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2016年11月12日14時41分掲載
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教育
人生における学びの意義 一化学者の歩みから 落合栄一郎
東大卒なるラベルを持つ人間にとって、その人生で、大学教育がどのような意義があったかを話したら、という誘いがありましたので、少しお話します 。ただし、この例は、少し特殊で、あまり一般性はないかと思います。といっても、教育の結果(の人生)は、個々人の受け取り方、その効果の発揮の仕方で決まるものだと考えるので、いずれにしても、一般性はないのかもしれません。
東大に入ったのは、もう半世紀以上前の1955年です。経済的な理由で、自宅からもっとも近く、もっとも授業料の安いところという理由で東大を選びました。東大以外は受験もしていません。まあ、東大ならば、良い教育がうけられるだろうという期待が無かったわけではありませんが。しかし、東大に入ったときは、あまり感心できる授業がなく、がっかりして、駒場時代は、ほとんどクラスには出ず、図書館通いでした。そこでは、最新の学術雑誌を渉猟して、後にノーベル賞の対象になった京大の福井先生達の論文なども読んでいました。まあ、自分で計算してみた結果(計算機なしの文字通り紙と鉛筆の作業なので、1つの問題をとくには半日から1日ぐらいかかった)、論文にいくつかの計算間違いを発見し、大学2年生のころ、福井先生に、その旨の手紙を書いたことがあります。確かに間違いがあったとの返事を助教授の方からもらいました。
本郷に入ってからは、たまたま、非常に優れた教師がおり、この牧島象二先生に結局博士課程までお世話になりました。ただし、この先生は、学生に、あれせい、これせいなどという指導は全然しませんで、学生の自主性を尊重。先生から学んだことは、学問をやるときの態度:定説ですらも、疑問を呈する態度、物事を広く見る態度などです。自主性の尊重の極端な例は、私が博士課程での研究結果の論文を、イギリスの学術雑誌に投稿するために、著者名に指導教官名を入れるという通常のやり方で、先生に持っていったところ、これはお前が自分で考えてやったことで、私はほとんど寄与していないから、著者名に入れる必要はないと云われたことです。通常は、指導教官名をいれたほうが、知名度がある人間が入っていることで、受理される可能性が高くなる─特に博士に成りたての知名度の低い人間にとっては有利。また、指導教官の成果にもなるというわけで、指導教官名を入れるのが当たり前。まあ、そういうわけで、私一人の名前で、イギリスの学術誌に数報出しました。おそらく、非常に希なことだったと思います。
まあ、東大に入り卒業することにどんな意味があるかよりは、いかに、指導者(教師)に恵まれるか.それをどう自分の糧にするかが重要です。東大の助教を辞職して、カナダ、アメリカへ出たわけですが、東大卒などということは、こちらではたいして有利でもなんでもありません。まあ、アメリカ国内ならば、ハーバード、イエールなどなどの有名校卒は、やはりある程度のラベル効果はありますが。なお、余談ですが、私の息子の1人はイエールを出たのですが、彼の受けていた授業から見るに、かなり程度の高い教育をしていたようです。
教師が、生徒に何を覚醒させられるかが、教育のもっとも重要な点です。もちろん、それにどう対処するかは、生徒自身の問題ですが。 私は、大学以前では、小学校で1人、中学校で1人、高校で2人ほどの、すばらしい教師に恵まれ、幸いでした。
大学以前のことも話す必要がやはりあるかと思います。というのは、大学へ入る前にも、私の将来に教師の影響が多くあったはずだからです。太平洋戦争終了時に小学校3年。それからの生活は大変厳しいものでした。小学校5年になる頃まで、我が家には、本というものが一冊も無かった。その年、叔母がくれた僅かな小遣いで、生まれてはじめての本を一冊手にいれた。それは、「理科宝典」なるもので、理科の基本はそれで学んだ。理科に目を開かせてくれたのが、5年生の担任の松本先生。欲しい本があっても買う余裕はなかったので、例えば次ぎのように学んだ。中学校では、理科の先生が、夜間大学生で、昼間は教師(戦後の教師不足で)。そこで、先生が大学で使っていた教科書(有機化学)を拝借して、表紙から表紙まで写し取るという仕方で、化学を学んだ。高校では、化学の内田先生が、学期のはじめごろ、各授業のはじめに簡単なテストをするのだが、幸い最初の10回ぐらいすべてできたので、お前は、もう授業も試験も受けなくてよいと。というので、もう少し先の勉強ができた。
もう1人は、英語の木島先生。この先生は、戦前は商船大学の教授だった人で、我々の高校での授業は、商船大学時代に学生を率いて、船で世界中を廻った経験談などが楽しく、受験英語などは全然やらず、英文学の話など。そして英語の発音は格調高いイギリス英語。 そこで、数人の友人達と、ご自宅を訪ねては、英語の小説などを拝借して、読みあうなどをして、英語への抵抗はなくなった。
