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2019年06月28日10時33分掲載
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反戦・平和
戦争力を強める日本<2>米軍に従属する「日米同盟」 矢倉久泰
「防衛計画の大綱」の根っ子には日米同盟がどっしり座っています。「同盟」と言えば「対等」の関係に見えますが、実態は「米への従属」です。敗戦後、米の占領政策が続き、「従属」=日本の米軍基地化は、1951年9月のサンフランシスコ講和条約調印と同時に米と調印した日米安全保障条約となって具体化されます。その第1条には「アメリカ合衆国の陸軍、海軍、空軍を日本国内及びその付近に配備する権利を日本国が許容する。この軍隊は、極東における国際の平和と安全の維持に寄与し、外部の国からの武力攻撃に対する日本国の安全に寄与するために使用する」(概要)、第3条で「アメリカ合衆国の軍隊の日本国内及びその付近における配備を規律する条件は、両政府間の行政協定で決定する」と規定しました。
▽「日本を反共の砦に」 条約締結の前年、朝鮮戦争が起こり、東西が激突していました。それに対応するために「日本を反共の砦に」と米政府が安保条約を提案してきました。条約づくりに当たった吉田茂首相は「日本は再軍備はしないが、米軍基地の提供は拒まない」と米側に伝えました。米国務長官顧問ダレスは「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を、望む場所に、望むだけの期間だけ駐留さえる権利を獲得できるであろうか。これが根本的な問題である」と語りました。 安全保障条約締結を受けて日米両政府は1952年2月、「日米行政協定」を結び、在日米軍の地位と特権に関する細目が規定されました。駐留軍が「わがもの顔」で行動できるようにしたのです。 1954年3月、吉田茂内閣は日米相互防衛援助協定(MSA協定)を結びます。米軍は日本の防衛力を増強するために、第2次大戦で余った兵器を日本に渡し、日本国土に軍事基地を配置することを可能にするというもので、日本には防衛に責任を果たすよう義務付けられました。反共軍事同盟です。 この協定によって、1954年6月、防衛庁が設置され、7月に陸海空軍からなる自衛隊が発足します。吉田首相に代わって首相になった鳩山一郎は、同年12月、「憲法は自衛権を否定していない」と、自衛隊を合憲とする政府統一見解を発表しましました。 そして翌1957年6月、岸信介内閣は国防会議で第1次防衛力整備3か年計画を決定。陸上18万人、艦艇12万4000トン、航空機1300機を目標としました。初の本格的な軍事力拡充計画です。
▽「従属」を強める日米地位協定 1960年1月、岸内閣は日米安全保障条約改定(新安保条約)を強行します。在日米軍への攻撃に対して、自衛隊が米軍と共同して防衛行動を義務付けたものです。 そして、新安保条約第6条に基づいて「日米地位協定」を締結します。その条文は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため、アメリカ合衆国は、その陸軍、空軍及び海軍が日本国において施設及び区域を使用することを許される」というものです。それを具体化したのが「日米地位協定」。米軍への「従属」が一層深化することになります。 この協定に定められた米軍の特権は数々あります。�(瞳海脇�本全土で基地を置くことができる、�∧瞳海牢霖呂隆浜�権を持つ、�J瞳海脇�本の空港、港湾、高速道路を利用料なしに自由に利用できる、�な洞�軍基地の上空は米軍機が自由に飛べ、日本の航空機飛行には制限を加えることができる、�ナ瞳海聾�務中の事故・事件で米軍が第一次的裁判権を持つ。�Υ霖漏阿濃�件を起こした米軍人を日本の警察が検挙し裁判にかけることができない、�Т霖亙峇圓虜檗�原状回復の費用は日本側が負担する――こうした日米地位協定に基づいて日本政府は航空法特例法など国内関連法を整備しました。 協定を具体的に進める協議機関として、日米合同委員会が設立されます。日本側から防衛省など関係省庁の幹部6人、米側から米大使館公使と米軍のトップ級6人が参加、月2回、「秘密会合」として行われています。この会合で決定したことは、「原則として国内法は米軍に適用されない」ということで、国会にも通さず、したがって憲法を超えることができるのです。まさに「治外法権」を米軍に許したのです。(「日米地位協定」については、寺崎論文に具体的に詳しく紹介されています)。 この新安保条約をめぐって、「戦争に巻き込まれるのはいやだ」と多くの国民が反対し、反米闘争に発展します。国会でも社共が中心になって条約批准阻止の猛攻撃をかけます。 私は当時、大阪で学生時代を過ごしましたが、60年1月の岸訪米のとき、関西全学連の一員として羽田空港へ行き、「訪米阻止闘争」に参加しました。5月から6月にかけての「ヤマ場」には、連日、授業放棄をして、大阪市の繁華街「みなみ」と「きた」結ぶ御堂筋をフランスデモしました。6月15日、国会突入闘争で東大生・樺美智子さんが圧死したというテレビを見て、大きなショックを受けたのを覚えています。 新安保条約は参議院の審議がないまま、6月19日、自然成立します。
