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Writer

記者

山崎芳彦




文化
〖核を詠う〗(324)『角川短歌年鑑』(令和3年版)から原子力詠を読む「眠れずに網膜の奥灼けるよう この三月はあの三月だ」    山崎芳彦
 今回は『角川短歌年鑑・令和3年版』(角川文化振興財団、令和2年12月7日刊)に掲載の「自選作品集」、「作品点描」、「角川歌壇特選作品集」から、筆者の読みによって「原子力詠」を抄出、記録させていただく。月刊総合短歌誌を発行している角川の「短歌年鑑」を、この連載で2011年の福島原発事故以降、毎年度読ませていただき、歌人が原子力に関わってどのように作品化しているかを知るための一環として読み続けている。「あれから10年」と言われるが、福島原発事故以後の数年に比較すると、「原子力詠」として筆者が読んだ作品数は、かなり少なくなっている。これは、全国の歌人が原爆、原発によせる思いの変化だと単純に言うべきことではないだろう。人びとが生きる環境、世相の動きの変化にともなって、短歌媒体の視点の変化によることも多いだろうし、また短歌人の詠うテーマの変化も映していると思う。(2021/03/19)


文化
〖核を詠う〗(323)「朝日歌壇」(2020年1月〜12月)の入選作から原子力詠を読む(2)「寒村ゆえに核のゴミ十万年と二十億円のてんびんゆるる」 山崎芳彦
 前回に続いて「朝日歌壇」の2020年7〜12月の入選作品から、筆者の読みによって原子力詠を抄出する。2月13日の深夜に東北を中心に広範な地域に地震が起きた時、筆者は10年前の福島第一原発の事故を思って、テレビにかじりついた。多くの人々も同じだったに違いない。大きな揺れだったので、茨城に住む筆者に安否を確かめる電話をいただいた。その時の報道では、福島原発、茨城の東海第二原発、その他東北の各原発に「異常はない」と報じられた。しかし、その後になって、福島原発3号機建屋に設置されている地震計2台がいずれも故障していて、震度6強の大地震のデータが記録されていなかったことが明らかになった。驚くことに昨年7月にそれらの地震計の故障が分かっていながら修理をしていないままであったということが、22日の原子力規制委員会の検討会で報告されたというのである。東京電力には原発を動かす資格も、廃炉作業を進める能力や真摯な姿勢もないことが明るみに出たというべきであろう。単なる地震計の故障、それを5カ月にわたって放置したこととして済まされることではない。東電の原子力発電の歴史を浮き彫りにしている。(2021/03/02)


文化
【核を詠う】(322)朝日歌壇(2020年1月〜12月)から原子力詠を読む(1)「『ステイホーム』できずに避難した人が十六万人いた原発禍」 山崎芳彦
 今回から朝日新聞の「朝日歌壇」に掲載された2020年1月〜12月(毎月4回)の入選作品から、原子力詠を抄出、記録したい。同歌壇の選者は佐佐木幸綱、馬場あき子、永田和宏、高野公彦の各氏で、膨大な応募作品から選者が各10首を入選作として選んでいるが、複数選者の共選作品もある。応募作品から、選者各氏が選んだ作品は多様多彩なテーマ、表現を持っているが、原子力詠、政治への批判、社会問題など、現在を生きる視点が鋭く深いと筆者は思いながら読んでいる。「原子力詠」という筆者の抄出の読みからいえば、2011年から10年を経るにつれて、入選作品はかなり少なくなっているが、昨年からのコロナ禍、安倍―菅政権の国民主権無視の政府の挙動、そして人々のさまざまな日々の生活を考えれば、さらに膨大な応募作品をのことを思えば、「原子力詠」の多寡を言うことはふさわしくないだろう。(2021/02/15)


文化
【核を詠う】(321)波汐國芳歌集『虎落笛(もがりぶえ)』を読む(3)「原発のメルトダウンに葉牡丹の巻き戻しても癒えぬ町はや」  山崎芳彦
 波汐國芳歌集『虎落笛』からの抄出作品(筆者の抄出)を、前回に引き続いて読み、今回が最後になるのだが、前回の標題に掲出した作品に誤りがあったことを、まずお詫びしなければならない。「人類の危機を詠むわれ 人類を惑わすとして捕えらるるや」を、「人類の危機を読むわれ 人類を惑わすとして捉えらるるや」と誤記してしまった。「詠む」を「読む」に、また「捕えらるる」を「捉えらるる」と誤ってしまったこと、作者とお読みいただいた方々に心からお詫び申し上げます。また、筆者の文章のなかにも、8行目「企らんで」が「企蘭で」に、「核拠点」が「各拠点」に誤記されてもいる。その他にも誤記があることを怖れずにはいられない。ひたすらにお許しを願うしかないし、これから、掲載させていただく作品の抄出、入力作業に誤りのないよう厳しく自戒していかなければならないと反省します。(2021/02/03)


文化
[核を詠う](320)波汐國芳歌集『虎落笛(もがりぶえ)』を読む(2)「人類の危機を読むわれ 人類を惑わすとして捉えらるるや」    山崎芳彦
 前回に続き波汐國芳歌集『虎落笛』の作品(筆者の抄出)を読み続ける。読むほどに波汐さんの短歌作品の原発被災に対する怒りと、原発の存在を許せない、原発を福島のみならずこの国に存在・稼働させてきた核マフィアを決して許すことができない、そしてその核マフィアの、人々の弱み、苦しみにつけこんで、反人間の「経済成長」路線の餌食にする非道を進めてきた政治・経済グループへの厳しい糾弾の思いの真実に、心打たれないではいられない。(2021/01/23)


文化
【核を詠う】(319)波汐國芳歌集『虎落笛』を読む(1)「振り向くを嘗ての原発銀座とや透きて動ける他界のひとら」 山崎芳彦
 今回から、福島の歌人・波汐國芳さんの歌集『虎落笛(虎落笛)』(角川文化財団刊行、2020年11月発行)の作品を読ませていただく。この連載の中で、波汐さんが2011年3・11以後刊行された歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』、『警鐘』、『鳴砂の歌』から原子力詠を抄出させていただいてきたが、あの原発事故被災以来福島からとどまることなく、福島で生き、被災とたたかう人々の真実を詠い続け、前進し、深化、充実をつづけている95歳の歌人の人間力に、筆者はお世話になり、励まされてきた。そして、その一連の被曝地福島を主要テーマとする五冊目の『虎落笛』を読ませていただいていることに深い感慨を覚えている。波汐さんは、この五冊目の歌集を「一応の区切りとする」と言われているが、さらにこれまでの長い歌作を踏まえての課題を自らに課されている。今回筆者は、表題にあえて「原子力詠を読む」としないで、作品の抄出をさせていただく。(2021/01/12)


文化
【核を詠う】(318)『火幻四十周年記念合同歌集』から原子力詠を読む(5)「地球上に生れし動物の最悪は人間なりと原爆記に見つ」   山崎芳彦
 『火幻短歌会40周年記念合同歌集』は平成9年(1997年)に発行された広島の火幻短歌会(豊田清史代表・故人)の合同歌集であり、330人の歌人の作品(1人20首)を収録した665頁に及ぶ大冊である。其の6600首の中から筆者の読みにより「原子力詠」を抄出、記録させていただいた。収録された作品は、原爆投下による被災の惨状の中を生き抜き、まことに容易ではない苦難の生活の中で詠われていて、その中から「原子力詠」を抄出することは、非力な筆者にとって、困難に過ぎることであり、人が生きる、そして詠った作品に対して、多くの不行き届きな「読み」があったことと思い、すでに故人となった作者には届かないが、お詫びしご寛容をお願いするしかない。今回が最後になるが、核兵器も核発電もない世界をめざすたたかいの前進、実現を願いながら、作品を読んでいく。(2020/12/15)


文化
【核を詠う】(317)『火幻四十周年記念合同歌集』から原子力詠を読む(4)「反核の先頭行くは皆老いし被爆者の列よろめきにつつ」  山崎芳彦
 前回に続いて『火幻四十周年記念合同歌集』から原子力詠を読み継ぐのだが、政府・電力大企業をはじめ原発維持推進勢力が、さまざまに原発再稼働への策動を強めていることに、強い警戒心を持たないではいられない。放射能汚染水の海洋放出の方針、使用済み核燃料の中間貯蔵施設「リサイクル燃料備蓄センター」(青森県むつ市)の新規制基準適合審査請求案の了承・2021年度の操業開始計画、高レベル放射性廃棄物の処分地選びに向けた第一段階の「文献調査」(北海道寿都町、神恵内村)の開始、女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の再稼働への村井宮城県知事の同意、老朽原発(40年超)の関西電力高浜原発1,2号機(福井県高浜町)、同美浜原発3号機の再稼働への動き…最近の報道を見ただけでも、原子力マフィアの動きを見のがすことはできない。コロナ禍に苦しめられ、原発禍の接近への警戒を迫られながら、『火幻』の原爆に関わる短歌作品を読み継いでいく。(2020/12/07)


文化
【核を詠う】(316)『火幻四十周年記念合同歌集・火幻の光』の原子力詠を読む(3)「声かぎり呼ぼう夏空湧く雲に死にたる者と死なざりしもの」 山崎芳彦
 今回も『火幻四十周年記念合同歌集』から原子力詠を読み継ぐ。米国による原爆の投下を受けた広島の歌人の歌を読みながら、その作品が核兵器の廃絶、核なき世界の実現への願いを自らの行動として作歌した果実であると強く思いながら読ませていただいている。23年前に刊行された合同歌集であり、すでに亡くなられた歌人も少なくないと思いながら、現実のこの国の政府の原子力政策の実態を見ると、米国の「核の傘」にあることを日本の安全保障の絶対の条件とし、この国の核兵器開発・製造の基礎となる核発電の継続をも推進していること、「自衛のために核兵器を持つことは禁じられていない」との政策を公言する自民党政府とその共同勢力が様々な軍事力強化策をすすめていることを許してはならないと痛感する。日本学術会議に対する菅政権の露骨・不法な介入も、その一環であろう。(2020/11/13)


文化
【核を詠う】(315)『火幻四十周年記念合同歌集・火幻の光』の原子力詠を読む(2)「驕りたる核権力に媚びる輩正しき怒り持ちて許さじ」 山崎芳彦
 前回に引き続き『火幻四十周年記念合同歌集』から原子力詠を読むが、原爆投下による悲惨を身を以て体験し苦難きわまる生活を強いられた広島の歌人の作品は、再びの核戦争を世界のどこであっても起こしてはならないと願い、そのために詠い、たたかう決意を明らかにする歌が数多い。この合同歌集は平成9年(1997年)に刊行されたものだが、その作品は、いまこそ現実の原子力、核兵器をめぐる状況を考えると生きていると思う。(2020/10/28)


文化
[核を詠う](314)『火幻40周年記念合同歌集・火幻の光』より原子力詠を読む(1)「あやまてるみちをきそいて進みゆく核大国のゆくてとどめむ」  山崎芳彦
 前回から筆者の事情によって長い間を空けてしまったが、今回から『火幻40週記念合同歌集』(平成9年7月、火幻短歌会発行)から原子力詠を読ませていただく。広島の短歌結社「火幻」(主催・豊田清史 故人)はすでに2012年に終刊となり、豊田氏は2010年に亡くなっている。その火幻短歌会が遺した、結社の合同歌集としてはまれにみる655頁の大冊を、知人から寄贈して頂いた。故・豊田清史氏は原爆被爆者であり、『歌集廣島』の刊行委員として大きな役割を果たした著名な歌人であるが、日本文学の原爆小説の名作として知られる井伏鱒二の『黒い雨』に対して、その資料となった「重松日記」にかかわって、かなり激しく強硬で執拗な批判を行い『『黒い雨』と「重松日記」』などの著書を残していることでも知られている。その彼の井伏批判に対する反批判は広範から大きい。また、正田篠江の原爆歌集の嚆矢とも評される『さんげ』に対して否定的な評価をしたことなどについての批判も多いことなど、かなり独特な存在ではある。筆者はその詳細についての知識を持たないのだが、火幻短歌会には多くの広島歌人が参加して長期にわたって結社を維持しそれぞれの会員が詠い遺した作品を収載した『火幻40周年記念合同歌集』は貴重であると思う。(2020/10/19)


文化
[核を詠う](313)『現代万葉集2016〜2019年版』から原子力詠を読む(4)「核戦争予告するような国に居て辺野古基地造るアメリカの為」 山崎芳彦
 筆者の事情で前回から間を空けてしまったことをお詫びしながら、「現代万葉集2019年版』から原子力詠を読むが、同2016年版から読み続けて来て今回で終る。これで、本連載では『現代万葉集』の2012年版から断続的にだが、毎巻を読ませていただいたことになる。2011年の福島原発事故以後に『現代万葉集』が収載した全国の多くの歌人が詠った原子力詠を読んできたことになり、力不足の筆者の読みによる作品抄出ではあるが、それなりに意味のあることであったと思っている。作者の方々がさまざまに「核を詠った」作品のおかげである。なお、『現代万葉集2019年版』への参加者は1831名で、5493首が収録されている。その貴重な作品の中から、筆者の拙い読みによって抄出した「原子力詠」であるのだが、今後とも多くの歌人が「核」の時代に生きている現実を詠い、世に遺されるとともに、原子力マフィアのさまざまな策動に抗して、原子力社会からの脱却へ、歌の力をさらに発揮されることを願うこと、切である。(2020/08/25)


文化
[核を詠う](312)『現代万葉集2016〜2019年版』から原子力詠を読む(3)「廃炉まであと三十年(みそとせ)はほんたうか生きて見届けむわがふるさとを」 山崎芳彦
 今回は『現代万葉集2018年版』から原子力詠を読ませていただく。全国、海外からの1819名の歌人の参加を得て編まれたアンソロジーには5457首の短歌作品が収録されている。その中から、筆者の読みによって原子力詠を抄出しているのだが、こうして核兵器、「平和利用」の偽装である核発電の人間、環境にもたらした、いや現在進行形である悲惨な加害についての短歌を読みながら、このようにして遺され積み重ねられた作品が、核廃絶、脱原発のための人々の営為に、短歌文学としての役割を果たしていくことの意義を考えている。(2020/08/10)


文化
[核を詠う](311)『現代万葉集』(2016〜2019年版)から原子力詠を読む(2)「原爆砂漠にて躓きしもの炭化した幼子の遺体でありました」 山崎芳彦
 今回は『現代万葉集2017年版』の作品から原子力詠を抄出させていただく。1872名が参加、5400首を超える短歌作品はそれぞれに、いまを生き、詠う歌人の5616首が収載され、この時代の状況を映し出しているわけだが、福島原発事故から5〜6年、広島・長崎の原爆被害から70余年を経て、核と人間、生活と生命にかかわってさまざまに詠われた作品の一端が、この『現代万葉集』によって残されていること、さらに今後も続いていくことは、貴重である。様々な場で、さまざまな歌人が核にかかわる作品を詠い遺していく、そして核兵器、核発電を人間の力で廃絶できる時へと向かう時代を実現することを願いつつ、作品を読んでいる。(2020/07/26)


文化
[核を詠う](310)『現代万葉集』(2016〜2019年版)から原子力詠を読む(1)「襁褓をし廃炉作業にたずさわる防護服着た人に夏来る』  山崎芳彦
 日本歌人クラブ(藤原龍一郎会長)は、、現在約3000名の歌人が参加している日本最大の超結社の歌人団体で、1948年に創設以来、現在まで短歌会発展のために活動し続けている。同クラブは、2000年から会員、非会員を問わず全国の歌人に呼びかけて短歌作品(1人3首)を募り、アンソロジー『現代万葉集』を刊行し、時代を映し出す短歌集を編み貴重な役割を果たしている。本連載の中で、これまで2012年版(連載の89〜94回)、2013年版(同131〜135回)、2014年版・2015年版(同197〜199回)を読み、筆者の読みによる「原子力詠」を抄出させていただいてきたが、今回から2016年版から2019年版から原子力詠を読ませていただく。(2020/07/16)


