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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2003年05月19日17時57分掲載
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【APC=ベリタ特約】アジアプレス・野中章弘代表 「イラク戦争とメディア」を語る
多数の人々を殺傷したイラク戦争を、今回もジャーナリズムは止めることができなかった。戦争報道においても、日本では「攻める側」からの情報が洪水のように流される一方、攻められる側のイラクからは開戦後、マスメディアはすべて撤退した。今回のイラク戦争報道を題材に、イラク戦争とメディアについてアジアプレスの野中章弘代表に語っていただいた。
■「演出」された光景
独立したジャーナリストの集団であるアジアプレスでは、綿井健陽氏がバグダッドからテレビなどを通じてリポートを送りつづけた。野中さんはまず、報道における「真実」と「中立性」に関して問題提起した。
「唯一の真実」そして「中立・客観的」な報道というものは本来ありえるのか。この意識をより鮮明に持たないと、今回の戦争の実相は伝わらないと訴えた。
野中さんはイラク戦争で見方が割れた「解放戦争か否か」を例に挙げた。フセイン政権崩壊を報じる読売新聞は、「『解放だ』市民歓喜」の見出しをつけ、フセインの銅像を引きずり回す市民を「群衆」と形容した。
一方、綿井氏はバグダッド陥落の模様を、「市民は鋭い視線を米兵に投げつけ、歓迎する人はごくわずか。悲しい勝利。勝利と言ってはいけないのかもしれない」と伝えた。
実際は、銅像を倒したのは米軍の装甲車であり、そこに集まった人は人口500万のうちの数百人にすぎなかった。「銅像は象徴的なセレモニーかもしれないが、あれで全体を語るわけにはいかない」と疑問を投げかけた。
野中さんは「『群衆』という言葉を使えるほどの人たちは出ていなかった」と言う。米ABC放送の番組も、銅像を引きずり回す映像の中の18人中7人がカメラマンだったことを明らかにした。
さらにカメラのフレームをロングに引くと手前にはほとんど人が映っていない事実を示し、重ねて「群衆」を否定した。映像や写真は、誤解を生みやすいものと警鐘を鳴らした。
それでも野中さんは、日本のテレビ報道がアルジャジーラ、アブダビテレビなどアラブ系テレビ局の映像を使用してバランスを取ろうとしていたことは認める。だがアフガン戦争と同様、戦時は現地から撤退し、フリーランスにリポート役を頼った。
さらにNHKだけはバグダッドからのリポートもなし。アフガンではフリーランスを起用したが、上層部が「フリーランスを使うのはけしからん」と怒ったため、今回はそれすらなくなったという。
結局バグダッドに残った日本人ジャーナリストは全員がフリーランス。テレビ局と正規の契約を結んで報道したのは、日本テレビでリポートしたジャパンプレスの記者だけ。アジアプレスは自由な報道という観点から独占契約は避けた。テレビ局側も責任を背負いたくないという事情もあった。
■“エンベッド”された記者たち
欧州のマスメディアの記者は多数がイラクに残ったが、日本のマスメディアは米英軍の「従軍取材」には記者を派遣した。「テレビに関して一番ダメだったのはNHK」と言う野中さんは、従軍取材でも同局記者が「我々はイラクに入りました」とリポートするのを見て、その思いを強くした。
英国BBC放送は、自国軍に従軍しても「我々」ではなく「英国軍」と表現するルールを定めている。メディアの独立性を守るためだ。つまり、「完全に軍と一体化してリポートすることが、今回のイラク戦争報道で目立った」のが日本のマスメディアの特徴だった。
従軍報道は、イラク兵や市民の姿をキチンと描いていないと野中さんは感じる。
米英軍による規制のせいもあるが、ベトナム戦争で自ら配属先となる部隊を選び(今回は米英軍側が指定)、最前線で殺し合いに接したカメラマンの石川文洋氏の経験を紹介し、当時との取材の違いを指摘した。
結局、数千人が死んだとみられるイラク兵の姿は報道から見えてこなかった。米英軍の死者はわずか百数十人という。
「これは戦争というより虐殺行為に近い。殺し放題という感じ」
しかも宣戦布告もせずに、米英軍は攻撃を始めた。
「基本的にどうみるのかといったら、侵略戦争だと思う。侵略と、もっとハッキリ言っていいのではないか」
これが野中さんの立場だが、「米英軍について従軍取材をしていると、そういうことが全然見えなくなる」と指摘した。
イラク戦争でも報道は情報戦の一環と位置づけられた。しかも9・11テロ事件を契機に、米国マスメディアは批判精神を失い、湾岸戦争時のCNNのように独自視点を貫く報道もなくなった。FOXテレビは戦車の搭乗員に小型カメラをつけ、そこから映像を垂れ流した。
「これは絶対にやってはいけないこと。ジャーナリズムを逸脱している。流していることは事実でも、兵士の目で見た光景のタレ流し。ジャーナリズムは自らの見識において、何を流すべきかをキチンと選択し、その意味づけを確認してから流すべきだ」
野中さんはそう批判した。
■報道に「中立」はありえない
ここで問われるのが報道の「中立性」とは何か。朝日新聞の従軍記者が自己の取材について自問する記事中に「中立であるべきジャーナリスト」というくだりがあった。
野中さんは「中立的な報道はありえないし、すべての報道は偏向していると思う。アルジャジーラもCNNも、綿井記者の報道も偏向している」と言い切る。
