・読者登録
・団体購読のご案内
・「編集委員会会員」を募集
橋本勝21世紀風刺絵日記
記事スタイル
・コラム
・みる・よむ・きく
・インタビュー
・解説
・こぼれ話
特集
・入管
・欧州
・国際
・核・原子力
・難民
・沖縄/日米安保
・アジア
・反戦・平和
・司法
・中東
・政治
・文化
・コラム
・スポーツ
・医療/健康
・みる・よむ・きく
・農と食
・労働問題
・憲法
・教育
・人類の当面する基本問題
・検証・メディア
・普天間問題
提携・契約メディア
・AIニュース
![NNN](http://www.nikkanberita.com/img/tn200607042224152.jpg)
![労働情報](http://www.nikkanberita.com/img/tn200609071339424.jpg)
・司法
・マニラ新聞
![消費者リポート](http://www.nikkanberita.com/img/tn200609221456355.jpg)
・TUP速報
![プレシアン](http://www.nikkanberita.com/img/tn200607061614084.jpg)
![亞洲週刊](http://www.nikkanberita.com/img/tn200805291955174.jpg)
![ニュー・インターナショナリスト・ジャパン](http://www.nikkanberita.com/img/tn200506011708033.jpg)
・じゃかるた新聞
・Agence Global
・Japan Focus
![openDemocracy](http://www.nikkanberita.com/img/tn200606051648021.jpg)
・Foreign Policy In Focus
・星日報
Time Line
・2024年07月23日
・2024年07月20日
・2024年07月18日
・2024年07月16日
・2024年07月13日
・2024年07月12日
・2024年07月09日
・2024年07月08日
・2024年07月06日
・2024年07月05日
|
|
2014年03月14日20時00分掲載
無料記事
印刷用
コラム
「わが内なる・・・・」
1980年代くらいまでは「わが内なる・・・」という言い方がよくなされたように思う。「わが内なる帝国主義」とか、「わが内なる封建主義」(封建主義という言葉はあの頃、頻出の言葉だった)あるいは「わが内なるスターリニズム」とか言うような言葉だ。
これは問題となっていることの根っこを自分の内部に見ようとする精神の働きだった。しかし、いつごろからか、悪いのは相手、正しいのは自分という風に○×が最初からはっきりして、自分の内側に問題の根を見つめようとする精神の傾向が薄くなってきたように思える。ワンフレーズで相手を必殺するような棘のある鋭い言葉が多くなったように思う。相手は外部から来た敵であり、エイリアンである。理解不能だから始末しなくてはならない対象だ。
このことは表現媒体の制限字数の長さと関係があるのだろうか。あるいはないのだろうか。
かつてはものを表現するということは自己の内面に釣り針を下ろしていく営みと考えられていた。表現とは自己の内部を掘ることによって、他者につながる回路を見出そうとする心の営みと考えられていた。当時の演劇はそのような自身の内面にある対立葛藤を主軸にしていた。だから切れ味は悪くなる。
そういえばあの頃、手紙と言うものは、葉書も含めてだが、頻繁に書くものではなかった。便箋にペンで書いて、間違えるとホワイトで修正し、封筒に入れて相手と自分の住所を書いて、さらに切手を張り、郵便ポストまで歩かなくてはならなかった。相手に届くのは1〜2日後くらい。返信があったとしても2〜3週間後とか、1か月後とかというようなスローなペースだった。
手紙の時代は書くことで考え、待つことで想像するゆったりとした時間が持てた時代だった。だから、その緩やかな流れの中で自分自身を顧みるゆとりも持つことができたのかもしれない。人は変わることができたのだ。自分自身の内面にある憎しみからも解放されることができる契機があった時代だ。変わることができないのは精神の老人である。年若くても変わることができない人間は老いた人だ。
しかし、今日ではEメールやツイッターのような瞬時に世界中を駆け回るメディアが発達している。だからネットの「炎上」という現象もよく起きる。表現の字数も短くなってきているが、速度も加速してきている。腹が立ったら「死ね」と書く。そのことと先ほどのテーマは関係するのだろうか、しないのだろうか。
取り留めもなくなってしまったが、こうして書いていて思い出したのはポーランド人の映画監督アンジェイ・ワイダの「灰とダイアモンド」という作品の結末である。ナチスからの解放後、国の未来を巡ってかつてはともにレジスタンス運動の仲間だった親英派と親ソ派が抗争を始めている。そんな中、暗殺の任務を背負った青年の銃弾を浴びながら、政治家は青年を赦し、受け入れるかのように両腕に抱えるのだ。
|
転載について
日刊ベリタに掲載された記事を転載される場合は、有料・無料を問わず、編集部にご連絡ください。ただし、見出しとリード文につきましてはその限りでありません。
印刷媒体向けの記事配信も行っておりますので、記事を利用したい場合は事務局までご連絡下さい。
|
|
![広告](http://www.nikkanberita.com/ads/202206132144531.jpg)
![広告](http://www.nikkanberita.com/ads/202405162052574.jpg)
![広告](http://www.nikkanberita.com/ads/202405162043164.jpg)
![広告](http://www.nikkanberita.com/ads/202405162057484.jpg)
![広告](http://www.nikkanberita.com/ads/202405162106234.jpg)
|