・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・国際
・文化
・アジア
・環境
・欧州
・市民活動
・核・原子力
・中国
・コラム
・イスラエル/パレスチナ
・農と食
・入管
・反戦・平和
・教育
・米国
・みる・よむ・きく
・検証・メディア
・外国人労働者
・司法
・国際
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2025年01月18日
・2025年01月13日
・2025年01月11日
・2025年01月08日
・2025年01月07日
・2025年01月04日
・2025年01月01日
・2024年12月31日
・2024年12月30日
・2024年12月27日
|
|
2021年04月29日23時08分掲載
無料記事
印刷用
中南米
ラテンアメリカにおける社会科学の過去と未来 マルコス・ロイトマン・ローゼンマン(訳:山端伸英)
ラテンアメリカにおける社会科学の過去と未来 マルコス・ロイトマン・ローゼンマン(訳:山端伸英)
この文章は2020年12月26日にメキシコの新聞ラ・ホルナダに発表されたものである。前回、同著者の「ラテンアメリカ社会科学の失楽園」を訳したが、それとは趣を変えて学界向けで、”ラテンアメリカ社会科学”に対する儀礼的スタイルをとっている。現状に対する挑戦的な筆法はとらず、ラテンアメリカの共通議題に対するラテンアメリカ地域の国際的な連携作業と世代交換の意義に議論の焦点がある。FLACSOの日本語訳はアジア経済研究所で使っている研究機関名「ラテンアメリカ社会科学部」を採用した。「ラテンアメリカ社会科学大学院」とも訳せる。CELAという略呼称をもつ機関はいくつか存在するが、ここではメキシコ国立自治大学の政治学・社会学に設けられた機関を指す。
Pasado y Futuro de las ciencias sociales en América Latina, por Marcos Roitman Resenmann, ( La Jornada , Mexico, 26 de diciembre de 2020.) 省察することには意義がある。ある時期以来、ラテンアメリカ社会思想における世代交代の問題が提起されてきた。50年代および60年代に特徴づけられた大きな問題意識は、ラテンアメリカ地域からの社会科学の形成における方向転換の起点でもあった。その時代の研究の計画およびプログラムにおける制度化は、ラテンアメリカ社会科学部(FLACSO)の創設に便宜を与えた。1957年に、ラテンアメリカ社会科学部は創設を見た。その存在は、ラテンアメリカ地域が全体的にまとまって研究活動をすることを可能にした。サンティアゴ・デ・チリ市のFLACSO本部では、ラテンアメリカ全域の、学部を終了した青年たちに対する募集制度を運営している。この研究機関で、この地域の社会学、政治学、あるいは国際関係学の発展において後年、際立った地位を占めるであろう社会科学者たちの最初の世代が育っている。社会学と政治学の課程の初期の修了者の中では次の名前を挙げることができる。オルランディナ・デ・オリベイラ、アニーバル・キハーノ、ウンベルト・ムニョス、ホセ・ミゲル・インスルサ、テレスィータ・デ・バルビエリ、もしくはエデルベルト・トーレス・リバス(Orlandina de Oliveira, Aníbal Quijano, Humberto Muñoz, José Miguel Insulza, Teresita de Barbieri o Edelberto Torres Rivas)など、名前を挙げるべきリストは長くなる。教師の中では、アラン・トゥレーヌ、ジノ・ジェルマーニ、フロレスタン・フェルナンデス、ジョアン・ガルセス、ヴィクトル・ウルキディ、エンソ・ファレット、レネ・サバレタ・メルカド、そして、ロドルフォ・スタベンアーヘンたち(Alain Touraine, Gino Germani, Florestán Fernández, Joan Garcés, Víctor Urquidi, Enzo Faletto, René Zabaleta Mercado y Rodolfo Stavenhagen)が際立っている。1957年から1973年までに卒業した同期生たちはフラクソ・クラスィカ(Flacso clásica / ラテンアメリカ社会科学部古参)と呼ばれるグループを形成している。議論内容の豊かさを持っており、1973年9月11日のチリのクーデタが、ひとつのディアスポラ、研究計画やプログラムの変革、それから新たな諸拠点をもたらした。 他方、大多数の学位修得者たちは博士号を獲得するためにラテンアメリカ地域から他の地域に移住した。フランス、イタリア、ドイツ、イギリス、カナダ、あるいはアメリカ合衆国が好意的な受入国だった。それらの国の大学はチリ、メキシコ、ブラジル、エクアドル、アルゼンチン、あるいは中米地域の学生たちを受け入れていた。ルイ・マウロ・マリーニ、テオトニオ・ドス・サントス、バニア・バンビーラ、スージー・カストール、ヘラルド・ピエール・チャールス、ダニエル・カマチョ、ジョン・サクセ‐フェルナンデス、アグスティン・クエバ、ホセ・アリコ、リカルド・ラゴス、ボリーバル・エチェベリア、オクタビオ・イアンニ、またパブロ・ゴンザレス・カサノバ(Ruy Mauro Marini, Theotonio dos Santos, Bania Bambirra, Suzy Castor, Gerard Pierre Charles, Daniel Camacho, John Saxe-Fernández, Agustín Cueva, José Arico, Ricardo Lagos, Bolívar Echeverría, Octavio Ianni o Pablo González Casanova)などの面々が、ソルボンヌ、ミラノ、フロレンシア、ハーバード、ケンブリッジ、オクスフォードなどで博士号を獲得している。