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2013年02月15日19時36分掲載
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欧州
欧州とイスラム教 ―ローマ法王の問題発言とはなんだったのか
ローマ法王ベネディクト16世(85)が、11日、今月末で退位すると表明した。その8年間の在任中に注目された数々の事件の1つに、2006年、イスラム教の教えを暴力と結びつけたビザンチン帝国皇帝の発言を引用し、世界中のイスラム教徒から反発を受けた一件があった。欧州の中でもイスラム教徒の国民が増えており、ドイツ出身の法王の発言はイスラム学者とキリスト教関係者の大きな議論の的となった。当時の記録から、事件とその論点を振り返ってみる。(ロンドン=小林恭子)
バイエルン出身のベネディクト16世の本名はヨーゼフ・アロイス・ラッツィンガー。ナチスを嫌っていた警察官の父の下、司祭になることを願っていたが、14歳で、当時ドイツ国内で加入が義務付けられていたヒトラー青年団に入団。戦後神学校で学び、司祭になった。
神学博士号を取得し、ミュンヘン大学などで教鞭を執った。2002年、主席枢機卿に任命、05年、先代のヨハネ・パウロ2世が死去し、法王選挙会(コンクラーベ)で第265代の法王に選出された。ドイツ人の法王就任は950年ぶりだった。「超保守派」と言われ、避妊、中絶、同性愛に反対の立場をとってきた。
―イスラム教徒を「侮辱した」発言とは?
06年、ローマ法王のイスラム教にかかわる発言が大きな波紋を呼んだ。
当時、2001年9月11日の米大規模テロ発生から数年たち、イスラム教を暴力やテロと結びつける論調が米国のみならず、欧州でも高まっていた。
世俗主義(宗教と政治を分離させる)が進んだ西欧諸国だが、過去にはキリスト教が何世紀にも渡って社会の中で中心的な役割を果たしてきた。
増えるイスラム教徒の国民とのきしみが様々な形で目に付くようになり、オランダでは04年にイスラム教を批判する映画を作った映画監督が、白昼、イスラム教狂信者の男性に殺害された。06年年頭には、デンマークで、イスラム教の預言者ムハンマドなどを描いた諷刺画が世界中で波紋を呼んだ。
2006年9月12日、ドイツの大学で行った、法王のレクチャーが世界のイスラム教徒たちの反感を買った。法王の発言内容と、その影響を私が当時、記録した文章からたどって見る。(名称の一部と日付は、06年9月当時のものであることをご了解ください。)
レクチャーのタイトルは「信仰、合理性、大学 −思い出と反省」である。
「14世紀、ビザンチン帝国皇帝と知識層のペルシア人の男性との会話」を、法王はレクチャ−の中で紹介した。イスラム教や預言者ムハンマドに関して否定的な言葉を使っているのは、この皇帝だ。「14世紀の皇帝はこう言っている」と法王は言っているのであって、法王自身の思いを直接表現したのではなかった。
皇帝は、宗教と暴力の一般的な関係について話し出す。ムハンマドがもたらしたものは「悪と非人間性だけだ」として、具体例として、信仰を「剣で(注:つまり暴力で)広げた」としている。
暴力を使って信仰を広げることがいかに不合理なことか、と皇帝は説く。「神の摂理や自然の摂理は暴力とは相容れない」、「宗教指導者は、暴力や脅しを使わずに上手に話し、適切に説いて人を納得させるものだ」。
「理性に沿って行動をしないと神の摂理に反する。これが暴力反対への根拠だ」と続け、「皇帝にとってはこのことは自明のことだが、イスラム教の教えでは、神は全てを超越するので、神の意思は、理性的活動も含め、私たちが考えるいかなる範ちゅうによっても制限されない」―。
レクチャーから3日後の15日の夜、英テレビを見て反応を追った。24時間のニュース局スカイテレビは視聴者からの電話を受けつけ、そのBBC版は、イスラム教側、キリスト教側のコメンテーターを招き、意見を聞いていた。
キリスト教側のコメンテーターは、「カトリック教のトップとして、自分が信じることを言ったまでだ。当然だ」と言い、ローマ法王庁が「イスラム教批判の意図はなかった」とするコメントを紹介した。
イスラム教側は「ムハンマドと暴力のことを言うなら、なぜキリスト教の十字軍のことも同時に言わないのか。バランスがおかしい。したがって、イスラム教徒への攻撃だと言っていいと思う」。
―欧州とキリスト教
今、欧州では、欧州=キリスト教文化、と言い切ってしまうことは一種のタブーとなっている。地理的にも欧州がどこからどこまでなのかが自明ではなくなっている。
例えば、EUに加盟を希望をしているトルコ。国民の99%近くがイスラム教徒だ。しかし政教分離の国。トルコは欧州と言ってよいのだろうか?
16日朝、BBCのTODAYというラジオの番組で、イスラム教学者タリク・ラマダン氏とウエールズのカーディフ大司教ピーター・スミス氏がインタビューを受けていた。
以下は一問一答の抜粋である。
―レクチャーに怒りを感じているか?
ラマダン氏:怒りを感じない。全体の文脈の中で考えるべきだ。最善の言葉ではない、と思った。14世紀の言葉を引用している。こんなことをする正しいときではないし、正しいやり方ではない。私たちは落ち着いて、合理的にこの問題を考えるべきだ。法王はジハードなどの問題を問いかけている。もっと重要なことにはイスラム教の合理性と欧州の伝統に関して話している。ただ、やり方がよくない。
―(暴力を用いるジハードに対する)問い自体は正しいと思うか?