▽米軍に「思いやり予算」 新安保条約発効後の1961年1月、岸首相の後を継いだ池田勇人内閣は「第2次防衛力整備計画」(2次防)を策定、ソ連、中国、北朝鮮を睨んで陸海空の自衛隊増強を図ります。陸上自衛隊を18万人、海上自衛隊の艦船を14万トンに増やし、航空自衛隊を1000機整備するというものです。 世界は東西対立で緊張が続きます。1961年8月にはベルリンに東西を分断する「壁」がソ連の手で構築されます。1964年8月、北ベトナム沖のトンキン湾で米駆逐艦が北ベトナムの魚雷攻撃を受けたとする「トンキン湾事件」が起き、米軍はこれをきっかけに、翌65年2月、北爆を開始、「ベトナム戦争」が始まります。米軍の「同盟国」日本政府は南ベトナムに緊急援助をします。(1975年、北ベトナムが勝利) 1971年3月、米軍主導による初の日米合同訓練がハワイ沖で実施され、これに海上自衛隊の艦船5隻が参加、自衛隊は「同盟軍」に実質的に組み込まれていきます。 1978年11月、福田赳夫内閣は日米安全保障協議委員会で「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を締結、防衛費の増加などを実施します。ベトナム戦争後、財政的な困難に直面している米国から、高度経済成長をしている日本に対し、特別措置を要請された金丸信防衛庁長官が「思いやりというものがあっていい」と、米軍基地で働く日本人従業員の人件費の一部62億円を負担することにしました。いわゆる「思いやり予算」の始まりです。 駐留経費の負担は1960年の日米地位協定24条で定められ、日本が基地や施設用地の貸借料を、米は基地の維持費や作戦の経費をそれぞれ負担するとされ、日本に人件費や光熱水費の負担義務はなかったのですが、福田・金丸コンビで「日本が負担しようじゃないか」と思いやったわけです。 その後、施設整備費や光熱水費なども加わり、現在は5年ごとに額を大きくし、2011年度〜15年度は年平均1866億円を支出。日本政府は2015年に16〜20年度分の減額を求めましたが、米側は受け入れず、逆に総額で130億円増の1893億円を負担しています。 1983年1月、首相就任あいさつで訪米した中曽根康弘は「日米は運命共同体」「日本を『不沈母艦』にする」と、元防衛庁長官らしい勇ましいことを言い、「軍事力強化」のために1987年度予算で防衛費のGNP1%枠を突破するのでした。
▽「専守防衛」を逸脱する海外派遣 中曽根首相の後を継いだ竹下登首相は1988年1月、アメリカ詣をしてレーガン大統領に会い、「世界に貢献する日本」を強調しました。 そのこともあって、1991年1月、米が湾岸戦争を起こしたとき、日本は130億ドルの支援費を米に出しました。ところが米政府は「日本は金だけ出して血も汗も流さないじゃないか」と非難、米ブッシュ大統領は海部俊樹首相に電話で自衛隊が多国軍に参加して軍事的協力をするよう要請します。海部内閣は米の要請を断り切れず、戦争終結後に機雷除去のために「専守防衛」を超えてペルシャ湾に海上自衛隊の掃海艇を出動させました。これが自衛隊の初めての海外派遣となったのです。 国際社会からの孤立をおそれた日本政府はPKO協力法(国際平和協力法)を制定して、1992年9月、カンボジアに陸上自衛隊(施設部隊)と文民警察官、選挙監視要員を派遣します。 1996年4月、橋本龍太郎首相は米クリントン大統領と「日米安保共同宣言」を行い、日本防衛の範囲を「極東」から「アジア太平洋地域」に拡大し、日本がアジア太平洋地域において安全保障について米軍と協力することを誓います。これを具体化するため、翌97年には、「日米防衛協力の新指針」(新ガイドライン)を策定し、日本の領土外のアジア・太平洋地域で他国が武力行使をし、日本の安全に影響を及ぼす事態になったとき、自衛隊を出動させることができる「周辺事態法」を制定します(1999年5月)。日本の領土外での自衛隊の行動を認めることになり、日本の領土を守る「専守防衛」をここでも逸脱しました。⇒のちに「重要周辺事態法」に改称。
▽米が「集団的自衛権」行使を要求 そして「集団的自衛権」の行使へと展開していきます。そのきっかけを作ったのは2000年6月、アーミテージ米国務副長官の「米国と日本〜成熟したパートナーシップへ」という報告書。日本に「集団的自衛権」の行使を求めます。 2001年9月11日のニューヨークでの同時多発テロにショックを受けた米政府は、犯行の首謀者はイスラム教テロ組織「アルカイダ」の指導者オサマ・ビンラディンと見て、彼を匿っているとしてアフガニスタンを攻撃、続いてテロを支持しているのはイラクと見て、今度はイラクを攻撃します(2003年3月)。その口実として「イラクは大量破壊兵器を隠している」と公言、イラク攻撃の正当性を世界にアピールしました。(後に「嘘」であることが発覚) 日本政府はイラク戦争に協力するため、2003年8月、「イラク特措法」を制定して、陸上自衛隊をイラク、航空自衛隊をクウェートに派遣しました。航空自衛隊の任務はアメリカなど同盟軍の武装兵士をイラクの戦地に輸送することでした。国際軍事協力=集団的自衛権の事実上の行使でした。(なお、名古屋高裁は2008年4月、航空自衛隊による米兵輸送は「違憲」と判決しています) 2012年1月にはアフリカの紛争地・南スーダンへ陸上自衛隊を派遣します。施設部隊だけでなく、有事の際に武器を持って応戦する「駆けつけ警護」ができる中央即応部隊も派遣します。国会で明るみに出た現地隊員の「日記」によると、自衛隊の基地に砲弾が撃ち込まれる事態が何度もあったとのことです。応戦していれば、戦争に巻き込まれていたかもしれません。
