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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2024年06月01日18時57分掲載
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アジア
「南シナ海航海記」(4)パグアサ島に上陸 途中、突然の発砲音に緊張
【第4日目】 突然の発砲音
この日は天幕の下で読書を続けていた。読んでいたのは、この熱帯の海とは正反対の地である極冠のヒマラヤ山脈に挑戦する登山家を描いた沢木耕太郎の「凍」というノンフィクションの文庫本だった。旅先では、その地と縁もゆかりもない本を読むことが多い。ちなみに揺れる船の上で、酔わずに本を読み続けるこつは仰向けになって本をかざして読むことだ。うつぶせになって読むとすぐ酔うが仰向けだとなぜか酔わないのだ。平穏な船内に午後2時ごろ、平穏な航海を一気に緊張させる発砲音が響いた。「パン、パン、パン」 場所は中国が実効支配するミスチーフ礁から北西約37キロの地点だった。(REAL ASIA特約=石山永一郎)
「中国の監視船でも近づいてきたのか」と驚いて右舷側に行くと、すぐ近くの海上に国籍不明の漁船2隻が漂っていた。カラヤアン町職員ら乗員も、みな右舷側に集まってきた。 カメラの望遠レンズで見ると、2隻とも大量のイカが吊るされている。民間の漁船と見えた。 しばらくすると、身のこなしが素早い海軍特殊部隊のメンバー6人ほどが、ゴムボートを降ろして漁船に向かった。そして漁船に乗り込み、臨検を始めた。 輸送艦ラグナの幹部に聞くと、海域はパラワン島を起点としたフィリピンの排他的経済水域(EEZ)内のため、無線で漁船に国籍などを問いただしたが応答がないため、警告発砲をしたという。 当時のフィリピン海軍はベトナムや時には中国の漁船をEEZ内で拿捕することもあったが、結局、この日はEEZからの退去を命じただけで、大きなトラブルにはならずに終わった。 ラグナの乗員に聞くと、ベトナムの漁船だけでなく、中国の漁船にも退去を命じたこともあるという。 ただ、中国海警局の監視船に遭遇した時は、「無視して通り過ぎることにしている」と海軍兵士たちは打ち明けた。輸送艦ラグナにも老朽化した30ミリ砲2門と機関銃2丁が備えられてはいるが、砲については果たして発射できるかどうかも怪しいという。 最新整備を備えた中国海警局の船と砲火を交えるような「愚かなことは誰も考えない。それは軍というようりも外交が解決すべき仕事だ」とラグナの乗員たちは言った。
【第5日目】 ついにパグアサ島上陸 5日目の昼前、ついに300メートルほど離れた所にパグアサ島が姿を現した。今は船着き場が建設され、ラグナのような輸送艦も直接、島の船着き場に入港できるようになっているが、当時はアユギン礁と同じように上陸はゴムボートを使った。 パグアサ島の面積は37ヘクタールだ。東京ディズニーランドの51ヘクタールよりも狭いが、これまで海と浅瀬しか見てこなかった私たちは「島だあ」と歓喜の声を挙げていた。 上陸してすぐの所に島民が自転車を持って立っていた。 付近を見回しても自転車を持っているのはその人しかいなかった。そこで私はすぐに交渉を始めた「たぶん3〜4日ここにいる。その間、その自転車を貸してもらえないか」、現金収入はこの島では貴重だったようで、謝礼は1500ペソで成立、自転車のレンタルに成功した。狭い島とは言え、波止場から住民が住む地域までは200メートル以上離れている。その後、この自転車は大活躍してくれた。 私と三井マニラ支局長、坂本佳昭カメラマンと話し合い、パグアサ島にはいったん3人とも上陸はしたが、ここに泊まるのは私だけで、残り2人はその日のうちにすぐ出発する輸送艦ラグナに再び同乗して、他のフィリピンが実効支配する島々を回り、もう1度パグアサ島に戻ってくることになった。 その間、私は2泊ほどしてパグアサ島で待つことにした。この島の政策移民の様子などを詳しく知りたかったからだ。
小麦粉をまいたような砂浜
パグアサ島には、真っすぐに300メートル以上続く砂浜があった。砂は小麦粉のように細かくて白く、透明な水をたたえた遠浅の海から寄せる波が真上からの日差しを受けてきらめいていた。これまで私が見たフィリピンの砂浜の中でもベストスリーには入る「奇跡の浜辺」を持つ島だった。おそらく太古からこの砂浜は姿を変えていないと思われた。 「この浜辺で寝ることもある。夜は涼しいからね」。 輸送艦ラグナに私と同乗してきた当時56歳のユーヘニオ・ビトオノンはカラヤアン町長は、あおむけに寝るしぐさをした。 何事も陽気に話すビトオノン町長は「寝ていると、ウミガメが横を通ることもあるんだよ」と口の端を頬の半ばまで上げて笑った。浜では毎月、数匹のウミガメが産卵するという。 パラワン州の西450キロの海上にあるパグアサ島は1時間もあれば歩いて1周できる。 フィリピンが島を実効支配したのはマルコス政権下の1971年だ。 住民約80人のうち30人ほどは軍関係者。残りの住民の中には少数の漁民もいるが、ほとんどは町職員とその家族だ。実効支配を維持する「政策的移民」の側面もあり、島民には食料配給がある。 南沙諸島をめぐっては中国、フィリピン、ベトナムなど6カ国・地域が領有権を主張、周辺の海は、軍事衝突の恐れもある緊迫の海だが、ビトオノン町長は「ここほど平和な島はない」とにこやかに海を眺める。領有権争いについても「各国の漁民同士は仲良くやっている」と話した。 島にベトナム漁民が流れ着いたことがあったが「身ぶり手ぶりで水と食料を欲しがったので、渡してあげた」。逆に島の漁民がベトナム本土近海まで漂流したこともあった。「そのときはベトナム人に『フィリピンはあっちだ』と言われ、水や燃料などをもらって戻ってきた」。台湾が支配する南に約70キロ離れた太平島に流れ着いたフィリピン人漁民も「太平島は台湾の島である」という書類に署名させられただけで無事食料や水をもらって帰ってきたという。 ビトオノン町長はパラワン州南部の町ブルックスポイントの農家に生まれた。家は貧しかったが、米国の奨学金を得て大学を卒業、公共事業道路省に勤め、パラワン州で地域開発の仕事に携わった。 パグアサ島を最初に訪れたのは1997年。「半ば冒険心で来たが、島に魅せられ、その後も通い続けた。この島に住んでみたいと思うようになった」。何よりの島の魅力は「静寂」だった。島に電気が通じるのは夜間の6時間ほど。交通手段は自転車以外に何もない。その静寂をビトオノン氏は愛するようになったという。 カラヤアン町職員を経て、2010年5月に町長選に出馬、元海軍軍人の前町長を破って初当選した。 南沙諸島海域では、海底油田など資源に関心が集まるが、手付かずの自然が残り、井戸から真水も湧き出るこの島をビトオノン氏は「海のオアシス」だという。 夜、あてがわれた宿舎のベッドがあまりにも蒸し暑かったので、島に1970年代からある滑走路に出た。舗装はされておらず、芝が敷き詰められたようになっている。 そこに仰向けになると360度、満天の星が広がっていた。30分ほどの間に流れ星を三つ見た。さえぎる建物もないので、南十字星もはっきりと見えた。天空には半月が輝いていた。 結局ここが最高ベッドだった。
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南沙諸島・パグアサ島の海岸を歩くビトオノン・カラヤアン町長と町民ら(撮影・石山永一郎)
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