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Special

特集

鎌田慧が見た三里塚 閣議決定40年後の現実




第7回(最終回) 石井紀子(53)さんに聞く 「空港は永遠に未完成のままに」
午後7時過ぎになると、離着陸のラッシュ状態となる。インタビューは、屋根の上をかすめる騒音によって、ときどき中断された。この騒音に耐えて生活するのは、並大抵な苦痛ではない。 (2006/12/06)


第6回 石井紀子(53)さんに聞く(上) 闘争のために来たのに風呂たき、冗談じゃないわよって(笑)。
  かつては、「微生物農法の会」からはじめられた「ワンパック運動」は、空港反対運動にささえられ、開港後も、6軒の生産者の野菜が、およそ1600世帯に配送されていた。が、その後、生産者はそれぞれ独自な道を歩くようになって、いま、「ワンパック」は、石井恒司・紀子さん夫妻によっておこなわれている。 (2006/11/26)


第5回 石井恒司(58)さんに聞く(下) 頑張りのための頑張りではなくてね
石井恒司さんは、4回か5回逮捕された青行隊のメンバーだったが、いまは、これまで紹介してきた、島村昭治、小泉英政、柳川秀夫さんとは違った感じで、どこか諦観が漂っている。それが運動の退潮をあらわしている。そうかといって、わたしにも、これからの方向をだせる能力があるわけではない。(鎌田)(2006/11/14)


第4回 石井恒司(58)さんに聞く(上)  「過去のことといっても、機動隊に追っ掛けられている夢か、拘置所で寝ている夢か」
東峰部落で、お昼を食べた。ワンパック「共同出荷場」の建物のすぐ横に、12メートルもの高い塀が張りついていて、そのむこうは、ジャンボジエット機が2180メートルの「欠陥滑走路」にむかう、誘導路になっている。だからひっきりなしに重いエンジンの音が響いてきて、巨きな尾翼を立てたジャンボジェット機が自走していくのが感じられる。そのあと、離陸する轟音が殴りつけるように襲いかかってくる。(2006/11/06)


第3回 島村昭治(59)さんに聞く  国家といえども礼節を尽くせ!
 空には階段がある。その階段をガタガタ震動させながら、エンジンを全開させたボーイング777が急上昇していく。幅のひろい巨大な鉄板を、強引に引きずりあげる重い摩擦音。その最大音響が通り過ぎる瞬間、船底のように幅のひろい白い胴体が、瓦屋根のうえの空気を圧し潰していくのが感じられる。空路の直下、島村昭治(59)さんのお宅で土間のテーブルにむかいあって座り、轟音の暴風が過ぎ去るのに耐えている。話しはポツンと中断されたままだ。不安に包まれた奇妙な沈黙。目を伏せ、黙りこむしかない。(本文より)(2006/10/30)


第2回 柳川秀夫(58)さんに聞く 「大きく、大量に、ではない社会をめざす運動のはずだった」
  秀夫さんは、「ヤナ」で通用する青年行動隊の中心メンバーで、逮捕された経験が数多い。居間の長押(なげし)には、芝山町「宿(しゅく)」部落を開拓した、という祖父の肖像画が架かっている。「長い時間だったなあ。でも、おれにとっては、まだ闘争中だからよ(笑い)。ふつうのひとは、さっさとケリつけてよ、平和に生きているよ。結果的には、ひとり、といえばひとりだからよ、反対同盟というのは、組織としてはもうねえんだから」「まちがっていることがわかっていてもよ。自分でいったん決めると、あとにひかねんだ。負け惜しみの家系でよ、それがまだ、治らねんだ。それに、過去のことを懐かしむのは嫌れいなんだ」(本文から)(2006/10/23)


第1回 小泉英政(57)さん 三里塚に座りこんで、みみずになった
 すわりこむと
  ごみがよく見える

  すわりこむことは
  ごみの低さに
  ちかづくことだ

  『日本反政治詩集』(向井孝ほか編、1973年刊)に収められてある、松浦英政の短章である。33年ほど前に、非暴力抵抗運動のなかで書かれたものだ。その延長として、彼は三里塚にやってきて、移り住み、連れ合いの美代さんとともに、「貧農」といわれていた小泉よねさんの養子となった。
  それ以来、空港に取り囲まれた「東峰(とうほう)部落」で百姓をつづけている。若い日の透徹したこの詩には、静かな目線が感じられる。「松浦英政」は、この詩を裏切ることなく、三里塚に座りこんでいる。(2006/10/16)


運動にかかわったものの責任として=連載をはじめるにあたり=
   1966年7月4日、日本国政府は千葉県三里塚の地に空港をつくることを閣議決定した。そこにくらし、土を耕す人たちにとって“寝耳に水”の出来事だった。現在の成田国際空港、当時は正式名称を新東京国際空港といった。高度経済成長真っ只中の日本が世界に打って出るための象徴的存在と位置付けられ、くらしと農業を守ろうと立ち上がった人びとの抵抗をけちらして建設が強行された。それは国策と人権、コンクリートと土のたたかいでもあった。それから40年、いまも空港と対峙し、土を耕す人びとがいる。その人たちの今を生きる思いを、たたかいの同伴者として、表現者としてかかわってきた鎌田慧さん(ルポライター)が、自らの思いを重ね合わせながら綴るシリーズ−。(2006/10/09)








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