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2009年04月18日15時39分掲載
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タイの混乱は新たな民主的変革への陣痛 メディアに欠ける歴史的視点(上)
タイの政治的混乱は、タクシン元首相支持派組織「反独裁民主戦線」(UDD)が軍との衝突による流血の事態を避けてデモを中止したため、ひとまず終息に向かった。だが、火種はくすぶりつづけており、いつ反タクシン派との抗争が再燃してもおかしくない。いま起きていることを歴史的に見るならば、1932年の「立憲革命」と1973年の「学生革命」に匹敵する大きな変革期にこの国がさしかかっているといえるからだ。メディアは目先の動きを追うだけでなく、その底流を見すえた報道もこころがけてほしい。(永井浩)
▽タクシン政治の功罪
まず、ここ数年の動きを簡単に振り返ってみたい。それを読み解くキーワードは「タクシン」である。
警察官僚からビジネスの世界に転じ通信事業で財をなしたタクシンは、タイ愛国党を結成、2001年の総選挙における同党の圧勝で首相に就任した。05年の総選挙でも圧勝し、政権は2期目に入った。 この間、タクシンは1997年のアジア通貨・経済危機で破たん状態だったタイ経済の立て直しに大きな成果をあげるとともに、歴代政権が軽視してきた農村の貧困問題にはじめて本格的に取り組んだ。国民のだれもが30バーツ(約90円)で医療サービスを受けられる制度、貧困者への低利融資、村ごとの特産品を作る「一村一品運動」への基金など、公的資金の投入によって草の根の経済開発と内需拡大を図った。タクシンは出身地の北部や東北部の農民層や都市の貧困層から絶大な支持を得た。 「タクシノミックス」と呼ばれる政策は、経済成長と貧困の解消を同時にめざすことによってタイを中進国から先進国へと飛躍させることをめざした。
だがその一方で、タクシンの独断専行的な政治運営や政権に批判的なメディアへの露骨な介入に対して、国民の批判が高まり、06年1月に浮上した首相一族の株売却疑惑を機に、バンコクでは首相の退陣を要求する市民集会が相つぐようになる。その中心となったのが「民主主義市民連合」(PAD)だった。 PADは市民団体と名乗っているが、その中心は首都の中間層やタクシンと対立するビジネスエリートで、背後に王族や軍部がついているとされる。彼らはタクシンの反民主主義的姿勢や農村部へのバラマキ政治を批判、さらには彼の王室軽視まで問題にするようになる。
タクシンは議会解散・総選挙で応じるが野党はボイコット、そして憲法裁判所による総選挙の無効とやり直しを命じる判決が出るなど混乱が深まるなか、同年9月、国軍は無血クーデターにより全権を掌握、外遊中のタクシンを追放した。愛国党は総選挙での買収を理由に憲法裁判所から解党命令の判決を下された。
国軍によるクーデターはバンコク市民の多くの支持を得たものの、軍による暫定政権はみるべき成果を挙げられないまま公約どおり07年12月に民主体制への復帰をめざす総選挙を行った。しかし、旧愛国党の流れをくむ国民の力党が勝利を収め、サマック内閣が発足する。これに反発する反タクシン派は、PADを中心に反政府集会から首相府占拠へと戦術をエスカレートさせ、タクシン支持派勢力との衝突で死傷者が出る騒ぎとなった。
退陣を拒むサマックは、テレビの料理番組への出演が違憲行為だとする憲法裁判所の判決で08年9月に失職。後任のソムチャイ首相もタクシンの義弟であることから、PADは反タクシン攻勢の手をゆるめず、ついに11月末バンコク郊外のスワンナプーム国際空港を占拠し、日本人など多数の観光客らが出国できなくなった。 前後して憲法裁判所が、ソムチャイ政権の連立与党に対して選挙違反を理由に解党命令を下し、政権は崩壊。新首相にPADが支持する民主党のアピシット党首が選出された。これを受けてPADは空港封鎖を解いた。
一連の混乱による主産業の観光収入の落ち込みに、米国発の世界不況が追い討ちをかけ経済は低迷した。この非常事態を考えれば、両者は経済対策を優先させ、対立の先鋭化は避けざるをえないのではないかとも見られたがそうはならなかった。 年明けとともに「反独裁民主戦線」は反撃にでた。総選挙の洗礼を受けていないアピシット政権の退陣を求める集会をバンコクで開始し、さらに4月に中部のリゾート地パタヤで開催される東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の国際会議を中止に追い込んでいった。
▽両派とも「民主主義」を旗印に
タクシン派と反タクシン派はいずれも民主主義を旗印に掲げているが、その対立は基本的にはエリート層内部の権力争いと見られている。前者は、タクシンに代表される新興ビジネスエリートを基盤としている。後者は、彼らに既得権益を脅かされると警戒する王族、国軍などの旧権力層、タクシン派と利権対立するビジネスエリート、PADなどの都市中間層である。 タクシン派の強力な支持基盤となっているのが、貧しい農民や都市の貧困層である。タクシンは民主的な選挙によって権力の座に就きながら、首相としての反民主主義的な言動によって都市住民の反発を買ったものの、国民の多数を占める農村と都市の貧しい人びとは彼の貧困政策を支持してタクシン派に投票をし続けた。 タクシン派は、民主的な選挙の結果と議会を尊重すべきだと主張する。
一方、経済発展の受益者として登場した都市中間層は、タクシンの農村重視政策を快く思わないだけでなく、貧困層は無学で政治に参加する資格がないと蔑視している。しかし反タクシン派は、農民層などの貧困層に支えられ民主的に選出された親タクシン政権を再び軍を動かして打倒することができないと見ると、司法を味方につけて政敵を追い込んでいった。憲法裁判所の一連の判決がそうであり、PADの暴走を警察が黙認したのもそうである。だから、彼らの勝利は「司法のクーデター」とも評された。 反タクシン派は、既得権益を守るために、選挙は貧困層の買収などで腐敗していて民主的とは言えないと主張し、投票権の制限や下院の権限縮小も検討しようとしている。
では今後、タイはどこへ向かおうとしているのだろうか。それを展望するには民主化の歩みへの歴史的な視点が必要である。 (つづく)
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