・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・入管
・市民活動告知板
・国際
・人権/反差別/司法
・農と食
・核・原子力
・文化
・欧州
・アジア
・イスラエル/パレスチナ
・反戦・平和
・教育
・沖縄/日米安保
・難民
・医療/健康
・環境
・中東
・スポーツ
・司法
・政治
・コラム
提携・契約メディア
・AIニュース
・司法
・マニラ新聞
・TUP速報
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年09月17日
・2024年09月16日
・2024年09月14日
・2024年09月13日
・2024年09月12日
・2024年09月10日
・2024年09月09日
・2024年09月08日
・2024年09月07日
・2024年09月06日
|
|
2024年04月23日21時07分掲載
無料記事
印刷用
文化
野添憲治の《秋田県朝鮮人強制連行の記録6》 不老倉鉱山でも朝鮮人働く 鹿角市十和田町
掘りつくし休山した鉱山を国策で甦らせ、連行した朝鮮人を酷使した不老倉鉱山。鉱石を運び出す道路作業に従事させられ、真冬も素足に草鞋履きで作業に追いたてられた。死亡したり逃亡した人も多く、その人たちがどうなったか、記録はない。(大野和興)
◆真冬でも素足に草鞋をはいて
岩手・秋田の県境で不老倉鉱山が発見されたのは1764(明治元)年で、南部藩が採掘した。海抜600〜900メートルの山地で、積雪の多い所だ。その後古河市兵衛が経営し、主要部分を掘り尽くして休山。1938 (昭和13)年に国策の帝国鉱山開発が操業を始めたが、鉱石は小坂鉱山に売却し、トラックで運搬された。
旧厚生省の資料では、帝国鉱山開発が朝鮮人連行者を使用したのは1944(昭和19)年の200人(途中で8人が逃走)で、全員が雑夫となっている。官斡旋と徴用が半々で、敗戦までに55人が逃走している。
また、鹿島組不老倉出張所には旧生省の資料では、2回で214人が官幹旋で連行されている。敗戦で帰国すまでに逃走したのが17人、死亡者が3人、退所して送還したのが12人で、その内訳は病死3人、悪思想の持ち主1人、妻の死亡で帰国が1人、入営1人その他となっている。ただ、 出張所が旧厚生省に提出した旧厚生省の資料には189人とあり、人数が合わない。
朝鮮人たちの仕事は、小坂鉱山まで鉱石を運ぶ道路づくりであった。春から秋までかけてはいいが、真冬でもトラックが走れるように除雪する作業が大変だった。早朝からトラックが走れるように暗いうちに起きて飯場を出ると、「白いズボンに素足に草鞋をはき、 背に雪よけのムシロをあてて除雪する姿は見ていられなかった」(明石文吾)と証言する。
辛い作業をのがれるため、不老倉鉱山から31人が逃亡している。初めての土地なので地理がわかるはずもなく、しかも吹雪の中をムシロを背負った服装で、いったいどこへ逃げて行ったのだろうか。捕らえられてまた働いたという記録はない。
参考文献 (1)(2)『朝鮮人労務者に関する調査』1946年 (3)野添憲治編『秋田県における朝鮮人強制連行』(社会評論社)2005年
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
朝鮮人が働いた道路
周辺地図
|