8月1日に始まったあいちトリエンナーレ2019という国際芸術祭で日本軍による従軍慰安婦像をモチーフにした「平和の少女像」を展示していたが、名古屋市長の抗議や市民からかかってくる電話での抗議を受けて、早々と展示を中止することになったという。そもそもこの展示は「表現の不自由展・その後」展という最初から議論を招きそうな作品を対象に選んでいる展示であるということで、その上で今、日本でホットな議論を呼んでいる作品をあえて選んだのだ。だから、主催者側は最初からそれなりの覚悟を持って展示をおこなっていたのかと思ったが、わずか3日で展示を中止する決定になったことに驚く人も少なくないだろう。
卑劣な脅迫じみた電話やFAXが寄せられたということが展示中止の決定の背景にあると説明されている。だが、実際のところ「平和の少女像」の展示中止に至った経緯および誰がどのように判断して最終的にそうなったのか、もっと説明しないと今後ずっと「あの・・・」とつけられてしまいかねない。このような意図をもって展示したものを取りやめるのだから、その経緯を<漠然とした不安>みたいな形で曖昧にしたまま取りやめにした、というの風になるのが一番悪しき行為だろう。「表現の不自由展・その後」という取り組みを今後も生かしていくためにも、どのようなプロセスと判断による展示中止の決定だったのかを残してほしいと思う。
以下にいくつかの可能性を記したい。
1) 「平和の少女像」の選定がミスだったという判断の場合
国民感情を考慮せず、不快だという抗議が殺到したことで 主催者側の判断が間違っていた、という判断。この場合は 芸術監督に責任があるだろう。
2)「平和の少女像」の選定自体は良かったが脅迫などの予測不能 の逆風で現実的に不可能だと判断した場合
この場合は、本当に展示が不可能なほど深刻な安全上の問題 だったのか、ということは検証すべきではなかろうか。 ガソリン缶を持った人間が入館しようとする場合、警備員が 阻止することはできないのだろうか。あるいは刃物や銃は入館 の際の金属探知機などで探知できないのだろうか。
3)「平和の少女像」の選定は間違っていなかったが、この作品 への抗議などで入館者が減ったり、寄付や補助金などが減ら されるから中止、という場合。
こんなことで作品の展示を中止するなら、「表現の不自由」の 中で表現活動をしている人々にどのようなメッセージを発信で きるだろうか。
今回のケースで脅迫犯罪の犯人たちは味をしめたと言える。今後、同様の企画があれば繰り返される恐れもあるだろう。1日も早い犯人の逮捕が必要だ。それとともに、今回のケースをどう締めくくるかは主催者にとって大切な課題だ。
※当初は作品の「撤去」と本記事では表現していましたが、主催者側が作品自体はそのままその場所に置いて起き、観客に見せることだけを中止したということを受け、「撤去」という用語を変更いたしました。
■表現の不自由展・その後
https://censorship.social/artists/kim-seo-kyung-kim-eun-sung/
■芸術祭の慰安婦問題像 展示中止を発表「安全な運営に危惧」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20190803/k10012020531000.html?utm_int=detail_contents_news-related_001
■「表現の不自由展」中止に、愛知
https://www.kanaloco.jp/article/entry-186379.html
すべての表現者は驚くだろう、この早い決断はなんだ!と。
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