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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2018年11月01日15時26分掲載
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加藤直樹『謀反の児 宮崎滔天の「世界革命」』(下) 未解決の課題「アジアと日本」 永井浩
大正デモクラシーの理論的指導者、吉野作造は、宮崎滔天の主著『三十三年の夢』の解題で、滔天を明治維新後の自由民権の叫びを聞きつつ西洋文化心酔の雰囲気のなかで青年時代を過ごした有為なる青年の一人と位置づけている。彼らのめざす道は大体二つあった。ひとつは、官界で才能を伸ばそうとするもの、もうひとつは、志を民間で遂げようとするものである。後者はさらに二つの型があった。「藩閥専制に対する憤慨に動いていわゆる政治的革新運動に没頭するのが普通の型で、稀にまた志を当世にのぶるを諦め、友を隣邦に求めて先ず広く東洋全体の空気を一新し、よってもって徐に祖国の改進を庶幾せんと欲するものであった」。
▽「四海兄弟万邦帰一の理想郷」 滔天は最後の型に属する典型的な志士の一人である。吉野が、滔天の幾多の失敗や道徳的罪悪を指摘しながらも、彼を「敬服に堪えない」と高く評価するのは、中国革命に対する「終始一貫の純情の同情」「心境の公明正大」「犠牲的精神の熱烈」である。そして吉野は滔天のこの自叙伝を自分の愛読書10冊のひとつにあげる。明治初期の青年たちがどのような教養を受け、時勢をどのように観ていたのか、当時の青年たちを突き動かした思想が何であったかを伝えてくる貴重な史料的価値があるだけでなく、文章が非常にすばらしく単純な読みものとしても巻を措く能わざらしむる魅力があるからである。
東京帝国大学教授の政治史学者である吉野も、しだいに中国革命への理解を深め日本の中国政策や朝鮮政策に対してリベラルな立場からの論陣を張るようになるが、それはここでの私たちの主要関心事ではない。主題を滔天にもどすと、加藤氏の本書は、吉野が指摘した明治維新後の日本近代化の流れの中での滔天の立ち位置とその格闘の具体的なすがたを明らかにしてくれた。それを21世紀に生きる私たちがどう受け止めるかが、同氏の問題提起であろう。言い換えれば、滔天が孫文の中国革命に託した人類社会の理想の何が実現し、何が未解決のままなのかを確認することでもある。
滔天が生まれ育った日本は、文明社会の一員となろうとして西洋をモデルに遮二無二に近代化路線を突っ走ろうとしていた。彼は西洋近代文明をまるごと否定しようとはしない。西洋近代が生み出した科学の進歩は交通の便の発達をもたらし世界の人びとをお互いに隣人として近づけた。学芸は新しい展開によって多くの成果を生み出し、自由、平等、博愛の精神を実現するための政治制度も整ってきた。だが、それは同時に資本主義による貧富の格差拡大をもたらし、欧米列強が弱肉強食の争いを世界各地でくり広げる帝国主義の時代を招来した。各国は技術の発達を兵器の開発に利用して、軍事力でアジアなどの国々を植民地化していっている。それとともに、貧富の格差は欧米諸国内部だけでなく世界全体に拡大している。そうした現状を指して滔天は、「今の文明は野蛮的文明なり」(「孫逸仙」)と批判した。
この野蛮的文明に代わる「四海兄弟万邦帰一の理想郷」を実現しようというのが、自由民権の児として生まれ育った滔天のいう「人権の大本」の回復であり、彼はその理想を現実のものとしようとして孫文の中国革命を献身的に支援したのである。そしてその先には、野蛮的文明の道を進む日本の変革が想定されていた。先の吉野作造の言によれば、「先ず広く東洋全体の空気を一新し、よってもって徐に祖国の改進」を図れると考えた。
