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 橋本勝21世紀風刺絵日記
 
 
 
 
 
 
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 | 2011年09月06日16時25分掲載
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 中東いつまで粘れるカダフィ大佐 カダフィ最後の頼みはイスラエル? 文:平田伊都子 ジャーナリスト 写真:川名生十 カメラマン
 
    
     | 「2011年9月3日までにカダフィ軍は投降せよ」と、カダフィ軍に最後通牒を突きつけた国民評議会(王制復古派)は数日後「止めた!一週間、投降期限を延ばす」と、訂正した。 こと左様に宣言をゴロゴロ変えるのは、国民評議会(王制復古派)に主導権がないからだ。 この組織がサルコジ仏大統領に操られているのは、いまや、明白になってきた。 そのサルコジに知恵をつけられて、ジャリル国民評議会代表はカダフィの首に1億3千万円の賞金をかけた。 「カダフィを売った者には賞金に加え恩赦も与える。生死は問わない」と、カダフィ身内の裏切りをそそのかした。 かってカダフィを裏切ったジャリルは、カダフィの身内もカダフィを裏切るとたかをくくているようだ。
 
 * カダフィにさよなら
 
 カダフィはいまや、世界一の嫌われ者になってしまった。 欧米は言うことを聞かないカダフィに手を焼き、国連は悪態をつくカダフィにうんざりし、リビア国民はこの人騒がせな男に飽き飽きしていた。 アルジャージーラTVは独裁者風評を煽り続けた。
 そんなカダフィにも、かってはファンがいた。 超大国アメリカの横暴に牙をむき、虐げられた弱い国々を援助し、パレスチナ人から国を奪ったイスラエルを罵っていたからだ。 筆者も単純なファンの一人だった。 どこの馬の骨ともつかないジャーナリストの筆者を<サハーフィーヤ.女ジャーナリスト>と呼んで、他の国際メディアと同様に扱ってくれた。 1989年から2002年にかけ足繁くリビアに通う。 貧乏人と弱者の味方だと信じていたからだ。
 しかし1999年、パンアメリカン機爆破事件の容疑者モガディブを欧米側に売ってから、カダフィの言動が変わっていく。 パンアメリカン機爆破事件とは、1988年にスコットランド上空で起きた爆破テロのことである。 アメリカとイギリスはリビア諜報員のモガディブを実行犯とし、リビア政府を主犯とした。 モガディブの引渡しを拒否したリビアに 国際社会は経済制裁を科した。 カダフィは10年間、粘った。 が、経済制裁に耐え切れず、モガディブを欧米に渡してしまう。
 2000年に入るとカダフィの顔がむくみ、歯切れが悪くなり、間違ったことを平気で口にするようになってきた。 衣装だけがケバケバしく派手になり、筆者も含め多くのファンが「カダフィにさよなら」していった。
 2001年、カダフィの名代として、新婚旅行も兼ねた三男サアディが来日した。 彼が記者会見をやりたいと言うので、筆者はプレス仲間に声をかけてある日の午後に記者会見を設定した。 ところが記者会見当日の朝、サアディは「夕方に帰国するから記者会見は中止」と言う。 筆者はすぐ関係者に、中止の侘びを入れる。 ところがところが、夕方になっても彼は腰を上げず「明日、記者会見をする」ときた。 筆者は頭にきたが彼の我儘に負け、関係者に頭をさげ一旦キャンセルした記者会見をやってしまった。 長女アイシャも同行していて、ホテルニューオータニのフィットネスクラブに入り浸っていた。
 
 * ポチか、狂犬か
 
 「イラクのフセイン元大統領が米英軍からコテンパンにやられるのを見て、カダフィは茫然自失となった」と、フセイン弁護団のジヤード弁護士が筆者に語った。
 2003年のイラク侵略は、カダフィの大口を完全に封じた。 カダフィは欧米に言われるままに核放棄をし、パキスタンの科学者たちを裏切る。 反テロ協力と称し、第三世界の革命家たちを欧米に売り飛ばす。 そしてカダフィは、失語症状態になってしまった。
 その代わりに次男セイフ.アルイスラムがカダフィ名代として欧米各国を相手に、人権問題や民主化問題やグローバル問題を語り、開かれたリビアを宣伝して回った。 2007年3月にはトリポリで「地中海国際会議」を主催した。 しかし、彼は会議をすっぽかし、彼が坐るべき議長席には、見知らぬ男が名も名乗らず一言も喋らず坐っていたのだ。
 
