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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2025年08月15日10時28分掲載
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反戦・平和
戦後80年の日本・「新しい戦前」か「すでに戦中」か(上) 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
戦後80年が近づくにつれ、「新しい戦前」への不安が高まってきた。不安をかきたてる新たなきっかけとなったのは、ウクライナ戦争に便乗した岸田政権の大軍拡政策である。また、日本は「すでに戦中」に入っているとの見方もある。どちらが正しいかはさておき、「平和国家」が歴史的分岐点に立たされていることは間違いない。私たちの現在地を確認してみたい。(永井浩)
岸田首相は2022年12月、相手国のミサイル発射拠点をたたく「反撃能力(敵基地攻撃能力)」を明記した国家安全保障戦略など三文書を閣議決定し、今後5年間で総額43兆円程度の防衛費を投じる方針を決めた。世界の軍事費と比較すると、ロシアやインドを抜き、日本は米国、中国に次ぐ世界三位の軍事大国になる見込みだ。 岸田政権はその理由として、ロシアのウクライナ侵攻と同様な深刻な事態が東アジアでも発生する可能性を排除できないとして、中国と北朝鮮の脅威と台湾有事を挙げた。 タレントのタモリは、同年暮れのテレビ朝日系番組「徹子の部屋」で2023年について問われて、「新しい戦前になるんじゃないですかね」と答えた。以後、「新しい戦前」が時代の空気を表すキーワードのひとつとなっていく。 日本の大軍拡は海外メディアでも注目された。米誌タイムは岸田の顔を表紙に掲げた「日本の選択」と題する2023年五月の記事で、「岸田首相は長年の平和主義を捨て去り、自国を真の軍事大国にすることを望んでいる」と論評した。英国BBC放送も前年の2022年5月に、「日本は静かに平和主義を放棄している」と報じた。アジアではシンガポールのストレーツタイムズ紙が、「日本の防衛政策は平和を育むものでなければない」と題する2023年1月の社説で、日本の防衛政策の転換がアジアに重大な影響を及ぼしかねないことを懸念した。
こうした内外の声とともに、国内では、「新しい戦前」ではなく、「戦争の放棄」を謳った平和憲法を世界への誇りとし、いつまでも「戦後」を大切にしていくべきだという識者らの声がメディアに登場するようになった。 たとえば、終戦80年の今日8月15日の朝日新聞の社説「法の支配守りぬく覚悟」は、「日本が戦後一貫して平和主義を貫き、世界で『法の支配』の重要性を発信してきた」という国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長の発言を引き、こう主張している。「戦後80年、法の支配の守護者として日本の役割が問われている」 毎日新聞は同日、前田浩智主筆がこう記している。「私たちは偏狭なナショナリズムを煽った教訓を胸に刻み報道を続ける。今を戦間期にせず、まずは『戦後』の100年を目指したい」 戦後日本は他国と一度も戦火を交えることがなかった。他国民を敵として殺傷することも、自国民が戦死することもなかった。戦前、つまり1968年(明治元年)から1945年(昭和20年)までの77年は戦後80年とほぼ同じ年月だが、その間、日本は戦争に明け暮れていたことを振り返れば、これは奇跡的といえる。その平和な時代を終わらせてはならないというのだ。 平成天皇は、退位前年の2018年の最後の天皇誕生日での記者会見で在位30年についてこう述べていた。「平成が戦争のない時代として終ろうとしていることに、心から安堵しています」 また戦後の平和は私たちに未曾有の繁栄をもたらし、日本を経済大国に押し上げた。この成功が、戦前にはなかった民主主義社会のなかで達成されたことも忘れてはならない。
戦後、日本が戦場にならなかったことは事実だが、だからといって本当に戦争に関わってこなかったといえるのだろうか、日本はすでに「新しい戦中」に踏み込んでいるのではないかという見方もある。私は後者が適切だと思う。その判断の根拠となるのは、1939年の渡辺白泉のつぎの句である。 「戦争が廊下の奥に立ってゐた」 この句が詠まれたとき、すでに日中戦争は泥沼化していたが、多くの国民にとってはまだ対岸の火事で戦禍の実感は乏しかった。中国への侵略戦争は「東洋平和」のための「聖戦」とされ、新聞や通信社は「暴支膺懲」のキャンペーンを張っていた。だが二年後の1941年に日本はアジア太平洋戦争に突入し、戦火は本土を巻き込むにいたった。大東亜戦争と呼称された挙国一致の総力戦は「欧米の植民地支配からのアジア解放」を旗印とし、メディアは「鬼畜米英」との「聖戦」の旗振りをした。
では、戦後80年を前に日本の廊下の奥に立っていた戦争とは何か。それは、21世紀のはじめから米国が開始した「対テロ戦争」への「国際貢献」であろう。 いつの時代にも、戦争にはその美しくない実態と真の目的を隠すために美しい国策語が冠せられる。「国際貢献」もおなじである。ここには血の匂いは感じられない。だがその実態は、日本の同盟国である米国のアフガニスタンとイラクへの侵略戦争を支援するために自衛隊を海外派遣すること、すなわち参戦である。 それは戦後日本の平和憲法に違反する選択であり、「違憲」との反対の声は強かったが、政府は自衛隊の海外派遣を両国の平和と民主化のための非軍事的な「人道的復興支援」と称して強行した。 確かに自衛隊は両国で米軍と肩を並べて戦闘に参加したわけではない。しかし、国内では戦争の真実を隠しおおせても、それが海外でも通用するとはいえない。米軍のイラク侵攻を支援する2004年からの自衛隊の派遣に対して、イラクをはじめとするアラブ諸国では、日本政府は「日本軍」を「米侵略軍の傭兵」(中東の衛星テレビ・アルジャジーラ)として被侵略国に送り込んできたとの批判がたかまった。 自衛隊の内部資料には、イラク派遣は「純然たる軍事作戦」と記されている。
日本が関わる戦争が、こんどはアジアから遠く離れた中東という廊下の奥に立っていた。「国際貢献」は、すでに日本が「新しい戦中」に突入している現実を国民に悟られまいとする国策語、つまり新しい聖戦と言えるのではないだろうか。 戦前との違いは、戦争の主役が日本かそうでないかにすぎない。米軍はイラク各地で、日本軍がアジア各地でおこなったのと同じ住民虐殺をつづけた。自衛隊は直接イラク国民の命を奪うことはなかったものの、彼らから見ればそのような侵略者に手を貸している。 だが「平和国家」の一員である私たちは、ごく少数をのぞいてはそのような事実には気づかないだけでなく、疑問はいだきながらも自衛隊は非軍事的な活動をしていると思い込んでいたのではなかったか。メディアも基本的にはそのような報道に終始した。 (つづく)
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