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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2024年09月22日22時05分掲載
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文化
野添憲治の『秋田県の朝鮮人強制連行記録」16回 堤防工事に従事 北秋田市米内沢
軍用材で乱伐され、大雨で決壊した復旧工事にも多くの朝鮮人が働かされた。北秋田を流れる阿仁川でも、白い服装をした多くの人が堤防の決壊があるたびに働いていた。当時近くの商店で奉公していた若者が「よく『朝鮮人が逃げた』と警察や工事の監督たちが長い棒を持って捜しに来ていた」と証言している。(大野和興)
◆白い服装で働いた朝鮮人たち
阿仁川は米代川水系の支流で、仙北郡境の柴倉岳と河辺郡境の番島森に源を発し、打当川となって流れ、下流で比立内川を合わせて阿仁川となり、能代市二ツ井町麻生で米代川に注ぐ。この流域は天 然秋田杉やブナの宝庫で、アジア•太平洋戦争の時は軍用材として乱伐されたため、敗戦後は大雨のたびに大洪水となり、橋の流失や堤防の決壊などが多発した。しかも植林をしなかったので、県内の川はどこでも同じような状態になった。
秋田内陸縦貫鉄道の阿仁前田駅前に住む菅原栄次郎は、現在の北秋田市米内沢で姉の夫が時計屋をやっており、1942(昭和17)年から奉公に入り、寝泊まりもした。その時に大洪水があり、阿仁川の稲荷神社のある所の堤防が大きく破れ、川の水が田畑を水没させたほか、民家もあふれた水に埋まった。だが、このころ男は兵隊にとられ、消防団員も女がやるようになっていた。
「わたしが奉公を始めた時で、阿仁川の壊われた堤防を工事するために、白い服装をした人たちが来ると、復旧工事を始めたのです。数えたことはないが、50〜60人くらいはいたと思うな。水害で荒れた田んぼや、まだ濁った水が流れている堤防で、白い服装をした人たちが働いているのは異様でした。どこに泊まっているのかわからないが、朝は早くからぞろぞろ並んで来ると、晩は暗くなるまで働いていた。わたしは奉公をしている身なのでそばに行くことは出来ませんでしたが、よく『朝鮮人が逃げた』と警察や工事の監督たちが長い棒を持って捜しに来ていた」という。
堤防の工事や、荒れた田んぼから土砂や流れ木を運ぶ仕事を翌年の夏ごろまでやっていた。仕事を請け負った会社もわからないが、工事が終わると朝鮮人は姿を消した。
参考文献 『秋田県朝鮮人強制連行真相調査団会報』第31号 2002年
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今は立派な堤防が続く
工事現場周辺地図





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