 パンアメリカン機爆破事件の犠牲者270人に対する2,052億円の賠償金問題が片付くと、カダフィの態度は変わっていく。
 2008年にはリビアを植民地支配していたイタリアに対して、損害賠償を請求した。
 2009年8月にはスコットランド刑務所に繋がれていたパンアメリカン機爆撃犯モガディブを、次男セイフが自ら迎えに行く。 カダフィは英雄扱いでモガディブに勲章をやった。 そして、同年9月23日の国連総会首脳演説では、一人15分の持ち時間を一時間半と遥かにオーバーし、「国連はどうしてパレスチナ人の国を略奪したイスラエルを罰しないんだ!」などと、まくしたてた。 その上「役立たずの国連憲章め!」と、国連憲章らしき本を投げつけた。 当時、国連総会議長役を務めていたリビア国連大使は頭を抱えて机にうつぶした。
 こんなカダフィを欧米社会の誰が好きになれるだろうか?
 欧米は、石油利権を欧米の意のままにできるポチが欲しい。 未開の油田がまだまだあるというリビアは、ヨーロッパ大陸の目の前にあるのだ。
 欧米諸国は狂犬に戻ったカダフィを抹殺するチャンスを狙った。
 
 * サルコジNATOの勝利
 
 2011年2月17日、ベンガジでイドリス王朝(1951=1969)の旗を掲げた人達が人民革命の雄叫びを上げた。 「王制復古が民主化?何か変だな?」と疑いつつ、「チュニジア、エジプトに続くリビアでの人民蜂起」と讃えるアルジャジーラの宣伝を信用した。 アルジャジーラ(カタール)はアラブ人の味方だと思っていたのだ。 しかし、変なことはまだあった。 戦争映画のヒーローもどきでカメラにポーズする人民革命兵士たちは、リビア人らしくない。 流暢な英語、粋なサングラス、お洒落ないでたち、、他国のアラブ人臭い。
 イドリス王朝旗を振る王制復古派が国民評議会を名乗りジャリル代表がパリ詣でをする頃になって、舞台裏のサルコジ仏大統領が表舞台に現れた。 アメリカ主導のNATOはたちまちサルコジのNATOになり、サルコジの国連が動きを加速させ、サルコジのアルジャジーラTVがあることないことサルコジの国民評議会を宣伝する。
 「ベンガジの裏切り者めら、容赦しないぞ!」サルコジの狡猾な誘導にまんまとひっかったカダフィは叫んでしまう。 2011年2月27日「ベンガジ市民をカダフィの虐殺から守る行動」を国連決議し、リビア資産の凍結を始める。 3月17日「ベンガジ市民を守るため、リビア上空飛行禁止空域」を国連決議し、3月19日からサルコジのNATOはトリポリ空爆を開始する。 8月末にトリポリを陥落させたのは、人民革命兵士ではない。 NATOの空爆とその友軍であるカタール正規軍だ。
 2011年9月1日、パリに63カ国の代表を招きジャリル国民評議会代表をお披露目したサルコジ仏大統領は得意の絶頂にあった。「リビア飛行禁止区域設置決議はリビア空爆を承認していない。リビアへのNATO侵略は内政干渉だ」とサルコジを非難していたロシアも、リビア石油利権を剥奪すると脅かされ国民評議会を承認した。「まずは、リビア資産の一部から1兆1,500億円を支援国と国民評議会で山分けする」と、サルコジは発表した。
 他国の石油も資産も国土も、みんなで盗れば民主主義になるのかな??
 
