は『右翼』を名乗る心なき者たちでした。像の前に鋭いモリが突き立ててありました。モリの先には『日の丸』がなびいていました。」(48ページ)
このような事件があったので、今回の事件について、『今回で3度殺された』という発言になる訳である。
□ 平和学習の現状
琉球新報(2017年9月30日)は、「教科書県民大会 『集団自決』実態理解を 10年で集会」という見出しで、次のような記事を載せている。
歴史教科書での「集団自決」(強制集団死)の日本軍による強制の記述を削除した教科書検定意見の撤回と、記述の回復を求めた2007年9月29日の県民大会の開催から10年となった。当時の大会主催者らでつくる「9・29県民大会決議を実現させる会」は29日、浦添市の結の街で報告集会を開いた。市民ら約100人が参加し、大会当時の経過や沖縄戦での「集団自決」の実態について理解を深めた。
琉球新報の記者は、この記事の中で、「集会で実現させる会の仲西春雅世話人が、読谷村で起きたチビチリガマ損壊事件に触れ『事件を起こした子どもたちの問題でなく、(沖縄戦の実態を)教えきれなかった大人の責任だ』と指摘した。 」と伝えている。
毎日新聞(2017年10月2日)は、「 岐路に立つ沖縄『平和学習』」という見出しで、吉川雄策記者は次のように伝えている。
沖縄での平和学習が岐路に立たされている。沖縄戦の悲惨さを伝える「ひめゆり平和祈念資料館」(糸満市)を修学旅行で訪れる県外の学校は5年連続で減り、2016年度は13年ぶりに2000校の大台を割り込んだ。マリンスポーツなど修学旅行の多様化が背景にある。戦争体験者の生の声を聞ける機会も減り、平和教育のあり方を巡る模索が続く。
長文の記事には、次のような情報も載っている。
沖縄県などによると、90年代初めごろから、修学旅行での航空機使用を認める教育委員会が全国的に増え、沖縄への修学旅行は86年の291校から16年は2514校、約44万人に急増。同館を訪れる学校も開館3年目の91年度の266校からピークの11年度に2334校まで増えた。ところが、その後減少に転じ、16年度は1940校と2000校を割り込んだ。 沖縄戦で亡くなった人たちの名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」がある平和祈念公園(糸満市)内に建つ県平和祈念資料館を修学旅行で訪れる学校も同様に、06年度の1836校から16年度は1402校に減った。
ひめゆり平和祈念資料館は、県外からの修学旅行だけでなく、平和学習で訪れる県内の学校も減っているという課題も抱えている。95年度には県内の41%の小学校にあたる115校を受け入れたが、16年度には15%にあたる42校に落ち込んだ。
背景にあるのが修学旅行の多様化だ。平和学習の拠点でもある両館がいずれも沖縄本島南部に位置するのに対し、一般的な観光地の多くが那覇市以北に集中する。修学旅行を扱う大手旅行会社、近畿日本ツーリストの広報担当者は「平和学習が沖縄への修学旅行の一番の目的であることは変わらない」としつつも、「以前と比べて民泊も増え、県北部や中部でマリンスポーツをしたり琉球ガラスの制作をしたりするなど体験型のメニューを求める学校は多い」と説明する。
今年9月には沖縄戦で住民83人が集団自決に追い込まれた読谷村(よみたんそん)の「チビチリガマ」で遺品などが壊され、県内の16〜19歳の少年4人が器物損壊容疑で逮捕される事件があった。少年たちは「心霊スポットに行こうと思った」「肝試し」などと供述したという。同館の普天間副館長らは「戦後の平和教育の積み重ねが一部の若者に届いていなかった」と危機感を募らせる。
□ 日の丸・君が代の強制と「いじめ」
日本国憲法が施行された昭和22年に当時の文部省が中学生向けの教科書として『あたらしい憲法のはなし』が作られた。その3年後、1950年、朝鮮戦争が勃発した。冷戦の時代に入り、1954年、自衛隊の前身となる警察予備隊が創設され、憲法改正が政治の場で議論されるようになりだした。『あたらしい憲法のはなし』は補助教材に降格し、数年後には、学校現場から姿を消した。
