・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・核・原子力
・市民活動
・国際
・アジア
・環境
・難民
・中東
・検証・メディア
・文化
・イスラエル/パレスチナ
・欧州
・中国
・コラム
・農と食
・入管
・反戦・平和
・教育
・米国
提携・契約メディア
・AIニュース


・司法
・マニラ新聞

・TUP速報



・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus

・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年02月10日
・2025年02月09日
・2025年02月08日
・2025年02月07日
・2025年02月05日
・2025年02月03日
・2025年02月02日
・2025年02月01日
・2025年01月31日
・2025年01月29日
|
|
2019年07月31日11時07分掲載
無料記事
印刷用
アジア
スーチー氏の新しい盟友オルバン首相、ルカーチの記憶抹殺へ 野上俊明(のがみとしあき):哲学研究
この五月、突如ハンガリーを訪問し、驚いたことに歴史修正主義者であり、レイシストとして悪名高いハンガリーのヴィクトル・オルバン首相と会談したスーチー氏、あろうことかその締めくくりとしてイスラム教徒の不法な移民増大に対して共に闘うという共同声明を発表し、世界をあきれさせました。ミャンマーに限っては、イスラム勢力が外部から大挙して不法に入り込んでいる事実はまったくないにもかかわらず、ロヒンギャ=イスラム勢力の浸透作戦に対し対抗手段を講ずるのは正当であるとして、ロヒンギャ危機で非を鳴らす国際社会に対しこれ見よがしの挑戦をしたのです。国際社会の大勢は、これをノーベル平和賞受賞者アウンサン・スーチーの「転向声明」に等しいものとして受けとめました。暴力が支配する道理なき世界において、敢然と人道と民主主義の灯を掲げて先導してきたはずのヒロインが、欧州の極右ポピュリストと抱き合う姿を見るのは、ある種つらくもあり、悲劇的な印象すら受けます。植民地支配と軍部独裁が遺したトラウマに刻印されたこの国の退嬰的な政治は、ブラックホールに似て近づくものを闇の世界に引きずり込まずにはいられないかのようです。
ただし本日のトピックは、ほころびが目立ち始めたスーチー政権についてではなく、※スーチー氏の新しい盟友となったオルバン首相の所業についてです。ドイツの左派系日刊紙Tageszeitung紙7/24は、「ルカーチはどこへ行った」と題する論評でオルバン首相を厳しく批判していますので、簡単にご紹介いたしましょう。
※ 清潔な政府を唯一売り物にしていたNLD政権ですが、このところ政権幹部の汚職が目立ち始めています。地方政府の首相に始まり、財務省大臣、電力・エネルギー省本部、工業省大臣など投資利権に関わる省庁での汚職が発覚し、責任者が辞任や更迭に追い込まれています。利権を濡れ手に粟で享受している国軍が無問責のまま放置されている以上、それをまねる政治家や高級官僚が出てきてもおかしくはありません。エスタブリッシュメントに甘いスーチー政権では、国民に明日の希望を抱かせることができず、とくに若者の間でニヒリズムや狂信的なナショナリズムを蔓延させる危険性があります。
スーチー氏が欧州まで足を運びで厚誼を結んだオルバン首相、歴史修正主義者とみなされているのに相応しいというべきか、二十世紀前半の世界的に著名なマルクス主義哲学者であったゲオルグ・ルカーチ(1885~1971)をハンガリー史から抹殺すべく、さまざまな手を打ってきているとのことです。
ハンガリー出身のルカーチですが、学生時代はベルリン、フィレンツェ、ハイデルベルクで勉強し、ハイデルベルクではかのウェーバー・サークルの一員としてウェーバーに一目置かれ、またのちのフランクフルト学派の重鎮であるエルンスト・ブロッホとも出会ったといいます。その後第一次大戦後のハンガリー革命時にはクン・べーラ政権で教育文化省大臣を、また1956年のハンガリー動乱時のナジ・イムレ政権でも教育文化省大臣を務めました。しかし我々1960年代に学生時代を過ごしたものにとっては、ルカーチと言えば政治家というより「歴史と階級意識」(1920年)の哲学者であり、60年代後半期でもスターリン主義的な正統マルクス主義とは違った西欧マルクス主義の源流としての威光を保っていました。のちにメガバンクの幹部となる私の義兄―したがって左翼とは無縁ーの学生時代の書棚にすら、ルカーチの「実存主義かマルクス主義か」が「資本論」の横に収まっておりましたが、そういう時代でした。
ともかくオルバン首相は歴史修正主義者としてルカーチにまつわる記憶を根絶すべく、ルカーチの住まい(アパート)に設けられていたアーカイブ記念館は改修が必要であるという口実で、2人の図書館員を解任、その蔵書・遺品はハンガリー科学アカデミーの図書館に移管されたとのこと。4年後、アカデミーは遺品と蔵書は分離したと発表しましたが、それはすべての図書館アーカイブスの原則ならびに運用規準に反するものでした。そのため、J・ハーバマス、 A・ホネス、W・F・ハウグ、D・ロッスルド、ゲオルグ・ルカーチ国際協会などの有名なヨーロッパの哲学者たちが抗議し、アカデミーはその計画を放棄することを余儀なくされたとのことです。
しかしルカーチに対する追い立ては続きました。 右翼の急進派にとっては、1919年のハンガリー革命と1956年ハンガリー動乱時に文化省大臣だったルカーチは、「共産主義の殺人者」なのです。右翼の過激派で反ユダヤ主義政党のジョービックは、2017年3月にブダペスト・セントイストヴァン公園にあるルカーチの像を撤去させました。それに代わって、2018年5月にバリント・ホーマンなる者のための記念碑が建てられました。この男はファシスト・ホーティ政権の知的な奉仕者であり、その政権によって400,000人以上のユダヤ人がアウシュヴィッツに強制送還されたのです。「ハンガリー史における最悪のユダヤ人への憎悪」が持ち上げられ、歴史の偽造が行われたのです。
また1年以上も前には、オルバン政府によって予算が削減されたため、ルカーチ・アーカイブへのアクセスが不可能になり、作品や哲学者の手紙のデジタル化に関する作業を中止しなければならなくなったとブダペスト・アカデミーは声明を出しました。国際ルカーチ協会が遺作関係の遺産を保護しデジタル化するために資金を用立てることができるかどうかはまだ明らかでないといいます。そして最後のとどめとして、ルカーチの死後48周年とハンガリーがその領土の3分の2を失ったトリアノン条約の99周年にあたる2019年6月4日に、14の他の研究所と共に1956年秋のハンガリー暴動の記憶ための研究所は閉じられてしまったそうです。オルバン政府の試みは、ハンガリー一国にとどまらず、ルカーチやハンガリー現代史への国際的な研究への妨害を企図したもので、人類知の「記憶喪失」に相当する行為だと、論評は結んでいます。
野上俊明(のがみとしあき):哲学研究
ちきゅう座から転載
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|





|