では世界を変えるための彼の闘いはどのような実を結ぶことに成功して、何を未完の課題として私たちに積み残しているだろうか。
列強の帝国主義に苦しめられていた中国はじめアジアの国々、中東、アフリカ、ラテンアメリカの国々は第二次大戦後にあいついで独立を果たした。中国では毛沢東の率いる共産党が中華人民共和国を成立(1949年)させ、社会主義による新中国の建設が始まった。滔天は孫文だけでなく、朝鮮の革命家、金玉均やフィリピンの独立運動家エミリオ・アギナルドも支援した。金の死後に朝鮮の三・一独立運動が始まると、彼は運動を高く評価し、朝鮮を解放すべきだと主張して日本による軍事弾圧をきびしく批判した。アギナルドのスペインと米国からの独立戦争を支援するため、滔天は日本の同志とともに、孫文の横浜の住まいにいたフィリピン独立運動の活動家マリアーノ・ポンセをつうじて、アギナルドへの武器支援を計画した。朝鮮もフィリピンも、日本の第二次大戦での敗北とともに独立を達成した。
このように、滔天がめざした帝国主義からの非欧米地域の人びとの解放という政治革命は一定の成果をあげたものの、世界的な貧富の格差の根絶をめざす社会革命はいまだに険しい道を歩み続けている。新興国の多くでは、国民の貧困問題は解決されず、民主主義も十分に保障されていない。
いまの世界を見渡せば、米国を頂点とする先進国主導の市場経済のグローバル化によって、貧富の格差は縮まらないどころかますます拡大し、一握りのものに富と権力が集中しその他の大多数は貧しさと無力に追い込まれようとしている。それは、先進国とそうでない国との区別なく、全地球規模で深刻化している。帝国主義時代のむきだしの弱肉強食の争いは影を潜めたとはいえ、経済力と軍事力による大国の国際社会での覇権争いはいまも変わらない。そして日本はいまも、強者の側に立って自国の利益を追求している。
滔天が現在の世界の状況を天上からながめて何を思っているかはわからない。彼の「世界革命」の拠点が中国だったのは、アジアの日本の隣国が世界の矛盾の集中地域と認識されたからであり、現在ならラディカルな彼の活動舞台はグローバルなひろがりをみせているかもしれないが、それはここでは問わない。あるいは、彼が孫文に託した夢が現在の中国で花開いているかどうかも別問題である。それより先に、まず滔天が私たちに問いかけるにちがいない問題は、アジアの隣人と日本との関係ではなかろうか。それを考えてみたい。
▽滔天評価の日中の温度差 本稿のはじめに、宮崎滔天は日本ではいまもそれほど知られた存在ではないと書いたが、中国ではけっしてそうではない。南京にある中国近代史遺址博物館(かつての中華民国総統府)には、孫文と滔天が並んで歩く銅像が立っている。銅像のタイトルは「赤誠友誼」。偽りのない友情という意味だ。中国の人びとは今も、国家と民族の枠を乗り越えてひとつの理想で結ばれた彼らの友情を忘れてはいない。
日本で刊行された「宮崎滔天全集」には、毛沢東が滔天にあてて書いた手紙の写真が収録されている。1917年、病死した滔天の盟友、黄興の国葬が長沙で行われたとき、参列した滔天に長沙第一師範学校の学生だった毛沢東が同級生といっしょに書いたもので、以下の文面である。「先生は黄公に対し、生前は精神的支援を行い、死後は涙で弔った。きょうは万里の波頭を超えて葬儀に臨んだ。その厚誼は歳月を問わず貫徹し、その精神は天の神々をも感動させた。このようなことは、この時世においては珍しく、古今においても希である」
滔天の評価をめぐる日中の落差は何を意味するのだろうか。私は両国の歴史認識の違い、すなわち日本は中国を侵略して中国に敗れたのだという認識が日本の多くの政治家だけでなく国民にいまだに欠落していることの一例とみる。