1999年に、日の丸を国旗、君が代を国歌と定めた「国旗国歌法」が成立した。政府は「強制はしない」との説明を繰り返したが、文部科学省は、国旗掲揚、君が代起立斉唱を徹底するよう指導を強め、都道府県別の実施状況調査も繰り返し実施した。
橋下徹大阪府知事のとき、2011年6月3日、「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」が成立した。府立と市町村立の小中高校、特別支援学校の教職員を対象に「学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては起立により斉唱を行うものとする」と明記し、府施設での国旗常時掲揚も義務付けているものである。 教職員に対する君が代斉唱時の起立義務を条例で定めたのは大阪が最初だが、同様の義務化は、東京都では石原慎太郎都知事時代の2003年10月に出された通達により始まった。
毎日新聞(2017年10月26日)は、「文科省 学校いじめ最多32万件 小学校で急増 16年度」という見出しで、次のような情報を伝えている。
全国の小中高校と特別支援学校が2016年度に認知したいじめは、前年度比43.8%(9万8676件)増の32万3808件で、過去最多を更新したことが、文部科学省が26日に公表した問題行動・不登校調査の結果(速報値)で明らかになった。3年連続の増加で、初めて30万件を超えた。
現在、学校では、日の丸の掲揚が義務付けられ、教職員に対する君が代斉唱時の起立が義務付けられている。このように、基本的人権である「思想および良心の自由」(日本国憲法19条)を侵害する条例が法制化され、実効性をもって、教職員たちに強制されている。その実施率はほぼ100%となっている。それが学校における「いじめ」の横行を支えている。そして、チビチリガマ損壊事件を起こした少年たちを生み出しているのだ。
□ 戦後政治の70年と、安倍政権の5年
「60年安保の試練を経て、自民党は憲法改正をイッシューとするのはまずいという現実主義的配慮から具体的な日程に掲げることはなくなった。その代わり、いまの憲法をなしくずし的に、解釈の変化によってできるだけ自分たちの要求に沿わせるよう既成事実を積み重ねていく方向になってきた。支配層にとっての戦後の憲法問題は、3段階あると思います。第1期が、占領軍がいるから甚だ不本意であるが忍従するという、忍従期。第2に、改憲企図期、第3が、既成事実容認期、たとえば、第9条のように自衛隊の解釈を変えていく。実際、自民党政府は、これまで現憲法の精神を浸透させることはまったくしていない。逆に自民党は党の基本方針としては現在でもやはり改憲を明記しています。」 政治学者の丸山真男は「戦後民主主義の『原点』」(1989年7月7日)において、上のように述べている。
安倍政権の約5年の動きをみてみよう。 2013年12月に、「国家機密法」の成立。2014年12月の衆議院選挙において自民党と公明党は3分の2超の議席を維持し、第3次安倍内閣を発足させた。2015年5月15日、自衛隊法など既存の十の法律を一括して改正する「平和安全法制整備法案」と、新設の「国際平和支援法案」を国会に提出した。この法案は「安全保障関連法(安保法制または戦争法案)」と呼ばれている。2015年9月19日、この法案は強行採決された。(施行は2016年3月29日である。)これによって、集団的自衛権の行使が可能になり、他国軍への後方支援や国際協力活動で自衛隊の任務が拡大することとなった。日本は「戦争ができる国」になったのである。 5月3日の「憲法記念日」、安倍首相は改憲派の主催する集会において、改正憲法の2020年施行をビデオメッセージで表明した。 2017年8月17日、日米の外務・防衛担当閣僚会合(2プラス2)が開かれた。閣僚会合で河野太郎外相と小野寺五典防衛相の日本側はさまざまな言質を米側に与えた。�(胴饑修領�上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」を自衛隊が導入する。