ラマダン氏:もちろんだ。イスラム教の名の下で、ジハードということで人を殺す人々が世界中にいる事態に、イスラム教徒たちは直面している。米国だけでなくイスラム諸国でも起きている現象だ。
こうした人たちに対し、私たち(=イスラム教徒たち)は、ジハードは「聖なる戦い」でなく、抵抗のことであること、心の中の抵抗であること、抑圧されている状態での抵抗であることを明確にしなければならない。しかし、戦争の倫理性というのがイスラム教の中にあるので、これも説明しないといけない。それにしても、法王は、引用を使ってイスラムにはジハードの問題があると言っておきながら、何故そうなるのかなどを言わないので助けにならない。
―イスラム教を攻撃しているわけではない、ということを、法王がもっとはっきりさせるべきだったと思うか?
スミス氏:もちろん、イスラム教を攻撃していたわけではないし、それが目的ではなかった。
レクチャーはかなり学問的だと思った。「信仰と合理性(faith and reason)」というのは彼が長年考えてきたテーマだった。私が見たところでは、数世紀に渡り、宗教のために暴力を使うことが正当化されるべきかどうかを議論していた、ということを指摘したかったのだろう。もちろん、結論は、「正当化されない」、ということだ。どの宗教にもいえることだが、もし合理性を失えば、信仰は暴力的、狂信的になる、と。
―前任の法王がイスラム教も含めた全ての宗教の信者とともに祈ったときに、現法王は複雑な気持ちを抱いていた、と聞く。また、まだ法王になる前、トルコがEUに入ることに反対していた、という。人々が法王の真意について疑わしい思いを抱くのも無理はないのでは。
スミス氏:不幸なことだ。彼には以前会ったことがあるが、正直な人物だ。ものごとをよく考えている。トルコのEUの件は、欧州の地理的な範囲を指していたのだろう。
―いや、欧州を地理的でなく文化的集合体と見ていた、と聞く。キリスト教文化のルーツがあるのが欧州、と言っていた、という。
スミス氏:法王は欧州に関していろいろ前から書いている。欧州はいろいろ変わったが、キリスト教的価値観に基づいて作られた。トルコや東欧はイスラム教的価値観が強い。法王が言いたかったのは、異なる文化の間で議論があるべきだ、ということだった。
―欧州の文化の議論についてどう思うか?
ラマダン氏:これは深い問題だ。法王になる前、欧州のアイデンティティーに関して(否定的な)態度を持っていた人物だ。
このレクチャーでも、もし宗教と合理性を切り離せば暴力に通じる、といっている。しかも、この箇所はイスラム教の伝統は合理性とつながっていない、と言った後に来る。
これは一体どういう意味か?イスラム教は欧州の中心となるアイデンティティーの外にあるということか?トルコさえも、この伝統の一部ではないということだろうか?この見方は危険だし、間違っている。欧州はキリスト教の伝統だけの場所ではない。イスラム教の伝統も入っている。
―つまりあなたは、法王が、イスラム教が合理的な宗教でないと言っている、と見ているのか?キリスト教的見方からすれば、ということだが?
ラマダン氏:(そうだ。)法王は、キリスト教的伝統が合理性とつながっているほどには、イスラム教的伝統は合理性と結びついていない、と言っている。これは間違っているし、多元的価値の欧州の将来にとって危険な考えだ。イスラム教を合理性の範囲の外に置くことで、欧州の範囲の外に置いている。危険だ。
―同意するか?
スミス氏:ラマダン氏の指摘した点が重要だということは認めるが、意見には同意しない。欧州・キリスト教の伝統では哲学や神学は一緒に働くが、私の印象では、イスラム教の伝統ではそうはならない。
ラマダン氏:それは真実でなく、そういう印象がある、ということを言っているにすぎない。
―もし法王が、イスラム教が欧州の伝統の枠の外に存在し、宗教としては合理性とかけ離れている、と解釈しているとすれば、こちらの方がものすごく重要な問題だが。
スミス氏:だから、私はその点ではラマダン氏の意見に合意しない。法王が言っているのは、2つの異なる宗教的伝統が発展してきた、と。現在のような政教分離の欧州の文化の中で、私たちがしなければならないのは、それぞれの文化や伝統が互いをどう見ているのかを理解することが重要だ、といっているのだと思う。
***
17日オブザーバー紙の記事(「Pope Benedict’s long mission to confront radical Islam」)によると、「ベネディクト法王は、キリスト教徒とイスラム教徒の間の対話を心の底からすすめようとしている。しかし、テロの暴力と、一部のイスラム教徒の指導者たちがこれを支援していることが、対話の大きな障害になる、とも思っている」。
「9・11テロの後の法王(当時はまだ法王ではない)のコメントが、こうだった。『このテロとイスラム教を結び付けないことが重要だ。関連付けは大きな間違いだ』とバチカン・ラジオに語った。しかし、その後すぐに『イスラム教の歴史には、暴力の傾向がある』と。」
「『イスラム教には(暴力に向かう傾向を持つ流れと)、神の意思に完全に自分をゆだねるという流れがある。(後者の)ポジティブな流れを助けることが重要だ。もう一方の流れに打ち勝つ十分な力を維持するために』と」
「現在の法王にとって、主な対決相手は、攻撃的なイスラム教過激主義と政教分離が進む西側社会だ」。
***
法王は、2007年、就任後初めてトルコを訪れている。前年のジハード批判に反発するデモが発生したものの、トルコの政治指導部と会談。首都イスタンブールの「ブルーモスク」を訪問した後、正教会のコンスタンディヌーポリ総主教庁も訪れた。レクチャーでイスラム諸国から反発を食らったものの、キリスト教とイスラム教をつなぐための努力をしたのであった。
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