なお、私の両親とも高等小学校までの出で、私の勉強の面倒をみたことも、勉強をしろと強制したこともない。私は学ぶことが面白いという性格だったのでしょう。それは今も変わらない。人生には、様々な学ぶことが多々ある。教育、特に小中高校ぐらいまでで、最も重要なことは、そうした学ぶことの面白さを教えることだと思う。現在の日本の教育は、入試のためのみにあるようになってしまっているし、そのため、多くの人は勉強はシンドイものと思い込み、学ぶ楽しみなどは微塵もないようで、残念であるし、日本の将来の大問題である。
さて、学びは、大学で終わりとなるわけではない.人生は、学びの連続である。科学者としては、博士課程である程度の専門家らしきものになる。そして自分のテーマを見つけて、懸命に掘り下げる。運が良ければ、人に先んじて大発見をするかもしれない。それが報われてノーベル賞受賞となる。今年も、日本の方がノーベル賞を受賞された。素晴らしい成果である。こうした生き方をみるにつけ、自分は全然違う生き方をしてきたのだなと思う。
博士課程で行った研究を拡張解釈して、しかも広い視野に立ってその関連領域を見てみるというやり方で、その当時少しずつ研究が行われはじめていた分野をまとめてみた(カナダ在住中)。それが、新分野「生物無機化学」の世界最初の本: 「Bioinorganic Chemistry, an Introduction」 (Allyn and Bacon (Boston), 1977) になった。これは、中国語、スペイン語にも翻訳され、世界中で大学院レベルでの教科書として使われたようである。
一つのテーマに集中するという研究の態度は、学問の発展の基礎として必要不可欠なものである。ただ、私の場合は、この短い人生で、いろいろとやりたいことがあるので、そうした研究態度はとらなかった。その上、そうした研究(自然科学系)を続けるには、カネが要り、研究費申請に多くの時間を費やさねばならない。そうしたことは、時間の無駄と考えていた。また、大した研究でもないのに、国民が汗した税金を無駄づかいするようなことをするまでもないだろうと考えてもいた。というわけで、研究費なしでの、研究生活を送ったことになる。個々の事象を詳しく研究する(こともある程度はやったが)というよりは、その分野を全体として見て、その根本原理みたいなものを掴もうとする傾向があり、そのため、この分野の研究が進展するに従って、人生で、4冊のこの分野の本(日本語での簡単な紹介も含めて)を10〜20年おきに書いた。実は、定年退職の制度のないアメリカの大学で、退職したのは、この専門分野の自分としての締めくくりの本(「Bioinorganic Chemistry, a Survey」(Elsevier (Amsterdam), 2008)) を書くためであった。
化学者としての人生の締めくくりをする必要もあるだろうと、一般向けの「Chemicals for Life and Living」(Springer (Heidelberg), 2011)も出版した。これは地球上の事象が、すべて化学であることを、多くの人に知ってもらいたいという意図からであった。
これで、自分の化学者というプロとしての人生の締めくくりができた。こんなことはもうこれでおしまいにしようと思っていたところに、東日本大震災とそれに伴った福島の原発事故が突発した。これは大変なことになったと、大急ぎで、放射線の生命への影響を勉強しはじめた。この問題は、物理、化学、分子生物学、細胞学、生理学、医学などなどの科学を総合しなければ理解できない。地球上の事象(生命も)が化学反応であることを充分に意識しながら先の本を書いたわけだが、放射能の問題は、原子核反応から由来する放射線による化学反応系への介入だと気がついた。このことは、放射線を扱っている科学者は先刻承知しているはずなのだが、それが、化学反応系(生物も)にどのような結果をもたらすかについての根本的理解が不足しているように思われた。このことに基づいて、放射能問題の理解のために、科学者として、4冊の本を出版した(「原爆と原発:放射能は生命とあいいれない」(鹿砦社、2012)。「Hiroshima to Fukushima」(Springer, 2013)、「放射能と人体:細胞、分子レベルから見た放射線被曝」(講談社、2014)、「放射線は人類を滅ぼす:脱核(兵器、発電)が人類の唯一の選択肢」(緑風出版、2016))。現在も、この放射線の生物への影響の根本問題を多くの人に知ってもらいたいと努力している。
科学者も人間であり、人間として社会・経済・文明などについても考えるところはある。幸い、「日刊ベリタ」というオンライン紙に記者として参加させてもらったので、こうした問題についても、考えを発表する機会が与えられた。そのいくつの記事を集めたのが「病む現代文明を超えて持続可能な文明へ」(本の泉社、2013)である。
先ほども述べたが、人生は学びの連続である.大学での学びはそのほんの一部に過ぎない。しかし、生まれてからの20年ほど、人間として成長する過程にあって、教育は重大な意味がある。しかし、教育は、それを受け取る側がどう消化し、活用するか、すなわち教育から何をどう学ぶかにかかっているのであり、各個人の生き方に最終的には依存する。現代のように、多様な生き様があり、多くの問題を抱えている世界で、意味のある生き方はどうあるべきかは、各人の世界観・人生観に依存する。では、人生観や価値観を、各人はどこで、どうやって獲得するのであろうか。
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