文化
[核を詠う](309)吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読む(4)「押し寄する廃棄物車の縦横に走れるここはふるさとならず」 山崎芳彦
 吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠として筆者が読んだ作品を抄出させていただいてきたが、今回で終る。この歌集の帯文に、「四世代で暮らした平穏な日々が、原発禍によって、一瞬にして打ち砕かれる。ゆえなく故郷を逐われた者は、ただただ故郷への思いを募らせるほかなかった…。為政者よ、電力会社よ、聞け、この声を。その何首かを諳んじて、人に伝えよ。」と記されている。作者が原発禍によって、100歳を越える両親を伴ってのふるさとからの避難、流離の日々を詠った短歌作品は、その真実の溢れた歌風、声高くはないが、原発が人間に何をもたらすかを明かし、思ってやまないふるさとの無惨な実態に悲しみ怒り、その中で生きることを、詠い続ける強靭な魂に心うたれつづけた筆者である。(2020/07/04)


文化
[核を詠う](308)吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読む(3)「原発禍に母校は休校するといふ休校すなはち廃校ならむか」 山崎芳彦
 今回も吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読み継がせていただく。原発が、この国にあってはならない、と思いながら吉田さんの作品を読んでいる。起きないはずがない原発の事故が、どれほど人々の「生」を深く、永く苦しめ続けるのか、吉田さんの作品は、その本質を、まっすぐに明らかにしている。自らだけでなく、共に生きている人びとの歴史と現実を踏まえて詠い(訴え)続ける原発禍のもとの生活詠、叙景歌には、吉田さんの生きている、さらに生きていこうとする力がこもる。(2020/06/27)


文化
[核を詠う](307)吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読む(2)「廃棄物貯蔵所もいまや稼働してわがふるさとは遠くなりたり」 山崎芳彦
 前回に続いて吉田信雄歌集『思郷』を読み継ぐ。吉田さんが遭遇した東日本大震災、その被害をさらに深刻にし、生活の基盤を破壊した福島第一原発の過酷事故の先行きを見えなくさせるような被災のなかで、強靭でたしかな生きる力に、筆者は第一歌集『故郷喪失』といま読んでいる「思郷」の短歌作品によって、改めて感動を受けている。原発事故が人間に何をもたらしたのか、作者は技巧に走らず、「歌は人なり」とでもいえばよいのか、自らの生きる現実から離れることなく、感性豊かに詠っていること、その一首一首が光を放っていることに、筆者も拙くとも詠う者の一人として学びたい。詠われている家族詠、容易ではない環境の中にあって確かに生き、人と交わり、人を思うこと、そしてあってはならない原発や戦争に対する怒りが声高ではないが他人事としてではなく語られている短歌作品は、吉田さんの個性であり、震災詠、原子力詠の一つの典型だと思いながら読んでいる。(2020/06/20)


文化
[核を詠う](306)吉田信雄歌集『思郷』から原子力詠を読む(1)「原発の地に帰り来て盂蘭盆の墓参をなせり防護服にて」 山崎芳彦
 今回から吉田信雄歌集『思郷』(現代短歌社、2019年10月刊)を読ませていただく。筆者の読みによる「原子力詠」を抄出させていただくのだが、福島県大熊町に生まれ、四世代が睦まじく暮らしていた作者が福島第一原発の過酷事故による、『故郷喪失』(吉田さんの第一歌集名)の苦難とふるさとへの思い、家族の離散、親しい知友との別れ、避難地でのたやすくはない日々の現実のなかで詠ったこの歌集の作品から、言葉としての原発禍を表す歌句はなくとも、背景というには色濃く深刻な原発事故の影を消すことは、筆者にとって苦しみだし、作者の思いに沿わないことになるだろうと思いつつ、あえて「原子力詠」と括っての作品抄出を、吉田さんにお詫びせざるを得ない。なお、吉田さんの第一歌集『故郷喪失』(平成26年4月、現代短歌社刊)は本連載の(159,160)で読ませていただいた。その望郷の思いを読みながら、筆者は原発を基盤とする「原子力社会」からの脱出、原発依存の政治・経済体制の打破を強く思った。そして『思郷』の作品群でその思いを新たにしている。(2020/06/10)


文化
[核を詠う](305)市野ヒロ子歌集『天気図』から原子力詠を読む「大地震(なゐ)に果てし骸(むくろ)の捨て置かれ放射線日日ふりそそぎたり」 山崎芳彦
 今回は市野ヒロ子歌集『天気図』(いりの舎、2019年刊)から原子力詠を読ませていただく。著者の市野さんは、東京在住の歌人だが、福島県いわき市出身、その地で少女時代を過ごしたという。親族、知友が多く福島に住んでいて、ご自身が生まれ育った故郷でもあり、2011年3月の東日本大震災・大津波・福島第一原発の過酷事故の被災地であるふるさとの9年、そして現状は他人事ではなく、寄せる思いは深く、痛切なわが事でもあることが、この歌集の作品群によって明かされている。作者は「この歌集を二部構成とした。二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災は、福島県いわき市出身の私にとって大きな衝撃であった。大地震、大津波に見舞われた、春浅き東北の被災地の惨状、とりわけ、重大な原発事故の災厄に喘ぐ故郷の姿に心が揺さぶられた。震災前の歌を1に、震災以後の歌を兇房めた。」とあとがきで記している。本稿では、兇ら筆者の読みによる「原子力詠」を抄出させていただく。(2020/06/02)


文化
[核を詠う](304)うた新聞3月号「東日本大震災から9年いまの思いを詠う」から原子力詠を読む「廃棄物貯蔵地内なるわが屋敷 更地になりしと風は知らせ来」 山崎芳彦
 短歌総合紙『うた新聞』(いりの舎発行)3月号(3月10日発行)の特集「東日本大震災から九年 いまの思いを詠う」から原子力詠を読ませていただく。この特集には、岩手、宮城、福島、茨城の歌人20氏の作品とエッセイが掲載されているのだが、その中から筆者の読みによる「原子力詠」を抽かせていただく。この9年を経て、改めて原発がある限り消えない深刻な危険、本質を、福島第一原発の過酷事故が人びとにもたらした災厄、九年を経て益々明らかになっている多様で、捉えきれない、さらに続く解決不可能な諸問題を、あたかも「解決済み」のごとく扱う政治・経済支配権力者とそれにつらなる「原子力マフィア」の底知れない非人間的な悪徳を憎まないではいられないと痛感している。(2020/05/19)


文化
[原爆の図丸木美術館」がコロナ禍による休館で存続の危機・緊急募金を呼びかけ―「次の世代に『原爆の図』のある美術館をつなぐ支援を」
 丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」を所蔵・展示する原爆の図丸木美術館(埼玉県東松山市)が、新型コロナウィルスの感染拡大の影響で4月9日から休館を余儀なくされ、「先が見通せない状況、これまでになかった危機に直面している」ことから、「危機を乗り越え、ここにくれば『原爆の図』がみられる場として存続しつづけるための支援」緊急募金を呼びかけている。(山崎芳彦)(2020/05/09)


文化
[核を詠う](303)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(6)「前線からまた前線へ移りゆくやうに福島へ戻りゆきしか」 山崎芳 彦
 6回にわたり、塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』の歌集、『99日目』、『366日目』、『733日目』、『1099日目』、『1466日目』、『1833日目』、『2199日目』を読み続けてきたが、今回の『2566日目』(平成30年7月刊)を読ませていただくと、本連載(296)の『2933日目』を含め、既刊全冊を読み、それぞれ筆者が「原子力詠」として読んだ作品の抄出をさせていただくことになる。筆者の「読む」力の浅さから、さまざまに迷いつつ、できる限り作品の深さ、広さを、また東北の現実を、人々が生きている真実を「詠む」歌人の真摯さに近づこうと努めたつもりではあるが、作者の方々の果実を傷つけ、収穫し得ない筆者の非力をお詫びしなければならないと、頭を垂れる思いである。それにしても、読み残され、粘り強く継続する歌集に収められた作品のかさなりが、これからもさらに積み上げられていくことを願いたい。(2020/05/07)


文化
[核を詠う](302)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(5)「抜けた乳歯を預かる歯医者あるという『何のために』と言いかけ気付く」 山崎芳彦
 塔短歌会・東北の歌集、『2199日目 東日本大震災から六年を詠む』(平成29年7月刊)から原子力詠を読ませていただく。この歌集の巻末に「震災のうた 三首選」と題して、塔短歌会・東北に作品を寄せている14氏が、東日本大震災にかかわる作品3首を選んで、それぞれ選んだ多くの歌人の作品についての感想、作品への思いを記すという企画による、魅力的な構成の14頁が掲載されている。東日本大震災に関わって詠まれている短歌作品は、個人歌集、合同歌集、歌誌をはじめ様々なかたちで世に出ているが、自ら東日本大震災の歌を詠み続けている歌人による「三首選」の企画は貴重だと思う。今回は、この「三首選」に選ばれている全作品を転載させていただいた。三首選をしたそれぞれの歌人の思いをつづった文章が記されているのだが、省略せざるを得なかったのは残念だが、それを読みながら、「詠む」と「読む」の交錯の深さが感じられて、短歌文学のありようについて考えさせられた。(2020/04/30)


文化
[核を詠う](301)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(4)「一基とはまだ呼べぬなりその建屋、大間の岬に景色を変へず」 山崎芳彦
 塔短歌会・東北の『1833日目 東日本大震災から五年を詠む』(平成28年7月刊)から、原子力に関わって読まれたと筆者が読んだ作品を、抄出させていただく。同歌集の巻末に掲載のロングエッセーの中かの一部も抄出させていただいた。読みながら、「水俣」を生き、この国を生きた石牟礼道子さんの俳句「毒死列島身悶えしつつ野辺の花」を思っていた。そして、新型コロナに苦しむ、そしてこの国の政治・経済の権力者が、人びとの苦しみや怖れを利用しての悪辣な企みを進めるに違いないことを思わないではいられない。核発電・原子力社会に固執する勢力が何をなしてきたか、何をしようとしているかを思い、石牟礼さんの俳句が立ち上がってきたのだ。いまは、『1833日目』の作品を読んでいく。(2020/04/20)


文化
[核を詠う](300)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(3)「電力と電力の間(あひ)にひとが立つ休耕田の太陽光パネル」 山崎芳彦
 塔短歌会・東北に拠る歌人たちの作品を、今回は『1099日目 東日本大震災から三年を詠む』(平成26年7月刊)、『1466日目 東日本大震災から四年を詠む』(平成27年7月刊)によって読み、原子力に関わると筆者が読んだ作品を抄出させていただく。抄出する作品以外の多くの貴重な、共感し、心うたれる作品群を読むことができる歌集が毎年編まれ続けられていることの意味は大きい。東日本に関わる歌人たちの営為が生むゆたかな果実を広く、詠う人々に限らない、多くの人々に届けて、忘れてはならない、残さなければならないこの国に生きる人びとへの発信が、さらに続けられることを願いつつ、筆者は読ませていただいている。(2020/04/17)


文化
[核を詠う](299)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(2)「フクシマに残ると決めて父と行く立志伝なき一族の墓」 山崎芳彦
 前回に続いて、塔短歌会・東北が刊行した『733日目 東日本大震災から二年を詠む』の作品から、原子力詠を読ませていただく。大地震・巨大津波に加えて、福島第一原発の過酷事故による被災からの2年を、東北の歌人たちがどのように詠んだのか。それぞれの作品は、深刻な被災による、一様ではない環境、生活をどのような生きたかを、色濃く映した貴重な思い、詠嘆であり、作者の詠む思い、意図とともに、その作品を読む人びとの作品からの感受によって、「733日目」にとどまらない歴史的な意味を持つ短歌文学の一画をなすものといってよいと筆者は思って、読ませていただいている。その中から、筆者の読みによる原子力にかかわる作品を抄出させていただいている。読み違い、読みの浅さへのご寛容をお願いする毎回である。(2020/04/08)


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[核を詠う](298)塔短歌会・東北の『東日本大震災を詠む』から原子力詠を読む(1)「核燃料再処理工場 財政の苦しき村の海に向き立つ」山崎芳彦
 本連載の前々回(296)で、塔短歌会・東北が刊行した『2933日目 東日本大震災から八年を詠む』を読ませていただいた。塔短歌会の東北に関わる歌人たちが2011年3月11日の東日本大震災のあとの99日目に開いた歌会の歌をもとに『99日目』と題して歌集を刊行してから、毎年、東日本大震災を詠む歌集を刊行し続けていることを知って、『99日目』以後の各巻を読ませていただきたいと考え、発行者である塔短歌会・東北の梶原さい子氏にお願いをして、お手数をおかけし、既刊のすべてを手にすることが叶った。今回は『99日目 東日本大震災ののちに』、『366日目 東日本大震災から一年を詠む」を読ませていただく。なお、歌集の収益は福島の子どもたちへの支援団体への寄付にしているという。(2020/04/01)


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[核を詠う](297)『短歌研究年鑑2020年版』の「2019綜合年刊」から原子力詠を読む「平成の遺物となるやセシウム灰誰も言わなくなって恐し」 山崎芳彦
 短歌研究社発行の「『短歌研究年鑑2020年版』に収録されている『二〇一九綜合年刊歌集』から筆者の読みによる原子力詠を記録させていただく。この「年刊歌集」に収載された作品は2019年度に短歌研究社に寄贈された歌集、短歌総合誌、全国結社短歌雑誌等に掲載の作品から選出・採録されたほぼ一万首に及ぶ。その膨大な作品群から「原子力詠」と筆者がうけとめた作品に限って抄出させていただくのだから、作者の意に添わない不行き届きがあるおそれは免れない。筆者としては、全国のまことに多い歌人の作品を読ませていただいたことをありがたく感謝している。抄出させていただいたのは50首に満たない作品だが、その多少については言う術がない。(2020/03/19)


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[核を詠う](296)『2933日目 東日本大震災から八年を詠む』から原子力詠を読む「一つでも誤魔化しあればまた起きる故郷うばひし原発事故よ」 山崎芳彦
 塔短歌会・東北発行の『2933日目 東日本大震災から八年を詠む』(2019年7月11日刊)を読み、筆者が原子力詠として読んだ作品を抄出させていただくのだが、塔短歌会の東北にかかわるメンバーが2011年の東日本大震災にかかわって詠った作品から「原子力詠」を抄出するのは、あの大震災・津波のなか福島第一原発の過酷事故が起き広範な地域にさまざまな形で災厄をもたらしたことを思えば、筆者の読みのつたなさ、力量が、作者の作歌意図を受け止め切れていないことによる不十分さが少なくないかもしれないと懼れている。不行き届きについては心からお詫びせざるを得ない。(2020/03/06)


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[核を詠う](295)角川『短歌年鑑・令和2年版』から原子力詠を読む「まほろばを流るる小川のほの明かりふくしまの村は未だくらやみ」  山崎芳彦
 今回は角川『短歌年鑑・令和2年版』(角川文化振興事業団、令和元年12月7日刊)の「自選作品集」、「題詠秀歌」、「角川歌壇・特選作品集」、「作品点描」それぞれの特集に所収の作品群から、筆者の読みによって原子力詠を抄出させていただく。月刊総合短歌誌を発行している角川の『短歌年鑑』は、短歌界の動向を知る上で筆者にとって貴重である。2011年の福島原発事故以降、原子力に関わって短歌人がどのように詠っているかを知るための一端として、毎年度の同年鑑を読み続けている。当然のことだが、歌人の歌う対象は多岐にわたり、「原子力詠」として筆者が読み取る歌は、年鑑所収の千数百人の歌人による数千首の作品のなかで、その数は決して多いとは言えない。しかし、年鑑に載せられた作品を読みながら改めて膨大な作品を読む、短歌に触れることは筆者にとってありがたいことであると思い、その中で原子力にかかわる作品に出会うことの貴重さに感動するのである。(2020/02/22)


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[核を詠う](294)波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から原子力詠を読む(4)「被曝禍に妻逝きわれの独り居に今宵も風がノックするらし」    山崎芳彦
 波汐國芳歌集『鳴砂の歌』を読んで来て、今回が終りになる。福島原発の過酷事故によって、国内にとどまらない世界的な、現在にとどまらない人間のみならず命あるものの未来にわたっての核の深刻な危険が、より明らかにされたにもかかわらず、核エネルギー依存の政治・経済支配者の核兵器も含んだ原子力社会の継続への姿勢は変わらないなかで、福島の歌人・波汐さんが「原発爆ぜ悔いても吠えても戻らぬを失いたりしものの重たさ」、「核融合成る世紀とぞ陽(ひ)のほかに陽をしつくらば其(そ)に焼かれんを」…と詠い、「頑張るぞ九十四歳うたをもて福島おこしにわれはつらなる」と第十五歌集『鳴砂の歌』を編まれた作品を読ませていただいたことへの感謝の思いは深い。(2020/02/13)


