10月19日「日ソ共同宣言60年記念の集い」を50年に引き続いて開催。池田幸一立法推進会議代表が8項目提案を行いました。 務台俊介衆院議員(自民)、長妻昭・郡和子衆議院議員、那谷屋正義・藤田幸久・川田龍平参院議員(民進)、高橋千鶴子・畑野君枝衆院議員(共産)らが出席くださいました。
今年の第2回シベリア抑留記録・文化賞の受賞者が上尾龍介九州大学名誉教授(90歳)に決定、上記の集いで発表しました。 贈呈は11月22日、上尾さんがお住いの福岡の介護施設で行う予定です。
厚労省は10月28日、コムソモリスクで収集した遺骨から取り出した鑑定用の歯61点を間違って現地で焼却したと発表、謝罪しました。 「緊張感をもってやってほしい」というレベルの問題ではなく、厚労省主体の遺骨収集体制の抜本的な改革(ロシア側の主体的な参加による共同事業化やロシア軍・自衛隊の参加)が必要ではないかと改めて感じました。 他方、ロシア企業がイルクーツク市近郊リストビャンカ村の日本人墓地を整備したとの情報もありました。(その際に、以前の全国抑留者補償協議会斎藤六郎会長名の標識が除去されたようです。) なお、遺骨収集の現場の様子については、昨年のコムソモリスクでの作業に同行した以下の報告が詳しく、参考になります。 (「未来に残す戦争の記憶」シベリア還らぬ遺骨の今)⇒ http://wararchive70.yahoo.co.jp/specialissue/
9月21日に逝去された猪熊得郎さんをしのぶ会は、12月18日(日)です。
*各紙地方版や地方紙掲載のシベリア抑留関係の記事をお送りいただければ幸いです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ <第2回シベリア抑留記録・文化賞受賞者> 上尾 龍介(かみお・りゅうすけ)さん(90歳、福岡県在住)
昨年刊行された『一塊のパン―ある学徒兵の回想』(上・下、中国書店刊)が、今年90歳になる体験者の貴重な記録、抑留と北朝鮮逆送の実態を克明に記録した秀逸なドキュメントとして評価されました。 <受賞者略歴> 1926年4月7日 熊本県生まれ。 1944年 県立宮崎中学校卒業、東亜同文会北京興亜学院入学。 1945年 学徒召集にて北支派遣軍配属。北部朝鮮で敗戦となりシベリア抑留。 1947年 復員。 1948年 愛知大学予科入学。 1950年 九州大学(旧制)文学部入学。中国文学専攻。 1953年 福岡大学附属大濠高等学校教諭となる。 1958年 純真女子短期大学講師。 1969年 九州大学教官となる。 1990年 同大学退官、名誉教授に。同年、福岡女学院大学教員となる。 1997年 同大学退職。 2015年 中国書店より『一塊のパンーある学徒兵の回想』(上・下)を出版。 九州地区留学生問題フォーラム理事なども務める。 元全国抑留者補償協議会福岡県連顧問、シベリア抑留者支援・記録センター会員。 現在は、福岡県春日市の高齢者向け施設に暮らす。90歳。
<選考委員の推薦コメント> ● 本書は中学時代から帰国までの自伝的な回想記であるが、中国戦線を経験してから満洲、北朝鮮に配置されてソ連軍の捕虜になった一つの典型的な軍隊経験を克明に描いている(中国社会の観察を含む細部に至るまでの記憶には感心させられた)。 しかも帰国後、特にソ連崩壊後に得た知識で自分の経験を歴史的に位置づけようとしており(例えば、北朝鮮・三合里収容所における病気と治療の実態)、従来の自分の経験の範囲をあまり出ない回想記には見られない客観性を与えている。 そして何よりも、仲間のパンを盗むのが日常茶飯事となった極限状態を描くのみならず、偶然に出会った学友の善意(一塊のパンを持たせてくれた)を描くことにより、捕虜が「餓鬼道に墜ちる」ばかりではなく、何とか希望をもって生き延びてきたことをも示した点で、読者に感銘を与える作品である。 鬼籍に入りつつある体験者の最近の著作の中では秀逸と言ってよい本書に「シベリア抑留記録・文化賞」を授与するのが同賞の精神にもかなっていると判断し、推薦します。(富田武 成蹊大学名誉教授)
● 『一塊のパン』、巻を置くことなく、一気に読了しました。大変な筆力です。それに何よりも19歳から22歳という青年の瑞々しい観察と老年の円熟した回想とが実に見事に織り合わされています。現代(現在)の日本の危うさについてのご指摘にも、全く同意できます。『極光のかげに』に劣らぬ抑留者文学の傑作と思います。既にして、古典として長く読み継がれるべき著作の風格があります。(長縄光男 横浜国立大学名誉教授)
● シベリア抑留だけでなく、中国での生活と軍隊生活についても丁寧に書かれており、筆者はより広い視野から抑留の問題を考えておられると思いました。(藤本和貴夫 大阪経済法科大学学長)