 * 離散したカダフィ一家
 
 カダフィ一家はバラバラになった。9月6日現在の消息を尋ねてみる。
 父: ムアンマル.アルカダフィ(推定70才) 行方不明。
 母: サフィア(年令不詳)8月28日にアルジェリアへ亡命。
 長男:ムハンマド(41才) 先妻ファテイハの息子。 義母とアルジェリアへ亡命。
 次男:セイフ.アルイスラム(41才)アルジャジーラは何度も<セイフ逮捕>を流す。
 三男:サアディ(38才)2004年から2007年にかけてイタリアのセリエAやペルージャに入団。試合出場は一回だけ。行方不明。
 四男:ムッタシム、2009年や2010年にランチキパーテイーでの乱交がばれて、国民の顰蹙を買う。行方不明。
 長女:アイシャ(35才)フセイン国際弁護団の一員だった。8月28日にアルジェリアに亡命し、入国直後に女児出産。
 五男:ハンニバル、2008年にスイスのホテル従業員に暴行を加え、スイス裁判所で有罪判決。カダフィは国交断絶をちらつかせスイスからハンニバルを奪回。行方不明。
 六男:セイフ.アルアラブ(29才)2006年ドイツのナイトクラブで乱闘事件を起こす。パリに武器を密輸しようとして失敗。NATOの空爆で殺された。
 七男:ハミス、ハミス軍団を率いる。アルジャジーラの報道で三度殺された。行方不明。
 八男:ミラド、1984年に養子になった。同年に幼女になったハンナは米軍空爆で殺された。
 
 2011年8月31日、アルアラビーアTV(ドバイ)の電話インタヴューで、三男サアディ
 が「和解の話し合いをする用意がある」と、カダフィの名代と称して語った。
 数分後にアルライTV(シリア)の電話インタヴューで、次男セイフが「二万の兵がいる。
 シルトで我々は勝利する」と彼もまた、カダフィの名代と称して語った。
 
 * カダフィ大佐殿、長生きしてください
 
 「戦うぞ!NATOが敵だ!!リビア人民は外国軍に膝まずかない、降服しない、女じゃない、奴隷じゃない!!!」と、9月1日の革命記念日にカダフィは徹底抗戦を呼びかけた。 さらに同じ日、同じアルライTVで「我々の石油は欧米に渡さない」と、叫んだ。
 
 ところが、9月3日にオーストリアの右派政治家でユダヤ人デヴィッドがAPに「セイフは私に、リビア内戦が終結したらリビアはイスラエルと和平交渉をするともちかけてきたんだ。その上、ハマスの捕虜になっているイスラエル兵の釈放も約束した」と、カダフィたちがイスラエルへの全面降伏を条件に、命乞いをしたことをばらしたのである。
 8月にイスラエル政府高官アユーブと共にリビアへ入ったデヴィッドは、セイフから直接この約束を取り付けたと信憑性を強調する。
 8月31日にサルコジ仏大統領も各国のフランス大使たちを前に「我々EUはアラブの春を成功させた。今や、9月国連総会でのパレスチナ国家宣言に対して声を一つにして対応する時がきた(ロイター発)」とイスラエル支援の外交闘争を命じた。 サルコジの母はユダヤ人だ。 ユダヤ人の国イスラエルの最優先課題は、9月にパレスチナが予告している<国連総会でのパレスチナ国家承認>を潰すことにある。 あらゆる手段を使いあらゆる国に働きかけているイスラエルは、瀕死のカダフィまでも利用するつもりなのだろうか?
 カダフィは悪口雑言を浴びせたイスラエルに、命乞いをするのだろうか??
 
 カダフィ大佐殿、長生きしてください。 あなたが生き延びることで、私たちは、あなたを抹殺しようと蠢く国際社会の裏舞台を垣間見ることができるのです。
 
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   1969年、革命直後のカダフィ(中央)と仲間たち。ベンガジで。
 
 
   1990年のカダフィ一家、左からアイシャ,セイフ、ハミス、サフィァ。
 
 
   カダフィ伝の打ち合わせをするカダフィと筆者。
 
 
   アラビア語で<アルカダフィ>の直筆サイン。
 
 
 
 
 
  
 
  
 
  
 
  
 
  
 
 
 
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