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[核を詠う](293)波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から原子力詠を読む(3)「核融合成る世紀とぞ陽(ひ)のほかに陽をしつくらば其(そ)に焼かれんを 山崎芳彦
 今回も引き続いて波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から、筆者の読みによって原子力詠を抄出させていただく。「原子力詠」とは言いながら、作者の本意に適う読み、作品の受止めになり得ているか、いつも迷いがあるのだが、もし読み違いがあれば、お許しを願うしかない。とりわけ、原子力発電所の重大事故、福島第一原発の過酷事故が人びとの生活、自然環境にもたらした災厄を思えば、さらに原発立地地域や、いつ事故の影響を受けるかと不安をもつ人びとの「生きる」現実を考えれば、その生活や思いと原子力社会の現状は切り離しがたいと思う。福島原発事故以後運転を停止している原発が多いとは言いながら、原発が存在し、その稼働を推進しようとする政治・経済が権力をほしいままにしていることを考えれば、短歌作品を読みながら「原子力詠」の枠は容易には定めがたい。いま読ませていただいている波汐さんの作品から、原発とのかかわりを断って筆者は読むことができないのである。歌集『鳴砂の歌』から抄出させていただく作品数は多い。(2020/02/04)


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[核を詠う](292)波汐國芳歌集『鳴砂の歌』から原子力詠を読む(2)「核汚染十万年とぞ合歓花(ねむばな)の眠っても眠っても手繰りきれざる」 山崎芳彦
 前回に引き続き波汐國芳歌集『鳴砂の歌』を読む。原子力詠をということで、筆者の読みによって作品を抄出させていただいているが、筆者には波汐さんの作品のほとんどすべてが、福島第一原発の過酷事故とかかわっている、切り離しては読めない。東日本大震災・大津波が人びとにもたらした災厄は、福島原発事故による被害との複合災害であり、原発事故によって人々がどのような状況に追い込まれ、苦悩を強いられたか、現在・未来にわたっての苦難と不安を強いられているかを思いつつ読まないではいられない。そして福島の現在と未来をとおして、この国の今日と明日を思わないではいられない。波汐さんの一首一首はそのような作品だと思う。歌人の大仕事を、波汐さんは続けている。「復興五輪」などと虚言を振りまき、真実かくしを続ける原子力マフィア勢力と真反対の大仕事である。(2020/01/26)


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[核を詠う](291)波汐國芳歌集『鳴砂の歌』の原子力詠を読む(1)「うつくしま はや沈みしをこの海にずしりとメルトダウンの重さ」  山崎芳彦
 今回から福島の歌人・波汐國芳さんの第十五歌集『鳴砂の歌(なるさのうた)』(2019年8月、公益法人角川文化振興財団刊行)を読ませていただく。あの原発事故被災・大地震・津波被災から九年、波汐さんの短歌作品は、とどまることのない前進・深化・充実を絶え間なく続けている。いただいた年賀状に「頑張るぞ九十四歳うたをもて福島おこしにわれはつらなる」と記されていた。筆者は自らの日々の生きる姿勢のありようを打たれる思いであった。この連載の中で波汐さんの歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』、『警鐘』をよませていただき、さらに今回は『鳴砂の歌』を詠ませていただけることに深い感謝の念を抱かないではいられない。(2020/01/20)


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[核を詠う](290)「朝日歌壇」(2019年1〜12月)から原子力詠を読む(3)「原発がなければ仕事がないというそういう土地に原発はある」 山崎芳彦
 2019年1月〜12月の「朝日歌壇」入選作品から、筆者が原子力詠として読んだ作品を記録してきたが、10月〜12月までの今回で終る。(2020/01/11)


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[核を詠う](289)「朝日歌壇」(2019年1〜12月)から原子力詠を読む(2)「被爆して死を待つ姉を看取りたる十五のわれの狂おしき夏」   山崎芳彦
 前回に続いて「朝日歌壇」(2019年1〜12月)入選作品から原子力詠を読み、記録する。今回は7月〜9月の作品となるのだが、読みながら「原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず」(竹山広)という1首を思い、この竹山さんの歌の重さを考えていた。竹山さんは25歳のとき、結核を病み入院していた長崎市浦上第一病院を退院予定の日の1945年8月9日に原爆に被爆し、迎えに来ていた兄を探して5日間放射能の満ちる焦土の中をさまよい、被爆地の惨憺たる状況を目撃し、上半身を焼かれた兄の死を看取るという過酷な体験をして、辛うじて生き延び90歳に逝去されたが、前記の「原爆を知れるは…」はその最晩年の作品である。2010年3月に逝去されたのだが、そのほぼ1年後に福島第一原発の過酷事故が起きた。いま、「朝日歌壇」から原子力詠を抄出しながら、90歳の原爆被爆者である竹山さんにこのような歌を詠ませた「日本といふ国」の歴史と現実、とりわけ原発推進の国策を強行に進め、また国連の「核兵器禁止条約」の妨害者となっている腐臭にみちた安倍政権を許してはならなと強く思うのである。(2019/12/30)


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[核を詠う](288)「朝日歌壇」(2019年1〜12月)から原子力詠を読む(1)「原発の燃料デブリに触れ初めたり冥(くら)くて遠き廃炉への道」  山崎芳彦
 今回から朝日新聞の「朝日歌壇」の2019年の入選作品から、筆者が原子力詠として読んだ作品を、筆者のスクラップによって読み、記録させていただく。この連載では朝日新聞社刊『朝日歌壇2012』により、2011年3月の福島第一原発事故以後の作品を記録し始めて、毎年の「朝日歌壇」から原子力詠を記録し続けている。膨大な投稿作品から週一回に発表される、選者(佐佐木幸綱、馬場あき子、永田和宏、高野公彦)各氏の選10首、計40首(共選作品もある)によるのだから、「朝日歌壇」への応募作品全体の傾向を簡単に言うことはできないが、入選作品に限っていえば原子力詠や沖縄の辺野古基地問題、憲法・軍事力強化を進める政治への批判などをテーマにした作品が多彩な視点から詠われていることに、筆者は共感することが多い。同歌壇の入選作品が映し出すこの国の「いま」を筆者なりに思いを凝らして考えさせられている。(2019/12/19)


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[核を詠う](287)『平成三十年度福島県短歌選集』の原子力詠を読む(3)「過ちはまた繰り返しますフクシマのトリチウム汚染水海へ流して」 山崎芳彦
 福島県歌人会の『平成30年度福島県短歌選集』から、筆者が原子力詠として読んだ作品を抄出・記録してきたが、今回が最後になる。毎年度の選集を読ませていただいてきているが、多くの福島歌人の作品が福島第一原発の事故によってどれほどの苦難を人びとが生きることにもたらしたかを短歌表現によって明らかにしていることへの、深い敬意を、筆者は持ち続けている。そして、その理不尽で許し難い加害「犯罪」原因集団である原子力マフィア、その中心である安倍政権と財界をはじめこの国の権力中枢とその仲間たちが、再び、三度、この国にとどまらず広く世界のどこかで核による「犯罪」を繰り返すことを許してはならないと教えられてもいる。(2019/12/10)


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[核を詠う](286)『平成三十年度福島県短歌選集』の原子力詠を読む(2)「中間貯蔵の一部となりて住み慣れし我が家もついに処分されゆく」 山崎芳彦
 前回に引き続き『平成30年度版福島県短歌選集』から、筆者が原子力詠として読んだ作品を記録させていただく。福島原発の過酷事故によって立地地域のみならず福島県の枠を超えて広範な地域の人々をはじめ生命をもつ動植物、自然環境が深刻な危険にさらされ8年余を過ぎた今もその危機は人々の生活、心、健康を苛んでいる。福島歌人の作品は、懸命に原発事故の地で生活し、不安や様々な苦難に直面しながら、その心を詠っている。筆者も心を込めて読みたいと思う。(2019/11/28)


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[核を詠う](285)『平成30年度福島県短歌選集』から原子力詠を読む(1)「トリチウム放流の海にはさせまじと福島の漁師ら声高に言ふ」  山崎芳彦
 今回から、福島県歌人会(今野金哉会長)刊行の『平成30年度版 福島県短歌選集』(平成31年3月発行)から原子力詠を抄出させていただく。この連載ではこれまで、『福島県短歌選集』を平成23年度版から毎年、福島歌人が東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故による被災の苦難のなかで、その真実を詠い続けている作品を読み、筆者の行き届かない読みによってだが、原子力詠を抄出・記録させていただいてきた。同短歌選集は、福島の歌人が自らの生きている証を多様に、広く深い題材にわたって詠った作品の集積である。筆者が、その作品群から、これが原子力詠だと読んで抄出することについては、作者の作歌意図を捉え得ているかと思い惑うことしばしばであるが、不行き届きがあればお詫びするしかない。(2019/11/19)


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[核を詠う](284)新日本歌人協会の2018年度啄木コンクール入選作品「フクシマのいま、そして」、「原爆ドーム」を読む 山崎芳彦
 今回は新日本歌人協会(小石雅夫会長)の月刊歌誌「新日本歌人」の2018年6月号に発表された「2018年啄木コンクール入選」作品の「フクシマのいま、そして」(江成兵衛)、「原爆ドーム」(小山尚治)を読ませていただく。新日本歌人協会は『平和と進歩、民主主義をめざす共同の立場から、広範な人びとの生活・感情・思想を短歌を通じて豊かに表現し、将来に発展させることを目指す」(規約)を掲げる歌人団体として月刊歌誌「新日本歌人」を刊行するとともに、全国的に支部を組織して会員、歌誌読者1000名を超える、特徴のある歌人団体として活動しているが、創作方法や短歌観の違いに関わらず、広い歌人、短歌愛好家に門戸を開いて多彩な短歌活動をすすめているという。筆者の友人・知人にも同会に所属して作歌活動に励んでいるすぐれた歌人が少なくない。(2019/04/21)


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[核を詠う](283)本田一弘歌集『あらがね』から原子力詠を読む(3)「ふくしまに生れし言葉はふるさとの土を奪はれさまよふらむか」   山崎芳彦
 本田一弘歌集『あらがね』から、筆者の読みによる「原子力詠」を抄出させていただいてきたが、今回で終る。今回の抄出歌に、「水俣は水のことばを福島は土語(つちのことば)を我等(われら)にたまふ」、「みなまたとふくしまの間(あひ) 亡き人の訛れるこゑを運ぶかりがね」、「訛りつつ生きて我等はうつたへむ しゅうりりえんえんしゅうりりえんえん」の3首があるが、本田さんが福島の地の歴史と現実を踏まえて水俣によせる思いを詠った作品に、筆者は強く、深い感銘を受け、石牟礼道子さん(1927〜2018)について思いを馳せた。本田さんの短歌作品は筆者に多くのことを教えてくれる。(2019/04/08)


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【核を詠う】(282)本田一弘歌集『あらがね』から原子力詠を読む(2)「福島の土疎まるるあらがねのつちの産みたる言の葉もまた」    山崎芳彦
 前回に続いて福島の歌人である本田一弘さんの歌集『あらがね』から原子力詠を読むのだが、本田さんの作品を読みながら、福島の現実を生きている歌人がその真実を詠った歌を読むことは、読む者にいまをこの国に生きていることについて、また生きようについて多くのことを考えさせてくれると、筆者は改めて思っている。前回抄出させていただいた本田さんの作品の中に、「基地といふつちは要らない沖縄のそらにつながる福島のそら」という一首があった。沖縄と福島、今この国の政府が行っている政治・行政、その政府と密着して「アベノミクス経済成長」による利益追求を図ろうと安倍政権と利益共同体制を作っているこの国の財界・大企業が、この国に懸命に生きている人びとを何処に連れて行こうとしているかを象徴的に示す沖縄と福島の空がつながっていると詠う歌人には、「基地」と「原発」の本質、これが人びとに何をもたらす存在であるのかを捉え、表現する「うたの力」が満ち満ちているのだろうと、筆者は思っている。(2019/03/30)


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[核を詠う](281)本田一弘歌集『あらがね』から原子力詠を読む(1)「福島の土うたふべし生きてわれは死んでもわれは土をとぶらふ」  山崎芳彦
 今回から本田一弘歌集『あらがね』(ながらみ書房、2018年5月28日刊)から原子力詠を読む。著者は福島市生れ、福島県会津若松市に在住する歌人で、高校教師の職にあり、福島の地にあって精力的に「ふくしま」を詠い続けている。2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島原子力発電所の過酷事故による厄災と向かい合って「ふくしま」を生きる歌人が、いま直面する現実を踏まえて短歌表現する鋭くも骨太にして繊細な作品群を読みながら、筆者は本連載でかつて-本田さんの歌集『磐梯』(青磁社刊、2014年11月)を読ませていただいた(「核を詠う」176〜177号)作品を想起し、読み返しながら、『あらがね』の作品につなげて、著者の「ふくしま」の現実を詠む視座の人間の根源に迫る深さ、ひろがりに、その重厚ともいえる対象との向き合いに、改めて強い感銘を受けた。筆者の読みによる「原子力詠」の狭さをおそれつつ、歌集『あらがね』を読ませていただく。(2019/03/17)


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[核を詠う](280)藤田光子歌集『つるし雛』から原子力詠を読む「夫や子に会へるまではと被爆せし母は地獄の二十日を生きし」  山崎芳彦
 今回読む藤田光子歌集『つるし雛』(短歌研究社、平成23年8月刊)は、前回の「蒲原徳子短歌集『原子野』から原子力詠を読む」に際して記した、友人から送っていただいた2冊の歌集のうちの一冊である。広島への原爆投下によって母、妹を失い、弟も火傷を負う、さらに多くの学友の原爆死という悲惨を体験した著者は、「わがために勤務代りて原爆死せる学友に生かさるる日日」と詠っているように、辛うじて被爆を免れて「生かさるる日日」に出会った短歌創作(七十歳近くになって居住地の埼玉県飯能市の短歌教室に入会)の中で竹山広の『とこしへの川』を読み、さらに「先生から『書くことにより死者への鎮魂にもなるのだ』と言われ…」、限られた人にしか話さずに来た広島原爆にかかわる体験を短歌表現しつづけたと、歌集の「あとがき」で記している。その作品は「死者への鎮魂」と共に今を生きる人々、これからを生きる人々への反原爆・反核の訴えでもあると筆者は思う。(2019/03/06)


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[核を詠う](279)蒲原徳子短歌集『原子野』の原子力詠を読む「原子野に掘りし遺骨の幼なきを成仏すなと胸に抱きしむ」 山崎芳彦
 今回は蒲原徳子短歌集『原子野』(合同出版社、2011年8月9日刊)から原子力詠を読ませていただくが、この短歌集はこの連載を読んでくださっている友人から、「知人から託された」として送っていただいた2冊の歌集のうちの一冊である。ありがたいことである。この歌集『原子野』の著者は佐賀県生まれ(1920年)、佐賀県に在住された歌人であり、長崎に原爆が投下された後に、長崎に嫁いだ姉一家の遺骨を求めて、まだ原爆の被害で惨憺たる状況、残留放射能がなお悪魔の牙をむいていた長崎市内に入り、その悲惨を目の当たりに見、被爆者と出会う体験をした。著者も残留放射能の被害を受けたであろう。その時の過酷な体験の記憶を作者は50年余にわたり自身の胸の奥ふかく封印し、家族にも告げなかったという。語らず、詠わずにいたその時の体験と思いを、作者は80歳近くになって短歌表現しはじめ、卒寿の記念に次男の方が、作者の10年余にわたる短歌作品を収めた歌集を用意されたという。『原子野』はそこから生まれた短歌集である。(2019/02/16)


