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2025年06月20日09時48分掲載
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欧州
イタリア現代史ミステリー第2弾「ウスティカの悲劇」(その4最終回)~ チャオ!イタリア通信
<隠された真実> DC9の墜落が何が原因だったのか、決定的な証拠はないが、一つの線が浮き上がってきたと思う。しかし、この事件にはDC9の墜落時のレーダー記録が消えたこと以外にもおかしな事件がまとわりついている。それを以下、書き出してみる。
【二人の操縦士の死】 DC9が墜落した6月27日、グロセット市の空軍基地から飛び立った二人の操縦士、マリオ・ナルディーニとイーヴォ・ヌタレッリが、プリオーリ判事の事情聴取をされる前、1988年8月28日ドイツの航空ショーで衝突事故を起こして死亡する。ラムシュタイン航空ショー墜落事故と言われ、70名もの死者を出す。 二人は、ローマのチャンピーノ管制塔から身元不明の飛行機がDC9の陰に隠れて飛んでいる連絡を受けて、グロセット(トスカーナ州)の空軍基地から飛び立った。そして、非常事態警報を出した。なぜ、非常事態警報を出したのか。今となっては、二人が上空で何を見たかは誰も知ることはできない。 航空ショーの衝突事故で亡くなった二人の死が仕組まれたものと考えるのは、あまりにも考えすぎだろうか。二人の死以外にも70名の死を出してしまった大惨事を考慮すると。ただ、二人の死がタイミング良すぎるのは否めないのだ。
【マリオ・アルベルト・デットーリ空軍元帥の死】 マリオ・アルベルト・デットーリ空軍元帥は、1980年6月27日、グロセット市にある空軍基地のレーダーオペレーターの仕事をしていた。事件の7年後、1987年3月31日に森の中で首つり状態で発見される。 マリオ・アルベルト・デットーリ空軍元帥の死は、自殺として処理された。DC9が墜落した当日にレーダーを見ていた彼が、家に帰ってきた家族に言った言葉は、「第三次世界戦争が始まるところだった」という言葉。そして、同僚のマウリツィオ・ガリが心臓発作で亡くなった時、次は自分の番だと怯えていたということを、娘のバルバラは覚えている。 家族は今でも彼の死を自殺だとは考えていない。森の中で3メートルもの高さの木に首吊りをしたが、彼の靴は泥一つついていない状態だったこと、3メートルの木に登るのに梯子など何も周りになかったことなど、不審な点がある。さらに、プリオーリ判事が事件当日の空軍基地の記録を再現しようと書類を求めた時、そこにマリオ・アルベルト・デットーリ元帥の名前が全くなかったこともある。空軍が彼の存在自体を抹消してしまったようだ。
【リビアのミグ機墜落事件についての新証言】 1980年7月18日カラブリア州シーラ山中で、リビアのミグ機が墜落しているのが発見された。そして、公式の発表では墜落の原因はパイロットの心臓発作ということになっている。というのも、事実とは異なる疑いがあるからだ。 当然、リビアのミグ機はレーダーには痕跡がないので、上空を飛んでいることは誰も知らないが、カラブリア州の海岸沿いで少なくとも5名の目撃者がいた。1機が2機にティレニア海からシーラ山に向かって追いかけられているのを見たという目撃者。シーラ山を見渡せるテラスにいた夫婦は、飛行機が炎を発射させて飛んでいるのを目撃した。さらに、1機が墜落したという目撃情報。1機がリビアのミグ機で、それを追いかける2機がアメリカ軍あるいはフランス軍の戦闘機で、ミサイルを発射していたのは確実だ。目撃者からの通報で、すぐにカラビニエリと呼ばれるイタリアの国家警察官たちが墜落した飛行機を探しに行く。 ここで問題は、このミグ機のパイロットを死体解剖した二人の医師が、パイロットの死は7月18日ではないと証言していることである。アンセルモ・ズルロ医師は「遺体は死亡した日よりも古いようだった」と証言し、7月18日より20日ぐらい前に死亡していると言っている。ちょうどDC9が墜落した時である。 これは、長い間この事件の謎となってきたが、昨年SKYの特集番組で、ミグ機の墜落現場に行ったという元イタリア軍伍長が証言している。元イタリア軍伍長のフィリッポ・ディ・ベネデット氏の証言では、1980年6月28日朝4時から4時半ごろにシーラ山へ行くと、すでに警察官たちが飛行機が墜落した現場にいた。その時、飛行機のパイロットが頭を前に垂れて倒れているのを見た。が、次の日の朝、現場に行くと、パイロットの遺体はなかった。ベネデット氏は「謎だ。遺体が消えてしまった。」とインタビューで話している。 