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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2011年08月01日10時44分掲載
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中東
2011年の聖断食月.北アフリカ夏の陣 文:平田伊都子 写真:川名生十
「81人が乗ったモロッコ軍用機、墜落」のニュースが、2011年7月26日に飛び込んできた。 「テロか?西サハラ紛争再燃か?」そんな懸念が筆者の頭を過ぎった。 BBC.ロイター、AP、AFP、など欧米メディアが<アラブの春―続編>と騒ぎだした。 欧米が大演出した<アラブの春>別名<アラブ革命><アラブ民主化>の洗礼を受けていないのは、モロッコとそのモロッコが植民地支配する西サハラだけなのだ。 しかし、モロッコ内務省は「C−130軍用機が悪天候のため山に激突。クルー9人とモロッコ兵60人とモロッコ人入植者12人の内、78人が即死。詳細は調査中」という、例によって短い声明を出しただけだった。 「モロッコ軍用機が突然、霧の中から低空飛行で出てきて、そのまま禿山に突っ込んで燃えた」と、目撃した西サハラの遊牧民が語る。 事故現場は、同機が着陸を予定していたモロッコ空軍基地グリミーンから西へ約10キロメートル、西サハラの国境から北へ約70キロメートルの距離にある。 事故の犠牲になったモロッコ占領軍兵士とモロッコ人入植者は、数日後に迫った断食月の休暇で、故郷に帰るところだった。
* 西サハラの港町ダハラ 墜落したC-130モロッコ軍用機はモロッコ占領地.西サハラの漁港ダハラから飛んできた。 ダハラは西サハラ南部の中心地で、大西洋と平行に走る50キロメートルのダハラ半島先端にある。数年前からモロッコ占領当局は、ダハラをモロッコ漁業センターにしようと、港の整備や町の開発を始めた。 国際法で禁漁区と指定されている西サハラ領海内でのモロッコによる漁業活動は、西サハラ紛争火種の一つでもある。 血を見るのが大好きな欧米のプレスは、こぞってダハラ入りを目指した。 が、モロッコ占領当局はおいそれと取材許可を出さない。 招待取材ツアーを待つか、観光で占領地に入るしかないのだ。
十数年前、筆者もツーリストとしてカサブランカ国際空港からモロッコ占領地.西サハラの首都ラユーン空港に降り立ったことがある。 ラユーン空港のモロッコ占領警察の尋問に、「西サハラ住民?そんな人いるんすか?観光で〜す」と無邪気に語り、モロッコ当局から指定された宿に泊まることで一週間の観光許可を得ることができた。 当然、宿の主人は毎日ツーリストの動向をモロッコ占領警察に報告していた。 占領地からの出発を前日に控えた朝、アルジェリアの西サハラ難民キャンプに住む友人から、故郷ダハラを見てきて欲しいと頼まれていたので、宿の主人が起きる前にラユーンを出発し、600キロメートル南にあるダハラ漁港に向かった。 運転は友人の友人に紹介された元モロッコ兵が受けてくれる。 大西洋に沿った道は、ラユーンから南200キロメートルにあるブジュドウールの町を過ぎると轍だけが残るラフロードになる。 民家も行き交う車もないし、数十メートルある断崖絶壁を大西洋の波飛沫が登ってくる、、許されるなら何時間でもいたいのだが、許されないのだ。 夜までにラユーンの宿に戻らないとモロッコ当局にしょっぴかれてしまう。 午後一時にダハラに着くと町を一周し、運転手の親戚に挨拶し、しつこく勧める甘茶も飲まず、帰路につく。 「陽があるうちに砂漠を越えないと、俺だって地雷を踏むかも、、」と、運転手は恐ろしいことを言う。 元兵士の彼は地雷の位置を知っていると威張っていたが、地雷はサハラの砂に運ばれて居場所を変えてしまう。 モロッコが誘致したパリダカール.ラリーの西サハラ.ステージでは、必ず数台のラリー車が空高く爆発炎上しているのだ。 ダハラの郊外で二つのテント群を見た。 一つは真新しいテント群で新築住宅への入居を待つモロッコ人入植者用で、仮住まい。もう一つは西サハラ住民のぼろぼろ難民テントで、引越しの当てなどない。 モロッコ占領地の一級市民モロッコ人入植者と、二級市民西サハラ人の差をまざまざと見せつけられた。