日本の「敗戦」は中国にとっては「抗日戦争勝利」を意味した。東南アジアの国々も日本の敗戦を日本の侵略からの解放、朝鮮は日本の植民地支配から解放された「光復」と歓迎した。しかし日本では、いまだに大東亜戦争はアジア解放のためだったと主張する保守勢力が一部世論で支持され、安倍晋三首相の敗戦認識もあいまいなままだ。戦後70年の2015年の「安倍談話」は、「侵略」「植民地」「反省」「おわび」というキーワードは盛り込みながら、敗戦と侵略、植民地主義の関係には具体的言及を避けている。そして日本国内向けに、自国の過去の不都合な真実を隠ぺいする「歴史修正」主義を流布し、アジア諸国からだけではなく同盟国の米国からまでひんしゅくを買っている。
滔天が問題にし危惧したのは、すでに見たように中国とアジアに対する日本の正しい現実認識の欠如だった。彼はアジアの民族主義の盛り上がりを孫文ら革命家や日本へのアジアからの留学生たちとの無私の交流をつうじて理解していたから、義和団についても、列強や日本のように単なる排外的な暴徒の集団とはみず、外国勢力の支配を抗して立ち上がる中国人民の新しいナショナリズムの動きととらえることができた。日本が現実を直視せず、中国の民族主義を見誤り軍事介入によってみずからの国益だけを追求しようとすれば、民衆的抵抗の泥沼に引きずり込まれてやがて「亡国」に至るであろうという彼の警告は不幸にして現実となった。
孫文と滔天との偽りのない友情を後世に伝える銅像がたち、毛沢東の滔天への敬愛の手紙が中国で知られているのは、この稀有な日本の友人が中国革命を支援してくれたことへの感謝の現れとだけみるのは不十分だろう。敗戦後も日中両国の不幸な歴史を正しく総括できないままでいる日本に対して、「あなたの国にも我が国について正しい理解をしめし、自国の侵略を食い止めようと戦った立派な日本人がいた事実を忘れるべきではない」「滔天先生のように現実を直視し歴史の流れを見誤るまいとする姿勢こそが、日本がふたたび同じ過ちをくり返さない道なのではないのか」という無言のメッセージと、私は理解したい。
しかし、日本の指導者たちは、口先ではアジアにおける自国の過去の過ちに反省を表明して「未来志向」を口にするが、その言葉は誠意のこもった行動をともなっていないとアジアの国々では受け止められている。閣僚と国会議員の靖国神社参拝や相次ぐ「妄言」は、その証拠とされている。一方日本では、一部政治家だけでなく国民のなかにも、そうしたアジアの不満に対して「それはなぜなのか?」を問う前に、「謙中」「謙韓」のヘイトスピーチや「中国脅威論」の流布による偏狭なナショナリズムがたかまり、相互理解の努力が放棄されてしまう。
加藤氏は自著のあとがきで、宮崎滔天との‶出会い�瓩�2005年におきた小泉純一郎首相の靖国神社参拝に反対する中国各地のデモのときだったと書いている。日本のメディアは、この「反日デモ」の背景にある中国共産党の思惑や中国の若者の不満について、くわしく報道と解説をした。だが、このニュースの重要なテーマを一つだけ迂回し、見て見ぬふりをした。デモの背景には侵略の歴史を直視しない日本に対する怒りが存在するという点だ。「日本社会は、上海や北京の群衆の破壊行為について饒舌に語り合う一方で、その肝心な一点を語ることだけは、全力で回避したのである。私はそのことに暗澹たる思いを覚えていた」。そのころ、滔天の「東京だより」を読み、その強烈な日本批判や鋭い情勢分析に引き込まれた。「さらに、彼が歯ぎしりしている日本のあり方が、二〇〇五年の空気とあまりに地続きであることに驚かされた」という。
アジアと日本との健全な連帯を強化するなかで、世界を「四海兄弟万邦帰一の理想郷」へと前進させていこうと奮闘した宮崎滔天がいまだに日本で正当に評価されていないのは、このような戦後日本の自己省察の不徹底のあらわれと言えよう。EUをモデルにアジアにも平和と発展の地域連合をつくっていこうという「東アジア共同体」構想も、歴史認識をめぐり中韓と日本の足並みがそろわず入り口でもめている。
