・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・核・原子力
・国際
・文化
・欧州
・アジア
・イスラエル/パレスチナ
・人権/反差別/司法
・反戦・平和
・教育
・沖縄/日米安保
・市民活動告知板
・難民
・医療/健康
・環境
・入管
・中東
・スポーツ
・司法
・政治
・コラム
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年09月07日
・2024年09月06日
・2024年09月04日
・2024年09月03日
・2024年09月02日
・2024年09月01日
・2024年08月31日
・2024年08月30日
・2024年08月29日
・2024年08月27日
|
|
2024年04月03日19時36分掲載
無料記事
印刷用
文化
野添憲治の《秋田県朝鮮人強制連行の記録4》 十和田湖への導水工事 鹿角市大湯
働いた朝鮮人は二百から三百人。突貫工事で1日10時間以上働かされた。食料が不足、仕事が終わると山に入り、草を生のまま食べた。敗戦で朝鮮人たちは現場から去り、行く先はわからない。
空腹で草を生で食べた
鹿角市大湯から十和田湖に通ずる国道103号の中滝から国道104号(秋田街 道)に入って間もなく左手に折れ、広 森川に沿って冷水林道を行くと銚子発 電所の取水路がある。 右側の雑木林の 中にコンクリートの土台が幾筋もある。 川から5メートルほどの高さの所に 15メートル近い穴の入口がある。
アジア・太平洋戦争に入ると小坂鉱 山は軍需省から銅の増産を命ぜられ、 月平均5千トンが倍の1万トンを要求 された。 そのため製錬所などを増設したが、最も不足したのは電力で 大湯川上流にダムをつくり、 発電所を計画 したが、地盤が軟弱でダムは不向きだった。
鉱山では銚子第二発電所を計画し、水は十和田湖から入れることにしたが、奥入瀬渓を止めても渇水期には水不足 になる心配があった。そのため、広森川や大湯川の水を発電所や農耕などに使った残りを、隧道を掘って十和田湖に注入して貯水する計画をたてた。(1)
大湯川や広森川の水を隧道を掘って 十和田湖に入れる工事をしたのが、朝 鮮人連行者だった。朝鮮人の作業の監 督や飯場を運営したのが地元の人たちだった。働いた朝鮮人は約200~300人で、戦時中の突貫工事なので1日10時 間以上も働かされたうえに、食糧は不足した。仕事が終わると山に入り、草を生のまま食べている人が多かったが、 監督たちはそれを見つけると棒で叩く人と、見ても見ぬふりをする人がいた。 朝鮮人に厳しくあたった監督たちは、 日本が敗戦になると逃げて身をかくし、朝鮮人たちが現場から去ってから姿をあらわしたという。 監督をした人に聞くと、怪我をした人はいたが、死んだ 人はいなかったと言っていた。
工事はかなり進行したが、日本の敗 戦で中断した。朝鮮人たちはその年のうちに現場から去ったというが、行き先はわからない。
参考文献 (1) 野添憲治編著 『秋田の朝鮮人強制連行歴史の暗を歩く』 (彩流社) 1999年 (2) 「秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報」 第6号 1997年
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
導水管を置く予定の土台
所在地
|