盟友岡山徹氏と私が、聞き書きした「海峡を渡るバイオリン」(河出書房新社)の陳昌鉉氏が13日、亡くなられた。 82歳、大腸がんだったそうだ。 私が会社を起こして間もないころだった。陳昌鉉氏の存在を知人から聞き、これはと思い、すぐに電話を入れて自宅に行き、その半生を本にしたいと願い出た。陳昌鉉氏の人生は世に残すべきものだと思ったのだ。 ニスの匂いのする雑然としたバイオリン工房で、私は丸椅子に座らせられた。陳昌鉉氏は、私のお願いした要件などすぐに忘れ、バイオリンへの思いを熱く語りはじめた。陳昌鉉氏はそのとき、75歳前後。陳昌鉉氏が、あまりにも熱心に話すものだから、私は目をそらすのすらはばからざるをえなかった。そんな陳昌鉉氏の話を単行本にして世に出した時のことを思い出す。 深く心を通わせた陳昌鉉氏の訃報は、本当に悲しい。 五年前にその本が、文庫化されるにあたって解説を書かせていただいた。もう一度読み返し、そのとき、私が感じた陳さんのことを思い出した。陳さんをしのぶためにその文章をもう一度ここに掲載したいと思う。 写真は韓国の新聞「東洋経済日報社」日本版2004年2月20日のウェブサイトから拝借させていただいた。
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海峡を渡るバイオリン 文庫版解説 その後の陳さん 鬼塚忠
二〇〇七年七月二六日の午後、久しぶりに、東京の仙川にある陳昌鉉さんのお宅を訪ねた。文庫本出版の旨を伝えるためだ。そのお宅はバイオリン工房のすぐ近くにある。 天気予報によると二〇〇七年の夏は猛暑になるはずだったが、予想に反して、実際は冷夏だった。しかしこの日の前日から天気予報通りの猛暑となった。汗だくになって駅から陳さんのお宅まで歩いた。その道すがらにちょっとした雑木林がある。夏だから蝉の鳴き声が「ミーン、ミーン」と聞こえる。陳さんがバイオリンの話をするときよく出てくる蝉の鳴き声だ。陳さんは蝉について「小さな体で、遠くまで美しい音を響かせるこの鳴き声こそ、自然のなかでもっとも調和の取れた音色のひとつ。少しでもあの音色に近づけたい」と言っていたことを思い出す。 陳さんのお宅では上品な奥様が丁寧に迎えてくれた。汗だくになりながらお邪魔する。出された麦茶を飲み干すと、私は我慢出来ずにすぐにお替りをお願いした。 単行本が出たのが二〇〇二年の九月だから、すでに五年が経っている。その間、何度か陳さんの自宅や工房にお邪魔させていただいたが、あらためて振り返ると結構な年数が経過している。 その五年の間に、この「海峡を渡るバイオリン」という著作は、まるで子どもが成人し、親離れをするように、私たちから羽ばたいていった。 まず本が出版されてすぐに新聞、雑誌の書評欄等で絶賛していただき、以降も、朝日新聞の天声人語他多くの媒体で取り上げられた。読者からも感動の声が多数よせられた。
さらに「海峡を渡るバイオリン」はメディアを飛び越えた。 まず漫画化された。小学館のビッグコミックで二〇〇三年四月から「天上の弦」と題し、連載されるようになった。絵は「どんぐりの家」で知られる山本おさむ氏だ。連載は二〇〇六年一一月まで続いた。連載は全十巻の単行本にまとめられた。そしてそのコミックは韓国と台湾、香港で翻訳出版された。 話はそれで終わらない。その「天上の弦」の台湾版を読んで感動した台湾のバイオリン製作者から二〇〇七年七月、陳さんの自宅に英語で電話があった。話を聞くと、彼女は三〇代前半で、台湾で楽器屋をしながらバイオリン製作をしているそうだ。コミックを読んで感動したので、実際に会いたいという衝動を抑えきれず、文字通り台湾から陳さんの自宅へ飛んできた。そして最低二ヶ月は弟子入りしたいという申し出があった。しかし陳さんは了承できなかった。すでに弟子は二人の息子がいるからだ。とはいうものの、せっかく会いに来てくれたので、無下に断るわけにもいかず、バイオリン製作の秘儀を一部、伝授したそうだ。
そして、二〇〇四年二月六日からは、NHKラジオ「私の本棚」で一五回にわたって朗読された。 さらにフジテレビ開局四十五周年記念企画に選ばれ、テレビドラマ化が決定。草��剛と菅野美穂が主演し、二〇〇四年一一月二七日に放映された。この作品が文化庁芸術祭参加作品となり、年末に見事、優秀賞に選ばれた。最優秀賞はなかったので、二〇〇四年で最も優れたテレビドラマと解釈してもいいのではないだろうか。