それにより、彼らは政治学や社会学の新しい学部での行政職や教授職に就いている。 キューバ革命を契機に、ラテンアメリカ諸社会の性格、前衛の役割、社会的諸構造や権力に関する記述、従属理論、開発社会学、国内植民地主義、あるいは帝国主義の性格などの議論が持ち上がる。このフレームは、カルメン・ミロ(Carmen Miró)の指導の下、CELADE(国連機関、現在、ラテンアメリカ・カリブ地域経済コミッティーCEPALの人口統計関連部会)において展開された人口進化の諸研究で補完された。 経済思想の分野では、CEPALの緊急要請で、ラウル・プレビッシュ(Raúl Prebisch)の指揮のもと、1949年には、かなりの未発表部分の進展があったと推測された。実り豊かな時代であった。すべてが実践に向かっていた。ラテンアメリカのひとつの論争がマルクス主義諸理論を再創造していた。フランクフルト学派の紹介が行なわれていたし、また、マックス・ウェーバーの理解社会学に関する論争も行なわれていた。アドルノ、マルクーゼ、フロム、パーソンズ、レイモン・アロンたちの著作を読むことは、ラテンアメリカの古典講読とともに、義務付けられていた。マンハイム、パーソンズ、マルクス、またケインズを読むことは不可欠と見なされていた。 このコンテキストにおいて、CEPALは1962年にILPESを創設した。ラテンアメリカ経済社会計画研究所(Instituto Latinoamericano de Planificación Económica y Social, 現在のラテンアメリカ・カリブ経済社会計画研究所、/訳者)である。その目的は、公共行政のためのフレーム形成を助成することである。その所長には、ひとりの共和国人、すなわちスペイン亡命者で、その働きがFLACSOにおいて生産的であったホセ・メディナ・エチャバリーア(José Medina Echavarría)が就いた。スペインでは、彼はオルテガ・イ・ガセット(Ortega y Gasset)と伴に働いた。カール・マンハイムの「イデオロギーとユートピア」、マックス・ウェーバーの「経済と社会」などの翻訳者でもある。彼の「ラテンアメリカにおける経済発展の社会的考察」という文章は開発社会学の論争を提起している。ILPESはひとつの思想タンクに姿を変えた。その内部には、経済学者や社会科学者の多様な世代が存在している。セルソ・フルタード、ペドロ・ブスコヴィック、アルド・フェレール、オスヴァルド・スンケル、アニーバル・ピント、ガルシア・ドゥアクーニャ、ミゲル・ヴィオンチェック、マックス・ノルフ、マルコス・カプラン、エンリケ・オテイサ、エリオ・ハグァリベ、またリカルド・ファンジベル(Celso Furtado, Pedro Vuskovic, Aldo Ferrer, Osvaldo Sunkel, Aníbal Pinto, García D’Acuña, Miguel Wionczek, Max Nolff, Marcos Kaplan, Enrique Oteiza, Helio Jaguaribe o Ricardo Fajnzyber)などである。ダニエル・コスィオ・ヴィジェーガス(Daniel Cosío Villegas:メキシコ大学院大学の創設者) により創刊され、その後、FCE(文化及び経済学基金)によって編集されている雑誌「季刊経済学」は諸論争の舞台となった。その雑誌をめくれば、ラテンアメリカの社会経済学思想の偉大な諸論争のすべてが閲覧できる。
本年(2020年)COVID-19パンデミックの最中、私はWEBINAR(WEBによる会議やセミナー)に招待され、学生として出席した。その経験は実り豊かなものだった。メキシコ国立自治大学のCELA(ラテンアメリカ研究センター:政治学・社会学部)60周年において、ナジャル・ロペス・カステジャーノス所長(Nayar Lopéz Castellanos)にコーディネイトされた国際的集まりには、かくして、若い世代の参加もあり、そこでの作業や仕事ぶりは開催中も拡大していた。また、ラテンアメリカ社会科学会議(CLACSO)のいくつかの作業グループのWEBINARに参加する好機も得た。そこでの諸報告を興味深く味わった。ラテンアメリカ思想に対するコンセプトの厳格さと知識。私はそれらの議論で学んだし、勇気づけられるのを感じた。私たちはオプティミズムのために十分である以上の動機を持っている。ラテンアメリカの批判思想は(現在)人材を得ており、非常に健康な状態にある。われわれ60歳代で、しばしばペシミズムに見舞われるものたちは、一歩前進し、バトンタッチを可能にし、ラテンアメリカ社会科学者たちの新たな振興を助成しなければなるまい。この作業は素晴らしいものとなろう。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。 この訳文を、訳者をあるとき懸命に援助してくださった故カルロス・レヴィ・バスケス教授、元UNAMアラゴン校学長に捧げる。Esta traducción la dedico al Prof. Carlos Levy Vázquez (1951-2013), exdirector de FES Aragón, UNAM .
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
|