▽安全保障関連法を制定 2012年8月、アーミテージは第3次報告「日米同盟〜アジアにおける安定の礎〜」を出します。「日本は地域の有事における自国の防衛と米国との共同防衛を含めることで責任の範囲を拡大する必要がある。同盟国には、日本の領域をはるかに超えて拡張した、より堅牢で、共有され、相互運用の可能な情報・監視・偵察(ISR)の能力と運用が必要である」と。 安倍内閣はそれを受けて2014年7月、「集団的自衛権」行使を閣議決定します。その内容は、同盟国が攻撃を受けたとき、日本の安全を脅かすものとして、反撃できるというものです。日本は憲法9条で「国際紛争解決のための手段としての武力による威嚇または武力行使をしない」と定めているにも関わらず、それを逸脱して国際紛争に自衛隊が出動することを法律で定めたのです。 そして2015年4月、安部内閣は米国との協議で「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)を改定し、自衛隊の後方支援の範囲を地理的制限を設けず、世界中の紛争地(戦地)へ派遣することができるようにしました。 上記に対応した国内法を整備するため、2015年9月、「安全保障関連法」を制定し、翌2016年3月施行しました。改正も含めて10本にも上りました。それは、以下の法律です。 重要影響事態法(日本のために活動する米軍や他国軍を地球規模で支援)、武力攻撃事態法改正(集団的自衛権行使の要件を明記)、国連平和維持活動(PKO)協力法改正(PKO以外にも自衛隊による海外でも復興支援活動を可能に)、自衛隊法改正(在外邦人の救出や米艦防護を可能にする。海外で、また米軍のために武器使用を可)、船舶検査法改正(重要影響事態で日本の周辺以外での船舶検査を可能にする)、米軍等行動円滑化法(米軍行動円滑化法を改め)(存立危機事態での米軍や他国軍への役務提供を追加)、海上輸送規制法改正案(存立危機事態での外国軍用品の海上輸送規制を追加)、捕虜取り扱い法改正(存立危機事態での捕虜の取り扱いを追加)、特定公共施設利用法改正(武力攻撃事態で米軍以外の他国軍も港湾や飛行場などを利用可能にする)、国家安全保障会議設置法改正(審議事項に存立危機事態などへの対処を追加) 安全保障関連法を踏まえ、日米両政府は2016年9月26日、自衛隊と米軍の間で食料や燃料、弾薬などの物資を融通する「日米物品役務相互提供協定」(ACSA)を改定しました。日本の安全保障に重要な影響がある(「存立危機事態」「重要影響事態」)と判断すれば、世界各地に展開する米軍に対する給油や弾薬の提供をできるというものです。 こうした法律をつくることで、自衛隊に新たな任務を与え、海外で法的に活動できるようにしたのです。
▽宇宙・サイバーでも防衛協力 日米両政府は2019年4月19日、安全保障協議委員会(2プラス2)を米国務省で開きました。日本政府にとって、2018年末に定めた新たな防衛計画の大綱(防衛大綱)をもとにした初の会合です。日本から河野太郎外相と岩屋毅防衛相、米国からポンペオ国務長官とシャナハン国防長官代行が出席、会議では、中国やロシアが力を入れる宇宙、サイバー、電磁波など「新領域」での防衛協力を確認。「共同発表」では、日本へのサイバー攻撃が米国の対日防衛義務を定めた日米安全保障条約第5条の適用対象になると、初めて明記しました。 終了後に共同記者会見を開いた河野氏は「日米同盟の抑止力と対処力を強化する取り組みを進め、同盟を一層強固なものとしていきたい」と語りました。 新防衛大綱に盛られた「宇宙・サイバー・電波」など「新たな領域」を米国と共同で対処しようというもので、「日米同盟」は宇宙戦争まで展開されることになります。(つづく)
[参考文献] 『日米同盟の正体』孫崎 亨(講談社現代新書1985) 『検証 日米地位協定』しんぶん赤旗政治部(日本共産党出版部2019) 『従属国からの脱却』「21世紀・日本の進路」研究会編(露満堂2002) 『在日米軍』小川和久(講談社文庫1987) 『宰相 吉田茂』高坂正堯(中公叢書1968) 『軍隊なき占領』ジョン・ロバーツ&グレン・ディズス 森山尚美訳(講談社文庫2003) 「毎日」「朝日」「東京」「ウイキペディア」ほか。
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