さらに、同番組で空軍秘密諜報部のジュリオ・リグアンティ元帥の証言では、リビア人パイロットの遺体はスクロ山(シーラ山の隣に位置する山)のホテルの冷蔵室で20日間保存されていたという。リグアンティ元帥は、インタビューでミグ機墜落事件を一緒に調査した大佐が「このミグ機は撃墜されたんだ」と言っていたと証言している。リグアンティ元帥は治安判事の前で「リビアのジェット機の胴体には戦闘機の機関砲から発射された弾丸による一連の穴があった」と証言する予定だ。さらに、リグアンティ元帥は、リビアの飛行機がイタリアのこの地域をユーゴスラビアに行くために飛行していた航路だとも証言している。リビアは自国の飛行機のメンテナンスのために、この航路を利用していたというのだ。 1980年から2024年、45年経ってやっと当時の関係者の証言が出てきた。ジュリオ・リグアンティ元帥は、番組の最後で「この45年間、心の平穏を失くしていた。自分が見たことを誰にも言ってはいけなかった。自分が見たことが頭の中で巡り巡っていた。やっと犠牲者たちの側に立つことができた。」と言う。リグアンティ元帥は、80歳を過ぎているように見える。インタビューの映像を見ると、やっと自分の中に溜まっていたものを言うことができて、ホッとしている表情が見える。ただ、遺族にとって45年はあまりにも長すぎた。
〈DC9の墜落原因〉 事件から45年後の証言で、DC9が墜落した状況証拠が明らかになった訳だが、実際にどうやってDC9は墜落したのだろうか。トリノ工科大学の金属材料技術および破面分析学の講師であるフィラオ教授と爆発物専門家のジョヴァンニ・ブランディマルテが行った調査では、爆発物説とミサイル説、この二つの仮説は完全に否定されている。二人の学者によると、悲劇の原因は軍用ジェット機の干渉、もしくは民間機との衝突によって説明できるという。 1990年から2002年までウスティカ島事件を担当したジョヴァンニ・サルヴィ判事によると、「DC9の下を亜音速機2機のうち1機が通過したことで、翼面荷重の逆転と非常に激しい回転運動が発生し、DC9のエンジンが外れ、その直後に飛行中の機体の分解と乗客全員の死亡を引き起こした可能性がある」と言う。 亜音速機とは、最高速度が音速(マッハ1)未満の飛行機で、旅客機、ヘリコプターなど現在では民間機一般は亜音速機となっている。翼面荷重とは、航空機の翼に加えられる単位面積あたりの重量であり、航空機自体の重さに対してどれだけ翼面積を確保しているかを示す指標である。通常、翼1平方メートルあたり、どれだけの重量�圓鮖戮┐討い襪�を示している。翼面荷重の逆転とは、航空機の設計値より大きくなったり、小さくなったりすることである。つまり、航空機の揚力、安定性に重大な影響をもたらす。 リビアのミグ機は戦闘機ではなく、民間機だったので、亜音速機であるリビアのミグ機がDC9と接触したということになる。その接触のために主翼が破損し主翼の面積が減少し、翼面荷重の逆転をもたらした。 DC9の墜落を、「間違った時間、間違った場所」を飛行してしまった悲劇と言う人がいるが、私には起こるべくして起こってしまった事件と思える。リビアの航空機がイタリアの民間機に隠れるように飛行していたら、遅かれ早かれこうした悲劇は起こってしまったはずだ。残念ながら、それがDC9だった。
〈最後に〉 この記事を書いている最中、2025年3月6日ローマの検察庁がウスティカ島の事件の2つの最新調査資料を長期保存することを裁判所に要求したというニュースが報道される。 1つ目の調査資料は、2008年に元首相コッシーガの発言に基づいて行われた調査である。前述したが、コッシーガはフランス軍がDC9の撃墜に関係していると、イタリアの諜報機関から聞いたと発言している。2つ目は、2022年に再開された調査の資料である。この調査は、被害者遺族協会の抗議によって、行われた調査であった。これらの調査資料が長期保存されるとは、調査を打ち切りにするということである。検察庁はこれ以上の調査は無意味だと判断したということだ。 DC9は、いつも通りにボローニャからパレルモに飛行していた。私たちの日常の一部である。一方では、リビアとNATOの対立、イタリアとリビアとの利害関係があり、それらは私たち一般市民にしてみれば、ニュースで見るような別世界のようなこと。「ウスティカの悲劇」は、この二つの別世界が、運悪くクロスしてしまった事件だった。ただ、私たちの日常とは別世界と思っている世界は、やはり私たちが生きている世界でもあるのだ。無関心でいることはできない。いつ何時、「ウスティカの悲劇」のように自分が巻き込まれることもある。「ウスティカの悲劇」を考える時、そんなことを痛感させられる。
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