この原稿を書いているときでも、学生からオンライン授業の視聴方法に係る質問や不満のメールが送られて来る。土日も昼夜も関係ないので、教員は24時間366日カスターマーサービスセンター化しているが、それらにきちんと対応するのも教員の仕事だから大きな問題とは言えない。それよりもっと私が問題視すべきと思うのは、教育・学問の自由にかかわるオンライン上の情報が、国・公権力によってコロナ対策とは別の目的に利用されるおそれはないのかという懸念である。
▽遠隔授業と検閲 2020年6月3日の日本経済新聞夕刊に、「地域経済の実態 早く細かく一覧 人の流れ・店の予約 政府、ウェブ公開」と題する記事が掲載された。日本政府が民間企業と提携して「最小で500メートル四方の広さで新型コロナウイルスの影響などを素早く把握できる」情報を、6月末にもインターネット上で公開するとの内容である。帝国データバンクが「携帯電話の位置情報」、「店舗やホテルなどの予約状況」、「小売店のPOS(販売時点情報管理)データ」等を取りまとめてグラフ等にし提示するとのことで、情報を提供するのは、Agoop(ソフトバンク子会社)・ヤフー・Retty(口コミサイト)・JTB・ぴあ・ナウキャスト・freee(事務管理クラウドサービスの開発・運営)とのことである。
国・公権力がIT技術を以って入手するのはあくまで感染者や濃厚接触者の所在・行方であり、他には利用しないのであろうか。「国民の命と生活を守り抜き、経済再生へ」と称した補正予算の歳出項目と金額を見ても(内閣府「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策〜国民の命と生活を守り抜き、経済再生へ〜」2020年4月20日)、擬惧と不信感が強まる。2020年4月末、当初は減収世帯に300万円の給付としていたのを類例の無い組換えによって、全国民を対象とする現金10万円一律給付(12兆8,803億円)、売り上げが激減した中小企業に最大200万円給付する「持続化給付金」(2兆3176億円)を目玉とし、総額25兆6,914億円の第1次補正予算が成立した。
この中には、「感染防止策と医療提供体制の整備及び治療薬の開発」(1兆8,097億円)に充てるとして「感染症を巡るネガティブな対日認識を払拭するため,外務本省及び在外公館において,SNS等インターネットを通じ,我が国の状況や取組に係る情報発信を拡充」する使途に24億円が計上されているのである(「緊急経済対策(令和2年度補正予算外務省所轄分)」 (https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100042203.pdf )。
ところで、4月中旬に勤務先が送付して来た遠隔授業の進め方に関する文書に付いて言及しておきたい。説明文で、パワーポイントのファイルに音声を入れてWeb Classにアップするのは重くなりやすいので望ましくなく、YouTubeに掲載してそのURLをWeb Classに提示する方法が勧められていて動揺した。不特定多数の利用者が通信する動画共有サービスにおいて、実際に教室で学生達を眼前にするのと同じく講ずることには躊躇してしまう。授業内容の“自制”が教員の脳裏を過ぎった時点で、教育の自由・学問の自由は脅かされつつあると言って良い。但し、YouTubeに動画や音声を掲載しても広く公開を望まない場合は、「限定公開」(検索結果や関連動画の欄には表示されず、見聞させたい特定の人物にURLを教える)・「非公開」(アップロードした者のGoogleアカウントを有する利用者のみが閲覧できる)という設定は可能である。
2020年5月末、東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県・北海道の緊急事態宣言も解除されるに至った。条件付きで入構を認めたり、対面授業を段階的に再開する大学が増えつつある。とは言え今後も遠隔授業は、宣言解除が遅れた5都県、特定警戒県を中心に、程度の差こそあれ継続することが予想される。
2020年1月末に成立した2019年度補正予算における「GIGA(Global and Innovation Gateway for ALL)スクール構想の実現」では、小・中学校で2023年度までに1人に1台のパソコン配備を決定し、2318億円が計上された。遠隔教育をめぐっては他に、学校現場へのICT技術者配置の支援、在宅・オンライン学習に必要な通信環境の整備、在宅でのPC等を用いた問題演習による学習・評価が可能なプラットフォームの実現、EdTechの学校への導入や在宅教育を促進するオンライン・コンテンツの開発を挙げている。3箇月後、安倍政権は前述した「新型コロナウイルス感染症緊急経済対策」を策定して「GIGAスクール構想の加速による学びの保障」でパソコン1人1台を今年度末までに備えるべくさらに2,292億円が組み入れられた。
