国際法を無視した米国のイラク侵攻を支持し、人道復興支援と称して日本が2004年に派遣した自衛隊の「国際貢献」を、イラクはじめ中東の人びとがどのように受け止めているかは日本のメディアではほとんど報じられなかった。だが日刊ベリタは、アルジャジーラだけでなくさまざまなアラビア語メディの情報を次々に伝えた。(永井浩)
日刊ベリタのイラク戦争に関する報道は本サイトの検索で幅広く確認できるが、そのなかから「米侵略軍の傭兵」(アルジャジーラ)の「日本軍」と米軍の蛮行に関するいくつかを再録する。 ・ゲリラ戦を採用すると戦争前に日本に通告 イラク元外交官 http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200409071754352 ・フルージャでの米軍の卑劣な蛮行 エジプト誌編集長が報告
http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200412040108386 ・パンツを見せるイラク人 米兵がテロ警戒し服の下まで“捜索” http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200504091421386
米国の侵略に抵抗するイラク武装勢力は、それに加担する日本への批判を強め、「反日」の意思を自衛隊とは無関係なボランティア活動をする日本の若者らを人質にとることで示した。そして彼らが「日本軍」の撤退を要求すると、日本国内では政府とメディアから「テロに屈するな」の声がわきおこった。 かつて、中国はじめアジア各地で日本の侵略に抗して立ち上がった武装勢力が「匪賊」と呼ばれたように、イラクの武装勢力は「テロリスト」とされ、その実像は問われない。戦争の真実は隠蔽された。「匪賊」も「テロリスト」も、侵略者を撃退するために武器を取らざるを得なくなった普通の人びとだった。 戦火が廊下の奥から居間、つまり本土におよんでいなければ、戦後日本は平和であるかのようだった。 そしてその20年ほど後にロシアのウクライナ侵攻が起きると、政府はおなじような戦火の脅威が突然日本の周辺にも迫ってきたかのような危機感を煽り、国民も「新しい戦前」という時代の空気を実感するようになる。しかし実際には戦争はすでにそれ以前から廊下の奥に立っていて、その戦争に日本が無関係ではなかったという事実に私たちが気づかなかっただけなのではないだろうか。
これが「国際貢献」という新しい聖戦の正体なのだとすれば、それにともなって浮かんでくる疑問は、おなじ現実についてこのような内外の認識の落差が生じるのはなぜなのかである。私たちには通用する「貢献」が「貢献される」側からは拒否されるだけでなく、両者の対立の要因になっているのに、私たちはその事実に気づこうとせず、メディアもそれをニュースとして報じようとはしない。 かつて日本の「アジア解放」にアジアが「抗日」で立ち向かうと、抗日勢力は「匪賊」と呼ばれ、メディアもそれに同調した。いま「対テロ戦争」を支援する日本の「国際貢献」に反発するイラクの抵抗勢力は「テロリスト」とされ、政府とメディアが唱和する。 いずれにも共通しているのは、「われわれ」は存在しても、それに相対する「彼ら」は不在であるという事実である。このため、他者の鏡に映し出される自己像には気づかず、また気づこうとはしない。だから日本は戦後「平和国家」に生まれ変わり、戦争のない時代を過ごしてきたと思っていても、国外ではわれわれの国が「新しい戦中」に踏み出していると見られていることに思いが及ばない。
このような姿勢は、戦後日本の平和と経済繁栄の関係についてもある程度当てはまるだろう。私たちの経済発展が国民の汗の結晶であることに間違いはないが、その豊かさに、戦場となった国の民が流した血の匂いがひそんでいることは見過ごされがちだった。 戦後復興は朝鮮戦争によって予想外の速さで達成された。確かに日本はこの戦争に参戦はしていないが、在日米軍基地が米軍の出撃基地となるとともに、米国支援国として莫大な戦争特需の恩恵をうけ、経済再建の基盤を固めることができた。 その後のベトナム戦争でも、日本は直接参戦しなかったものの沖縄をはじめとする在日米軍基地が米軍の出撃と兵站を支え、さらに米国支援による戦争特需が五輪不況を脱して経済大国の階段を駆け上がらせる後押しをした。直接の参戦はなくとも、日本の関与の仕方は「平和国家」の理念と必ずしも一致しない。 また「戦争のない平成」(平成天皇)が幕開けした翌年2001年には、イラクのクウェート侵攻による湾岸危機が発生、それが米国主導の多国籍軍とイラクの湾岸戦争に発展すると、日本政府は多国籍軍の作戦に巨額の「戦費」を拠出した。さらに戦争終結後、史上初めての自衛隊の海外派兵として、海上自衛隊の掃海艇がペルシャ湾の機雷除去に派遣された。 集団的自衛権の限定的行使容認をふくむ安保法案が2015年の国会で審議されたさい、安倍首相は「日本が米国の戦争に巻き込まれるようなことはない」と断言し、野党や国民の同法案への反対論をはねのけたが、アルジャジーラはじめアラブ世界のアラビア語メディアの多くは、「日本は第二次大戦後初めて海外の戦闘のために出兵を認める安保法案を可決」と報じた。自衛隊派兵は「同盟国である米国の支援のため」と説明されている。
「平和国家」のこのような実像に気づくなら、「新しい戦前」にしないためには「戦後」を大切にすべきだとする主張は、必ずしも説得力を持たないことになるだろう。 だが戦後80年の現在地を「新しい戦前」とみるか「すでに戦中」とみるかはひとまずおくとして、確実なことは日本が「平和主義を捨て去り、軍事大国化を望もう」(タイム誌)としている事実である。岸田大軍拡計画によって、防衛(軍事)費の当初予算は2022年度からの三年で3・3兆円と1・6六倍に膨らんだ。これは、1931年の満州事変前後の三年間の1・4倍増を上回る規模である。 2025年度予算案では、社会保障・文教・中小企業対策などの国民生活予算が物価上昇に追いつかず実質マイナスとなる一方で、防衛費だけは前年度比9・5%増と突出している。 沖縄の南西諸島は東アジアの有事に備えるための軍事要塞化が進み、自衛隊と米軍の実戦さながらの合同軍事演習が民間施設を巻き込んで頻繁に展開されている。 (つづく)
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