つまり報じたことは事実でも、その背景や意味するところはひとつではない。フセイン像倒壊をめぐる報道が好例だ。
釈放した囚人にやらせた、金をバラまいたという噂もある。アフガン戦争の際も、米メディアがテレビ用の絵を作るために星条旗を配ったという。
朝日記者の自問記事には米軍の砲撃成功に思わず歓声を上げた自分を振り返り、「喜ぶべきではない」とした一節もあった。揺れる心を正直に告白したことに野中さんは共感しつつも、「発行部数が850万部の新聞で、これは未熟すぎる」と苦言を呈した。
アジアプレスでは野中さんと綿井記者が話し合い、侵略戦争という立場を明確にした。それが偏向していると言われれば、その通りと答えるしかない。「どっちもどっち」は、事柄の本質をぼやけさせるだけだ。
むしろ「偏向」した報道が多くあればあるほど、そこから全体像が浮かび上がる。それが民主主義の基本と考えている。
フセイン像を例にとれば、日本のマスメディアにとっての今回の致命傷は「そこに特派員がいなかったこと」だったと強調する。現場に記者を派遣せずに外国メディアのリポートに頼れば、「群衆、市民歓喜」と配信されても、それを覆す根拠がないから受け入れざるをえなくなってしまう。戦場取材の大切さはそこにあると野中さんは訴えた。
「戦場にいないことによって伝えられていないことがある」から、現場に行かなければならない。それが後の検証報道で明るみに出ても、受け手の側の関心が低下してしまってからでは遅い。
BBCがアジア向けに衛星放送を始めたのは、湾岸戦争で唯一バグダッドに残ったCNNのレポートが世界中に流れて危機感を持ったからという。「そこに伝えるべきものがある限り、ジャーナリズムは行かなければならない」と言う野中さんに、日本のマスメディアは軸足や視点の置き方をあいまいにしたまま状況に引きずられていったように映った。
多数のイラク市民を殺した米英軍の「誤爆」も、アフガンで誤爆とされた現場を見た経験から「あれを誤爆と言ってはいけない。民間にも犠牲者が出ることは、あらかじめ織り込み済み」と確信する。
綿井記者も「これは無差別殺戮だ」とコメント。偏向していると批判もされたが、野中さんは「よく言ったと思った。1000人、2000人がそういう形で殺されていくのは“殺戮”に近い。そういう感覚の方が常識的だし、バランスが取れていると思う。ところがマスメディアの報道などによって“たまたま誤った”となってしまう」と訴えた。
野中さんたちに、戦場ジャーナリストを気取るつもりはない。だが、危険はあっても、戦場が戦争の基本的な現場である以上、そこを取材しない戦争リポートはありえない。アジアプレスでは派遣や撤退など、独自の判断で動いてきたという。
■戦争を防止するのがジャーナリズムの役目
今回フリーランスが脚光を浴びた意義は大きい。一方で「マスメディアがキチンと報道していれば、別にフリーランスが出ていく必要もなかった」との思いもある。本来ニュース報道はマスメディアの基本的な仕事であり、フリーランスの活動分野は他にも見いだせる。それだけに、今回バグダッドにマスコミ記者が誰もいなかったことは、マスメディアにとって今後の課題となった。また、米国の短期勝利を結果オーライとして、報道が復興重視の傾向を強めてきたことにも警鐘を鳴らした。
膨大な量の情報が流されたイラク戦争報道。野中さんは最初に示した2つの問題意識に立ち返った。
「20人いたら20人が“これが真実だ”とそれぞれ違った言い方をすると思う。ひとつの真実というのは、ありえない。すべての報道は偏向しているし、恣意的なものだ。中立性を“装った”報道はたくさんあるが、中立的な報道はありえない。これはメディア・リテラシーの基本」
受け手の側が、マスメディアの言葉を疑っていかなければならない。政治や市民が立派なのに、マスメディアだけがダメという社会はありえない。メディアがダメなら、政治も市民も社会もダメ。その意味で、情報の受け手のひとりひとりが報道に対して働きかけをしていくことの重要性を野中さんは訴えた。
質疑応答に移り、参加者からは日本のマスメディアでも、バグダッド特派員は開戦後も現地駐在を望んだにもかかわらず、編集局幹部の判断で撤退させられた例などが紹介された。
定例会に参加したあるジャーナリストからは、報道の中立について、「ジャーナリストたる者は、戦争がなくなることを目的としなければならない。反戦の立場に当然立つのがジャーナリズムのあり方ではないか」と述べた。
野中さんは綿井記者による空爆被害者のリポートを紹介し、「情緒的と言われようが、空爆を受けるイラク市民の側に立って報道すべきじゃないか、ということはある。それが一面的だと言われれば、それはそう」と答えた。もちろん「ジャーナリズムは戦争を起こさないことに最大の力を注ぐべき」と付け加えた。
野中さんは「日本人の日本人による日本人のための報道」を改めなければならないと提言する。CNNなどには、関係者も含めて世界中に注目されているという緊張感がある。日本のメディアに対しては、「NHKが行ったら、そこは戦場じゃない」という皮肉さえ聞かれるという。
採用するジャーナリストの多国籍化も含め、国境を超える必要性がある。また徴兵制のある韓国に比べ、日本の記者が武器に疎いことも指摘したが、後日アンマンで起きた毎日新聞記者の爆発物所持事件への教訓的な発言となった。
(『アジア記者クラブ通信』から転載)
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