なお、「授業目的公衆送信補償金制度」を創設し、教科書等を遠隔授業において無償で使用出来るようにした改正著作権法(「著作権法の一部を改正する法律」2018〈平成〉30年12月22日法律第30号」)は、2020年4月末に施行されている。同時に、2020年度の補償金は、一般社団法人授業目的公衆送信補償金等管理協会の申請によって特例的に無償と決定された。
健康・生命への危険を免れるべく対面授業を遠ざけるのは已むを得ない。しかしながら遠隔授業が、教員の教育の自由・学問の自由との緊張度を高めている実状を軽視してはならないと思う。学生等のプライバシー権にも関わる問題である。様々な学修管理システム、Webミーティングシステム、大学のポータルサイトにログインするには無論、ID・パスワード等を入力する必要がある。しかしながら、通信業・教育産業が閲覧したり情報を漏洩させる可能性のあることは、ベネッセの例からも明らかなのである。2020年6月初めには、「雇用調整助成金」(新型コロナウイルス感染症の影響に伴う特例)のオンライン申請システムにおいて他社の登録情報を見ることが出来るといった不具合が発生し、厚労省がオンライン申請の停止を決めた。同システムの開発は富士通が受注しており、5月下旬に同じ欠陥が明らかになったため運用開始を延期した経緯がある(2020年6月5日日経クロステックhttps://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/08055/https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/news/18/08055/ )。
その上、国・公権力による日常的な監視が、教室での授業よりも容易になっているのである。教職課程を有する大学に対しては、その水準の維持・向上を図るため「教職課程認定大学等実地視察」が2002年度から毎年実施されている(「教職課程認定大学実地視察規程」(2001〈平成〉13年7月19日 教員養成部会決定。石川著「日本国憲法と教員養成「改革」(7)危機に立つ『真理と平和を希求する人間の育成』http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=202005031059370 を参照されたい)。将来は「実地視察」も、Web上の授業参観で代替し得るようになるかも知れない。
2016年の通信傍受改正について付言しておく(「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」(2016〈平成28〉年6月3日法律第54号)。改正法は2019年6月に施行されまたが、「特定電子計算機」を用いて各警察本部内での通信傍受が可能になったのである。それまで必要だったNTT等通信業者の立ち合いは不要となり、録音も出来るように変わった。
▽学問の自由と通信の秘密 2020年5月末、内閣広報室がNHK・民放のニュース番組における解説者等の発言を大量の文書に記録していた事実が報じられた。監視の対象は、「羽鳥慎一モーニングショー」・「NEWS 23」・「ひるおび!」等における玉川徹氏(テレビ朝日)・岡田晴恵氏(白鷗大学教授)・岩田健太郎氏(神戸大学教授)・小川彩佳氏(フリーアナウンサー)等の発言である(週刊ポスト2020年6月5日号 同6月12日・19日合併号)。
筆者は通常の講義でしばしば、時の政治を批判する。末席に控える憲法研究者として至極当然であるし、寧ろ本来の職責と言って良いと思う。教室は言うなれば実験場であり、学生達の表情等を観察しながら進められるのである。顔が見えない遠隔授業ではそうは行かない。余所事では無い。