韓国でも、第一回ソウルドラマアワーズ二〇〇六で短編部門最優秀作品賞、音楽監監督賞を受賞している。まさに海峡を越えて、二国間で評価されたことになる。 陳さん自身にもこのテレビドラマの反響があった。ドラマの主な舞台となった長野県の木曾町より名誉町民の称号を授かった。 感動したのは陳さんの母国でも同じだった。韓国で『海峡を渡るバイオリン』が翻訳出版され、ベストセラーとなった。本を読んで感動した金泳三元韓国大統領に招かれて、自宅を訪問した。 陳さんは世間から注目されてからも、その評価の上に胡坐をかくことなく、バイオリン製作にはげんだ。そして結果も出した。桐朋音楽大学を卒業し、モスクワ音楽院に在学していた朴哲根さんが、陳さんの二〇〇三年製作のチェロで、二〇〇七年四月、ロシアのトリアッティ国際音楽コンクールで、チェロ部門大人の部の二位に入賞した。一位無しなので、つまり実質一位だ。
中学生の英語教科書にも陳さんの人生が紹介された。高校二年生が使う英語教科書「コスモス・イングリッシュ・コース」で、12ページにわたって紹介されている。すでに二〇〇七年三月に文部科学省の検定をパスし、二〇〇八年四月から使われることが決まった。日本で韓国人が英語の教科書に載ったとして、韓国のマスコミの間で、小さな騒ぎになったそうだ。 陳さんへバイオリンの製作依頼も増えている。陳さんは現在七八歳であるが、体力、気力とも衰えず、年にバイオリン五艇、チェロ一艇、ビオラ一艇のペースで製作している。ちなみにチェロは五年先まで注文が決まっている。 陳さんのバイオリン製作に対する探究心はまだまだ衰えない。自分の感性を磨くために今年の二月には南極、六月には北極に行ってきた。五年がかりで計画したとのことだ。
陳さんの持論によると、バイオリンを製作するのに必要なのは知識と知恵。知識は人から習ったり、本を読んだりすれば得ることができる。しかし知恵は誰も教えてくれない。自分で見つけなくてはならない。知恵は感性の上に成り立っている。 陳さん自身は今まで自然から知恵を得てきた。それが一番いい方法だそうだ。だから時間やお金を惜しまず、アフリカのキリマンジャロ、南米のパタゴニアなどへ出かけて大自然と対峙してきた。 そして今年は南極と北極。テレビでは決してわからない両極地の空気。南極大陸に立ち、ペンギンの群れを見、大自然を体いっぱいに感じて感性を高める。ただバイオリンを作り続けていると、感性が鈍化され、何が起こっても驚かない、感動しなくなってくる。歳が八十も近くなるとなおさらだ。陳さんでさえ何もしなければそうなってくると言う。しかし今回の旅行で感性は少年のように磨かれ、感動する心が戻り、脳が驚くほど活性化したそうだ。今まで考えられなかったことが考えられるようになったという。健康に気を遣い、長生きすれば、それだけでいい作品が出来るわけではないと言う。
今回、文庫本になるということで、ゲラになったものを読み返した。私たち自身で作った原稿であるのに、まるで涙腺の蛇口が壊れたように泣いてしまった。司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」(朝日文庫)のなかに、人生逆算説のことが書かれてあった。人生を総括してみれば結局、苦労と幸福は上手くバランスがとれているという考えだ。この解説を書いている間、その話が私の頭の中に何度か浮かんできた。陳さんの人生を見ていると、苦労した分だけ、今、幸福を掴んでいると思えてくる。
陳さんには文庫化することを喜んでいただいた。この本もさらに多くの人に読まれることになるだろう。帰りに、陳さんのバイオリン工房に寄らせていただいた。取材をした六年前と同じようにニスの匂いが立ち込めていた。そこで陳さんはバイオリン製作に賭ける思いを語り始めた。話の内容も昔と同じように、ストラディバリウスの使っていただろうニスについてである。 陳さんはニスの細かなことは誰にも話さない。バイオリン製作で最も重要な秘密がそこにあるからだ。私は製作者でないので分からないが、陳さんは、一旦このニスの話を始めると終わらないのだ。 ニスの話は秘密事項なのでここでは書けない。 この先、陳さんがどれほど情熱的にニスの話をしたか、読者の皆さんの頭の中だけで想像してほしい。ただ、陳さんの話を聞いていると、バイオリン製作って人生に似ていると思った。
陳昌鉉さんのお宅へ訪問した話はここで終わる。 とはいってもこれではなんだか歯切れが悪い。だから陳さんがこの日、工房の中で私に語った言葉で締めくくりたい。 「日々、寝食を忘れて、美しい音色を探究してバイオリンを製作すると、形も自然と美しくなっていくのです」。 人生に似ていませんか?
鬼塚忠 (作家・出版エージェント) 「アップルシード・エージェンシー」代表
http://www.appleseed.co.jp/
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