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   2019年02月10日23時24分掲載
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社会
   私の昭和秘史(2)名もなき野花にいまも可憐な涙露が宿るという ー『知覧特攻基地』からのプロローグ 織田狂介
    
   
    
     
      
       南無観世阿弥陀仏 南無観世阿弥陀仏 ・・・平成11年2月初めの某日、立春を過ぎたとはいえ、この南国の小高い草原を吹き抜ける風は、まだ凛として厳しい冷気に包まれており、山肌の緑もまだ燃え立つ前のひっそりとした静けさの中にある。私は今、この太平洋戦争終結以後の50数年前から抱き続けてきた切ない想いを、やっとのことで叶えるこのできた歓びと哀しみの、なんともいえぬ交錯した複雑な感覚をおぼえながら、鹿児島県の南端に近い「知覧」の土を踏みしめている。
   観光的にもオフシーズンである、この町を訪れる人々も少なく、町全体もまだひっそりとしたただずまいの静かさの中にあったが、私は「特攻平和会館」の庭に祀られている観音像の前に立ち、独り感慨にひたっていた。ざっと60年前、この地から飛び立ち、天空を舞いながら一途に沖縄や南太平洋上に雲集しつつあった米国海軍の機動部隊に“必殺”の体当たりを敢行しようとして、あたら17、8歳の若い生命を散らしていった多くの若もたち(当時の私にとっては、かけがえのない友人や先輩たちだった)の霊を慰め、その無念の想いに共感しようとしていたのだが、それだけの想いでは、おさまろうとしない、どうしようもない苛立ちが、私にはあった。誰だが忘れたが、なにかの評論のなかで「滅びゆくものにも、なんともいえない美学がある」と語っていたけれど、私は、今この知覧の地に立って、自らの60年前に還りながら、私がそのころ信じていたものの“存在”とともに、この地から離れがたく「幽明境」を彷徨い、安らかにあの世にも行くことが出来ずに浮遊する若者たちの魂とともに、なんとかキリをつけて「亡びていきたい」と想うのである。
   私が今日まで生き永らえて、70余年間、ひきづってきたロマンチズムとは、そんな他愛のないものだったのかと、世代のちがう人々や、思念の異なる同世代の人たちから、なんとそしられ、さげすまれようとも、私がこの日、知覧の地で涙した私の感慨に決して間違いも偽りもなかったことである。そして、この私の拙き“挽歌”は、そうした私たちの哀情とは全く無縁なまま、勝手に亡びていってしまった『昭和』という時代への慟哭の想いを込めた締めくくりのひとつであるということなのである。  なぜ私を含めた多くの若者たちは、この『昭和』という奇々怪々の時代に生を享け、その幼少から青春期にかけて、2度とかけがえのない生命(いのち)のすべてを燃焼し尽くさなければならなかったかのか。この九州最南端の知覧の町からも、小高い丘陵の上に立てば、身はるかす雲煙の彼方には、眩ゆいような太陽の光を受けて輝く太平洋の海原が果てしなくひろがり、溜息の出るような素晴らしい悠久の天と地がある。この絶佳ともいえる大自然の美しさを、もっとちがった意味で思う存分に堪能しながら、可能な限りの生命の英知をふりしぼって、すばらしい人生を展開し得たはずなのに、なんで私たちは意味なく死に急ぎ、まったく無価値に亡びゆくもののために、あたらその生命を散らしていかねばならなかったのか・・・。
  ・・・世尊妙相具 我今重問彼 仏子何因縁 名為観世音 具足妙曹尊 偈答無盡意 汝聴観音行 善応諸方所 弘誓深如海 歴劫不思議 侍多千億佛 発大清浄願 我為汝略説 聞名及見身 心念不空過 能滅諸有苦 假使興害意 推落大火坑 念彼観音力・・・・仰ぎ くば三寶、伏して照鑑を垂れ給え。上来 観音経を諷誦す。集る所の功徳は、昭和19年、20年この地より天駆けて生命を捧げし若き特攻隊将兵たちの諸霊 ならびにそれに連なる先祖代々一切諸精霊 六親 族七世の父母 三界の萬霊等に回向し 報地を荘厳せんことを。・・・十方三世一切佛 諸尊菩薩摩詞薩 摩訶般若波羅密
   私が、なぜこの知覧の地に詣でて観音経を誦したかったのかについて付言しておくと、私は幼少のころ早くに両親と死別し、さらには頼りにすべきたった一人の兄をも、昭和13年という日中戦争(当時は支那事変と呼ばれていた)初期の段階で、内蒙古(現在のモンゴル)包頭作戦によって喪っており、そのこころから、この世におけるただひとりの心のよりどころとして存在してきているのが、この観世音菩薩だからである。つまり、幼少のころ私をこの観音さまに近づけ、この仏こそがこの世における慈悲心の象徴であると教えてくれた伯母の説くところによれば、観音さまという方は『同悲』と云って私たちの悲しみや苦しみと同じ心を持たれる菩薩であるという。「人々と同じ悲しみを共にする」などと簡単にいうけれど、これは並大抵のことでは出来る想いではない。私たちが生きている今のこの世の中、あるいは数十年にわたる人生のなかで、そのことのいかに大変な難事かということをイヤというほど知ってきたはずだ。
   しかし、この世に姿をこそみせて下さらないけれど、私たちはこの観世音菩薩の存在感に、ときおり思い切り触れて、心から慰められたり、死ぬほど辛い悲しみや苦しみから救われてきていることを自覚することのできる人は、かなりいるはずである。私自身の拙ない体験から申し添えても、父母や兄を喪った幼いころから、70歳を過ぎる今日まで、それはもう数え切れないほどのに、而もまことにドラマチックな情景とともに、指折り数えることが出来るのだ。  しかも、この私が熱愛し敬慕する観世音菩薩は、ただ単に意識の中だけで、その悲しみや苦しみを「分かち合うて下さる」だけでの観音さまではない。その痛哭なほどの哀しみを抱きかかえて下さったうえで、さらにまことに甘美な「愛の想い」にひたらせて下さり、身心ともに私をいぎたないこの世の奈落から身心ともに救いあげて下さる。私はそのなんともいえぬ深い慈悲のみこころに感謝するために、ときおり京洛の地の名刹・広隆寺に祀られてある弥勒観世音菩薩のお姿を拝して、さらに心のあたたまるのを常にしている。  昔から伝えられる佛歌(『雑芸集』)の一節にも唄われているように「文殊はそも何人ぞ、三世の仏の母と在す、十方如来諸法の師、皆是れ文殊の力なり 観音大悲は舟筏・補堕落陀落海にぞ泛べたる、善根求むる人しあらば、乗せて渡らん極楽へ 万の仏の願よりも千手の誓いど頼もしき、枯れたる草木も惣ちに、花咲き実生ると説いたもう・・」というほどのものであることに相違ない。そんなもろもろの想いを込めて、私はその日独り鎮座して、この知覧の特攻観音のまえで『観音経』を誦しつづけたのであった。
  ≪プロフィール> 織田狂介 本名:小野田修二 1928−2000 『萬朝報』記者から、『政界ジープ』記者を経て『月刊ペン』編集長。フリージャーナリストとして、ロッキード事件をスクープ。著書に、「無法の判決 ドキュメント小説 実録・駿河銀行事件」(親和協会事業部)・「銀行の陰謀」(日新報道)・「商社の陰謀」(日新報道)・「ドキュメント総会屋」(大陸書房)・「広告王国」(大陸書房)などがある。 
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