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橋本勝21世紀風刺絵日記
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2012年03月03日12時42分掲載
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文化
【核を詠う】(32)福島原発の地で詠った東海正史歌集『原発稼働の陰に』を読む(3)「この原発この段丘にある限り被曝の脅威消ゆることなし」 山崎芳彦
3月11日が近づいている。昨年の3・11東日本大震災・福島原発事故から一年が過ぎようとしている。この一年、どんな時間が過ぎただろうか。人々はどのように生き、いまどのように生活し、思い、何をなしているだろうか。春、夏、秋、冬が過ぎていった、行こうとしている。
大震災、津波による被災に加えて、福島原発の壊滅的事故による放射能被害の底知れぬ、先行きの知れぬ深刻な事態のなかで、全国民が喘ぐようにして生きているのが現状だと言える。もとより、直接的な震災・津波の被災者、福島原発事故による近隣地域の被害者の辛酸は言いようもなく厳しく苛酷なものであるだろうことは、筆者が暮らしている茨城の地にあっても、身に迫って感じられる。同時に、原発列島である現状を思えば、この国のすべての人々が更に上回る危険に向かい合っていると言わなければならない。福島で起きた事態が原発列島の別の原発で起きない保証は無いのだから。
福島原発の事故でこれほどまでの事態になっているのに加えて、もし別の原発で・・・、と想像するのは破天荒であろうか。いま求められているのは、東日本大震災・津波による被害と、福島原発によってひきおこされている現状に対する早急で効果的な、人々の生活の回復・再建に取り組むと同時に、原発の全面停止とそれに伴っての使用済み核燃料の厳重な保管・管理対策に全力を挙げることであろう。原発の存続、稼働を前提にした安全基準の見直しなど論外のこと、新しい「安全神話」を作る動きは許されない。
こうした状況の中で、政府・行政の財界と一体となっての原発延命どころか海外輸出推進と、現状の隠蔽は許し難いというべきである。原子力規制組織の新設、各種関連組織の設置は政府・財界・官・学・ジャーナリズムの原発維持・存続、停止原発の再稼働にむけての「原子力村」の再構築をもくろむものというべき動きである。脱原発に向かっての方向は、視野の外であるというしかない施策が相ついでいるのが現状である。
思えば、広島・長崎の原爆体験、ビキニの「死の灰」の体験を経て、そこから「原子力の平和利用」-核エネルギー使用へと突き進んだこの国の政治・経済・社会の歴史をさらに引き継いでいくなら、その行き着くところの悲劇的結末は見えている。「我が亡き後に洪水はきたれ」-後は野となれ山となれ、の頽廃に加担するわけにはいかない。今こそ、原発に依存しての経済成長主義から脱し、原発再稼働へと導く意図を持った電力危機キャンペーンのまやかしを拒否していかなければならないだろう。
東海正史さんの歌集『原発稼働の陰に』の作品を読みながら、原発立地の地域で生活を営む歌人の、その苦悩と痛苦、怒りは原発にかかわる作品だけでなく生活詠、心象詠にも読み取れるのだが、本稿では原発の歌を抽いて読んでいく。
原発より仕事戴き生きをれど反核の思想捨つることなし
東海さんの真情であろう。原発の地にあって、事業を営む作者のバックボーンは、原発作業員の被曝や、原発の危険性に関する作品の歌句や声調となって生きている。
原発の温排水に鮃(ひらめ)飼ひ放射能の洩れ無きを誇示せり
核廃棄物鋼製ドラムに封じ込め地下に蔵(ざう)する段丘の森
以上の三首は前回までに読んだ連作とは別の連に含まれていた作品である。
「父の写真」より五首 原発を誹謗する歌つくるなとおだしき言(げん)にこもる圧力
被曝して逝きにし君の痩する顔に別れを告げぬ棺の小窓に
原発の増設見越す企業らの動き素早しかしこく狡く
血を侵す放射性元素(ネプツニウム)のメカニズム君に無痛の死を齎しぬ
三十余年稼働続けし原子炉の疲弊密かに進みて在らむ
「泥に咲く花」より六首 被曝して長病む君のこゑ聞ゆ蜃気楼と顕つ原発の影
耳立てて吾は聞きをり居酒屋にをののき語る作業被曝を
見し者を死に到らしむる臨界光ぎらり録画(ビデオ)の中にうごめく
労務者と一つこころに思ふとき核の怨霊にくしみ余る
核再利用は営利貪る企みと語り伝へて固く手を組む
被曝者ら世紀を超えて生きゐるは悲哀至福の何(いづ)れならむか
「生きて輝け」より一首 口止めをせし後君の語り出づ原子炉マシンの持つ泣き所
「獅子身中の虫」より三首 作業中の被曝の責めを問はれをり力無き彼ら反論もせず