また、6月初めには高市早苗総務大臣が、インターネットでの名誉毀損罪・侮辱罪に該当する投稿があった場合、投稿者の情報開示について「プロバイダ責任制限法」(「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」2001〈平成13〉年11月30日法律第137号)改正を検討していると述べた。フジテレビのリアリティ番組の出演者だった故木村花氏(プロレスラー)がSNS上で誹謗中傷されていた問題をきっかけとし、自民党は既に5月末(「空前絶後」のスピード!)、平井卓也前IT・科学技術担当大臣が委員長を務める「デジタル社会推進特別委員会」(2019年10月発足)に、「インターネット上の誹謗中傷・人権侵害等の対策PT」(三原じゅん子参議院議員)を発足させている。座長は、三原じゅん子参議院議員である。人権を看板に掲げて、一体何を・誰を監視するのであろうか。蛇足ながら、平井衆議院議員は2020年5月中旬、検察庁法改正を審議中の内閣委員会において、今井雅人議員と武田良太行政改革担当大臣が激しい質疑をしていた時にタブレットでワニの動画を見ていて話題になった(2020年5月14日毎日新聞東京朝刊)。
コロナ禍に於いて、独り善がりの正義感に充ち満ちた「自粛警察」の“活躍”が市民を苦しめている。戦時下の「隣組」を彷彿とさせるとの意見を耳にする。隣組とは、「部落会町内会等整備要領」(1940〈昭和15〉年9月11日、内務省訓令第17号) が「万民翼贊ノ本旨ニ則リ地方共同ノ任務ヲ遂行セシムル」目的で町内会・部落会の下位組織として位置付けたもので(隣保班)、住民の相互監視的役割をも担っていた。当時は治安維持法が戦争反対や自由・民主を訴える人々の弾圧に機能したが、現代には「共謀罪」がある(「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律」(2017〈平成29〉年6月21日法律第67号)。
1933年5月26日、鳩山一郎文部大臣は、京都帝国大学に在籍する刑法研究者の瀧川幸辰教授を一方的に休職処分に付した。前年に中央大学で行なった「トルストイの『復活』に現はれた刑罰思想」と題した講演で、「社会は犯人に対し報復的態度をもってのぞむ前に、犯罪の原因を十分検討しなければならない」と述べたことが「左翼的」であると問題視されたのである。瀧川(京大)事件の始まりであった。著書の「刑法読本」・「刑法講義」は発禁となった。前年12月には、文部省が新城新蔵総長に対し、瀧川教授の講義内容の調査を求めている。当初法学部教官全員が抗議して辞表を提出したが、 結局佐々木惣一教授・宮本英雄教授・森口繁治教授・末川博教授・田村徳治教授・恒藤恭教授等21人が辞職し、12人は残留した。いったん辞職した教授・助教授の内6人は、翌年復帰している。辞職した教授等の多くは立命館大学に職を得て、京大法学部は事実上の分裂に等しい状態となった。爾後、研究・教育活動にも長く傷を残したようである。筆者が学生の時分には未だ「瀧川事件があったから、京大法学部は東大に敵わない」等と、先輩がまことしやかに語ってくれたことを思い出す。
瀧川事件以前にも、1925年の治安維持法制定後、河上肇教授が京都帝国大学から、向坂逸郎教授・石浜知行教授・佐々弘雄教授等が九州帝国大学から追われる等したが(1928年)、いずれもマルクス主義者とされる研究者が的であった。しかしながら瀧川教授は異なり、以後、天皇機関説事件によって美濃部達吉博士が貴族院議員を辞職し(1935年)、河合栄治郎教授は東京帝大を追われたばかりか(1938年 平賀粛学)、出版法違反で起訴されるといったように(1939年)、弾圧の矛先は自由主義者にも向けられていくこととなったのである(瀧川事件東大編集委員会「私たちの瀧川事件」1985年、新潮社、西山伸「滝川事件とは何だったのか」大阪市立大学史紀要第9号、2016年)。
遠隔授業の普及は、国・公権力による研究及び教育の監視を平易にする一方で、教育内容の「標準化」を進めて統制下に置くことを可能にする。「たとえば日本放送協会に全国一律の教育コンテンツを作らせ、それを生徒に学ばせればいい。教員が苦手な分野もカバーできるし、生徒は何回でも学習できる」(2020年6月5日日本経済新聞)といった唖然とする提案が、高等教育機関にとっても現実となる日がやって来るかも知れない。
日本国憲法には、大日本帝国憲法には無かった学問の自由が規定されている(23条)。敗戦後の大学は、「国家ニ須要ナル学術ノ理論及応用ヲ教授シ並其ノ蘊奥ヲ攻究スル」ことを目的とするのではなく、「国家思想ノ涵養ニ留意スヘキ」(「大学令」(1918〈大正7〉年12月6日勅令第388号)場でも無い。学問研究の自由とそれを基礎とする講義の自由は、研究者自身が日々の営為の中で自ら護り、かつ、初等・中等教育機関の教職員とも連携し確立させていくことが必要である。
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