● 膨大な類書(抑留経験者による手記)に連なるものだと思います。つまり、上尾さん以外にもこうした重要な手記を遺してくれた人はたくさんいます。日本国政府とジャーナリズム、アカデミズムが怠けている間に、当事者たちが重要な証言を遺してくれました。今回は、上尾さんと、そうした人たちへの敬意を込めて推薦したいと思います。(栗原俊雄 毎日新聞学芸部副部長)
● 体験者が本賞を受賞する最後の機会になりそうなことが最も大きい理由です。(瀬口晴義 東京新聞社会部長)
<2016年・他の候補> ① 韓国MBC放送ドキュメンタリー「父(アボジ)と私―シベリア・1945年」(2016.8.15放送、52分) 昨年の候補作・岩波新書『生きて帰ってきた男』の著者の小熊英二氏をナビゲーターに起用し、父親の話だけでなく、韓国の元抑留者・遺族を訪ね、インタビューを重ねる旅を記録した貴重なドキュメンタリー。 韓国の放送局がシベリア抑留を取り上げた本格的なドキュメンタリーを制作したのはおそらく初めて。(推薦=池田幸一・下斗米伸夫法政大学教授)
② 読売新聞の北朝鮮、南樺太、中国・大連の抑留死亡者名簿、抑留・引き揚げ写真に関する一連の報道 ロシア連邦国立公文書館に眠っていた資料を探り当て、国内での裏付け取材によって、政府の「死亡地格差」の冷遇のために戦後70年、置き去りにされてきた悲劇に光を当て、政府の方針転換を促し、政府保有の延べ1万723人の死亡者名簿の公開、死亡者の身元特定・発表の拡大につなげた。 今年も3月に樺太抑留新資料を大きく報じた。(推薦=内海愛子恵泉女学園大学名誉教授)
③ 毎日新聞の一連の抑留報道 2012~16年8月、5年連続「社説」で抑留問題を取り上げるなど、シベリア抑留問題の問題提起と世論化に大きく貢献。社会部・外信部・学芸部・論説室が連携して取り組み、報じている。毎年8月23日前後に社説でも取り上げて、国の対応を促している。
*選考委員: 富田 武(成蹊大学名誉教授) 藤本和貴夫(大阪経済法科大学学長) 長縄光男(横浜国立大学名誉教授) 下斗米伸夫(法政大学教授) 内海愛子(恵泉女学院大学名誉教授) 桜井 均(立正大学教授) 白井久也(日ロ歴史研究センター代表) 井手裕彦(読売新聞編集委員) 栗原俊雄(毎日新聞学芸部副部長) 瀬口晴義(東京新聞社会部長) 池田幸一(元抑留者) *昨年第1回の受賞者は、遺族の渡辺祥子さんでした。
【上尾龍介さん長女・秦 摩耶さんのコメント】 このたびは、父が長年書き綴ってきた記録が、このような形で評価いただきましたこと、父に代わりましてお礼を申し上げます。 父は、人間観察が好きで、理不尽なことには憤りを持ち、必要ならその理不尽に立ち向かっていくようなひとでしたが、誰にも心からの思いを持って接していました。 高校の教員に始まり、その後大学に在職中は、留学生センターの設立と運営に奔走し、日本語教授法を研究し、本来の中国文学も課題としておりました。 全て心を込めた命がけのような仕事ぶりでした。 しかし、数年前の父との会話から、実は論文を書くより人とよく交わり、形にとらわれない、思いのままの文章を書くのが好きだ、ということを初めて知りました。 その様な父ですから、シベリア抑留記としての書き始めは、思いのままから始まったと思われますが、書き綴るにつれ、人生で残したい事柄となり、更には後世に残さねばならない仕事に変化し、その思いが、書き続ける原動力となっていったのではないかと思います。 今、飽食の時代と言われながら、貧困や見えない未来に大きな不安を抱える人が多く、自死する人数はまるで戦争中のような数だと聞きます。 今を生きる読者の皆様には、生きることを否定された時代があったことを知り、何が間違っていたのか、何が必要なのかを『一塊のパン』の言葉から感じ取っていただければと思います。 最後になりましたが、出版に至るまでの中国書店の方々はじめ、編集に関わられたすべての皆様に心より感謝申し上げます。 秦 摩耶 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ■2016.10.19「日ソ共同宣言」60年記念の集い 主催者代表挨拶 シベリア立法推進会議代表 池田 幸一
