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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2019年06月19日09時28分掲載
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政治
前川喜平氏講演会「21世紀の平和教育と日本国憲法」<5>「9条」は人類の平和への努力と英知の成果
日本の民主主義は脆弱性を持っている。これは、日本が市民革命を経ておらず、日本国憲法は民衆が権力を倒して作り上げたものではないという弱みがあるからである。また、日本は一度しか戦争に負けていない。ドイツは自分たちで始めた第一次世界大戦、第二次世界大戦で二回負けている。しかも第一次世界大戦の後、当時一番民主的であるとされていたワイマール憲法を持っていたにも関わらず、その中からヒトラーによるナチスの独裁を引き起こすという、痛恨の極みともいえる体験をしている。しかし日本は、「民主主義は独裁を生む危険がある」ということを経験していない。
▽戦争違法化への国際社会のあゆみ 一番有名な市民革命としてフランス革命があるが、フランス革命では革命から数年後にはナポレオンによる独裁が始まっている。つまり、フランス人も民主制から独裁制へ移る過程を何度も経験し、何度も革命を経ている。日本はそのような経験をしていないからこそ、人類の経験として世界から学ぶことが重要である。日本国憲法というのは日本固有の憲法ではなく、日本人だけの憲法でもない。元々憲法とは普遍的な原理に基づいていて、国民から国民へと引き継がれながら進歩していくものである。例えばドイツのワイマール憲法から学んだことは、我々が持っている日本国憲法25条の生存権規定である。これは、森戸辰男という人物が中心となり、マッカーサ素案にはなかったけれども、ワイマール憲法から引用したものである。
日本国憲法9条の戦争放棄の文言も、言い出したのは幣原喜重郎であり、「憲法9条はアメリカが押し付けた」という認識は間違いである。幣原の意図として、天皇制の維持とリンクをしていたとは言われているが、そもそも幣原は戦前において、協調外交を進めていた人物で、軍部の台頭に対して、非常に苦々しい思いを持っていた人物の一人である。戦前の社会でもどのように国際社会が進歩してきたかということを実際に学んできた人物である。私は、憲法9条は人類の努力の成果であり、日本国憲法は人類普遍の権利に基づいていると考えている。
日本国憲法の前文に国民主権について書いている箇所がある。「そもそも国政は国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は係る憲法に基づくものである」とされている。また、97条で「この憲法が日本国民に補償する基本的人権は、人類の多年による自由獲得の努力の成果であって・・・」というように、「人類」という文言が出てくるが、中曽根さんはこれが気に入らず、「日本人の憲法ではない」などと言う。しかし、憲法とはそもそもこのような普遍性を持っているものである。しかもこの憲法は公布してから70年以上が経過しており、明治憲法よりも長い間存続し、国民の間に定着していることを考えれば、間違いがないと思う。
日本国憲法9条に関して言えば、19世紀の世の中では、戦争をするということがそもそも国の権利であった。主権国家であれば、いつ戦争を起こしてもよく、理由がなくとも隣国に攻め込んでもよかった。ただし、作法や手続としての宣戦布告は求められており、宣戦布告さえすれば、いつでも理由なく戦争を始めることができた。
このような19世紀の社会で、宣戦布告をしないで戦争を始めた例もある。私は昔イギリスに留学をしていたが、そのときに国際法の先生から「宣戦布告をしないで戦争した例がある」と学生に問いかけられたことがあった。その際、学生であった私が「ジャパニーズ・アタック・オン・ザ・パールハーバー」と答えると、「その通りだ」と言われた。加えて「さらに2つ例がある」とし、それは日清戦争、日露戦争だと言われた。ようするに、日本は3回やっていると言われ、そのように、いつ何時戦争をしてもよいとする国際法はまずいのである。
第一次世界大戦直後に、こんな戦争が二度と起きてはいけないと思い、1928年に主要国が集まって、パリ不戦条約を結んだ。それから、「戦争をしないと約束をしたのだから、軍縮をしよう」ということで、ロンドンやワシントンで軍縮条約を結ぶこととなった。そのため、戦争の違法化というのは人類の知恵として、一定の成果を得ているが、それが脆いがために、パリ不戦条約の3年後には日本が満州事変を始めている。そして、その結果として1945年の敗戦を迎えた。