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[核を詠う](278)角川『短歌年鑑2019年版』から原子力詠を読む「福島に廃炉は成らずおそらくはわが子の子の子の子の子の世まで」  山崎芳彦
今回は角川『短歌年鑑2019年版』(角川文化振興財団、平成30年12月6日発行)所載の「「自選作品集」、「「題詠秀歌」、「作品点描」から、筆者の読みによる原子力詠を抄出させていただく。月刊総合歌誌『短歌』を発行している角川の『短歌年鑑』は、短歌界の動向を知るうえで貴重な資料であると、筆者は毎年欠かさず読ませていただいているし、保存している。この連載の中でも、2011年の福島原発事故以降、同年鑑からの原子力詠の抄出・記録を続けてきた。今回の「自選作品集」には600人近い歌人による自選作品各5首が収載された。3000首に近い全作品を読むことができ、拙いながらも詠むものの一人である筆者にとって、よい勉強の場を与えられたと思っている。「題詠秀歌」は月刊「短歌」の題詠の企画に応募の作品から選者によって秀歌として選ばれた作品396首が掲載されている。「作品点描1〜9」は、9人の歌人が総合短歌紙誌に掲載された歌人の作品を抽いて、それぞれの読み、評言を記していて、興味深く読んだ。(2019/02/04)


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[核を詠う](277)朝日歌壇(2018年1〜12月)から原子力詠を読む(2)「汚染水八十九万トンのタンク群上空には八年目の秋雲」  山崎芳彦
 前回に引き続き「朝日歌壇」(2018年)から原子力詠を抄出するが、その前に今年1月13日の同歌壇に、安倍政権による沖縄県の辺野古沖埋め立て強行についての作品が多く入選して掲載されているので、その歌を抄出・記録しておきたい。まことに許し難い安倍政治の蛮行について、多くの主権者が強く批判しているが、詠う人々も早くから作品化してきている。今回は1月13日の「朝日歌壇」入選作品のみを記録するにとどめるが、今後どのようなかたちでか、沖縄を詠った作品をまとめたいと考えている。(2019/01/19)


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[核を詠う](276)朝日歌壇(2018年1〜12月)から原子力詠を読む(1)「ほんとうに使う気なんだ核兵器を扱いやすい大きさにする」 山崎芳彦
 今回から朝日新聞の「朝日歌壇」の2018年の入選作品から原子力詠を読む。この連載で、これまでも毎年「朝日歌壇」に掲載された作品からの原子力詠の抄出・記録をしてきたが、新聞歌壇の特徴、意義と言えるだろう社会詠、時代の動向を映した生活詠に、筆者は魅かれることが多い。筆者の読みであるから、行き届かず、作者の思いに沿わない抄出があることが少なくないことを自戒しながら、掲載された全作品(筆者のスクラップによる。)を読み返した。朝日歌壇が掲載される月4回、毎回40首(選者の共選作品も含む)を読むことは筆者にとって楽しい、学びの時間でもあったことを思い返しながら1年分をまとめて読んだ。同歌壇に対しては、少なからぬ毀誉褒貶もあるが、やはり読むに値すると筆者は改めて思っている。(2019/01/08)


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[核を詠う](275)波汐朝子歌集『花渦』から原子力詠を読む「核マーク付けし原発の扉(ドア)のまへ放射痕ある胸騒ぐなり」  山崎芳彦
 今回読ませていただくのは波汐朝子歌集『花渦』(雁書館、2004年5月刊)だが、福島の歌人である著者は、まことに哀惜に堪えないが、今年9月10日に逝去(享年89歳)された。朝子さんの夫である波汐國芳さんから喪中のお葉書をいただいて知ったた。「失った妻の存在は何物にも代え難いものではありましたが、ともに歩んだ日々を胸に抱き心持ち新たに新年を迎えたいと存じます。」と記され、また「波汐朝子が歌人として病に負けずに闘い抜いた記録『花渦』より一首をしたためます。」として、朝子さんの歌、「ダムのため削がれし山の痛み知る片乳のみの吾なればこそ」があげられていた。筆者は、電話で失礼ではあったが心からのお悔やみを申し上げるとともに、歌集『花渦』についておうかがいしたところ、さっそくお送りいただいた。波汐朝子さんには、國芳さんにお願いごとの電話を差し上げた時、何回かお声をお聞きすることがあっただけだが、この連載の中で歌誌『翔』を読ませていただいきた中で朝子さんの短歌作品を読み、感銘を受けることが多かった。波汐朝子さんのご逝去はまことに口惜しく、悲しい。(2018/12/22)


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【核を詠う】(274)福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(2)「三十三年前癌に克ちたる吾なるに又も癌とは被曝のゆゑか」  山崎芳彦
 前回に続いて、福島の「翔の会」発行の季刊歌誌『翔』から原子力詠を読むが、今回は第63号、64号からの抄出である。「原子力詠」として抄出・記録させていただいているが、筆者の読み、受け止めによるものであり、作者の意図や思いに沿わない場合があることと思うのだが、「詠む」と「読む」の關係、筆者の作品の背景に寄せる思いに免じてご寛容をお願いするしかない。(2018/12/14)


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[核を詠う](273)福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(1)「被曝より七年を経てわが庭の汚染土の山やうやく消えぬ」    山崎芳彦
 今回からは、福島県の歌人グループ「翔の会」の季刊歌誌『翔』(編集・発行人 波汐國芳)の第62号〜第64号から原子力詠を読みたい。この連載の中で、『翔』の原子力詠については平成23年4月に発行された第35号に始まって今回読む第64号まで、ということは東日本大震災・福島第一原発の過酷事故が起きた直後から7年余にわたって、「翔の会」に拠る福島歌人の短歌作品から原子力詠を抄出・記録させていただくことなるということである。歌を詠む者の一人、また読む者として力不足の筆者にこのような機会を与えていただいていることに深い感謝の思いを申し上げなければならない。(2018/12/02)


【核を詠う】(編外)広岩近広著『医師が診た核の傷―現場から告発する原爆と原発』を読む   山崎芳彦
 訃報あり また癌死なり 核の時代(よ)のつづきて人は生きがたくして (山崎芳彦)(2018/11/20)


文化
[核を詠う](272)『短歌研究2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を読む(2)「汚染土こそ母の悲しみなだれ咲く辛夷の下のフレコンバッグの」 山崎芳彦
 前回に続いて『短歌研究2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を抄出するのだが、10月7日に原子力規制委員会が東海第二原発の「20年運転延長」を認め、老朽の同原発の再稼働への道を開いたことに、予想されたこととはいえ、改めて安倍政権下のこの国の国家権力の基幹的存在としての位置を占める原子力マフィアがどれほど反人間的に稼働するものであるかを認識させられた。原発ゼロを求める人々の声、願いも聞こうとしなければ聞こえないのであろう。しかし、人々は「核と人類は共存できない」、原子力社会に未来はないことをこの国の理念とする政治・経済・社会の実現に向かって、その声・行動を止めないに違いない。原発ゼロを目指す粘り強い運動が続いている。読んできた多くの短歌作品、いま読んでいる原子力詠が、そのことを確信させることのひとつでもある。(2018/11/11)


文化
【核を詠う】(271)『短歌研究2018短歌年鑑』の「2017綜合年刊歌集」から原子力詠を読む(1)「澱みたる核廃絶の泥沼に蜘蛛の糸一本垂らして欲しい」  山崎芳彦
 前回から長い間を空けてしまったが、今回は短歌研究社の『短歌研究2018短歌年鑑』(2017年12月発行)に掲載された「年刊歌集」から原子力詠を抄出したい。この連載の中で、これまでも短歌研究社の『短歌年鑑』から「年刊歌集」を読んできたが、毎年、同社編集部が寄贈を受けた全国の短歌結社の歌誌、多くの歌集、短歌総合誌に掲載された作品から、同社編集部が選出、再録した短歌作品を読むことは、筆者にとっての喜びである。同「年刊歌集う」には約3000人の歌人による一万首を超える短歌作品が採録されていて、その中から筆者が原子力詠として読んだ作品を抄出させていただくのだが、ルーペを使用しながら1万首を読む中で筆者なりに心を打たれ、共感を覚える作品は数多い。その中から原子力詠を抄出するのだが、誤読、読み落としなど不手際があればお詫びしなければならない。(2018/11/04)


核・原子力
『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』の思想と闘いの記録を読む(3) 伊方原発訴訟での森瀧春子さんの意見陳述から  山崎芳彦
 森瀧市郎『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』(七つ森書館刊)を読み、筆者なりの思いをふくめて記してきたが、前回は主として森瀧市郎・春子父娘の思想と闘いの記録を、春子さんが同書に「解説に替えて」として書いた「水棹のむ背の如くに」と題する文章を通じて森瀧市郎さんの核絶対否定への歩みについて、心を打たれながら、現在の「原子力社会」について多くのことを考えさせられた。(2018/09/19)


核・原子力
「東海第二原発の再稼働に反対・老朽化原発の運転延長するな」―原子力市民委員会が声明 山崎芳彦
 日本原子力発電が東海第二原発(茨城県東海村)の再稼働をめざしているのに対して原子力規制委員会が「設置変更許可」の審査を終了し、近く安全審査合格の「審査書案」を確定することが見込まれている。同原発の運転延長・再稼働に反対する声が県内外で高まっていて、茨城県内の6割を超える自治体の議会で「延長運転」に反対する意見書が採択され、この動きは首都圏全体にも広がっている。9月2日に水戸市で開かれた東海第二原発の再稼働に反対する「東海原発再稼働STOP! 茨城県大集会」には県内外から約1000人が参加し、福島県南相馬市の桜井前市長も脱原発を呼びかけた。デモ行進では「東海第二の再稼働反対」、「老朽原発の廃炉」などを訴えた。さらに、県内各地で、東海第二原発に反対する集会、行動が続いている。(2018/09/12)


文化
【核を詠う】(270)『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読む(5)「恋しきは野の花々よふるさとを逐はれて街に住みゐるわれは」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集平成29年度版』を読み始めてから、筆者の事情もあって時間がかかってしまったが、今回で読み終える。福島第一原発の事故によって苦難を強いられながら日々を生き、7年を経てもなお「原発苦」、「原発の罪の告発」などを短歌表現し広く世に発信し続ける福島歌人の作品を読み、拙くともこのような形で伝えることが、為しうることの少ない筆者の「反核」の行動の一つであるとも考えている。拙くとも詠う(訴える)ものの一人である筆者も、もっと詠わなければならないとも思う。(2018/09/08)


核・原子力
『森瀧市郎 核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』を読む(2) 森瀧春子さんの「水棹のむ背の如く―解説に替えて」から   山崎芳彦
 森瀧市郎『核と人類は共存できない 核絶対否定への歩み』(2015年8月、七つ森書館刊)に、森瀧市郎さんの次女・森瀧春子さんが「水棹をのむ背の如く―解説に替えて」を書いている。森瀧市郎さんの詠った短歌を交えながら、核絶対否定への道を歩んだ歴史、足跡を父を師として、そしてともに歩んだ春子さんの「解説に替えて」は、森瀧市郎さんの人間像、思想と実践を、筆者に深く語り、教えを受けさせていただく貴重な文章であった。同書を未読の方には、ぜひ一読をと筆者は思っている。筆者も知人に教えられて読むことができたことを本当にありがたいことだと思っている。(2018/09/02)


核・原子力
『森瀧市郎 核絶対否定への歩み』を読む 核兵器も核発電も許さない時代へ「人類と核は共存できない」の思想(1)  山崎芳彦
 筆者は8月6日から原水爆禁止運動・核絶対否定の思想と運動の先頭に立ってその生涯を貫いた(1994年1月、92歳で逝去)哲学者の森瀧市郎氏が遺した「核と人類は共存できない」、「核は軍事利用であれ平和利用であれ地球上の人間の生存を否定する」ことを基軸とする言説を一巻にまとめた『森瀧市郎  核絶対否定への歩み』(広島原水禁結成40年記念事業企画委員会、1994年3月、渓水社刊)を読んでいる。筆者は森瀧さんの名や原水爆禁止運動における足跡の一端は知りながら、その著書などを読んでいなかった。大江健三郎著『ヒロシマ・ノート』の中で原水禁運動にとってまことに取り返しのつかない混迷の深刻化の沸点ともいえる第9回原水爆禁止大会における広島原水協代表理事としての森瀧さんにかかわる苦渋の姿についての記述に強い印象を持ったが、しかしその時の筆者の体は広島にあっても、思えば未熟な「党派の奴隷」ともいうべき原水禁大会参加者として、森瀧さんとは遠い位置にあった。そして、その後の森瀧さんの原水禁における真摯な運動や果した役割を意識的に考えようともしなかった。しかし、その経緯について記そうとは、いま思っていない。(2018/08/26)


文化
【核を詠う】(269)『平成29年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(4)「福島県南相馬市小高区で七年ぶりに稲刈られたり」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集』を読み続けながら、核兵器、核発電について思うことが多い。8月6日の広島、9日の長崎それぞれの平和祈念式典をはじめ、全国各地さらには海外でも、核禁止を求める多くの活動が繰り広げられたが、改めてこの国の政府、安倍首相をはじめとする核容認・推進勢力の許し難い姿勢が際立っている。安倍首相は広島、長崎の式典で、国連の核兵器禁止条約に敵対する立場を、多くの国々の代表が出席している前であからさまにした。「近年、核軍縮の進め方について、各国の考え方の違いが顕在化しています。」と述べ、核兵器禁止条約の発効を目指す多くの国々の真摯な取り組みが「考え方の違い」を顕在化させているかのごとく同条約発効の妨害者として振舞った。「核保有国と非核保有国の『橋渡し』の役割」などと言葉を飾りながら、核大国による新しい核兵器の開発の進展、核脅迫による他国の支配を容認する安倍政府の言う「核廃絶」の欺瞞は国際的にも通用しない。(2018/08/21)


核・原子力
再録73年目の8月6日に。山崎芳彦【核を詠う】(6)『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読む◆ 「天を抱くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生けるあり」(深川宗俊) 
 73年目の8月6日もまもなく終わる。本紙で連載している山崎芳彦『核を詠う』は広島、長崎の歌で始まり、福島へと続いて、すでに300回近くになる。歌もまた原爆を、核を、語り継ぐ人びとが織りなす大きな流れの中にある。山崎の連載から、第6回『昭和萬葉集』卷七・八の原爆短歌を読む◆崚靴鯤くがごとく両手をさしのべし死体の中にまだ生けるあり」(深川宗俊)を再録する。(編集長大野和興)(2018/08/06)


文化
[核を詠う](268)『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読む(3)「核のごみ何れ処分はできるだろう見切り発車を原発に問う」 山崎芳彦
 筆者の事情により長い間を空けてしまったことをお詫びしながら、前回に続いて『平成29年度版福島県短歌選集』の原子力詠を読み続ける。福島歌人の作品を読みながら、原発事故後7年を経ても、福島原発事故がもたらした災厄の先行きの見えない現実の中で懸命に生きて詠う人びとの作品からほど遠い、この国の原子力・核にかかわる実態について思わないではいられない。政府は「第5次エネルギー基本計画」で、原発を「重要なベースロード電源」としての位置付けのもと、原発の再稼働の推進、核燃料サイクル政策の推進、原発輸出を含む原子力技術の海外への提供などの「原子力政策の再構築」方針を決め、「福島の復興・再生」を謳いながら、原発回帰への道をさらに進める。原発推進勢力の「福島の原発事故の反省」とは、多くの人々が求める原発ゼロとは真反対の、原発の新増設・リプレイスを懐に抱えた原子力社会の維持・継続・深化への構想なのだ。(2018/08/01)


文化
[核を詠う](267)『福島県短歌選集平成29年度版』の原子力詠を読む(2)「福島に帰れ放射能うつるからと心なき言葉転校の子に」 山崎芳彦
 前回に続いて『福島県短歌選集平成29年度版』から原子力詠を読むのだが、福島第一原発の壊滅事故による被災によって、県内避難を含む福島に住み生活をしている人びと、県外へ避難し苦難の日々を送っている人びとの実態が、一様ではないけれども、いまも深刻であることが様々な表現によって詠われていること、福島の詠う人々が生きる真実を詠い続けていることに、作品を読む者の一人として改めて思いを深くしないではいられない。「地震(なゐ)起こる度に福島原発の異変なきやと気にかけ暮す」(黒沢聖子)、「行く末のことはわからぬころころと落葉は転ぶわが足元に」(近内静子)を読むとき、使用済みあるいは未使用の原子力燃料棒ををはじめ高レベル放射性廃棄物、たまり続ける大量の汚染水、実態をつかめないままの核燃料デブリなどを抱え込んだままの原発があり、さらに核汚染物質を詰め込んだまま年を経て劣化して積み上げられているフレコンバッグのある地で生きている人びとの日々の思いがこのように詠われているのに対して、「原発回帰」を前提にしたまま「福島復興」を言い募る、危険な動きが強まっていることには怒りを禁じ得ない。(2018/07/01)


