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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2021年02月03日14時19分掲載
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アジア
スーチーさん、4度目の自宅軟禁 よみがえるミャンマー国民の軍政への恐怖
「ネピドーにいらしたら、私が案内しますよ」。アウンサンスーチーさんは2013年4月の来日のさい、私にそう約束してくれた。そのミャンマーの首都で、国家顧問兼外相の彼女は今月1日に起きた軍のクーデターによって自宅軟禁された。4度目の自宅軟禁である。私は、彼女が最初の軟禁から解放された翌年の1996年に、最大都市ヤンゴンでこの民主化運動の指導者に会ったときの状況にタイムスリップしたかのような思いにかられた。それとともに、軍政にたいする市民の恐怖と憎悪の表情がよみがえってきた。(永井浩)
▽ヤンゴン1996年 スーチーさんとの私の最初の出会いは、彼女が6年間におよぶ最初の自宅軟禁から解放された直後の95年9月だった。毎日新聞記者だった私は、言論の自由を奪われたミャンマー国民の声を国際社会に発信するために、民主化運動の同時進行報告を毎日新聞に書いてもらえないかと提案した。また、あなた方の闘いをミャンマーの政治、歴史、宗教、文化などとからめて理解できるように書いてほしいと注文した。人権・民主化というめざす頂上は世界共通だとしても、そこに到達する歩みは、それぞれの国で異なるはずであり、一人ひとりの顔が見えるような報道が望ましい。彼女は快諾してくれ、連載エッセイ「ビルマからの手紙」がはじまった。 連載は好評で、その報告や民主化運動の見通しなどを聞くために、翌年東京からヤンゴン入りした。彼女との久しぶりの再会は、9月30日に自宅でとなっていた。この日は、彼女の率いる最大野党、国民民主連盟(NLD)の創設記念日に当たっていて、スーチー邸で党の催しが組まれていた。
ところが、当日の朝、スーチー邸に通じる大学通りが軍によって封鎖されたという情報が入った。私はがっかりしたがあきらめきれず、現場までタクシーを飛ばした。通りの入り口は鉄条網とブロックで固められ、車両と人の通行をきびしく禁じている。小銃で武装した兵士たちが数十人、道路に立っている。 私は指揮官らしい男にかけあってみた。「日本大使公邸に行きたいので通させてくれ」。大使公邸とスーチー邸がおなじ通りで近いことは、指揮官も知っていた。それでも「ダメだ」の一点張りだ。やむなくホテルにもどると、ホテルのマネージャーと名乗る男性が「話したいことがある」と声をかけてきて、私を2階の広いロビーに案内した。 「あなたの職業はなにか」ときかれ、「教師だ」と答えると、「そうは見えない」という。じつはジャーナリストだと名乗ると、彼は軍事政権の批判をはじめた。きょうの道路封鎖は、スーチーさんが最初に自宅軟禁になった89年のときと似ているので、また民主化勢力への弾圧が強化されるのではないかと懸念しているという。
私が宿泊しているホテルは4階建てなのにエレベーターもない古びた建物だが、ロビーからは新築中のホテルなどの高層ビル群がよく見える。彼はいくつかのビルを指さし、こっちは軍政指導部の誰それ、あっちは別の某将軍が政商(クローニー)と結託して金儲けのために建てているもので、一般民衆とは縁なのないものばかりだと言った。 翌朝、ホテルのフロントの若い男性が「NLD党員の父が昨夜、 自宅から当局に連行された」とささやいた。 タクシーの運転手は、私があるNLD幹部宅への行き先を告げると、しり込みした。彼は同名のある軍政幹部と勘違いして、「あんな恐ろしい人の所は勘弁してくれ」という。 別のタクシー運転手は運転中、軍政への悪口を並べ立て、興奮してくるとしだいにスピードを上げた。ヤンゴンのシンボルである金色のシュエダゴン・パゴダが見えてくると、スピードは落とさないままハンドルから両手を離して聖地に手を合わせた。仏教国の人びとの敬虔なすがたに感動したが、乗客としてはヒヤヒヤさせられる一瞬だった。 ホテルの向かいの大衆食堂に昼食をとりに入ると、店内の古ぼけたテレビで中国の時代劇ドラマが放映されていた。白黒の画面には、前の通りを車が通ると稲妻のような白い線が数本走った。ドラマが終わると、軍服姿の軍人がなにやら話す画面に切り替わった。女性の店員は、すぐさまテレビの電源を切った。
