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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2023年04月11日10時53分掲載
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アジア
ミャンマー「夜明け」への闘い(27)変わりゆくロヒンギャへのまなざし 西方浩実
6月29日。「正直言うと、私はクーデターが起きるまで、少数民族の人たちよりも国軍の方に親近感を持っていた」。ビルマ族の友人が、そう打ち明けてくれた。「でも今は違う。クーデター後の軍の仕打ちを見て、少数民族の人たちがどんな目に遭ってきたか、ようやく理解したの」。
クーデターなど起こらなければどんなに良かったかと思う。でもクーデターのおかげで、良い方向に変わったことがあるとしたら、それは迫害される弱者への、共感のまなざしかもしれない。
雨季のミャンマー。この国でこの季節を体験するのはもう数回目だけれど、今年になって初めて耳にするようになった言葉がある。「避難民の人たちは、雨の中でどうやって過ごしてるんだろう」「ジャングルに逃げたカチン族の人たち、大丈夫かな」
ミャンマーでは、独立後から70年以上ずっと内戦が起きていた。だから国境近くのエリアには、今ほどではないにせよ、いつもどこかに国内避難民がいたのだ。にもかかわらず、ヤンゴンに住む多数派のビルマ族の人たちが、こうして少数民族を慮る言葉を自然に口にすることは、以前はなかったように思う。まして、ロヒンギャ(注1)にまで同情的になるなんて、誰が予想しただろう。
ミャンマー西部に住む少数派のイスラム教徒、ロヒンギャの人々は、多数派のビルマ族からはもちろん、他の少数民族にすら嫌われていた。私は以前、シャン族やカレン族など少数民族の友人たちに、ロヒンギャに対する思いを聞いたことがある。反応はすべて、否定的だった。「ロヒンギャ」という名前を私が口にした瞬間、彼らは煙を振り払うように顔の前で手を払いながら「ロヒンギャじゃない、ベンガリ(注2」と顔をしかめた。
「彼らはそもそもミャンマー人じゃない。移民だからバングラデシュに帰るのが筋だ」「男性は女性にたくさん子どもを生ませるけど、女性も子どもも大事にしない。ミャンマーとは文化が違う」「軍に攻撃されて追い出された、というけど、あれはやつらの自作自演だ(注3)」、などなど。基本的に「超」がつくほど優しいミャンマーの人たちが、ロヒンギャにだけは厳しかった。私が反論しようものなら「外国人にはわからない」とシャッターをおろされた。確かに、それはそうなのかもしれない。
だから、ロヒンギャに対してクーデター後、ミャンマー人たちの中からFacebookやTwitterで「今までごめんなさい」とコメントが出てきたときには、心底驚いた。そして実を言うと、疑った。本当に、本気で言ってるの?と。
それでも、ミャンマー市民の希望であるNUG(民主派の亡命政府)も「ロヒンギャに市民権を与える」と約束し、それに文句を言う人もいない。いったい、本当に本気で、ミャンマーの人たちはロヒンギャを受け入れようとしているんだろうか?それとも国際世論を味方につけるためのパフォーマンスだろうか?
疑り深い私は、ふたたび同僚や友人を捕まえて聞いてまわった。あるビルマ族の友人はこう話してくれた。「軍がロヒンギャの村に火をつけたり虐殺したりした、というロヒンギャ側の訴えを、私は彼らの自作自演だと信じていたの。でも、違った。同じ立場になってみて、軍の仕業だとわかった。全く同じことが私たちにも起きて、ようやく真実がわかったの。私だけじゃなくて、彼らに謝りたいと思う人はたくさんいると思う」
じゃぁ、彼らがミャンマー国籍をもつようになってもいいと思う? 「うーん・・・そこはイコールではないんだよね。だって、ミャンマー人とロヒンギャは、あまりに違いすぎるでしょう。言葉が違う。文化が違う。宗教が違う。子どもをたくさん生むから、家族観も違う。そして、彼らが移民であることには変わりない。何をもって彼らを『ミャンマー人』と認められるんだろう?」
彼女の指摘はもっともだと思う。公式に認められているだけで135もの民族が、独自の言語や文化を持つミャンマー。ロヒンギャをミャンマー国民として認めるかどうかというのは、「ミャンマー国民とは何か」という壮大な問いに、答えを見つける作業でもある。
別の友人にも聞いてみた。「NUGが、ロヒンギャに『兄弟姉妹のみなさん』と語りかけて、市民権を与えると約束しているけど、それはやりすぎ、という批判はないの?」