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[核を詠う](266)『福島県短歌選集平成29年度版』の原子力詠を読む(1)「『急復興』為政者言ふも緑なか累累黒き汚染土袋」 山崎芳彦
 福島県歌人会(今野金哉会長)が毎年刊行している『福島県短歌選集』の平成29年度版(平成30年3月20日発行)から、原子力詠を読みたい。この連載では、これまで平成23年度版から、つまり東日本大震災・福島第一原発の重大事故があった時から、多くの福島歌人が原発事故による深刻な被災のなかでどのように短歌を読んできたかを『福島県短歌選集』によって読み続け、筆者の行き届かない読みによってだが記録し続けてきた。今回読む同選集平成29年度版の発刊について、今野会長は巻頭の「発刊に当たって」のなかで、創刊以来64年間、一回の休刊もなく刊行してきたことの意義を述べながら、しかし高齢化による会員数の減少とともに「原発事故に伴う避難生活が長引いていることにより作歌意欲が湧かないという方も多数おられます」という現状、原発事故による被災の辛く厳しい現況が続いていることについて言及している。原発事故から7年を経て、「私たち歌人は、こうした困難な条件の渦中において生きている一人の人間としての『真実の声』を三十一文字に込めて訴え」ていくことを呼びかけている。筆者も福島歌人の思いをしっかりと受け止めたい。(2018/06/20)


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[核を詠う](265)金子兜太の原発・原爆俳句を読む「『相馬恋いしや』入道雲に被曝の翳」 山崎芳彦
 今回は、今年2月に98歳で逝去された俳人・金子兜太さんの原発・原爆を詠った俳句作品を読みたい。筆者は俳句についての造詣もないし、よくその名を知ってはいたけれど金子兜太さんの作品を系統的に読んできてもいないので、金子さんの句集に直接あたっての作品抄出ではなく、角川の月刊俳誌『俳句』5月号の「追悼・金子兜太」特集と同誌の付録「金子兜太読本」に触発されて、その他いま手の届く資料に当たっての本稿であることを言わなければならない。金子俳句の中の原子力にかかわる作品のごく一端に触れることにより、筆者にとっては俳句への関心を深める入り口に立った思いもある。(2018/06/05)


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[核を詠う](264)能登原発阻止を闘った短歌「愛し能登 原発地獄」を読む「原発のゴミ捨て場らし奥能登は俺もお前も網引き田を打つ」 山崎芳彦
 筆者の事情て前回から長い間を空けてしまったが、今回は1960年代後半から、日本型工業化社会、高度経済成長を目指す政府、製造業を中心とする大企業が一体となってのエネルギー政策のため、集中的に原発推進国策の標的にされた北陸地方で、原発を受け入れることは自らの地域が「原発地獄」に陥ることを容認することになるとして、反原発の闘いに取り組んだ農民の一人である前濱勝司さんの短歌を読む。「愛し能登 原発地獄」と題して「北陸地域問題研究会」の会報「いろりばた」の発刊第一号に掲載された短歌作品を、筆者は八木正著『原発は差別で動く 反原発のもう一つの視角』(明石書店、2011年6月に新装版として発行、同書の初版は1989年8月)によって読むことが出来た。著者の八木氏(故人)は社会学者であり金沢大学教授でもあったが、1986年に住民を主体とする「北陸地域問題研究会」を立ち上げ会報・ミニコミ紙「いろりばた」を発刊し、地域住民を主体にした反原発運動に大きな役割を果たした。『原発は差別で動く』の八木氏の論考とともに同書に収録され、著書の過半を占めている「いろりばた」は貴重な、いま改めて学ぶべき「民衆智」だと思う。(2018/05/25)


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【核を詠う】(263)福島の歌人グループの歌誌『翔』の原子力詠を読む(4)「メルトダウン天の岩戸を揺るがして神を恐れぬ民にあらむか」 山崎芳彦
 福島の歌人グループ「翔の会」の季刊歌誌である『翔』の第58号から61号までを読んできて今回が最後になる。もちろん『翔』は主宰の波汐國芳さんをはじめ会員各氏のさらなる作歌活動によって今後も続けられていくに違いないし、筆者もさらに『翔』の作品を読ませていただきたいと願っている。福島の地にあって、東京電力福島第一原発の過酷事故によって苦難を強いられながら、その実を写し、生を写し、詠い(訴え)残していく短歌人の一層のご健詠を願うものである。原発事故から7年を経て、現在進行中の原発事故による人々の苦難と、行先の見えない事故原発の処理の現実にも関わらず、この国の政官財を中心とする勢力の原発回帰路線が推進されている。今月10日に経済産業省の有識者会合「エネルギー情勢懇談会」は原子力発電を維持する方向を位置づけた提言をまとめた。再生可能エネルギーを「主力電源」と位置付けてはいるが、原発依存をやめようとせず、大手電力が送電線の空き容量その他を理由に再エネの買い取り制限を強めている不当な再エネ妨害を許しているエネルギー行政の下では空文だ。(2018/04/17)


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【核を詠う】(262)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(3)「夕暮れを避難区域の街ゆけば一瞬よぎる原子炉デブリ」 山崎芳彦
 今回読む歌誌『翔』は創刊60号を記念して「還暦号」特集である。会員の短歌作品とともに散文特集で構成されている。波汐國芳さんの巻頭言「継続は力」によると、平成十四年十一月十七日に創刊、以来「編集事務は編集委員が行うが、製本作業は同人全員が集まって行い、いわゆる同人自らの手作りである。こうしてあっという間に十五年が過ぎ、そして六十号を迎えた。」とのことである。「とにかく継続の力によって、大きな発展があったことは疑う余地がない。しかも、未曽有の3・11東日本大震災及び原発事故の被災という負の現実に遭遇しながらも、それを乗り越えてここまで来たという思いが深い。それは作歌に当たっての自己の在り方を掘り下げ、皆で力を合せ、プラス志向で被災に怯むことなく、坂路を登る思いで頑張って来たから、視野がひらけ翔の発行を続けて来れたのである。」とも記している。(2018/04/05)


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【核を詠う】(261)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(2)「石棺の二文字悲し原発の事故の残り火永久保存」 山崎芳彦
 今回は歌誌『翔』の第59号(平成29年4月発行)の原子力詠を読むのだが、福島第一原発の過酷事故によって核発電の重大な危険性、人々の生活の破壊や環境汚染が明らかになり、しかもその事故の全貌や原因は基本的な点で未解明である。したがって「新規制基準」が原発の安全性を担保するには程遠く、新基準に合格したからといってその原発を稼働・運転することが認められるはずもないのに、ここに来て大飯原発3号機、玄海原発3号機が再稼働することですでに7基が再稼働することになる。原子力規制委員会は、再稼働の審査申請をしている16原発26基のうち7原発14基で新規制基準への適合を認めているから、再稼働はこれからも相次ぐことが必至だ。安倍政権のもとでの原発推進政策が、福島原発の事故が現在進行中であり、多くの人びとの苦難がつづき、事故原発の後始末の見通しもつかず、核汚染廃棄物の山の前で立ち往生しているにもかかわらず、「原発回帰」、さらに海外への原発輸出の路線が、政府・大企業経済界のむき出しの癒着によって進められている。司法の判断の政権追随も目に余る。(2018/03/24)


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【核を詠う】(260)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読 む(1) 「被曝せし福島荒野果てもなく犬の遠吠え聴く夕べなり」 山崎芳彦
 今回から、福島の歌人グループ「翔の会」の季刊歌誌である『翔』(編集・発行人は波汐國芳さん)の第58号(平成29年2月刊)〜61号(平成29年12月刊)の作品群から筆者の読みによる原子力詠を抄出、記録していきたい。歌誌『翔』については、この連載の中で平成23年(2011年)4月発行の第35号から、つまり2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島第一原発の過酷事故以後に発行されたすべての号にわたる原子力詠を読ませていただくことになる。力不足の筆者の読みによる原子力詠の抄出なので、作者の方々にとって、意に添わない不本意な面が少なからずあるに違いないにもかかわらず御勘如をいただき、原発事故により厳しい環境のもとにあっても短歌作品を生み、歌誌に編み続けてきた詠う人々に敬意と感謝の思いを深くしないではいられない。筆者なりに心を込めて読ませていただいている。(2018/03/16)


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【核を詠う】(259)朝日歌壇(2017年1〜12月)から原子力詠を読む(3)「搬入車待ちて立つ人杙(くい)のごとし中間貯蔵の巨穴(おおあな)の底」 山崎芳彦
 いささか間を空けてしまったが、朝日歌壇(2017年1〜12月)の原子力詠を読むのは今回が最後になる。先日、筆者が加入している短歌同好会の歌会があり、筆者も拙い歌を出詠した。「喜寿過ぎて八十路に近くなりたるも『核の傘』には寿(ことぶき)あらじ」、「訃報ありまたも癌死とぞ核の時代(よ)のいやますますに増ゆる病魔の」の2首だったが、歌のつたなさは別にして共感の言葉をいただいた。身のめぐりに癌に罹患する親族や知友の多さを語る歌友が少なくなかった。筆者は、「核の時代」というべきほぼ八十年に蓄積され、追加され続けている核による地球規模の環境汚染がもたらしていることの一つに癌の増加があると思っている。そのほか、生命を脅かすさまざまな事態が進行し拡大しているに違いない。核をめぐる情勢はいま、米国、ロシアの核兵器の新たな増強、展開による緊張の激化、さらに安倍政権による核発電の再稼働促進、海外への輸出推進など容易ならざる局面にある。「核の時代」の終焉への道のりはなお厳しいが、何が出来るか、詠う人々もその厳しさに立ち向かおうとしている。(2018/03/05)


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【核を詠う】(258)朝日歌壇(2017年1〜12月)から原子力詠を読む(2)「九条は死文となりてこの国は核に呪はれ核に死すかも」 山崎芳彦
 前回に続いて「朝日歌壇」の原子力詠を読むが、今回は2017年5月〜9月第一週(9月4日)の入選歌からの原子力詠の抄出・記録になる。2017年7月7日に国連総会は「核兵器禁止条約」を加盟国122カ国の賛成で採択し、同条約の発効に向けて大きな歩みを前進させた。だが、日本政府はこの画期的な、人類全体の生存と安全を守るための、「核兵器は違法であり、悪である」とする国際社会の価値の共有に背を向けた。核保有大国とその「核の傘」に依存する国々と共にこの条約に反対し、成立を妨害したのである。「核兵器禁止条約回避してどの面下げて原爆忌の客」(中原千絵子)、「HIBAKUSHAと初めて記されし条約の批准果たせぬこの国の夏」(井上孝行)、「〈核兵器禁止条約〉に一言も触れぬ首相の六日、九日」(鬼形輝雄)その他、日本政府の姿勢に怒る作品が入選歌として選ばれている。多くの人々が、詠わなくても強い怒りと、悲しみ、このような政府を持ってしまっていることへの危機感を痛感した。その中から歌が生まれたのであろう。(2018/02/19)


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【核を詠う】(257)朝日歌壇(2017年1〜12月)から原子力詠を読む(1)「長女去り長男されど老二人春の畑打つ再稼働の町」 山崎芳彦
 今回から朝日新聞に掲載されている「朝日歌壇」の2017年1月〜12月の入選作品から原子力詠を読む。この連載ではこれまで一年分を一巻に収録した『朝日歌壇』(朝日新聞出版、4月刊)で読んでいたが、今回は筆者のスクラップした綴りから読むことにした。毎回欠かさず同欄を切り抜きしたので、それによることにした。朝日歌壇の選者は佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏、馬場あき子の4氏で、これまでと変わらず、毎回一人10首の入選歌を選んでいるが、複数の選者の共選歌もある。膨大な投稿歌から選者が毎回10首ずつの入選歌を選ぶのだから容易ではないだろう。同歌壇に対する評価、毀誉褒貶はさまざまだが、筆者は選者各氏の個性と目配りの利いた選歌を魅力と思っている。これまで、同歌壇の作品の中から、多くの原子力詠を読ませていただいたことに感謝している。(2018/02/12)


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【核を詠う】(256)『角川短歌年鑑平成30年版』から原子力詠を読む「トン袋五段に積まれ汚染土は海までつづく野ざらしのまま」     山崎芳彦
 今回は角川『短歌年鑑(平成30年版)』(平成29年12月7日、角川文化振興財団発行)の「自選5首作品集」、「特選作品集・年間ベスト20」、「題詠秀歌」に収載された作品から、筆者が原子力詠として読んだ短歌作品を抄出、記録させていただく。本連載ではこれまでも毎年の角川『短歌年鑑』から原子力詠を読み続けてきたが「平成30年版」についても読ませていただく。「自選5首作品集」には約600人の歌人の作品約3000首と厖大な作品が収録されており、そこから原子力にかかわる作品として読んだ歌を抄出したので、読み誤り、作者の意に添わない抄出になっていることがあればお詫びを申し上げるしかない。(2018/02/02)


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【核を詠う】(255)遠藤たか子歌集『水のうへ』から原子力詠を読む「臨界事故隠しにかくせる年月のながさよ二歳児三十歳(さんじふ)になる」 山崎芳彦
 前回まで3回にわたって2011年3月11日以後の作品を収めた遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』から原子力詠を読んだが、同歌集を読む中で遠藤さんが「原発への危機感は2010年に出版した歌集『水のうへ』をはじめ、これまで継続して歌ってきました」(『水際』のあとがき)ことを知り、お願いをしたところ、まことにありがたいことに歌集『水のうへ』(2010年、砂子屋書房刊)をご恵送いただくことができた。今回は、その歌集から原子力詠を抄出、記録させていただく。福島第一原発事故以前に歌われた原発への危機感を短歌表現した作品を、この連載の中で、福島の歌人の東海正志『原発稼働の陰で』、佐藤祐禎『青白き炎』、若狭の歌人の奥本守『紫つゆくさ』大口玲子『ひたかみ』などの歌集から読んできたが、今回の遠藤さんの『水のうへ』も原発事故以前に、短歌人の事実を視る確かな眼差し、鋭い感性によって原発への危機感を作品化し、発信していた貴重な一巻であると思う。(2018/01/24)


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【核を詠う】(254)遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』から原子力詠を読む(3)「避難先に食料を送りくれたるは沖縄の友 五年が経つた」    山崎芳彦
 遠藤たか子歌集『水際』の原子力詠を読んできて今回が最後になる。貴重な短歌作品を読むことができた、さらに多くの人々による原子力詠を読んでいきたいと願っている。歌うことが行動の一つであれば、それを読むことも原子力社会からの脱却を目指していく力を蓄え強めていく行動のひとつであると思っている。その作品が訴え、伝えること、それを受けとめ考えることが、さらにさまざまな人を動かす力の源のひとつになり得るはずだと考えている。核をめぐる国内外の現状は、非常に深刻な状況にある。これ程核兵器の使用がさかんに公然と語られるのはかつてなかったのではなかろうか。また原発が国際的な商品として、政府・財閥企業によって押し出されているのも目に余る。報道によると、日立製作所がイギリスで進める原発事業に日英両政府が官民で総額約3兆円を投融資する資金枠組みが大筋合意したという。日立製作所といえば、次期経団連会長に内定している中西宏明氏(現在経団連副会長)が会長を務めている。中西氏は安倍政権と太いパイプを持つことで知られているという。(2018/01/17)


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[核を詠う](253)遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』から原子力詠を読む(2)「放れ牛に草を喰ませる除染法おそろしここまで来たるにんげん」 山崎芳彦
[お詫びとお願い:前回(252)につきまして、掲載時(12月31日午後1時)から1月1日午前10時までの時間帯の記事に全文を掲載出来ませんでした。その時間帯にお読みいただいた方にはこのページ右に表示の核を詠うをクリックして「核を詠う(252)」を検索いただき、全文をお読みいただければ幸いです。お詫びしてお願いいたします。筆者]。前回に続き、遠藤たか子歌集『水際』から原子力詠を読み続ける。(2018/01/04)