そして敗戦と亡国の本当の原因を突き止めようとせず、したがってアジアでいまだに真の友人をもちえない日本が、国際社会における大国の威信だけは保持したいがためにその後ろ盾としてすり寄るのが、日本に対する戦勝国米国である。中国その他のアジア諸国も日本の侵略に対する戦いで勝利したとの認識はすぽ抜けたままである。
▽なぜ日本は米国の侵略戦争を支持するのか 安倍政権は対米従属をますます深める一方で、中国敵視政策を進め、さらにアジア諸国の懸念を無視して、日本国憲法で認められていない集団的自衛権の行使を不法な解釈改憲によって可能にし、日本をふたたび「戦争のできる国」へと逆戻りさせた。そして安保法制の強行成立とともに、自衛隊が「積極的平和主義」の旗印の下、世界規模で米軍の作戦に共同行動できるようになった。「新たな戦前」の幕開けである。
だが日本を「いつか来た道」へと回帰させようとしているのは、安倍首相に代表される極右政治家や保守的なパワーエリートたちだけとは言えないのではないだろうか。対テロ戦争への「国際貢献」と称して2004年に自衛隊がイラクに派兵されたときのメディアの報道と国民の反応がそのことをしめしているように、私には思える。
米国は2001年にニューヨークなどで起きた「9・11同時多発テロ」事件を受けて、イラクをテロ支援国家としてサダム・フセイン政権の打倒をめざす軍事攻撃を03年に開始した。イラクが「9・11」の首謀者であるテロ組織アルカイダを支援し、さらに大量破壊兵器の開発によって地域の平和と安定を脅かそうとしているというのが理由だった。フセイン政権打倒は、イラク国民を独裁政権から解放するためでもあると主張した。ブッシュ政権はイラク侵攻を「正義の戦争」と呼んだ。
だが、国連安保理はイラクの大量破壊兵器保持の事実は認められないとして米国の軍事攻撃の正当性を認めなかった。国際法に違反する米軍の侵略行動に反対する市民運動が世界各地で多発した。国際世論を無視した米軍のイラク侵攻によってフセイン政権は崩壊したが、大量破壊兵器は発見されず、テロ支援の事実もなかったことを米国は認め、正義の戦争の大義が崩れた。だがその後も米軍はイラクから撤退せず、反米抵抗勢力の米軍攻撃が激化し、戦火の全土拡大によって多くの市民が犠牲となっていく。
自衛隊のイラク派兵は、米軍の戦闘行動に参加するものではなく、戦争で破壊されたイラクの「人道復興支援」のためとされた。小泉政権は、日米同盟の重視に基づく対テロ戦争への日本の非軍事的国際貢献だと主張し、それを鵜呑みにするメディアにも「イラクの人びとのため」の自衛隊の活動が現地の人びとに歓迎されているかのような報道が繰り返された。「戦地」への自衛隊の海外派遣は日本国憲法に違反するという反対や疑問の声は、国会の議論や国民世論にもあったが、合憲であれ違憲であれ、あるいは平和貢献であれ、日本の軍隊(自衛隊)が勝手に自国に入ってくることをイラクの人びとがどのように受け止めようとしているのかについては、メディアも国民の大半も無関心だった。
多くのイラク国民だけでなくアラブの世論も自衛隊を歓迎していなかった。その事実は今年2月に防衛省が開示した「イラク日報」でも明らかにされた。自衛隊の宿営地はたびたび砲撃に見舞われ、地元住民の自衛隊非難のデモも繰り返されていた。日報もメディアもその背景には触れようとしなかったが、イラクの人びとは日本が主張した「イラクの人びとのための人道復興支援」のまやかしを見抜いていたのである。反米抵抗勢力だけでなく多くのイラク国民とアラブ世論は、自衛隊を「日本軍」とみなし、米国のイラク侵略に加担する「米軍の傭兵」と嫌悪していた。にもかかわらず、日本の政府もメディアも国民もその現実を直視せず、あるいは直視できなかった。