本日、お忙しい国会議員の皆様、研究者やジャーナリストの皆様、駐日ロシア大使館からもお見えですが、多数お集まりいただき、ありがとうございます。 大阪から参りました元抑留者の池田幸一です。95歳になります。おとといまでがん治療で入院しておりましたが、どうしても、今日は「日ソ共同宣言60年記念の集い」でご挨拶をさせていただきたいと、主治医の許可を得て、出てまいりました。 60年前の今日、鳩山一郎総理が病いを押してモスクワに出かけ、「領土はすぐには消えてなくならないが、人の命には限りがある」と長期抑留されていた捕虜たちの帰国を、優先的に談判して実現されたわけであります。おかげでこの年の12月26日に最後のソ連からの引揚船で全抑留者が帰国できたのです。当時は領土とともに抑留問題が最優先課題でありました。 それから60年、今年12月にプーチン大統領が来日され、日ロ平和条約締結交渉が大きく前進すると期待されております。日ロ平和条約あるいは平和友好条約の締結には私どもも賛成です。隣国とは安心して、友好的に、時には助け合いながら、仲良く暮らしていきたものであります。 ただ、60年前と大きく異なりますのは、この間、捕虜・抑留の問題が首脳会談などでまったく触れられていないことです。捕虜・抑留問題が完全に終わっているのであれば、何もなくてもよいのでしょうが、まだ抑留された全体の人数も、死亡者の数も確定していません。 遺骨も半分以上が収集されていない状態です。遺族も元抑留者も、ロシアとの友好は望みつつも、まだわだかまりが残っています。ロシアを嫌う日本人が少なくありません。 未来に向けて友好関係を大きく前進させるために、60年間積み残されてきた課題を、この際、可能な限り解決し、新しい友好関係にリセットすべきではないでしょうか? 安倍総理は、新しいアプローチとして経済協力を中心に8項目の提案を5月に行っておられますが、私たちも、捕虜・抑留問題に関して具体的に8項目の提案を行いたいと思います。
「シベリア抑留・実態解明と次世代への継承を新アプローチで」と題した別紙をご参照いただきたいのですが、
1) まず第1に、民間も参加した日ロ共同の調査機構の設置を求めます。両国政府が公式に必要な情報にアクセスできるように図り、捕虜・抑留問題に関するきちんとした公式の報告書を共同で作成・発表することです。 2) 次に、資料館の設置です。総務省委託の貸しビルに間借りしたような中途半端なものでなく、日ロ双方に、モスクワと東京と抑留地のいくつかに、研究拠点であると同時に歴史教育の展示施設として国の責任・予算で設置していただきたい。 3) 三番目に、歴史遺産の保存と伝承です。抑留者が建設に参加・貢献した建物や作業場・鉱山などにその旨の標識を設置していただきたい。 4) 四番目、元捕虜・抑留者の所持品・作品を本人・遺族に返していただきたい。 5) 遺骨収集を加速するために体制の抜本的な強化を図る。自衛隊・ロシア軍の参加も検討いただきたい。 6) 日ロ両国政府の共同主催による追悼式典の開催。墓地・追悼碑の整備・管理、遺族の墓参の支援 7) 政府間協議の毎年開催、両政府の中に総合調整本部を設ける 8) 以上を含めた事業実施のために1991年の協定を改定し、日ロ共同基金を設ける
という包括的な提案であります。 私どももあとどれだけ生きられるか分かりません。遺言のつもりで皆様にお訴えする次第です。 どうぞ、よろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。
■駐日ロシア大使のメッセージ 捕虜問題を中心に日ソ共同宣言60年記念の集いの参加者とご来賓の皆様に歓迎のご挨拶を申し上げます。 共同宣言は、当時ソ連最高会議と日本国会が批准した露日関係の基本的な法的文書のひとつでございます。それによって60年前に我が両国間の戦争状態が終止され、国交が回復されました。今現在でも二国間関係の発展の上で重要な役割を果たしています。共同宣言は日本の捕虜がソ連から日本に帰国するための法的基盤を作った文書でもあります。 ソ連の収容所に収容された日本人と関わる諸問題を解決するための協力は現在、1991年に調印された政府間協定の枠組みを元に実行されています。それに従って、ソ連で捕虜にしておかれた日本人及びその埋葬地に関する情報がハイレベル並びに首脳の訪間の際を含め数回にわたり日本側に提供してきました。共同努力によってソ連で亡くなられた4万人の日本軍人たちの身分が確認されました。 ロシアは日本人捕虜の問題の人的側面に一定不変に重視を与えています。ロシア連邦内での埋葬地に関する新しい情報が現れたら、しかるべく対応をしていきます。先祖のことを大切にするというのは日本とロシアの共通の良き伝統であって、これからもその伝統を守っていきます。 終わりに、本日の集いの皆様方にご健康、ご多幸を祈りしたいと思っております。 駐日ロシア連邦特命全権大使 E・アファナシエ (代読:アレクサンデル・コサチョフ) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【情報&催し物案内】 ◆公開講座「日ソ共同宣言・シベリア抑留帰還60年―日ソ・日ロ関係と帰還者たちの歩み」 受講料=1,000円。 <会場>大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス(港区・神谷町) 地図⇒ http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/access.html <日時>12月10日(土)14:00 「抑留体験の伝承と表現―体験はどこまで伝えられるか?―」 講師=おざわ・ゆき(漫画家)+山崎まゆみ(フリーライター) 申込・連絡先⇒大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター (Tel)03-5545-7789 (Fax)03-5545-7788 (WEBでも申し込み受付け中)https://www.keiho-u.ac.jp/academia16/