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【核を詠う】(252)遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』の原子力詠を読む(1)「炉心溶融起こり駅舎もながされてこの後われにふるさとは無し」 山崎芳彦
 今回から遠藤たか子歌集『水際(みぎわ)』(2017年10月17日、いりの舎刊)から原子力詠を読むのだが、著者の遠藤さんはこの連載で前回まで5回にわたって読んできた合同歌集『あんだんて』を発行してきた南相馬短歌会あんだんての会長、代表をつとめてきた歌人である。筆者は遠藤さんとお目にかかったことはないのだが、福島第一原発事故の翌年の2012年に合同歌集『あんだんて』第4集が刊行されたことを知って電話を差し上げ、同歌集をこの連載で読ませていただくお願いをしてこころよくお送りいただいたことを思い出す。それから5年を経て、また電話でお願いして『あんだんて』第5集〜第9集を、前回まで5回にわたって読ませていただいた。その中で遠藤さんが歌集『水際』を上梓されたことをうかがい、ありがたくも頂戴して大切に読ませていただいた。筆者なりに一生懸命、心を集中させて読ませていただいたつもりである。これまでも数多くの福島の歌人の原子力詠を読ませていただいてきたが、またひとつ今を生きているひとびと、これからを生きるひとびとにとって貴重な短歌作品が編まれたことをしっかりと受け止め、つたないけれどもこの連載で読んでいきたい。(2017/12/31)


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❴核を詠う](251)南相馬短歌会あんだんての合同歌集から原子力詠を読む(5) 「見えぬはづの放射能黒き袋の立方体に見せつけらるる」   山崎芳彦
合同歌集『あんだんて』第九集(平成29年6月発行)から原子力詠を読ませていただくが、同第五集から今回の第九集までの、南相馬短歌会に集う決して数多くはない歌人の作品を読んできて思うことは多い。人が生き、縁ある人びととともに生活を営み、喜怒哀楽、愛別離苦様々な、しかし当り前の日々を送り、それをつなぐこと、決して望むことばかりではないにしても。その人々が生きる環境を根底から脅かし破壊する結果を招く危険性のある原子力発電所の存在の理不尽、反人間性を、福島第一原発事故がもたらした災厄を経験してもなお、国の政策、大資本企業の事業として許すことは、あの広島、長崎の原爆被爆による人々の惨憺たる苦難を経験しても国連の核兵器禁止条約に反対し、「核の傘の下」から「核兵器の自前生産、核兵器保有」への策謀に重なることに違いないと思わないではいられない。短歌作品は作者の意図を越え、読む者に多くのことを考えさせることが少なくない。「詠む」と「読む」の交錯が創作するものもあるのだろう。(2017/12/18)


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【核を詠う】(250)南相馬短歌会あんだんて合同歌集から原子力詠を読む(4)「核災の五年目五月孫が来るじいちゃんの墓おそうじをする」 山崎芳彦
 今回読む、合同歌集『あんだんて』第八集は平成28年6月に発行されたものだが、「哀しみはおんなじなのに『帰還』という言葉は集団(そこ)に軋轢を生む」(梅田陽子)、「住民ら反対するも解除なる特定避難の百五十二戸」(原 芳広)、「春待ちぬ帰還せるひと数割か母は九割戻ると信ず」(根本定子)、「閻魔のごと帰還促すわが声に息をのみこむあなたの反応」(社内梅子)など政府の避難指示解除、復興の名のもとの「帰還強制」ともいうべき理不尽な施策が強まる中での、原発事故による被災者の更なる苦悩の中での作品が少なくない。10月10日の「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟をうけての福島地裁判決が福島原発事故についての国の法的責任、東電の過失を認め、断罪したように、加害責任を負うべき国が,被災者に対する賠償、-補償の打ち切りを切り札にして被災地への帰還を強制するかの如き暴挙によって、被害者が苦しまなければならないことの理不尽を、多くの短歌作品は歌い、訴えている。(2017/12/02)


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【核を詠う】(249)「南相馬短歌会あんだんて」合同歌集から原子力詠を読む(3)「意地を捨て希望を捨てて国策に呑みこまれゆく産土の地は」 山崎芳彦
 今回は、南相馬短歌会あんだんての合同歌集『あんだんて』の第七集(平成27年6月発行)から原子力詠を読むのだが、読みながらいま原子力社会の維持、推進を目指す政・財・官・学の勢力が進めている様々な原発促進の策謀について考えないではいられない。先の総選挙での主権者の意思を捻じ曲げる選挙制度と憲法違反ともいえる国会解散のもとでの「大勝利」を謳う安倍政府とその追随勢力は、福島原発事故の収束どころかメルトダウンした福島第一原発が900トンとも推定される核燃料デブリを抱えてその取り出しや安全な処理の見通しもつかないまま、原発の新増設・リプレイスに向けて動き始めている。政府に対する電気事業連合会、経団連などの働きかけが強まっている。国が原発を重要なベースロード電源として位置づけている以上、「老朽・定年原発」が目白押し「定年延長」を強行したとしても限界があるのだから、原発新増設・リプレイスは欠かせないというのである。そこには、福島原発事故による被害による人々の苦難に向ける眼はない。(2017/11/21)


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【核を詠う】(248)「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集から原子力詠を読む「避難せる人等あまたの訃が届きその無念さの重き三年」  山崎芳彦
 今回は合同歌集『あんだんて』第六集(平成26年6月発行)から原子力詠を読み、記録するのだが、11月6日付朝日新聞の「朝日歌壇」に「責任は電力会社と国と出る福島原発二〇〇〇の死者よ」(福島市・澤 正宏)があり、10月10日の福島地裁判決が国と東京電力の事故の責任を認め、損害賠償の支払いを命じたことを詠った作品として読みながら、「福島原発二〇〇〇の死者よ」の句に強い印象を受けた。原発事故関連死者は2,000人を越えているといわれ、人々の生活環境を根底から破壊し、今も苦難を強いている責任と賠償の義務は当然あるけれども、原発事故はなお現在進行中である。償いきれない責任を持つ国、電力企業と原発を推進しさらに続けようとしている政治・経済支配勢力はさらに罪を重ねるに違いない。人の命、健康で文化的な生活を営む人びとの権利より大切なものがあると考える原子力推進勢力は、核発電も核兵器をも必要だとしていることを、今の安倍政府とその同調勢力が進めている原子力政策はあからさまにしている。(2017/11/10)


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【核を詠う】(247)「南相馬短歌会あんだんて」の合同歌集から原子力詠を読む(1)「何といふ風のいたずら原発のなきわが町に放射能降る」 山崎芳彦
 福島県の「南相馬短歌会あんだんて」(代表・遠藤たか子)が毎年発行している合同歌集『あんだんて』の第五集(平成25年5月刊行)〜第九集(平成29年6月刊行)をお借りすることができ、読んでいる。この連載の71回目(2012年10月24日掲載)で同歌集の第四集(平成24年5月発行)を読ませていただいてから今日まで毎年発行されてきたのになぜ毎回読ませていただかなったのか、筆者の悔いは深い。同会に集った歌人(第九集13名)による作品群は「この地に住む者にとって大地震や津波、放射能への恐怖が根底にあることは紛れもない事実で、これからも歌い継いで行かなければなりませんが、自由に何でも歌える『場』であることも大切にして行きたいと思っています。」(第五集の「あとがき」 遠藤たか子さん)とする歌人集団の合同歌集にふさわしい、思いの深い、感性の豊かな、個性が生かされた作品の集積であると思いながら、5年間に蓄えられ一首一首を読ませていただく喜びをいただいてもいる。(2017/11/01)


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【核を詠う】(246)山崎啓子歌集『白南風』の原子力詠を読む「核持ち込みの密約隠され五十年被爆柿の木二世を増やす」  山崎芳彦
 今回は前回までの山崎啓子歌集『原発を詠む』に続いて刊行された第二歌集『白南風』(2017年7月24日、デザインエッグ社刊)から原子力詠を読む。作者は7月2日に逝去されたので遺歌集となるが、『原発を詠む』の発行が6月26日であったことを考えると、ご遺族、関係者の方々の作者への思い、愛惜のほどが偲ばれる歌集である。この歌集の「あとがき」は作者自身が6月21日の日付を入れて記したものであり、病床にあった作者が最後の力でこの歌集の刊行に直接かかわられたのかと推察もする。前歌集には作者の「後世の誰かに伝へむ原発を恨む末期がん患者の歌を」の一首が象徴するように2011年の福島第一原発事故をテーマとする作品が、埼玉県に住む歌人によって深い思いと原発に対する怒り、原発廃絶への願いが真摯に詠われたことの意味・意義の大きさを思ったが、今回の歌集『白南風』によって作者の核に対する危機感が、福島原発事故以前から深くあったことを示す作品があり、『原発を詠む』に至る基盤が蓄積されていたことを知らされた。筆者が知らないところで多くの人々が原子力詠を紡ぎ、訴えていることをあらためて感じさせられた。(2017/10/17)


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【核を詠う】(245)山崎啓子歌集『原発を詠む』の原子力詠を読む(3)「子らの声戻らぬ避難解除の地 桜咲けども地母神(じぼしん)の鬱」  山崎芳彦
 前回から間を空けてしまったが、山崎啓子歌集『原発を詠む』を読む。今回が最後になるが、この間、安倍総理大臣による国会の「違憲解散」があり、小池都知事による「希望の党」の結党に引きずりまわされるような民進党の「身投げ解党」、それを是としない民進党の有志の「立憲民主党」立ち上げなどの動きが続いてきたが、その中にあって安倍政治とそれを補完する勢力の改憲の企み・安保法制の容認と戦争をする国づくりを許さない闘いとしての総選挙をより力強く前進させることの重要性はますます高まっていると思う。(2017/10/06)


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【核を詠う】(244)山崎啓子歌集『原発を詠む』を読む(2)「忘れ得ず 去年(こぞ)六月の嫗の死『私はお墓に避難します』」山崎芳彦
 前回に続いて山崎啓子歌集の原子力詠を読むが、「福島を思う」、「福島とともに『事故から六年』」としてまとめられた、作者の原発事故被災に苦しむ人々、地域に寄せる深い思いを短歌表現した作品からあふれる原子力発電に対する怒り、原発ゼロ実現への願いと作者自身の意志に心を打たれる。その根底に「核と人間は共存できない」という確信があるのだと思う。ところが、この国は原子力発電を「欠かせないエネルギー源」として「福島原発事故以前」に戻ろうとするだけでなく、「非核三原則の見直し―米国の核兵器の日本への配備」論が、「北朝鮮のミサイル・核開発の脅威」を理由に大手を振って語られ始めている。自前の核兵器開発保持への布石であるに違いない。核発電の維持存続と核兵器配備―核兵器開発への企みはコインの裏表であろう。(2017/09/21)


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【核を詠う】(243)山崎啓子歌集『原発を詠む』を読む(1)「『虫や鳥の異変の次はヒトの番』生態学の説怖ろしき」  山崎芳彦
 今回から読む山崎啓子歌集『原発を詠む―末期がん患者の最後の闘い』(2017年6月26日刊、デザインエッグ社発行)の作者は埼玉県越谷市の歌人であったが、まことに残念なことにこの歌集が完成した直後の7月2日に逝去されてしまった。享年69歳であった。この歌集が刊行されたことを知って筆者が作者のお話を聞きたいと思いご自宅に電話を差し上げて、御夫君の山崎啓次氏からそのことをお聞きし、歌集発行の経緯などについても伺ったのだが、歌集の完成を喜んで一週間後にはかなくなられた作者を偲んで、またその歌業の意義を尊く思い、この連載に取り上げさせていただく。(2017/09/09)


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【核を詠う】(242)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(7)「原子炉の温排水はテトラポット囲む日本海の岸に渦巻く」  山崎芳彦
 『昭和萬葉集』から原子力にかかわって詠われた短歌作品を読んできたが、巻九(昭和25年〜26年、1950年から1951年)に始まった連載も今回の巻十九(昭和49年、1974年)、巻二十(昭和50年、1975年)で終る。この「核を詠う」連載では以前に巻七(昭和20年8月15日〜22年、1945年〜1947年)、巻八(昭和23年〜24年、1948年〜1949年)の原子力詠を読んでいるので、合わせると1945年〜1975年、戦後30年にわたって『昭和萬葉集』に収録された原子力詠を読んできたことになる。この連載では原子力詠に限って記録してきたのだが、筆者は全作品を読んできたので、戦後30年の歴史、筆者にとっては5歳〜35歳に重なる時期に全国の多くの歌を詠む人びとの作品をかなり集中的に読んだことになる。読みながら、自らの前半生期といってもよいだろう時代と、その時代を生きた我が生きざまを重ね、見つめなおし、見えてはいなかったこと、見ようともしなかったことの大きさを思い知らされ、感慨は単純ではないのだが、『昭和萬葉集』があってよかったと改めて先達に感謝したいと考えている。(2017/08/29)


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【[核を詠う】(241)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(6)「この国の核武装せむ怖れさへすでに怪しまず世は動きゆく」 山崎芳彦
 今回読む『昭和萬葉集巻十六』(昭和45年〜46年、1970〜1971年)、『同巻十七』(昭和47年、1972年)、『同巻十八』(昭和48年、1973年)は、1970年代初頭の4年間に詠われた短歌作品を収録している。1960年の日米安保条約改定反対闘争から10年を経て、経済の「高度成長」、「所得倍増」が謳われる中で、しかし時の支配層が進めた政治・経済政策の「毒」は人々を管理社会に取り込み、人々が生きる環境を痛めつける「公害」を全国各地に深刻化させ、さらに労働組合などへの巧妙な分断工作により戦後の革新運動の「混迷」を深化させていた時期であったと、筆者は自身の生活史を通じて思っている。この時期、筆者はある青年組織の月刊機関誌の編集記者として働いていたが、取材記事、ルポルタージュとして、公害、職業病、労働災害、自衛隊、労働青年の生活の実情…などをテーマにして拙い文章を書いた。その中での経験を思い返しながら『昭和萬葉集』を読んでいるのだが、さまざまな感慨が、自身の無様な生き方への哀しい振り返りとともに湧いてくる。特に、今回読む『昭和萬葉集』の時期は殊更である。(2017/08/14)


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【核を詠う】(240)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(5)「この年もものぐるほしくなりにけり八月の空夏雲のたつ」山崎芳彦
 今回読むのは『昭和萬葉集』の巻十四(昭和39年〜42年、1964〜1967年)、巻十五(昭和43年〜44年、1968〜1969年)の原子力詠だが、1950年代から後半から激しさを増したアメリカ、旧ソ連、イギリスの核実験競争が、大気圏内実験から地下核実験へと形を変えながら続き、さらにフランス、中国も核保有国として名乗りを上げた時期でもあった。同時に、東西対立の中であわやと思わせる核戦争の危機もあり、アメリカ、旧ソ連による核兵器のそれぞれの陣営各国への配備がおこなわれた。日本について言えば、アメリカは米軍統治下にあった沖縄への核ミサイル配備など「沖縄の核基地化」、日米安保条約の下での核を積んだ艦船、原子力潜水艦の寄港、通過を実質的に自由に行うことを認める核密約を結ぶなどアメリカの核戦争政策・態勢への協力をすすめた。広島・長崎・第五福竜丸をはじめとする日本漁船のビキニにおける被爆を経験したこの国では、原水爆禁止運動、原子力潜水艦の寄港反対闘争が高まり、複雑な、政治勢力間の対立・矛盾・分裂による困難の中でも「核戦争反対・原水爆禁止」の声はやまなかった。巻十四、巻十五に収録された原子力詠に示されている。(2017/08/06)


