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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2015年05月14日13時44分掲載
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文化
【核を詠う】(183) 齋藤芳生歌集『湖水の南』から原子力詠を読む(1) 「連翹の枝を挿すなり父祖の土地の放射線量を測るかわりに」 山崎芳彦
今回から福島市に在住する歌人の齋藤芳生(さいとうよしき)さんの歌集『湖水の南』(本阿弥書店、2014年9月刊)から、原子力にかかわる作品(筆者の読みによる)を抄出し、記録させていただく。作者の齋藤さんは『湖水の南』について、2010年から2014年にかけて発表した作品を収めていること(編集にあたり大幅な改編や改作を行い、未発表の歌も何首か加えた)、また彼女が東日本大震災が起こったその日に東京の編集プロダクションで働くため面接を受けていて、採用が決まったことからその後の約2年半を東京で過ごすなかで歌った作品が多いことを、「あとがき」で明らかにしている。同歌集は、原発事故により被災した福島についての作品を冒頭に置いているが、大震災・原発事故によって苦悩する福島への作者の思い、視座のありようを歌集の構成によって示しているものと思いながら読んだ。
歌集に収められている作品は、作者が中東のアブダビで日本語教師として過ごした三年間のことをテーマにした作品、東京で過ごした「仕事はもちろん、短歌を通して多くの人と出会い、さまざまな場に作品や文章を発表する機会をいただいた、実に充実した時間」であったとともに「故郷を離れてしまった後ろめたさを抱えたままの二年半」に歌った作品、そして故郷に帰って歌った作品などを、時と位置を交錯させて構成されているが、いずれも筆者を魅きつける。作者自身と深く、確かに、時には濃淡さまざまにつながって存在するものやこととの真摯な交流によって紡がれた個性的な短歌表現が持つ力だと筆者は感じている。 それは作者の、大震災・原発事故によって苦しみながら生きている人々の現実への向かい合いとともに、作者の現在を在らしめている作者の「福島」の過去と現在を「詠う」営為の重さと深さによるのだろう。歌集名は、故郷である福島の作者にとっての原風景であろうか、猪苗代湖の南岸の祖父母たちが生きた歴史とのかかわりを象徴しているのだろう。歌集には献辞として「祖父たちへ。祖母たちへ。」とある。「この福島という土地をつくりあげてきたたくさんの祖父たちへ、祖母たちへ、心からの敬意と感謝を捧げます。あなたたちの福島は深く傷ついてしまったけれど、確かに今も、ここにあります。」(あとがき)と記した作者の心の奥に満ちている思いが、これからも短歌作品として磨かれ蓄積され、福島から発信されていくことを待つ者の一人として筆者もいる。
この連載の中では、いささか頼りない読者である筆者が「原子力詠」として読んだ作品を抄出するのだが、この歌集に収められている多くの作品の背景には、直接言われないでも、福島原発の事故による現実があることを考えないわけではない。その上でなお、「原子力詠」と筆者の読み、受け止めによって限定して作品を抄出するのは、いつものことだが苦しいし作者にお詫びの思いを持つ。お許しを願いたい。
ところで、福島市在住の歌人である本田一弘さんが、5月11日付朝日新聞朝刊の、朝日歌壇掲載面の「うたをよむ」欄に、「福島発のうたは問う」と題する文章を書いている。この連載の中で、数回前に本田さんの歌集『磐梯』を読ませていただいたが、その後本田さんからありがたい言葉をいただき、励みとしているときに、この本田さんの「福島発のうたは問う」に接することができた。少し長くなるが全文を引用させていただく。齋藤芳生さんの歌も挙げられている。
「私が暮らす福島は震災以降、さまざまな困難と複雑な状況を抱えている。福島在住の歌人は、何を、どう歌っているのか。 『ふるさとの地形に線量記されゐて天気予報のごとく見てをり 吉田信雄』 福島の夜のニュース番組では、県内各地の放射線量の情報が天気予報のように告げられる。作者は、原発のある大熊町から会津若松市に避難している。線量の数値は見えても、故郷の風景は目にすることができない苦しさが伝わってくる。 『同じ地にゐながら高き萱草は母とわれとのあひを繁りぬ 高木佳子』 『福島は「入る」べき域となりゆきぬ辛夷(こぶし)の花のぼうぼうと白 同』 静かな眼差(まなざ)しが問題を鋭く抉(えぐ)りとる。一首目、母と子は原発事故をめぐって意見の相違があるのだろう。互いの心の距離を『萱草』という植物に例えた。避難してきた人と住民との間にさまざまな軋轢(あつれき)が生じていることも歌の背景としてある。二首目、『行く』でもなく『帰る』でもなく、『入る』べき区域となってしまった福島。人間の営みをよそに自然界では辛夷の花が咲いている。『ぼうぼうと白』という語の響きが悲しい。 『目に見えぬものに諍(いさか)い目に見ゆるものに戦(おのの)く まずは雪を掻け 齋藤芳生』 海外や東京で働いた後、故郷に戻ってきた作者。福島で暮らす人々は、目に見えぬ放射性物質に喘(あえ)いでいた。『雪』は、春が訪れてもいまだ溶けぬ雪と解決しない問題を象徴する。『まずは雪を掻け』というこの痛烈な呼びかけにわれわれはどう応えていくのか。今、一人ひとりの生き方が問われている。」