彼はこう答えた。「ないと思う。少なくとも僕は見たことがない。もしSNSでそういう投稿があったら、それは軍側の罠だろうね。多くの人が『これは軍の支持者だ、だまされるな』とコメントすると思うよ。そうやって人々の中に分断を生むのは、軍の得意技だからね。今までそうやって何度も、ムスリムと仏教徒との対立がつくりだされてきたんだ」
・・・うーん、でももしかしたら「軍政だけど、ロヒンギャは認めない」という人だっているかもしれないじゃない?私がなおも食い下がると、彼はあっさりと肯定した。 「うん、確かに民主派の人たちの中にも、ロヒンギャを受け入れるところまでは気持ちがついていかない人もいると思う。でも、たとえ意見が違っても、今はNUGを批判すべきじゃないと、みんな思っているんじゃないかな。僕もそう思うよ。今は1つ1つの政策を取り沙汰して仲間割れすべき時じゃない。とにかく団結して軍を排除するのが最優先なんだ」
じゃぁ、軍を排除して民主的な政府になったら、そういう政策の違いで揉めたりする?「そうだね。NUG政府になったら、今は見えない意見の対立が表に出てくるかもね。それは残念なことではあるけど、でも今仲間割れして軍政に屈するよりはずっといい。ロヒンギャ問題には、長い歴史があるんだ。僕たちは誤ったことを信じてきたし、ロヒンギャだってそんな僕らに不信感があるだろう。どういう風にロヒンギャを受け入れるかは、NUG政府のもとで、みんなで考えていかなきゃいけないよね」
その後、ある友人が「こんな記事を読んだよ」と教えてくれた。ビルマ語で書かれたそのオンライン記事には、こんなことが書いてあったという。
もしNUGが政権をとって、ロヒンギャに正式に市民権が与えられたら、(地理的に同じエリアに暮らす)ラカイン族たちは『NUGが受け入れるなら、そちらで引き受けて下さい』と、ロヒンギャをビルマ族のエリアに追い出すかもしれない。そのときNUGは、どうするだろう?ロヒンギャをラカイン州の問題にしてはならない。これは新しい「ミャンマー連邦」の課題だ。ロヒンギャもラカイン族も、その他の民族も、みんなで頭を寄せて話し合おうーーー。
奇しくも、軍事クーデターによってもたらされた、前向きな変化の兆し。クーデターがなければ、ここまで劇的な変化は起きなかっただろう。民主主義を取り戻して、連邦制を築いたら、ミャンマーはきっと以前よりもっと優しい国になる。
がんばれ、ミャンマー。
<注>・ 1。主にミャンマー西部のラカイン州に住む少数派イスラム教徒。「ベンガル地方(バングラデシュ)からの不法移民の集団」と位置付けられ、差別・弾圧されてきた。1982年に施行された国籍法で、ミャンマー国民と認められる135の民族にロヒンギャは入っておらず、選挙権も認められていない。 2・ベンガル地方(バングラデシュ)からきた不法移民であることを意味する蔑称。 3・ロヒンギャは半世紀前から迫害され続けているが、特に国際的に大きな話題となったのは2017年8月。ロヒンギャの武装勢力であるアラカン・ロヒンギャ救世軍(ARSA)がミャンマー政府の軍事拠点を攻撃した報復として、ミャンマーの軍や警察がロヒンギャ掃討作戦を開始。国連調査団によると少なくとも1万人のロヒンギャが無差別に殺戮され、バングラデシュに逃れた難民は合わせて100万人を超える。
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クーデターが起きた直後の2月、ヤンゴン中心部の路上で。プラカードには、ロヒンギャ危機についてこれまで関心を持たなかったことについて「とても悔やんでいる」と書かれている。Twitterに投稿されたこの写真には、ビルマ族をはじめ色々な民族から「その通り」という共感のコメントや、ロヒンギャからの感謝の言葉が寄せられた。(写真はロイター通信より)
NUGの渉外担当Dr. Sasa(上段中央)は、ロヒンギャと積極的な対話を重ねる。正直言うと私は当初、これは人権問題に敏感な欧米諸国へのパフォーマンスだろうと考えていた。それでも『Rohingya brothers and sisters』と呼びかける言葉を聞いた時は、なかなか衝撃的だった(写真:Twitter/Dr. Sasa)
仏教徒とキリスト教徒とイスラム教徒が一緒に食糧支援を行ったときの写真がSNS上で拡散されていた。大きな苦難の中では、人種や宗教の壁が、相対的に小さくなるのかもしれない(写真:Unknown Image)
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