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【核を詠う】(239)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(4)「汚染せし雨多く降りし夏過ぎて妻みごもりぬいかりのごとく」 山崎芳彦
 今回は『平和万葉集』の巻十二、巻十三から原子力詠を読むのだが、両巻には昭和32年(1957年)〜昭和38年(1963年)の作品が収録されている。前回に巻十、巻十一で、東西冷戦下でアメリカ、ソ連(当時)が激しい核兵器の開発・増強のための核実験を繰り広げた1950年代における「核の時代」のもとで、広島・長崎の原爆投下による悲惨な経験の記憶と明らかになるその実態を短歌表現するとともに、一層深刻・危険になる核実験競争の中でのビキニ環礁での日本のマグロ漁船の第五福竜丸の被曝、漁船員が受けた「死の灰」被害、無線長・久保山愛吉さんの原爆症による無念の死、日本各地にも降った高い濃度の放射能雨、核実験禁止要求運動の高まりなどを映す短歌作品を読んできたが、今回の巻十二、巻十三でもそれを引き継いでの原子力詠が数多く、多彩に収録されている。(2017/07/27)


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【核を詠う】(238)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(3)『原子力研究所敷地の調査すと爆破音いくたびか村をゆるがす」 山崎芳彦
 「核兵器の使用がもたらす破局的な人道上の結末を深く懸念し、そのような兵器全廃の重要性を認識し、核兵器が完全に除去されることが必要であり、これがいかなる場合にも核兵器が決して再び使用されないことを保証する唯一の方法である。」、「核兵器の使用の被害者(ヒバクシャ)及び核兵器の実験により影響をうけた人々にもたらされる容認しがたい苦しみと危害に留意し、先住民に対する核兵器活動の不均衡な影響を認識し、全ての国が国際人道法や国際人権法を含め適用される国際法を遵守する必要があることを再確認し…核兵器の全面的な除去の要請に示された人道の諸原則の推進における公共の良心の役割を強調し、国連や国際赤十字その他の国際機関及び地域的機関、非政府機関、宗教指導者、国会議員、学術研究者、及びヒバクシャが行っている努力を認識し」(「核兵器禁止条約」の前文から)核兵器の保有や使用、実験、製造、核兵器使用の威嚇などを幅広く禁じる国際条約が国連の交渉会議で、国連加盟国のほぼ3分の2の122ヵ国の賛成によって採択された。9月から署名が始まり50カ国の批准で発効する。(2017/07/15)


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【核を詠う】(237)『昭和万葉集』から原子力詠を読む(2)「ビキニより帰りて子をも望めなき人らにさえや何の補償ぞ」 山崎芳彦
 『昭和萬葉集』の巻十、十一は、昭和27年〜31年(1952年〜1956年)の短歌作品を収録している。その作品群の中から原子力詠を読んでいるのだが、この時期は原子力の時代史の中で、世界的にも、また日本においても極めて重要な時期として記録、記憶されなければならない時期であると言えよう。1945年に歴史上初めての原子爆弾の使用、つまり広島・長崎への米国による原爆投下が行われ、その恐るべき惨禍、「核の地獄」を起点にして第二次世界大戦後の米・ソを核とした東西冷戦激化のもとで、より凶悪な核兵器開発、熱核兵器(水爆)の実戦化のためのとめどもない実験が繰り広げられた時期である。1952年に米国が、53年にソ連(当時)が本格的な水爆実験を行い、さらに水爆を運搬可能・実戦的なものにするための実験が繰り返され、その中で米国の太平洋ビキニ環礁における水爆実験による日本のマグロ漁船第五福竜丸の核放射能「死の灰」の被害があったのだ。読んでいる『昭和萬葉集』には、広島・長崎の原爆、そして「第五福竜丸」の死の灰被害、放射能雨などを詠った短歌作品が多く収録されている。(2017/07/06)


【核を詠う】(236)『昭和萬葉集』から原子力詠を読む(1)「既に三日昏睡続く久保山さん死の予定稿となり時を待つのみ」 山崎芳彦
 今回から『昭和萬葉集』(講談社刊、全20巻、別巻1)の巻九〜巻二十に収載の短歌作品の中から原子力詠を抄出・記録していきたい。『昭和萬葉集』の原子力詠については、この連載の5回目(2011年9月4日付)から数回にわたり巻七・八に数多く収載された、広島・長崎の原爆被爆にかかわる作品を読み、その時から『昭和萬葉集』全巻の原子力詠を読み・記録することを考えていたが、それから6年近くが過ぎてしまった。この間、原爆詠をはじめ、原発にかかわって詠われた作品を非力ながら可能なかぎり読み・記録してきたが、読むほどに、この国の短歌人が原子力に関わる短歌作品を、広島・長崎・ビキニの原水爆、福島原発事故、そして原子力発電の導入とその定着による原子力社会の現状についてどのように向かい合い作品化して来たかをたどるためにも、『昭和萬葉集』全巻(昭和元年〜昭和50年の短歌作品を年代別に採録)を読みたいと考えた。その中で、原子力と核の時代からの脱却について、改めて考え、学び、いま何をなすべきかを、筆者なりに考えたい。(2017/06/26)


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【核を詠う】(235)『朝日歌壇2016』から原子力詠を読む(2)「放射線のガードが固く覗(のぞ)けない溶け落ち沈むデブリの姿」  山崎芳彦
 前回に続き『朝日歌壇2016』から原子力詠を読み、今回で終るのだがそのなかに、「唯一の被爆国なり発議して賛成すべきを『反対』と言う」(諏訪兼位)という短歌がある。今月15日から国連本部で再開されている「核兵器禁止条約」の成立を目指す交渉会議に、日本政府が核保有国とともに不参加であることへの怒りと失望を詠っていると読める。実際には、この作品は昨年11月21日付の「朝日歌壇」入選作品であるが、その時には日本政府の同交渉会議不参加が明らかになっていたことから詠われた作品であり、詠った通りになったことに、作者は改めてこの国の政府の核政策、外交への怒りを強くしていると思う。「核兵器禁止条約」案は、その前文に「核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)や核実験による被害者の苦難を心に留める」の一節を盛り込むことになっていることを思えば、日本政府が同条約に反対し、核保有国に同調する態度は国内外の理解を得られない。原発事故でも国際的な批判を浴びており、日本政府の原子力政策への批判は強まる。(2017/06/19)


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【核を詠う】(234)『朝日歌壇2016』から原子力詠を読む(1)「高浜原発止めし裁判長は飛ばされて生命守らぬ国は哀しも」 山崎芳彦
 朝日新聞の「朝日歌壇」に入選した作品を毎年一巻にまとめた『朝日歌壇』が刊行されているが、その2016年版(『朝日歌壇2016』、2017年4月30日発行、2016年1〜12月の入選作品を収録)から、筆者の読みによる原発詠を抄出、記録する。本連載で、これまでも2011年以後の『朝日歌壇』の作品を毎年読み続け、記録してきたが、今回も読ませていただく。朝日歌壇の選者は、馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の4氏で、毎回10首ずつを入選作品として選んでいるが、複数の選者の共選になる作品もある。同書の巻頭に選者4氏による「年間秀歌」10首(『朝日歌壇賞』受賞作品1首を含む)が掲載されているが、馬場あき子氏は「敷島のフクシマに国勢調査あり人口ゼロとされし町はも」(熊本市・垣野俊一郎)を朝日歌壇賞受賞の作品として選び、「国勢調査で『人口ゼロ』とされたフクシマの町への深い哀悼の心がこもったものだ」と評している。(2017/06/04)


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【核を詠う】(233)『角川短歌年鑑・平成29年版』から原子力詠を読む 「なにごともなかつたやうに列島に原発ともる ひとおつ、ふたつ」 山崎芳彦
 今回は、月刊短歌総合誌『短歌』を発行している角川文化振興財団の刊行になる角川『短歌年鑑』の平成29年版(平成28年12月刊)に収載の、全国の歌人600余名の「自選5首作品」、さらに「角川歌壇」特選作品、「題詠秀歌作品」から、筆者が原子力詠として読んだ作品を抄出・記録させていただく。本連載ではこれまでも、毎年、角川『短歌年鑑』の原子力詠を読み続けてきたが、「平成29年版」についても、読ませていただく。掲載されている短歌作品は膨大で、そのなかから筆者の読みにより「原子力詠」を抄出したので、誤読、作者の意に添わない抄出になってしまっていることがあれば、お許しを乞うしかない。原子力詠として読んだ多くの作品には、2011年3月11日の福島第一原発事故にかかわって詠われた歌が多くを占め、短歌界にも同事故が大きな衝撃を与え、6年が過ぎても様々な表現により原発問題が詠いつづけられ、さらに広島・長崎の原爆にかかわる作品、核問題を取り上げた作品も少なくない。(2017/05/25)


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[核を詠う](232)『平成28年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(3)「たやすげに復興といふくちびるの動きをぢつと見てゐる梅花」 山崎芳彦
 「平成28年度場福島県短歌選集」から原子力詠を抄出し記録してきたが、今回が最後になる。今回読む作品の中に、福島原発事故の被災が人々にもたらしている苦難の実態、真実が、まさに人間が「生きる」上でいかに深刻なものであるかが明らかにされている。政府や東電が言う絵空事の「復興」宣伝ではなく、人々の生きる条件、さまざまなことがあっても人として家族や地域の仲間とともに生きていく環境が破壊されていることの底知れぬ深刻さを福島の詠う人びとは、まさに今を生きている現実の中から「人間の復興」を求める短歌作品を紡ぎ出している。「震災前九人住みゐしわが家族いまは離散す桜花舞ふ」(吉田信雄)、「百四歳の母は逝きたり原発に逐はれしふるさとひたに恋ひつつ」(同)、「避難せる子等が各地で『菌』呼ばわり殴るにも値せぬ人が居る」(横田敏子)、「汚染土に米の作れず農終る避難の果てに夫も逝きたり」(山崎ミツ子)、「福島の惨事なきがごと次々と再稼働さす愚か者たち」(守岡和之)…多くの「人間の声」は、響きあい重なり合って多くの人びとに届けと、原子力社会からの脱却を呼び掛ける。(2017/05/16)


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【核を詠う】(231)『平成28年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(2)「次々と再稼働する原発の報道憂ひふくしまに住む」 山崎芳彦
 今は亡き大岡信さんが朝日新聞に連載したコラム「折々のうた」の平成15(2003)年2月7日付で福島の歌人・波汐國芳さんの作品、「汚染進む海と思えり生(あ)れ出(い)でし鰭(ひれ)欠け魚(うお)の傾き泳ぐ」を取り上げて次のように書いている。「『落日の喝采』(平成14)所収。うちくつろいで日々を送っている市民の食卓では、『鰭欠け魚』のような不気味な存在は姿を見せない。そんな魚は私たちの生活権には許されない、と無意識に思っている人も多いはずだが、作者は歌集あとがきで書く、『私の住む地域は原発十基を抱えるという環境にありますが、その安全神話が崩壊した今、不安がつのるばかりです』。右の歌など読むと、水俣病の予言性は実際大きかったと改めて痛感する。」(岩波新書『新折々のうた7』、2003年11月刊所収)。(2017/05/06)


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【核を詠う】(230)『平成28年度版福島県短歌選集』から原子力詠を読む(1)「隠されしメルトダウンと知る朝の緋の立葵われを見下ろす」 山崎芳彦
 今回から読む『平成28年度版福島県短歌選集』(平成29年3月刊行)は、福島県歌人会(今野金哉会長)が会員である福島歌人235氏から寄せられた平成28年度の短歌作品(一人10首)を収載するとともに、福島県歌人会の概況を明らかにした貴重な年刊歌集である。昭和29年度の創刊であるからこの平成28年度版(第63巻)まで一度の中断もなく刊行されてきたことになり、東日本大震災・東京電力福島第一原発事故による被災の中にあっても福島の歌人がこの年刊歌集を継続してきたことの意義は大きく、敬意を表すべきことだと、筆者は思っている。この連載の中で平成23年度版以来今回まで毎年度読ませていただき、原子力詠に限らざるを得なかったが記録させていただいたことは、筆者にとってありがたいことである。福島の歌人の方々一人一人のお名前と出会うのは懐かしい思いを誘う。いろいろとお世話になった方も少なくない。上梓された個人歌集を読ませていただきもした。原子力詠に限らず、心打たれる作品と出会うことが出来たことは、拙くとも詠う者の一人である筆者のよろこびでもある。(2017/04/25)


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【核を詠う】(229)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠(3)「列島は難破の船ぞ福島の避難の民は今も散り散り」  山崎芳彦
 歌誌『翔』の原子力詠を読み、記録させていただいてきて、今回で終るが、作品を読むほどに、福島歌人の短歌をとおして福島原発の事故がもたらした被災が6年を経てなお、ますます、人々の生活に深い苦難を及ぼしていることを思わないではいられない。原発事故によって受けた被害は、避難指示によって避難を「強制」された人びとはもとよりだが、避難指示対象区域外からの自主避難者、さらに避難せずとどまって生きる人々にとっても、さまざまに深刻なものだった、いや今も深刻であることを、これまで読んできた短歌作品は伝えている。政府や原子力関連産業界、原発再稼働推進勢力が原発事故被害者の被害の実態をまともに受け止めることなく、したがって求められる対応をすること無く、さまざまに加工された数字を並べ、人間なき復興計画を描き出しているなかで、今村復興相の「暴言」ではない本音が露わになったのだ。あの非人間的な発言は、今村大臣固有のものではなく、現政権、原子力推進勢力の「本音」の一片なのだろう。(2017/04/16)


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【核を詠う】(228)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠(2)「核のごみ次の世代に渡す罪吾も負ひつつ歌詠みゆかな」 山崎芳彦
 前回に続いて福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』から原子力詠を抄出、記録させていただくのだが、作品を読みながら改めて思うのは、この国の政府と電力企業及び原子力関連大企業が連携して、満6年前、2011年3月11日の東京電力福島第一原発の壊滅事故による底知れない、いつ終わるとも知れない核災害を、あたかもなかったこと、あるいは恐れることのないこととして、原発復活政策を推進していることの罪深さである。世界最悪レベルとされた原発事故による被災の深刻さは、コンパスによって引かれた被災地の設定や、空間線量率で推定される年間積算線量による核放射線量の数字、森林や河川、水路を含む人が生き暮す環境を除く限定された「生活環境」の除染…によって解決されることではない。そして「加害者」「事故責任者」による被害者・避難者に対する一方的な「帰還政策」―すべてを被災者の事故責任に押しつけ自らの責任を軽減さらに無いことにする「避難指示解除」、そして原発再稼働が進められている。(2017/04/06)


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【核を詠う】(227)福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠「原発はパンドラの箱に潜みゐて開けに来る人今も待つらし」 山崎芳彦
 今回から福島県内の歌人グループ「翔の会」(波汐國芳代表、会員30名)の季刊歌誌『翔』の第52号(平成27年7月刊)〜第57号(平成28年11月刊)の作品群から、筆者の読みによって原子力にかかわって詠われた歌を抄出、記録させていただく。筆者の読みによる抄出なので、作者の方々にとって不本意な、作歌意図と違った誤読があるとおそれながらの抄出であり、その場合のお許しをお願いしなければならない。歌誌『翔』の作品については、この連載の中でこれまで第35号(平成23年4月発行)〜第51号(平成27年4月発行)迄、つまり平成23年の3・11東日本大震災・東京電力福島第一原発の壊滅的事故が起きた以後に発行されたすべての号を読ませてきていただいており、今回はその引き続きになるわけだが、筆者にとってこの『翔』との出会いはまことに貴重な、ありがたいものである。「翔の会」の会員歌人の皆さんに感謝を申し上げなければならないし、3・11以後の様々な苦難の中にあって、『翔』の発行をたゆまず、1号の休みもなく続けてこられた歌人の力に敬意をますます深くしている。(2017/03/24)


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【核を詠う】(226)福島の歌人・波汐國芳歌集『警鐘』を読む(3)「放射線多きに住むを病葉(わくらば)の透きて見えくる命ならずや」   山崎芳彦
 読んでいる波汐國芳歌集『警鐘』が第32回詩歌文学館賞を短歌部門で受賞した。同文学賞は日本詩歌文学館振興会などが主催してすぐれた詩歌(詩、短歌、俳句各部門)作品に対して与えられるものだが、波汐さんの歌集『警鐘』の受賞は、福島第一原発事故を踏まえて「文明の反人間的な暴走」に警鐘を発する短歌作品(3・11以後『姥貝の歌』、『海辺のピアノ』、『警鐘』の3冊の歌集を刊行している)に対する評価によるものと思い、この連載の中で3歌集をはじめ多くの波汐短歌を読んできた筆者の喜びは大きい。そして改めて『警鐘』をしっかりと受け止めなければならないと思っている。今回が「警鐘」の作品を読む最後になるが、前回抄出した「科学者ら希(ねが)うは核融合とう 陽のほかに陽をつくる事とう」、「陽の中ゆ核の盗人(ぬすっと) 滅びへの道馳せゆくを文明と言う」、「何でそんなに急いでいるの 人類の終(つい)がみるみる迫りて来るを」などの作品について、改めて注目させられることがある。核融合発電をめぐる動きである。(2017/03/16)


