岩波現代新書から出ている山口定著「ファシズム」ではドイツ、イタリア、日本が第二次大戦において、それぞれどのようにファシズム化していったかが比較分析されている。このところ、日本の特定秘密保護法案に危惧を感じる人々が、現行の憲法を骨抜きにする政権党の手法はナチの「全権授与法」を手本にしたものだと指摘している。それはどういうことなのか?そこで「ファシズム」から、そのくだりを読んでみたい。
「ファシズムの政治体制の第一の形式的特徴は、執行権による独裁、つまり、政策決定過程からの国民代表機関(議会)の排除にある。ナチス・ドイツの場合には、有名な授権法(もしくは全権授与法〜1933年3月23日国会可決)によって、執行権独裁体制の法的基礎が築かれいる。同法は、わずか5カ条の簡単な法律だが、そこでは、ドイツ国政府が議会を全く無視して法律を制定できること(第一条)、その場合の法律は、国会と参議院を廃止し、大統領権限に手を触れるようなものでない限り、憲法違反の内容のものであってもかまわないこと(第二条)、外国との条約についても議会の同意は必要ないこと(第四条)が定められていた。」
第三条についてはここでは触れられてない(※ウィキペディア「第三条は、大統領にかわって首相(アドルフ・ヒトラー)が法令認証権を得たことを示す」)。山口教授の指摘によると、この全権授与法は基本的には政府が国会を無視して自由に立法する権限を得たことと、さらには憲法違反の立法をしてもかまわない、という点が特筆に値する。そして第五条はこの全権委任法が当初は4年間の時限立法であったことだ。しかし、ナチスはその崩壊まで4年ごとに更新を続けていった。
山口氏の記載に多少加味して、繰り返すと次の内容である。
�.疋ぅ長饑�府が議会を全く無視して法律を制定できること(第一条) �△修両豺腓遼[Г蓮�国会と参議院を廃止し、大統領権限に手を触れるようなものでない限り、憲法違反の内容のものであってもかまわないこと(第二条) �B臈�領にかわって首相(アドルフ・ヒトラー)が法令認証権を得たこと(第三条) �こ姐颪箸両鯡鵑砲弔い討盖腸颪瞭碓佞鷲�要ないこと(第四条) �ィ看�間の時限立法であること(第五条)
たったこのわずか5条でワイマール憲法は永久に死滅してしまったのである。
「このように、執行府が議会を無視して広範な立法権を直接に行使するという執行権独裁の体制はファシズム体制の特徴の1つである」
ナチスは全権授与法に基づいて、一党独裁体制を敷いた。この一党独裁もまたファシズムの特徴である。
「ファシズムの政治体制の第二の形式的特徴である一党体制についても、ナチス第三帝国の場合が最もはっきりしている。ヒトラー内閣成立から五カ月半を経た七月一四日の日付をもち、わずか二カ条からなる「政党新設禁止法」は、「ドイツには唯一つの政党として国民社会主義ドイツ労働者党が存在する」(第一条)ことを確認したうえで、「それ以外の政党の組織的結束を維持しようとしたり、新たな正当を結成することを企てる者は、・・・・三年以下の懲役もしくは、六カ月以上三年以下の禁錮に処せられる」(第二条)ことを宣言している。」
麻生副総理がナチスから学んだというのはこのようなプロセスであろう。ワイマール憲法を改憲しなくても、全権授与法によって政府が国会の上に立ち、もはや法のコントロールを受けないばかりか、自ら法律を自由に制定することができるようになった。さらに、その法律も違憲であってもかまわない。つまり全権授与法によって実質改憲を実現できたことになる。ヒトラーはこの全権授与法を国会で通すために、ドイツ国会議事堂放火事件を自ら起こして、緊急大統領令を発令させ、あらかじめ反対政党の議員たちを根こそぎ逮捕していた。もし麻生副総理らがナチスから学んでいるのなら、3年後の次期衆院選までに「特定秘密保護法」を基盤にして、さらなる行動を起こすかもしれない。つまり特定秘密保護法は入口に過ぎない可能性が高い。
日本でもまた一九三八年(昭和一三年)四月一日公布の国家総動員法があった。これは国家総動員の必要があるときは議会を無視して政府が「勅令」という形式でありとあらゆる「人的資源」と「物的資源」を動員するための立法行為を行いうる体制を作ったとされる。