スーチーさんとの面会に話をもどすと、毎日新聞の通信員から新たな情報が寄せられ、道路封鎖は続いているが、NLDの幹部数人だけは一日に一度のスーチー邸への出入りが許可されていることが分かった。またスーチーさんも、幹部宅を訪問する自由を保障されているという。そこで私はその夜、NLD副議長のウー・ティンウー元国防相宅を訪れ、彼女との面会の希望を申し入れた。彼は快諾し、スーチーの返事を伝えるから明日の夜にまた来てくれと言った。約束の時間に再訪すると、「ドー(女性の敬称)・スーは明後日の朝8時にわが家に来てくれることになった」と告げられ、彼女から預かった小さなメモを渡された。 メモには、マックのパソコンのアップルマークが手書きで記され、ワープロのインクが底をつきかけている、道路封鎖が続くと「ビルマからの手紙」も書けなくなる恐れがあるので、どこかで手に入れほしいとのこと。私は翌日、雨季明け真近特有の土砂降りのなか、市内の電気店でインクカートリッジを多めに買い込んだ。 翌朝、ティンウー邸で待機していると、スーチーさんが、前後を治安部隊に監視された車から降りてきた。私との再会を喜ぶ彼女が開口一番たずねたのは、今回の道路封鎖に対する日本政府の対応だった。欧米諸国はすでに厳しい軍政批判の声明を出していた。「私の知る限り、日本政府からはなんのコメントもないようだ」と答えると、彼女は表情を曇らせた。「でも、日本は民主主義国でしょ」。私が頼まれていた品を渡すと、翌朝また同じ時間にティンウー邸で会いたいという。
約束の時間にティンウー邸に行くと、「道路封鎖が解けたから、会うのはスーチー邸になった」とのことで、副議長の車で大学通りに向かった。政治情勢について簡単な意見交換をしてから、彼女はインクカートリッジの代金を払いたいと財布をひらきかけた。私はレシートを見せながら、支払いは結構ですと言った。「支払いたければ、あなた方の民主化運動が勝利してからにしましょう。そのためにも『ビルマからの手紙』を書き続けてください」。彼女はうなずいて、財布をしまった。
それから間もなくして、スーチーさんは二度にわたり自宅軟禁され、軟禁期間は計15年におよんだ。私は軍政のブラックリストにのせられ、入国禁止となった。
▽変わるヤンゴン、変わらぬ市民の不安 スーチーさんとその後再会したのが、17年後の2013年4月だった。テインセイン政権の下で民政移管が進み始め、彼女は三度目の自宅軟禁を解かれ、下院の補選に当選して国会議員となった。中断していた「ビルからの手紙」も再開された。日本政府の招きで訪日し、毎日新聞社にも立ち寄った。彼女はインタビューで大統領への強い意欲を示すとともに、民主化運動をあたたかく見守ってくれた日本の新聞に謝意を表した。久しぶりに見る彼女は、60歳代の後半に達していたものの、凛とした美しさは健在で、さらに政治家としての風格が感じられた。 社長らとの昼食会に同席した私に、彼女は冒頭のことばをかけてくれた。
はたしてスーチーさんらの軟禁はいつまで続くのか。彼女が再び国政に復帰することは可能だろうか。 もし彼女が自由の身になり、民主化の進展によってブラックリストから外された私がミャンマーを再訪する機会があれば、ぜひネピドーにも行ってみたい。そしてスーチーさんが多忙な時間を割いて私への約束を果たしてくれるなら、私は冗談まじりに、支払い猶予となっている例の古いレシートのことを持ち出してみるつもりだ。聡明な彼女のことだから、たぶん忘れていないはずだ。でも私は、今度も「支払いはまだ結構です」と答えるだろう。民主化の勝利はまだ道半ばだからだ。
非常事態宣言下のミャンマーをつたえるテレビの画像には、私が知っていたヤンゴンとは様変わりした光景が映し出される。真新しい高層ビルが立ち並び、「アジア最後のフロンティア」をめざして進出した日本企業は400社超にのぼる。 新聞やテレビには日本企業の操業や従業員の安否をきづかう情報が多いが、私は25年前に出会ったミャンマー市民らの不安な表情をまず思い浮かべざるを得ない。
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