イラクをはじめアラブ世界の目から見れば、米国の「正義の戦争」はテロへの国民の恐怖に便乗してイラクに軍事介入するためのプロパガンダにすぎず、その本当の狙いはイラクの膨大な石油資源を支配下に置くとともに中東の大国をグローバル市場経済に組み込むことにあった。正義の戦争は「不義の戦争」だった。小泉政権は、米軍の侵略戦争への後方支援という実態を、戦後日本の平和主義の理念に基づくテロへの非軍事的対応というイメージでカムフラージュしたにすぎない。だから国際法を無視した米侵略軍はもちろんのこと、それに追随して勝手に自国に土足で入り込んでくる日本軍もゆるすことはできないのである。大東亜戦争で「白人支配からの解放」などのスローガンを掲げて侵略してきた日本軍に対して、中国や東南アジアの人びとが抗日闘争に立ち上がったのとおなじである。
しかし日本のメディアからも護憲を叫ぶ人びとからも、「侵略戦争に加担すべきではない」という声がほとんど聞かれなかったのはなぜなのだろう。たとえば朝日新聞の社説は、イラク開戦にあたり、「私たちはこの戦争を支持しない」とし米国に戦争の早期終結を求めるとともに、フセイン政権も「自衛の戦争だといって、徹底抗戦を選ぶべきではない」と述べた。米軍に抵抗する武装勢力は欧米メディアの垂れ流しで「テロリスト」視された。かつてアジアの抗日勢力が「匪賊」と呼ばれたのと変わりない。
一方、アラブ世界の人びとは、米国によってもたらされたヒロシマ・ナガサキの廃墟のなかから平和的な国家再建を遂げた日本が、なぜ米軍のイラク侵略を支持し軍隊を送り込んでくるのか理解に苦しんだ。日本は大国だが、植民地支配や石油権益をめぐる介入で歴史的に手を汚してきた欧米とは異なるという伝統的な親日感情は崩壊した。イラクの独立系有力ニュースサイト、バスラ・ネットには、かつて一度も日本に敵対したことがないアラブ民衆に対して、日本はなぜ米英の武力侵略の片棒をかつぐのかと問い、「殺戮者の傭兵に成り下がったことで、日本は中国などアジア諸国の人びとに形成された日本観よりさらに下劣な印象をアラブ民衆のあいだに植えつけることに成功したとでも言うのか」と痛罵する、親日家としてしられる大学教授の評論が掲載された。
だが日本の首相とマスコミは、自衛隊のサマワ派兵を「成功」と総括し、自衛隊の国際貢献に前のめりの議論が進められていく。安保法制の成立を、アラブ世界のメディアは「日本は第二次大戦後初めて海外の戦闘のために出兵を認める法案を可決した」と報じた。自衛隊派兵は「同盟国である米国の支援のため」と説明されている。
このような流れを追ってきて浮かぶ疑問は、平和と民主主義を大事にしてきた戦後の日本国民がなぜ米国の侵略戦争に対して「No!」の大きな声を上げ、日本の侵略戦争への加担を阻止する力を発揮することができなかったのかである。自衛隊のイラク派兵は平和憲法を踏みにじる行為だから断固阻止しなければならないというだけでなく、アジアに対する日本のかつての侵略戦争と同じように、同盟国の現在の侵略戦争も許してはならないし、いかなる形であれそれに加担すべきではないという主張は、私の知る限り政治家にもマスコミにも一般国民からもほとんど聞かれなかった。それは、私たちの戦後の「平和国家」が戦前のアジア侵略戦争と植民地支配の罪を直視しないままにすませてきたことと無関係ではないだろう。
二度と戦争はご免だという私たちの共通認識は、戦争の被害体験にもとづいて形成されたもので、そのおなじ戦争によって犠牲となったアジアの民衆一人ひとりへの想いにまでは及ばなかった。また戦後日本の最大の設計者であった連合国軍最高司令官の米軍元帥マッカーサーは、東京裁判で一部の指導者の戦争責任を追求しただけで、憲法9条の不戦条項を日本が受け入れることと引き換えに昭和天皇の戦争責任は免除した。最高責任者が免罪されたのだから、国民一人ひとりが戦争責任を自覚することも、近隣アジア諸国で犯した戦争犯罪を反省することもできなくなるのは当然であろう。