* シズネロスと呼ばれていたダハラ 1884年、西サハラを植民地化したスペインは、大西洋に面した長い半島の先にシズネロスと名づけた漁港を開いた。 西サハラ旧宗主国のスペインはシズネロスを、リオデオロと呼ぶ西サハラ南部地方の首都にした。 リオデオロはスペイン語で金の川を意味する。シズネロスは、旧宗主国スペインの撤退後、アラビア語でダハラと呼ばれている。 西サハラ北部地方はアラビア語で赤い涸れ川を意味するサギアエルハムラと呼ばれている。 西サハラ独立運動を指導する<ポリサリオ戦線>の名称はサギアエルハムラとリオデオロの頭をとり、<西サハラ南部と北部の全土に渡る人民解放戦線>を意味している。名づけ親は、1973年にポリサリオ戦線を設立し1976年、砂漠に散ったエルワリである。 1976年に西サハラ亡命政府を立ち上げた西サハラ人は、アルジェリアの難民キャンプに拠点を置き、難民キャンプに約20万人、モロッコ占領地.西サハラに約10万人と分断されている。 しかし西サハラ人は一つの民族として、1884年から1975年まではスペインを相手に、スペインが撤退してから今日に至るまではモロッコを相手に、独立闘争を続けている。 そんな西サハラ人をかっての宗主国スペインは<不帰順族>と仇名した。 <不帰順>とは降参しないとか、おもねらないとか、、そんな嬉しい意味を持つ。
* 不帰順族と星の王子さま <シズネロス>とか<不帰順族>とかの植民地用語は、フランスの飛行機野郎で<星の王子さま>を書いたサンテグジュペリの<人間の土地>にぼんぼん出てくる。 <人間の土地>は郵便飛行士サンテグジュペリ自身の15年に渡る体験記で、1939年に出版された。 体験記に登場する<シズネロス>は郵便飛行航路の中継点で、<不帰順族>とは、フランスやスペインの植民地侵略者に反抗するサハラ砂漠土民である。
「サハラ砂漠は夜になると、全体が一度に消えてしまって、広大な死の領土を形成する。サハラ砂漠に点在する空港のひとつ、、シズネロスさえ発見できたら、、」と、遭難寸前のサンテグジュペリを救ってくれたオアシスとして、シズネロスは第一章から登場する。
<不帰順族>の初登場は第二章で、「ぼくらの3機はリオデオロの海岸に不時着した。ちょうど一年前、この同じ場所に不時着した僚友二人は、不帰順族に虐殺された」とある。 さらに「15分おきに、、歩哨は、次から次へと、所定の大きな叫び声で、お互いに警戒しあった。スペイン要塞が、不帰順族の奥深く孤立しながらも、こうして自分を姿の見えない脅威から守っていた」と、植民地軍の不帰順族警戒対策を誉めている。 「(不帰順族は)シズネロスなどの哨所で、ときどきパンや砂糖や茶を買って、又、彼らの精神の中へと沈んでいった、、 彼らが捕虜の白人を虐殺する理由は憎悪のためより、むしろ軽蔑のためだったから」と、不帰順族を見下ろしている。 「彼らのテントの下へ訪ねていくと、彼らは裸の美女たちが花の間で踊りまわるミュージックホールを賞賛した、、彼らはいま、信仰がぐらつき、張り合いが抜けると同時に、心から帰順を望む気持ちになっている。彼らはフランス経理部から大麦の供給を受け、フランスのサハラ部隊により自分達の安全を保護されたいと願う」と、不帰順族を馬鹿にする。 そして、「今や既に、不帰順砂漠はなくなってしまった。」とするサンテグジュペリ<星の王子さま>の結論は、現在の侵略者たちのそれと変わらない。
