昨年亡くなったフランスの哲学者ブルーノ・ラトゥールは世界で最も言及される知識人の一人だと言われている。晩年の2017年に出版された『どこに着陸するか? 政治をどう舵取りするべきか』という比較的短い書は、日本では『地球に降り立つ――新気候体制を生き抜くための政治』(新評論 2019年:川村久美子訳)という邦題で刊行されている。この書がどのくらいの人に読まれたかわかりらないが、最初の1頁から圧倒的な力で引き込まれてしまうパワーを持っていて、彼がなぜ世界で注目されているか、それを自ら理解できた。
それは実に衝撃的な「仮説」で、ある種の人びとには不愉快かつ不都合な仮説であろう。本書の独特の着眼は、世界の新自由主義革命が1970年代から始まったということに加えて、気候変動の問題をそこに加えてみるべきだ、と述べているところである。それは、世界の政財界のエリートたちが3つのことを意識的に始めた、という「仮説」である。
①グローバリゼーション、②規制緩和、③地球温暖化の否定 の3つである。
これは3つそろえてみなくては、世界で今起きていることの真相が見えてこない、というのがラトゥールの見立てである。恐るべきことは、1970年代あたりに世界の政財界のエリートたちは、人口爆発や地球の限界を冷徹に理解し、もはやみんなが富を分かち合うのは不可能だと考えるに至った、というものだ。今世紀中に人口は100億を突破するとも言われている。これらの人々が皆、「アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ」を追い求めたらまさに限界を超えるだろう。こう考えたエリートたちは、世界の人びとで富を分かち合う、という思考を捨て、世界がどうなろうと知ったことか、自分たちだけでも生き延びよう、という方針に代わったのではないか、というのである。そこで始まったのが規制緩和であり、グローバリゼーションだった、というのだ。双方の結果が貧富の格差の拡大であり、移民の増大だった。気候変動で暮らせなくなる人びとはこの先激増するだろう。サハラ砂漠も100年で10%拡大しており、難民たちは地中海を越えて欧州入りを目指す。
これに対して、わかりやすい例がトランプ大統領の排外主義的な政策であり、メキシコとの国境に壁を作ることだった。有色人種の移民の流入を防ぎ、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフは米国人だけの「アメリカ・ファースト」の富なのだ、ということである。これは日本でもフランスでも極右勢力が台頭していることと通底している。仮説によれば、それには世界的な理由があったのである。とはいえ、極右政治家や極右政党を支持している先進国の人々の多くも、自分がいずれは時間の問題で、移民の次に切り捨てられる側にいるのではないかと考えてみるのはよいだろう。
このようにしてみると、最初に地球の限界性に気付いた政財界のエリートたちが、そのことを秘めたばかりか、むしろ否定する言説を拡散しつつ、その間に世界の富をかき集めてしまう、ということである。トランプ大統領の時代、米国はCOP21(パリ協定)から2019年に正式に離脱した。つまり、人類全体を視野に入れた政治がすでに破綻した時代に私たちがいるのではないか、というのがラトゥールの仮説なのである。近年、政治家たちが庶民に苛酷な政策を冷徹に行えるのはなぜか?と思う人は多いだろう。この仮説によれば、地球の限界から逆算して、生き延びることができ、生活水準を維持できるのはごく一握りしかできない、ということが暗黙の了解となった可能性もある。もはや第三世界や先進国でも庶民の貧しい末端まで幸せを保証することなどは支配的な政治家たちはそもそも考えていないのだ。もう捨てられているのだ。
この仮説が事実なら実に恐るべきことだが、私は安部公房が書いた『方舟さくら丸』(1984)という小説を思い出した。安部は核シェルターに入れる人間を選抜する、というこの小説を通して、未来のファシズムを描こうとしたのである。それはシェルターに入れる選ばれた人間とそうではない人間の選別である。しかし、結果的にその試みが失敗することを安部は描いた。医学を学んだ科学者でもあった安部は、すでにこの頃、地球の限界性について気がついていたのかもしれない。政財界のエリートたちが気づいていたなら、安部が気づいていなかった理由はあるまい。
ラトゥールは、この政治の不在をどう克服すべきかを語っている。しかし、この3つの現象を1つとして見る見方を一度、まずは考えてみる価値があるのではないだろうか。
※Bruno Latour - Ou atterrir ? : Comment s'orienter en politique
https://www.youtube.com/watch?v=IIltiQWncN4
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