雑誌「ワイヤード」日本語版の、「読むを考える」のシリーズから、ヒントになったことをメモしている。(ロンドン=小林恭子)
ご関心のある方は、以下が元記事です。
「本」は物体のことではない。それは持続して展開される論点やナラティヴだ – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2(ケビン・ケリーのインタビュー)
http://wired.jp/2012/01/28/future-of-reading-kevin-kelly/ 「雑誌」とは何だ?とずっと自問自答している。その答えは、いまも出ていない – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2(クリス・アンダーソンのインタビュー)
http://wired.jp/2012/01/29/future-of-reading-chris-anderson/ そして雑誌はやがてアンバンドル化する – 読むが変わる from 『WIRED』VOL.2(小林弘人さんのインタビュー)
http://wired.jp/2012/01/30/future-of-reading-kobayashi-hiroto/
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まず最初が「ワイアード」の元編集者で、サンフランシスコに住むケビン・ケリー氏の話。本好きのケリー氏は、最近、読み方が変わってきたという。アマゾン・キンドルで読むことが多くなったからだ。
同氏は、「読み物とインタラクトしたい動的なタイプの読者」なのだという。「書き込みをしたいし、カット&ペーストしたいし、読んだものを『シェア』したい。タブレットの登場によって、こうしたことがより簡単になった。つまり読書は『ソーシャルな行為』になったと言える」。
私自身は、映画についてはこんな思いを強く感じるが、本についてはそういう感情を持ったことがほとんどないがー。
私にとって話が広がってゆくように思えたのは、ケリー氏が、本は紙だけでなく、電子書籍にもなる、つまりフォーマットが変わると、「『本とはなんだ』という再定義が必要になってくる」と考えていること。
「『本」は、その物体のことを指しているわけではない。『本』とは、持続して展開される論点やナラティヴ(語り/ストーリー)のことだ。雑誌も同様だ。ぼくが考える『雑誌』とは、アイデアや視点の集合体を、編集者の視点を通して見せるというものだ」。
「雑誌=アイデアや視点の集合体を、編集者の視点を通して見せる」-改めて、はっとする、つかみ方だ。
「かつて読書という行為はソーシャルなものだった。字が読める人が少なかった時代、読書は読める人が読んで聞かせる行為だったからだ。そしていま、読むという行為は、またソーシャルなものになりつつある」
「テキストや本はネットでシェアされ、テキスト同士はハイパーリンクでつながっている。グーグルがこの世のすべての本のスキャンを実現できたら、巨大なヴァーチャルの図書館ができる」。
ケリー氏は10年後には、(紙の)本そのものが無料になる、という予測も出している。
次に、「ワイヤード」編集長クリス・アンダーソンの話。
「ワイヤード」のアイパッド版を作るとき、制作に相当苦労したという。しかし、それ以上に大変だったのが「読者がいったい何を求めているのかを見極めることだ。画面は横向きがいいのか、縦がいいのか。そもそも表紙は必要なのか? 読者はテキストを『読む』ことを望んでいるのか? どのくらいの頻度で出版すべきなのか? どうマーケティングするのか? 適性な価格は? つまり『雑誌』とは何なのだ?という質問」を自問自答し続けたという。こうした疑問の答えは、「いまなお出ていない」と告白している。
アンダーソン氏は、「社会が複雑になればなるほど、キュレーターやガイドの必要性は大きくなると見ている。そういう意味では『雑誌』の役割は変わらないと思うし、編集者の役割は、むしろますます大きくなってくると思う。雑誌をクラウドソーシングでつくるなんていう話はナンセンスだとぼくは思っている」。
最後は、旧『WIRED』日本版編集長、デジタル・クリエイティブ・エージェンシーinfobahn代表取締役の小林弘人の話。
小林氏の本(の1つ)を、実は私も持っている。『新世紀メディア論』という本で、読みながら、大いに刺激を受けた。小林氏は日本の電子書籍の現状と未来を聞かれる。非常に示唆に富む答えがどんどん出てくるのだが、まず、
「自分が監修した本がeBookになったり、仕事で出版社の人とかと会うなかで見聞きしてるのは、100万部のミリオンセラーが電子書籍では50万円しか収益がないというような状況です。ニッチどころじゃなくて、マーケットが存在していないということですね」。
やっぱりなあ・・・と。しかし、米国でも「Kindle前夜は同じ状況でしたから、いまの段階でマーケットが成り立たないと同定するのは時期尚早だと思います。基本これはプラットフォーム戦争なので、ハードの問題は二の次。『アマゾン』というすでにぼくらが日々利用しているプラットフォームがあるので、あとはKindleが出てくるのを待つばかり、という状況だと思います」。
eBookに向いたあるいは向かないコンテンツというのは、「ない」という。「大事なのは読書体験で、それはデヴァイスに作用されるものではない」。
「最も存続が危ぶまれるのは、フローでもストックでもなく、その中間にある紙の雑誌です。一部の雑誌以外はすべてウェブに取って代わられることになるだろうと思いますね」。
残ってゆく雑誌の形とはどんなものか?これに対し、小林氏は、「最良のかたちにおける雑誌を、ぼくはソフトでもない、ハードでもない『マインドウェア』という言い方で呼んでいるんですが、これは心に浸透していくようなもののありようを指しています。そういうものとして読者が雑誌を認知できるなら、その雑誌は残っていくでしょうね」。
この「マインドウェア」というのは、英国では新聞関係者がいうところの「ブランド」にも通じるのだろうか?たとえば、経済紙フィナンシャル・タイムズだと、市場経済の信奉、世界の隅々を主に経済を軸に、しかし政治・社会面の要素も忘れずに追う・・などなどの特徴があって、読むほうもこうした特徴があることを知って、それに共鳴してあるいは予想しながらページをめくる、など。 ものを見るときの一定の姿勢というか、考え方があって、それにひっかっかったトピックを紙面にちりばめているわけで、これを読者も期待して・予測して、特定の新聞を手に取るのであるー。
最後に、出版業の将来はどうなるのだろうか?小林氏はこんな風に述べる。
「今後、コンテンツを提供する人は出版社のような仲介業を抜きに活動できるようになっていくでしょうね。村上春樹やスティーヴン・キングなんかは、もう出版社なしでも活動できるはずです。誰かが彼らのデジタルマーケティングやリーガルのコンサルをやって自前でeBookを取り扱えるようになったら、出版社はいよいよ立つ瀬がないと思いますよ。ぼくはCursorっていう出版プラットフォームに注目していますけど、彼らはクラウドソース・出版社なんですね。これは非常に21世紀的なスキームだと思います。電子書籍をめぐる状況はいま本当に過渡期で、そうであるがゆえに面白い。編集者や書き手が、自前で新しい出版ビジネスを立ち上げるのに、いまほど面白いタイミングはないと思いますね」。
なんだか、勇気が湧いてくるようなコメントである。(ブログ「英国メディア・ウオッチ」より)
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