* 不帰順族はいまもダハラに、、 しかし、<星の王子さま>の結論を裏切って、不帰順族の西サハラ住民はシズネロスから改名したダハラで、今も生き続けているのだ。 2011年7月6日、ダハラ漁港で三つの漁業団体が、EU(ヨーロッパ連合)議会に四項目の抗議書を突きつけた。 ガンジー漁業組合、エノラス漁業組合、船員組合の三団体は不帰順族の西サハラ漁民が作ったものだ。 その四項目を以下に列挙する。 � �EU.モロッコ漁業契約>は2002年の国連司法委員会覚え書きと2009年のEU議会決議に反する。西サハラ領海は国連と国際法が定める非自治地域で、禁漁区だ。 �◆�2002年の国連司法委員会は、国際禁漁区ではあっても西サハラ地元住民の生活を助ける漁業活動は認めている。モロッコ占領当局の漁業活動は西サハラ住民を助けない。 �� モロッコは違法契約をしたロシアなどの冷凍漁船をダハラに誘致し、禁漁区で大西洋クロマグロを密猟させている。しかも漁業労働はモロッコ人入植者のみに与えている。 �� モロッコ漁船は國際禁漁区で國際法が禁じている<流し網漁法>を行っている。この漁法でモロッコには年間1億1千万円の上がりがある。抗議書はEU議会が<EU.モロッコ漁業契約>を破棄させる決議をすべきだと結んでいる。
EU.モロッコ漁業契約は、2011年6月29日に関係国の多数決で更新されている。漁業契約加盟十数カ国の内、イギリス,スウェーデン、フインランド、デンマーク、ネザーランド、オーストリア、キプロスが反対票を投じた。 モロッコの後見役を務めるフランス大統領サルコジは、フランスがその漁業権を握っているスペインを脅かし、反対していたドイツを寝返らせ、<EU.モロッコ漁業協定>をごり押しででっち上げた。
* 2011年8月1日、聖なる断食月、突入 「もともと遊技のルールでしかないコーラン」とサンテグジュペリが揶揄した、そのコーランの教えに従って、イスラム諸国では8月1日から断食の一ヶ月が始まった。 一ヶ月間、日の出から日没まで飲食もタバコもセックスもいっさい断つ。 何のために断食をするのかというと、飢える人々の苦しみを追体験し、同じ苦行をすることで世界中のイスラム教徒との連帯感を強め、心穏やかに平和な日々を送るためだとされている。 イスラム教の断食行を尊重していても、実際に仕事で断食月に出くわすと困難や不都合に悩まされる。 腹を空かしたイスラム教徒は怒りっぽくなるし、能率が激減するのだ。
断食月が刻々近づいてきた7月末に、ベンガジに拠点を置くリビア王制復興派はフランス大統領サルコジに「断食月前のカダフィ打倒」を強行に進言したそうだ。 断食月に入ると王政復興派の雇われ兵たちが帰国してしまい停戦状態に陥るからだとか、、カダフィが思惑通り堕ちないことにイラついていたフランス大統領サルコジは、仲間のクリントン米国務長官に「アメリカは王制復興派をリビア唯一の代表と認める」と言わせた。 英国にも同じ承認をさせた。 これで仏英米三カ国にあるリビア凍結資産を略奪できることになる。 その内、どれくらいのおこぼれを王政復興派にまわすのか?例によって不明確だ。 さらにサルコジはNATOに対して、連日のようにトリポリ空爆を命じた。 NATOは<リビア市民を守るための国連決議>に従うとして、トリポリ市民への空爆を続ける。 2011年7月28日、アブデル.ユーニス王政復興軍最高司令官と側近の二人が銃殺された。 何処で誰が何故、暗殺したのか?明確にされないまま断食月に突入した。 3人は東部前線で王政復興軍に逮捕され処刑されたとか、対立する部族の暗殺だとか、サルコジの謀殺だとか、アルカイダの犯行だとか、、様々な噂が流れる。 ユーニスは2011年2月22日にサルコジがカダフィ僚友の中から釣り上げた、造反第一号だった。
フランス大統領サルコジにとって、自分に跪かない者<不帰順族>は、排除すべき存在なのだろう? 植民地時代のフランス兵同様に、異文化を受け入れる気などないようだ。ちなみに、「星の王子さま」の舞台はリビア砂漠である。
文: 平田伊都子 ジャーナリスト 写真: 川名生十 カメラマン
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西サハラの国境から70KM北の禿山に激突したモロッコ軍用機
20世紀初頭の仏西連合軍。スペインのカバス大佐とフランスのトリンケ大佐
地平線まで何もないモロッコ占領地.西サハラの漁港ダハラ。筆者と運転手。


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