��安保関連法制で可能な、さらなる日米協力の形を追求し、情報収集、訓練など新たな行動も探求する。�8�こう十年間の防衛力のあり方を示す防衛大綱、中期防衛力整備計画を前倒しして改定する。このように米側に説明し、共同声明には「同盟における日本の役割拡大と日本の防衛能力の強化」が明記された。日本はさらなる軍拡の道を進みだした。 防衛省は2018年度予算の概算要求で、過去最大の5兆2551億円を計上する方針を固めた。安倍首相の9条解散は北朝鮮のミサイルの脅威を利用しての悪辣なものだ。安倍首相は、またしても、本音を見せてきた。あくまでも戦争ができる「普通の国」を目指し、明文改憲をし、憲法9条を形骸化し、自衛隊を合憲化し、有事の際には人権を容易に制限できる緊急事態条項の新設を目指しているのだ。
講談社のPR誌に『本』がある。その2017年11月号に、田原総一朗と矢部宏治の対談「これが『日本の現実』だ」が掲載されている。この対談は、矢部の近著『知ってはいけない(隠された日本の支配の構造)』(講談社現代新書)のPRとして企画されたものだ。
矢部は「1952年にできた日米行政協定が改定されて1960年に日米地位協定となったのですが、この地位協定をよく読むと、アメリカは日本国内の基地と区域の使用を許可されると書いてある。さらに米軍は日本国内の米軍基地や区域に出入りし、その基地と基地や、それらと日本の港や飛行場との間も自由に移動できるという特権についても、記されています。」(7ページ)と述べ、「在日米軍の基地権は、地位協定の改定された文言の下で、行政協定の時代と変わることなく続く」という『密約』があると述べている。 さらに、「日米合同委員会」という存在についても述べている。 「1952年にですね。日本のエリート官僚と在日米軍の幹部が月に二度ほど、都内の米軍施設と外務省で行っている秘密の会議です。」(8ページ)と説明し、「ここで決まったことは国会に報告する義務も外部に公表する必要もなく、何でも実行できる。つまり、、合同委員会は、日本の国会よりも憲法よりも上位の存在なのです。」と述べている。 「静岡県にある富士の演習場というのは、もともと旧日本軍の基地で、戦後、米軍基地として使われていました。それが1968年、自衛隊に返還されたのですが、その際、年間270日は米軍が優先的に使うという密約が結ばれていた」(11ページ)という事実を暴露し、「年間270日ですから、日本に返還されたと言ってたら、事実上、米軍基地のままだったわけです。」(11ページ)と述べている。
田原総一朗は「日本はまだアメリカに占領されているようなものですよ。」(9ページ)と感想を述べ、「アメリカの従属国になっていることで、安全なんだと。そのために自衛隊も戦う必要もないし。現に72年間、戦死者は一人も出なかったと。平和だったと。それで、経済は自由にやってりゃいいと。」(9ページ)と述べている。
この田原と矢部の対談を読んだ後で、今回の選挙における自民党安倍政権の大勝について考えてみると、丸山真男の主張は正しいけれども、肝心のことを看過しているのではないかと思わずにはいられなかった。日本の戦後政治とはマッカーサーによって方向づけられていたということである。そして、戦後70年あまりの年月のほとんどを「戦争の真実を語り、再び戦争を繰り返さない国にする」という戦争体験者の声に耳を傾けない人々が政権を担ってきたのだという事実と、安倍政権の目指しているものの現状がよくわかる。このような事実と現状を踏まえると、これまで通りの市民運動のやり方では改憲の動きを阻止することはできないだろうと思わずにはいられない。「戦争はイヤだ」という厭戦思想の普及ではなく、新しい反戦平和文化運動を作り出していく必要があるだろうと考えている。
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転載について
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