被曝者の君逝き際に遺したる悔いの言葉の今に忘れじ
十基ある原子炉の中一基のみ当直のごとく稼働を続く
「阿修羅」より二首 原発を疎みて暮らす老い吾ら少数なれど偽善のあらず
放射能の恐怖を語り飲む酒の極まれば泥鰌掬ひも踊る
原発増設・新設 原発の増設拒む一団きて吾に署名と寄付を募りぬ
原発もテロの標的となりてゐむ米国(アメリカ)追従の報いとはして
原発疎む歌詠み継ぎて三十余年募る恐怖の捨て所無し
二基の原発新設をめぐる買収を拒む地主も遂に二人か
交付金を盾に増設すすめゆく町政と企業の二人三脚
被曝者の妻も乗り込み叫び行く核再利用(プルサーマル)阻止の声痛切に
被曝せる自己の責任問ふ声のあるも悲しゑ無謀の若きら
疲弊せる炉に再生原子(プルトニウム)を焚く営利糾弾して寒き会場を出づ
人為的加害とおもふ原子炉の定検に修理に起る被曝を
核を焚く炉の罅割れを等閑(なほざり)に企業ねちねち利を貪るか
堅牢無比と企業自負する原子炉も暴発の危惧秘めて稼働す
原発を容認する町にはばからず吾の詠み継ぐ核廃の歌
「冬の段丘」より四首 をりをりに放射能洩るる原発の段丘を噛む波の轟く
突堤に立てば見え来る原発の岩根をあらふ冬潮の波
蛇崩(じやくづ)れの径くだり来て浜に出づ雨にけぶらふ原発六基
曇り深くなまり色せる港内に核廃棄物積む船一つ泊つ
「誕生日」より三首 欠陥原子炉壊して了へと罵れる吾を濡らして降る寒の雨
作業被曝を想定外と言訳する企業かにかくに節操持たず
再稼働せむとしきりに人動く原発構内に足踏み入れつ
「活路」より四首 有給休暇取りて被曝を逃れたる人幸運と言ひ切れなくに
不注意の被曝切捨て御免といふこの世企業の態度憎みて余る
この家に今も籠る被曝してこの世去りにし人の怨念
作業被曝多少起くるを言ひ含め人送り込む業者憎しむ
「酸素マスク」より一首 被曝承知に現場熟(こな)しゆく一団を人ら原発ジプシーと呼ぶ
「暗中の道」より二首 被曝給付の金打ち切られ離れ家に常臥す君の余命と語る
時過ぎて発覚したる被曝症過失問はれて認められずき
原発悲傷 作業被曝の建家眼下に納め立つ鬼百合咲ける段丘に来て
軍の空港たりし滑走路跡残る辺に松籟ひびく段丘の道
原子炉群の偉容見よとぞ段丘に土盛り上げし展望の丘
原子炉群六基眼下にわが見放け鬼籍に入りし人数へ呼ぶ
被曝して逝きにし君を偲び立つ男(を)の松枯るる段丘の上
この原発この段丘にある限り被曝の脅威消ゆること無し
働き盛りの命死なすな細菌にあらねば臨界光を殺せず
原発六基見下す丘の展望台に被曝し逝きし君も来てをり
温排水引きて鮃(ひらめ)を飼ひゐたり原子炉停まり稚魚皆死につ
虫歯治療し原発定検に戻りゆく若者よ他(ほか)に職は無いのか
予告なく吾らに迫る脅威あり再稼働する原子炉の罅
東海さんの歌集『原発稼働の陰に』に収録された原発にかかわる作品を読んできた。この歌集が出版されたのは平成十六年六月(2004年)、平成11年2月から15年7月の間に詠まれた作品群である。
福島原発壊滅事故の7年前に、すでに「安全神話」を根底から否定し、「この原発・・・ある限り被曝の脅威消ゆることなし」と詠い、「予告なく吾らに迫る脅威あり再稼働する原子炉の罅」とも詠っていた。そして、数々の原発作業員の被曝による死、病を詠っていた。原発の地に住み、生活し、業を営みながら、原発を見、その内実を見聞して、さまざまな圧力を受けながらも詠み続けた、原発の危険な本質を告発した作品群は、実を写し、生を写す短歌の真髄であると思う。詠ふは、訴ふの謂でもある。東海さんは「この歌集は歌壇の中だけでは無くむしろ電力企業に携わる方々にぜひ読んでいただきたいとも思っている。」と記している。東海さんの真摯な人柄をしのばせる。
「出来得るならば第四歌集を目指し努力をしたいと思っている」(あとがき)とも記したが、果せないで逝ってしまった。そして、福島原発が壊滅し、原発の地にだけではなく全国に及ぶ厄災を齎していることを知れば、東海さんはどのように詠うであろうか。
ところで、福島原発の地、双葉郡大熊町に在住された歌人・佐藤祐禎氏の歌集『青白き光』(平成十六年七月、短歌新聞社刊)が、昨年十二月に「いりの舎」(詩歌・文芸出版社、玉城入野社長 ℡03-6413-8426、FAX03-6413-8526)より文庫版(定価700円)で再刊された。同社の出版第一号であり、注目される。 なお、佐藤さんは原発事故以後、住いであった地域が居住困難地域に指定されたため、福島県いわき市に在住されて、詠い続けている。佐藤さんの御健詠とご健勝を願いながら、次回から『青白き光』に収録の原発にかかわる作品を読んでいきたい。 (つづく)
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