では、宮崎滔天が想定した、中国革命を日本の変革につなげていくという「大方針」はどうなったであろう。1949年の中華人民共和国の成立は、滔天の生涯を追うなかでみてきたような、近代日本と東アジアの関係性を根本から覆す歴史的なできごとだった。それは、列強への抵抗からはじまり、抗日戦争へとつづく中国民衆の勝利を意味していた。中国革命の勝利は、中国人民にとって重大な歴史転機を画しただけではなく、日本にとっても明治以来の近代化路線を根本的に問い直し、アジア諸国との真の連帯の道に踏み出す好機となるはずだった。だがその好機を私たちはいかすことができなかった。「脱亜入欧」が「脱亜入米」に衣替えしただけだった。
中国革命の意味をきちんと受け止め、それを戦後日本の平和と民主主義の原理に組み込んでいくことができなかった理由はいくつか考えられる。ひとつには、中華人民共和国の成立が社会主義革命とされたため、米国の冷戦政策によって中国が敵視されたからである。米国は、中国革命の衝撃が反共自由主義陣営の日本に及ぶのを封じ込めようとした。日本政府は米国に従い、毛沢東の中国を正当な中国国家とは認めず、蒋介石の台湾に国連の議席を与える政策を支持した。戦後大きな影響力を発揮したマルクス主義者をはじめとする左翼陣営も、基本的には東西冷戦の枠組みのなかで、米帝国主義に対抗する社会主義中国への連帯表明にとどまった。両者に共通するのは、宮崎滔天が日本を亡国に追い込むであろうと懸念した、日中の歪んだ関係を根底から問い直す意思の欠如だった。
自衛隊のイラク派兵に反対する国民の声が大きくならなかったのは、戦後日本の平和と民主主義が戦前日本のアジア侵略と植民地支配と向き合うことを避けてきたことと無関係ではないだろう。その結果、世界を見る私たちの目は曇り、イラク派兵は「人道復興支援」という非軍事的国際貢献であると主張する、政府のプロパガンダの嘘を見抜けなかったのであろう。
▽戦後日本の平和と民主主義の新たな再構築を 安倍首相は、10月に行われた明治維新150年を祝う政府の記念式典で、「明治の人びとの勇気と英断、たゆまぬ努力にならい、現在の国難を乗り切らなければならない」と訴えた。これに先立つ8月15日の終戦記念日の政府主催の全国戦没者追悼式で、首相は「戦争の惨禍を二度と繰り返さない」と述べたが、日本の加害責任には今年も言及しなかった。そして、原爆のきのこ雲の下にいて平和憲法をもつ国が、きのこ雲の上にいて世界で突出した軍事力を誇る国の軍事作戦に地球上のどこにおいても参加できる態勢が着々と進められている。それとともに、民主主義の国は「理想の存在を許さぬ国」へと変貌しつつある。
私たちが明治以来の負の歴史をくり返さないためには、それを直視して戦後の平和と民主主義の欠落を補い新しく再構築していくことが不可欠だろう。憲法の平和主義精神は現政権によって脅かされているとはいえ、それでも国民の多くに根強く受け継がれている。また世界を見渡せば、滔天の生きていた時代にはなかった新しい動きが台頭し、それぞれの国と国際社会を動かす力をもち始めている。戦争だけでなく貧富の格差をはじめあらゆる人権侵害をなくして真の平和な世界をつくりだそうとする「地球市民」の運動である。
それは、国家、民族、宗教などの違いを超えて「四海兄弟」が共通の理想を実現していく闘いが、一握りの革命家やエリートたちによってではなく、一人ひとりの平等な民衆の連帯によってグローバルな展開をしはじめていることを物語っている。その歴史的な流れに身を置くことによって、日本の戦後平和主義は、その貴重な財産をいかして21世紀の平和と人権の前進に貢献できるだけでなく、新たな本当の平和と民主主義に生まれ変わることが可能になろう。
「世界一家」の理想に生きた宮崎滔天は、そのことを了解するに違いない。彼が孫文や兄の弥蔵らとともにめざした「世界革命」は、道半ばとはいえ、けっして遠ざかったわけではない。(おわり)
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