このような戦争を二度と繰り返さないように国際連合ができた。国際連合憲章の前文には、「われら連合国の人民は、われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救い〜」との文言が記載されており、「これまでのような戦争を二度と行わないようにしよう」という考え方を示している。さらに戦争違法化を進める手段として、国連憲章2条「原則」の第3項で「国際紛争を平和的手段によって〜解決しなければならない」ということで、「すべての加盟国は平和的に紛争を解決しなさい」としている。また、第4項を見ると、「すべての加盟国は、国際連合において、武力による威嚇又は武力の行使を〜」との文言が記載されており、「戦争をしないだけでなく、武力による威嚇も行わないこと」としている。
この「武力による威嚇を行わない」という部分が日本国憲法9条にそのまま引き継がれている。日本国憲法9条の「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する」という部分の「武力による威嚇も放棄する」という部分まで踏み込んだのは国連憲章の文言がそのまま9条に引き継がれているからである。つまり国連憲章で人類が到達した極みを憲法9条にそのまま持ってきている。私はこのような日本国憲法は人類の英知の所産であると感じている。
▽「積極的平和」も歪曲する安倍首相 それにもかかわらず、安倍さんは憲法9条を蔑ろにしている。安倍さんは、積極的平和主義という言葉を使っているが、この言葉を使わないでほしい。「積極的平和」という言葉はノルウェイの学者であるヨハン・ガルトゥングという人が使った言葉で、「積極的」とは「戦争がない状態を平和というわけではない」と言っている。「人々が豊かに、幸せに暮らしている状態、人権が保障されている状態があって、初めて平和が永続性を持つものとして成り立つのだ」とし、これを積極的平和と呼んでいる。安倍さんが言っているのは、核兵器を含む軍事力を持っていることによって、戦争が抑止されるという従来型の抑止論である。軍事的均衡を保つことで、平和を維持すると言っているが、このようなことを「積極的平和」という文言で表してほしくない。
日本国憲法の中には、ガルトゥングが示した積極的平和の考え方が盛り込まれている。例えば、前文の中で「われらは平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と定め、「専制と隷従、圧迫と偏狭の除去」という人権が保障される世の中を作るとしている。その後の文言でも、「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有する」とする「平和的生存権」を定めている。これは、「平和のうちに生存する」には、その前提として恐怖と欠乏から免れ、自由で豊かな暮らしができなければならず、これにより初めて平和的生存が維持されるというものである。
このようにガルトゥングの積極的平和主義の考えかたは、日本国憲法の前文に組み込まれている。本当の意味での平和を目指すためには教育が必要であり、そのために平和教育が始まったはずであるが、安倍さんの主張する積極的平和主義というものは根底から間違っている。
▽「学ぶことが戦争を防ぐ手段」 ユネスコ憲章の前文には、「戦争は学ばないことによる無知から生じる」という趣旨の記載がある。ユネスコ憲章の前文には、「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。相互の風習と生活を知らないことは人類の歴史を通じて世界の諸人民の間に疑惑と不信を起こした共通の原因であり、この疑惑と不信の為に、諸人民の不一致があまりにもしばしば戦争となった」と記載されている。これは、戦争を辿ると、疑惑と不信があり、疑惑と不信を辿っていくと無知があるということを意味している。
続いて、「ここに終わりを告げた恐るべき大戦争は、人間の尊厳・平等・相互の尊重という民主主義を否認し、これらの原理の代わりに、無知と偏見を通じて人種の不平等という教養を広めることによって可能にされた戦争であった」とし、無知に付け込んだ人たちが、人間の不平等という教義を広め、これにより戦争が引き起こされたのであるから、学ぶことが戦争を防ぐ手段であるという考え方がユネスコ憲章に含まれている。
具体的には、歴史を学ぶということが重要で、アイヌ、沖縄、朝鮮などに対する日本国の帝国主義的な侵略戦争の歴史や、沖縄、広島、長崎などの東京大空襲を含めた空襲の歴史、ベトナム戦争・イラク戦争などの戦後のアメリカの戦争の歴史などを学ぶことが非常に重要である。また、戦争を違法化し、大量破壊兵器を禁止するような人類の知恵も学ぶ必要がある。さらに、世界の情勢から学ぶこととして、パレスチナ、クルド、クリミアなどの世界各地で起きている紛争の状況やそれを防ごうとする欧州連合などの取り組み、あるいは核兵器廃絶のための取り組みとして、「ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)」が2017年にノーベル平和賞を取った、というような世界中で起きていることを学ぶことが重要である。 (つづく)
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