本田さんの、が提起している「福島発のうたは問う」とは、いま福島の現実と先行きの見えないこれからを歌うこと、そしてそれを読むことは、実は福島だけのことではなく、この国、さらには世界への問いであり、現在と未来への責任を背負わなければならない、いまを生きている私たち自身への問いかけであり、受け止めることであることを自覚しなければならないということだと思う。「福島発のうた」を読むことの意味を考え、あるいは原発列島の現在とこれからについて、そして原爆被爆国の今とこれからについても、齋藤さんの歌集『湖水の南』を読みながら、考え、感じたい。本田さんの文章を読んでそう思っている。
『湖水の南』から抄出して作品を記録したい。
Ⅰ ◇帆 翔 2011年春◇ 大鳥よその美しき帆翔を見上げずに人は汚泥を運ぶ
「高線量」声響きつつ春泥も汚泥も袋に詰められて臭う
セシウムの元素記号など知らねどもその無味、無色、無臭、おそろし
お隣のゆみちゃん夫婦は引っ越したそうな 二人の坊やを連れて
引っ越しするわけにはゆかぬ人あまた「汚染地域」の土けずるなり
「引っ越せばいいのに」なんて言わないで会社も畠も田圃もあるのに
「放射性物質が溜まりやすいのです」剝がすほかなし庭の芝生も
「放射性物質をよく吸収します」向日葵の種子を蒔くほかあるまい
中学生言う「あたしたちなんてもうナイブヒバクばりばりだよねえ」
「体育も部活もなくて生徒たちが太り出した」と友伝えくる
放射性物質沈んでいるだろう溝の雨水を猫が飲む 鳥も飲む
シャベルも軍手もマスクも持たずふるさとに背を向けて働く私は
チュウヒ、クマゲラ、アホウドリ、・・・ 職を得し我は故郷に背を向けて絶滅危惧種の記事なども書く
私の悪態も愚痴も引き受けてなお美しかったのだ故郷は
紙飛行機のような軽さに燕落つふるさとの窓すべて閉ざされ
◇連翹の枝 2011年、3月◇ 余震と恐怖と余震の狭間高速道は緊急車両のみを吐き出す
「忍耐強い日本人」ではないけれど母は給水に並ぶ 連日
放射線たれにも見えず携帯電話(けいたい)をおし続け太りゆく親指は
空振りの緊急地震速報の不協和音に冷める豚汁
茫然と我は見るのみ墓石はすべて倒れて空を映せり
連翹の枝を挿すなり父祖の土地の放射線量を測るかわりに
現世はあるいはトロンプ・ルイユにて今宵凝視を止めぬ満月
◇花あふれつつ(抄) 2011年、夏◇ 除染のための草刈り終えし晴天に母ざぶざぶと湯を浴びて泣く
原発事故の後に実れる黄金桃もう香る 宅配便にて届く
CTスキャンの画像にかくも縮みたる祖母の脳よ雪よりも白し
大地震も覚えておらず顔中のしわを眉間にあつめて祖母は
見せたくないものばかりなり我が父の白濁進む水晶体に
Ⅲ ◇ふきのとう(抄)◇ うつ伏してようよう眠る私の肩に福島のふきのとう咲く
掌をおけば福島の土黒々と湿りて桃の花咲かせいる
除染のためにつるつるになりし幹をもて桃は花咲く枝を伸ばせり
◇千の小鳥(抄)◇ 地震(ない)に傷むふるさと訪えば里山の山毛欅は水あげひこばえをふく
ふるさとは地震に流れぬ花水木生きており清き樹液滴る
厚み増す木々の枝先福島は満身創痍なれどもひかる
慟哭は慟哭としてふるさとの雨に解かるる草木の種子
木々の根が摑みて離さざる土の確かさに春の虫眠りおり
福島の土の湿りに膝つけば天人唐草花こぼれたり
思うさまに新芽をほどき木々撓う千の小鳥をつぴいと鳴かせ
◇湖水の南(抄)◇ 祖父の作りし幼稚園今日閉じられてペンキの剝げし遊具を運ぶ
黒々と重き錠おろされいしが大地震は土蔵(くら)を屋根より崩す
「榮川(エイセン)」を祖父は好みき酒蔵に放射線量を測る人はや
◇世界の終わり(抄)◇ 放射線量高き故郷を流れゆく阿武隈川を画面に見ていつ
パンをまく子らもうおらず白鳥らの眠る線量高き川べり
冬晴れの予報と共に「本日の放射線量」を見ておらん父母
「マヤ歴」つて、なに 空晴れて明るき冬の東京にまた、来なかった「世界の終わり」
(抄出できなかった多くの作品があり、それらを読みながら、心を打たれることが多かった。編集者としての仕事、中東のアブダビのこと、そしてとくに「湖水の南」の集落で暮らした祖父母を辿った歌、作者と祖父母の交流の歌など、筆者にとって豊かな、時に刺激的な物語であった。)
○原発を購うという若きアラビアよ(もし神がそう、お望みならば ) という作品を付け加える。
次回も『湖水の南』から、原子力詠を読み、記録していく。 (つづく)
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