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2018年08月29日11時44分掲載
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地域
福島「平和のための戦争展」で身近な戦跡と訪ねる 「平和への思い、あらためて」
8月13日から16日まで福島市内で開かれた「2018 ふくしま『平和のための戦争展』」で催された関連企画イベントで、福島市の戦跡をめぐるフィールドワーク「福島の戦跡めぐり」を8月25日が開催された。戦争を振り返る現場を訪ねる催しだ。一つは「コングレガシオン・ド・ノートルダム」記念室。、福島市の「桜の聖母短期大学」2階にある。もう一つは「松根油製造用の鉄窯」。土湯にある。(高橋健太郎)
■コングレガシオン・ド・ノートルダム修道院
1935年(昭和10年)に「コングレガシオン・ド・ノートルダム修道院」として福島市に建設されたが、2011年「東日本大震災」で被災、同年12月に解体され、同短大に移設された。 同修道院は、第二次世界大戦中、イギリス人等「敵国国籍の民間人」約140人の「外国人抑留所」とする国策により、強制的に借り上げた。60人が定員の収容施設に約140人が収容されたため、終戦まで、窮屈な生活を余儀なくされた。
案内してくれたシスターによれば「収容された皆さんは、『民間人』といったこともあったのでしょう。夜になると近所の方が、カボチャや足を紐で縛ったニワトリ等を塀の外から投げ込んでくれたことが度々あったそうです。自分達も食糧難だったでしょうに」「憲兵に監視され気が休まることはなかったと思いますが、投げ込まれた食料を憲兵が横取りすることもなく、スープにして食べたそうです。抑留されたなかには子どもさんもいたので助かったと思います。もちろん、これだけでは食料不足は解消されず、病気になり、亡くなる方もいました」「終戦後、GHQからの援助物資がパラシュートで投下されました。これにあたって亡くなる方もいました。『ドラム缶』ぐらいの大きさだったようです。やっと戦争が終わったのに」
参加者の70代の男性は、「貴重な資料が展示され『資料室』としてもすばらしい。何よりもシスターから直接、お話を聞けて良かった。勉強になりました」と話した。
終戦後は、19名の「戦争孤児」を受け入れ養育する。この活動が基になり「学校法人桜の聖母学院」が誕生する。
※ 見学希望者は、桜の聖母学院 法人事務局 �筍娃横粥Γ毅械院Γ僑牽娃�
■松根油製造用の鉄窯
第二次世界大戦中、石油不足を補うため、「国策」により、町村内の隣組を通じで「松根油」(しょうこんゆ)の生産が割り当てられた。「松根油」とは、「松の根を窯に入れ熱を加える。その後、蒸気を冷却して油を取った。
「松根油製造用の鉄窯」が福島市内で現存するのは、土湯の「土湯太子堂」境内のみ。 男性は兵役、学生が工場に動員されたため、生産が割り当てられた家庭では、「担い手不足」に直面する。そのため高齢者・児童・女性等が中心となり、松の根株を掘り、精製所まで搬入する作業に従事した。
参加者の最高齢の男性は、「生きているうちにこれて良かった」と話しながら、説明版を撮影。女性は「のどかな温泉街に戦跡があるとは知りませんでした」と話す。70代の男性は「ここまで荷物を運ぶのは大変だったろうな」と話しながらメモを取る姿も見られた。 参加者は「身近な戦跡」を通じて平和への思いを新たにしていた。
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転載について
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ノートルダム修道院
松根湯窯跡


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