◆香月泰男と丸木位里・俊、そして川田喜久治-シベリアシリーズ・原爆の図 <日時>11月20日(日)まで 9:30~17:00(入場は16:30まで、月曜休館) <会場>平塚市美術館(JR平塚駅徒歩20分)。 <料金>一般900(720)円、高大生500(400)円 ※65歳以上で平塚市民の方は無料、市外在住方も割引 <主催>平塚市美術館・日本経済新聞社 <特別協力>東京国立近代美術館、山口県立美術館、原爆の図丸木美術館 <助成>芸術文化振興基金 <問い合わせ>平塚市美術館 〒254-0073 神奈川県平塚市西八幡1-3-3 電話番号:0463-35-2111
◆11/26シベリア抑留研究会<予定> <日時>11月26日(土)午後 <会場>成蹊大学内を予定 <内容>「チタ州における日本人抑留」体験者・遺族とともに <連絡先>(富田武)tkshtomita@jcom.home.ne.jp
◆12/18猪熊得郎さんをしのぶ会 <日時>12月18日(日) 13:30~16:30(開場13:00) <会場>大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス3F研修室(港区・神谷町) 地図⇒ http://www.keiho-u.ac.jp/research/asia-pacific/access.html <会費>1,000円(学生500円)*予約不要 <内容>ドキュメンタリー映画『語らずに死ねるか』 (制作:ユニモト、製作者:吉丸昌昭監督:長尾栄治、猪熊徳郎さん出演、2009年、45分) 上映、関係者の追悼トークなど <呼びかけ>不戦兵士・市民の会 日本戦没学生記念会(わだつみ会) NPO法人ブリッジ・フォー・ピース戦場体験放映保存の会 シベリア抑留者支援・記録センター <連絡先>Tel:03-3237-0217 *当日直通電話:080-5079-5461 Fax:03-3237-0287 E-mail:cfrtyo@gmail.com ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【図書・資料ご案内】*事務局で取扱中 送料は100円
●加藤九祚著『わたしのシベリア体験から』(関記念財団、2015年)400円
●渡辺祥子著『魚と風とそしてサーシャ』<第1回シベリア抑留記録・文化賞受賞>(桜美林大学北東アジア総合研究所、2013年)800円
●原田充雄著『シベリア抑留・虜囚の詩』(自費出版、1999年)2,000円
●池田幸一著『アングレン虜囚劇団』<復刻版> (サンケイ出版、1981年)1,500円
●『捕虜体験記』(ソ連における日本人捕虜の生活体験を記録する会刊、全8巻、1984~1998年)全8巻セット特価23,000円、各巻特価3,500円(送料込)*第Ⅳ(4)巻「ハバロフスク地方篇」、第Ⅶ(7)巻「タイシェット・イルクーツク篇」は在庫なし。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 【事務局より】 ① 元抑留者が遺された資料・原稿・図書・録音テープなどをご遺族より寄託され、大阪経済法科大学・東京麻布台セミナーハウス7F(「抑留問題資料室」)で整理作業を行っています。 作業を手伝って下さるボランティアを募集中です。当面毎週月曜日を作業日にしています。
② 資料等を寄贈いただく場合は、下記の宛先にヤマト・宅急便(着払い)でお送り下さい。 〒106-0041 東京都港区麻布台1-11-5 大阪経済法科大学・麻布台セミナーハウス7F 抑留問題資料室あて (Tel:080-5079-5461) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ≪シベリア抑留者支援・記録センター≫ (住所)〒102-0074 東京都千代田区九段南2-2-7-601 (Tel)03-3237-0217 / 080-5079-5461 (Fax)03-3237-0287 (E-mail)cfrtyo@aol.com / cfrtyo@gmail.com (Web)http://sdcpis.webnode.jp/
|