今、日本の参議院で議論されている特定秘密保護法案も、政府・国家の裁量一つでどのようにでも運用可能で、国民の権利を侵害しうる点で日本国憲法に違反する内容である。改憲をせずとも、法律1つで実質的に日本国憲法を骨抜きにしてしまう。安倍首相が提唱する「戦後レジームからの脱却」が戦前回帰である以上、「国家総動員法」もまた現実的な可能性を帯びてきた。つまり、ファシズムとは戦争を行うために政府が国家のリソースを総動員できる体制なのである。 平たく言えば戦争とは非常事態であって、戦争に勝つためには人権とか民主主義みたいな生ぬるいことは言っていられない、ということだろう。これはアメリカで9・11同時多発テロが起きた後に現実的に起きたことでもある。
「(ハンナ・アレントによれば)暴力とは、説得、および、相互信頼にもとづいて「共に活動する」という人間の習慣、このふたつがともに破綻していることを示している・・。したがって、戦争とは、カール・フォン・クラウゼヴィッツがかつてわたくしたちに信じ込ませようとしたような「別な手段をもちいた政治の継続」などではない。むしろ戦争とは、非常に現実的かつ恐るべき意味での、政治の破綻にほかならない」(政治学者バーナード・クリック)
政治学者B.クリックの言葉を引用すれば、戦争とは政治の破綻であり、その意味で戦争のための体制であるファシズムもまた政治の破綻なのである。
■ウィキペディアから「全権委任法(全権授与法:授権法)」
「1933年1月30日に成立したヒトラー内閣最初の閣議でも、一定の授権法制定が議題となった。その後ヒトラーはまもなく国会を解散し、4年間の政権委任を訴える選挙キャンペーンを行った。この選挙中の2月27日にドイツ国会議事堂放火事件が発生した。ヒトラーは大統領に要請し、共産主義暴動の発生に対応するためとして、2つの大統領緊急令「民族と国家防衛のための緊急令(de)」と「ドイツ国民への裏切りと反逆的策動に対する大統領令(de:Verordnung des Reichspräsidenten gegen Verrat am Deutschen Volke und hochverräterische Umtriebe)」を布告させた。ヒトラー政府はこの二つの緊急大統領令の権限で、国会議員を含む多数の共産党員・ドイツ社会民主党員を逮捕・予防拘禁した。また州政府への命令権限を利用し、州政府を次々に掌握していった。選挙の結果、ナチスは288議席、連立を組む国家人民党は52議席を獲得し、過半数を獲得した。全権委任法制定を待つまでもなく、ナチ党はこの段階でほとんど絶対的な権力を手にしていた。
3月7日の閣議でヒトラーは、憲法の範囲を超える全権委任法の制定への意志を表明した。ヒトラーは国会での採択に自信を見せ、「共産党の議員が国会に現れることはないであろう」「彼らはあらかじめ拘禁されてしまっているのだから」と続けた。」
※全権委任法(ウィキペディア) 第一条は、立法権を国会に代わって政府(ヒトラー内閣)に与えたものである。 第二条は、政府立法が憲法に優越し得る(違背し得る)ことを定めたものである。この条文には国会・第二院・大統領の権限に関する留保事項が存在しているが、法学者ウルリヒ・ショイナー(ドイツ語版)らは留保事項は従来の憲法でなく、将来制定される憲法に基づくものであると解釈し、制限は極めて限定されたものだと解釈している[33]。 第三条は、大統領にかわって首相(アドルフ・ヒトラー)が法令認証権を得たことを示す。 第四条は、外国との条約を成立させる際、議会の承認が必要ではないことを確認したものである。 第五条は、この法律が時限立法であったことを示す。
■山口定著「ファシズム」(岩波書店)
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201307301109292
■ファシズム研究の山口定氏、亡くなる
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=201311290547175
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