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【核を詠う】(225)福島の歌人・波汐國芳歌集『警鐘』を読む(2)「反原発ひたすらにして草紅葉(くさもみじ)炎立てるはわれへみちびく」  山崎芳彦
 いま読んでいる歌集『警鐘』の冒頭の一首、「ああ我ら何にも悪きことせぬを『原発石棺』終身刑とぞ」について、作者の波汐さんは「現在の私の正直な気持ちである。それは被曝地福島県に住む者の共通の思いであるに違いない。」として、次のように述べている。「多くの人が自ら誘致した原発ではないのに、大震災が原因であるとはいえ、当局側が事前の対策を怠ったがために大事故を招き、言ってみれば人災によって多くの人に被害を及ぼしたのである。そして、事故の収束までには三十年〜四十年もかかるといわれる。この地で生活する限り一生付き合わなければならない過酷な情況といわねばならず、まさに終身刑を科せられたようなものだと言ってはばからないからである。」(波汐さんが編集発行人である歌誌『翔』第52号の巻頭言)という。この「原発石棺」とは、破滅原発に覆い被せる構築物の意ではなく人々の生きる現在と将来を暗く閉じ込めるものの象徴だろう。(2017/03/03)


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【核を詠う】(224)福島の歌人・波汐国芳歌集『警鐘』を読む(1)「炉心溶融告げしロボットしんしんと他界の方も視てきたるかや」  山崎芳彦
 今回から福島に住み原発短歌を詠いつづけている歌人、波汐國芳さんの歌集『警笛』(2016年12月刊、角川書店)を読ませていただく。この連載の中で波汐さんの歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』の作品を読み、また波汐さんが編集・発行人の季刊歌誌『翔』(翔の会発行)、さらに『福島県短歌選集』(福島県歌人会発行、年刊)などで波汐さんの旺盛な作歌活動の果実である作品を読み、記録させていただいてきた。今回から読む『警鐘』は福島原発事故をテーマにした歌集『姥貝の歌』、『渚のピアノ』につづく「三部作の括り」と作者自身が位置づけている歌集だが、3・11はまだ終わっていないどころか現在進行中とも言わなければならない状況にあり、被曝地福島に生き、暮らす作者は「被曝地に住むほかなきを緋柘榴の裂くる口もてもの申さんか」と詠っているように、これからもさらにその短歌人としての生の証としての作品を紡ぎ、世に問い続けるに違いないと、筆者は畏敬の念を深くしながら思っている。波汐さんの詩精神は強く深い。(2017/02/22)


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【核を詠う】(223)『平和万葉集巻四』から原子力詠を読む(4)「お金よりいのち認めた差し止めに漁火は燃ゆる若狭の海に」  山崎芳彦
 『平和万葉集巻四』を読み、原子力詠として筆者が読んだ作品を記録してきたが、今回で終る。同集のすべての作品を読んだのだが、この連載の意図が「核を詠う」短歌作品を読み記録することにあるので、同集に収録された貴重な、今日の時代と向かい合い、平和と民主主義、憲法の精神に立って、許し難い逆流政治と対峙する多くの作品群を記録することができないことに強い心残りがある。同集に収載された作品一首一首の背後には、作者一人一人にとどまらない多くの人びとの強い思いが込められているはずである。そのことを思いながら、もとより作品それぞれに寄せる筆者の感慨は必ずしも単純ではないが、しかし大切に読んだ。「平和」を冠した万葉集が編める時代を失ってはならない。(2017/02/12)


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【核を詠う】(222)『平和万葉集 巻四』から原子力詠を読む(3)「たとうれば冷えたグラスに熱湯注ぐ 老朽原発の危うさのこと」  山崎芳彦
 岩波書店の月刊誌「世界」の1952年5月号に、当時の編集長だった吉野源三郎が特集「平和憲法と再武装問題」の巻頭言として「読者に訴う」を書いた。その中で、当時の吉田茂内閣が「防衛力」漸増計画による警察予備隊の増強など、日本の再軍備を進めるとともに、アメリカの駐留軍に多大な権益を譲渡するなどの政策をあからさまにしたこと、また国内に防衛力増強は憲法違反ではない、さらには憲法を改定して公然と再軍備すべしなどの主張が台頭していることを踏まえて、「全国民のこの上なく重要な利害に関係し、次第によっては国家の死活にかかわる、かかる重大な問題に決定を与えるべきものは、言うまでもなく、主権の存する国民以外にはない。そして国民とは、私たち一人一人を措いて他にあるのではない。かくて私たち一人一人の前には、自己と全同胞に対する責任を自覚しつつ、深慮と勇気とを以て決断せねばならぬ深刻な問題がすでに迫って来ているのである。」と強い筆勢で訴えている。(吉野源三郎『平和への意志 『世界』編集後記一九四六――五五年』、1995年2月、岩波書店刊より引用)(2017/02/02)


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[核を詠う](221)『平和万葉集 巻四』から原子力詠を読む(2)「牛飼いの双葉の女(ひと)は置き去りの黒毛白骨と化ししを嘆く」  山崎芳彦
 「わが軍と国会で言ひし安倍首相 その昂揚は限りもあらず」(山崎芳彦)。 筆者のつたない一首だが、「わが軍」は言い間違いではなく、「安保関連法」の成立によって自衛隊が新しいステージに入ったことを、安倍首相だけでなく自衛隊の制服組幹部をはじめ、この国を戦争ができる国にするために営々として、時には「匍匐前進」、また時には「堂々行進」してきた勢力の本音を国会の場で口にしたのであっただろう。言い直しや訂正の方が、彼らの本心とは違うのだ。この歌を作ったあと筆者は、「『戦争をしてはならぬ」と常(つね)言ひし母の墓処に孫と香焚く」、「この孫らいかなる生をとげゆくや戦争法思ひて脳(なづき)の火照る」とも詠ったのであった。『平和万葉集 巻四』を読みながら、つたないながら、敢て筆者の既作を記した。(2017/01/19)


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【核を詠う】(220)『平和万葉集 巻四』から原子力詠を読む(1)「核の火を見つけてしまひしそのゆゑの悔しきことを繰返すかな」     山崎芳彦
 今回から『平和万葉集 巻四』(『平和万葉集』刊行委員会編集・発行、2016年5月刊)に収載された短歌作品の中から、原子力にかかわって詠われた作品(筆者の読みによる)を読ませていただく。同集は、短歌界にとどまらず、文学・芸術・学者・文化人、各分野から多くの賛同者を得て刊行に至ったもので、「戦後七十年の中で、もっとも重要で、あらたな展望を生みだしている、現在の歴史的情況の中、短歌の表現の力で結集した人びと1232人の2463首の志」(帯文)と謳われているように「いま戦争と平和の時代の岐路に立って」編まれた短歌アンソロジーである。その作品群の中から原子力詠に限って抄出させていただくのだが、この連載の中で、かつて『平和万葉集 巻三』(2000年発行)を読んだことを思い起し、「戦争と平和の時代の岐路」のことばに、改めて感慨を深くしている。(2017/01/11)


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【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(7)「ケロイドを人に晒して叫ばねば平和忘れる乾きたる国」   山崎芳彦
 「かつて、やはり長崎で被爆した林京子の『ギヤマン・ビードロ』を読んで、原爆体験が文学表現に結晶するまでに三十余年の時間が必要だった意味を納得させられた。原爆被爆者は、被爆を思い出とすることはできない。原爆は被爆の時から被爆者の体内に棲みつき、彼や彼女が生きる限り原爆もまた生き続けるからである。思い出とはならない体験。思い出ならば美化されてゆくこともあろうし、また、風化してゆくこともあるだろう。だが原爆被爆の体験は、美化とも風化とも無縁にひたすら深化されてゆくのみである。時間とは、そこでは深度なのであった。」(佐佐木幸綱、竹山広第一歌集『とこしへの川』の「竹山広論 序にかえて」より 『竹山広全歌集』2001年刊に拠る)(2016/12/31)


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【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(6)「娘を灼きし核を積みゐるかも知れず原潜せめて八月よ去れ」 山崎芳彦
 前回から、筆者の都合によって長く間を空けてしまったことをお詫びしなければならないが、『原爆歌集ながさき』の作品を読みながら、いま安倍政府が高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉方針を打ち出したものの、しかし核燃料サイクル政策の堅持とその中核となるプルトニウムを繰り返し使える高速炉の開発方針を打ち出し、長崎に投下された原爆に用いられたプルトニウムを使っての核発電を推進することを決め、すでに「高速炉開発会議」の1回目の会合を開いたことを許し難いと思っている。プルトニウムを利用した核エネルギーに依拠する体制の構築を目指す国策による「プルトニウム社会」化に、人間の未来はないと、長崎の原爆がもたらした悲惨を体験した人々の短歌作品を読みながら思わざるを得ない。「高速炉開発会議」を構成するのは経済産業大臣、文部科学大臣、日本原子力研究開発機構理事長、電気事業連合会会長、三菱重工社長(平成28年10月7日時点)である。もちろん、核発電推進・強化を目指す安倍政権の政策の柱の一つである。(2016/12/21)


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【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(5)「そり返る鬼百合の斑点眼に痛し原爆後遺症に生きあえぐ日々」 山崎芳彦
 「核反対に反対をするその国は日本(にっぽん)でないやうな日本」(東京都・上田国博、11月28日朝日歌壇入選歌)という歌を読んだ。去る10月27日に、国連が核兵器禁止条約制定を目指す交渉を来年三月から始めるための決議を国連第一委員会で採択したが、この決議に日本が反対したことへの抗議の思いを込めた作品であると思う。12月初旬に開かれる国連総会本会議でも、この決議に日本は反対するが、交渉には参加する意向を明らかにするともいわれる。「唯一の原爆被爆国」と日本政府は言い続けながら、「核兵器禁止」の国際法による枠組みを作り、推進するための交渉を、核保有大国の側に立って、核軍縮、核保有国との合意の追求などを主張し、実質的には核兵器を法的に禁止する条約の制定を「妨害」する役割を果たすのではないのかと、安倍政府の原子力政策を考えれば、思わないではいられない。(2016/11/30)


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【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき」を読む(4)「なみよろふ長崎の山・海を越え六万の鐘哭きてとどろけ」 山崎芳彦
 日本政府の「内閣官房国民保護ポータルサイト」に『武力攻撃やテロなどから身を守るために』パンフレットがあるが、その中の「核物質が用いられた場合」の項を見て、核爆発による被害と対応についての記述のあまりの矮小化、歪曲に驚き、広島・長崎の原爆被害体験・被爆者に対する冒瀆ともいうべき内容に怒りを禁じ得なかった。「核爆発の場合」の留意点として、「閃光や火球が発生した場合には、失明する恐れがあるので見ないでください。」、「とっさに遮蔽物の陰に身を隠しましょう。地下施設やコンクリート建物であればより安全です。」、「上着を頭から被り、口と鼻をハンカチで覆うなどにより、皮膚の露出をなるべく少なくしながら、爆発地点からなるべく遠く離れましょう。その際、風下を避けて風向きとなるべく垂直方向に避難しましょう。」…などと書いている。広島・長崎の原爆被害や被爆者の体験はなかったことなのか。現憲法下でも核武装できる、国連の核兵器禁止条約づくりに向けた取り組みには反対、核発電を推進、の安倍政府の本質をここにも見る。(2016/11/13)


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【核を詠う](特別篇2)】『原爆歌集ながさき』を読む(3)「被爆医師の証言記録読み返しまさに地獄絵図に顔そむけたく」 山崎芳彦
国連総会第一委員会(軍縮)は10月27日に、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を開始するという決議が、123カ国の賛成によって採択されたが、日本政府は主な核保有国と共にこの決議に反対した。この「唯一の原爆被爆国・日本」の態度に対する怒りと失望は、広島・長崎の被爆者をはじめ、同決議を推進した内外のNGO関係者はもとより、国連加盟国の圧倒的多数を占める非核保有国の中で強まっている。これまで核兵器禁止条約についての国連決議に日本は「棄権」することを常としてきたが、今回はさまざまな理由をつけたとはいえ「反対」に踏み込んだことへの批判は、来年から始まる国連の会議が進むほどに強まることは明らかだ。ことあるごとに「『核廃絶』に向けて主導的な役割を果たす」と口にしてきた日本政府の「まやかし」はもはや通用しない。「対米追随」との声が多いが、核保有を企む安倍政府の本質であるというべきではないだろうか。米国のせいだけにしてはなるまい。(2016/11/03)


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核を詠う](特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(2)「草鳴りに声あるごとし原子禍を二十年経し丘風過ぐるとき」 山崎芳彦
『原爆歌集ながさき』の作品を読みながら、改めて、原爆の投下による惨憺たる苦難の中で生き延びた被爆者の短歌作品を読むことの意味を考えないではいられない。長崎で被爆した秋月辰一郎医師はその著書『長崎原爆記―被爆医師の証言』(昭和41年、弘文堂刊)を、「この記録は、昭和二十年八月九日、長崎原爆投下以来、一ヵ年の地獄のような悲惨、医学と人間の無力さを、同じその被爆地にいて書き綴ったものである。その意味で、これは被爆医師である私の一年間にわたる原爆白書であるといえると思う。」と書き起こし、「この年の夏から秋にかけて、次から次へと身近な人びとの生命が奪われていった。そして重傷者の呻きのなかで辛うじて生き残った人は、焼けあとの石ころのように、虫けらのように生きなければならなかった。」と記している。秋月氏の短歌に「おそかりし終戦のみことのりわれよめば焦土の上の被爆者は哭く」(『昭和萬葉集』巻七に所収)がある。「おそかりし」を繰り返してはならないが、いま安倍政権の原子力政策をみるとき、核兵器、核発電とこの国の今を深く思わないではいられない。(2016/10/29)


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【核を詠う】(特別篇2)『原爆歌集ながさき』を読む(1)「今年(こぞ)も又 ものぐるほしく なりぬらむ 八月の空 夏雲の立つ」 山崎芳彦
 今回から『原爆歌集ながさき』(長崎歌人会・岡本吉郎編、昭和42年8月9日発行)の作品を読み、記録するが、この連載の「特別篇2」とさせていただく。この連載の中で歌集『廣島』を「特別篇」として読んだため「特別篇2」とした。歌集『廣島』は昭和29年に発行されたが、『原爆歌集ながさき』はその13年後の発行である。当時の長崎歌人会会長として同歌集の発行に取り組み、編者・刊行者となっている岡本吉郎氏は、「長い間の願いであった原爆歌集ができてうれしく思います。…この本を発刊することを得て、私の心にかかることは何もありません。」と記しているが、おそらくは長崎歌人として「原爆歌集」を一巻としてまとめたい思いがかなって、同歌集編集委員とともに万感迫るものがあったことと推察する。同歌集を手にもって読みたいと願って探しもとめていた筆者としても、このほどようやくそれがかなって、この連載に採録できることを、喜びとしている。(2016/10/22)


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【核を詠う】(219)『朝日歌壇2015』から原子力詠を読む(3)「福島は遠くにありて川内の原子炉二基が粛粛と立つ」 山崎芳彦
『朝日歌壇2015』から原子力詠を読んできて、今回で終るのだが、作品を読みながら改めて思うのはこの国の原子力政策が、今極めて危険な道を歩みつつあるということだ。広島・長崎の原爆、福島の原発事故によって明らかな、核と人間が共存することは出来ないこと、殺戮と破壊のための核爆弾も、ひとたび過酷事故を起こせば取り返しのつかない災厄をもたらす核発電も、持ってはならないという教訓から真に学ぼうとしないまま、核兵器開発の潜在能力の保持という企みを秘めながら、核発電を国策として推進しようとしていることが明らかになっている。「核武装について国家戦略として考えるべき」というかつての発言を撤回しようとしない防衛大臣を選任し、擁護する総理大臣が、核発電体制を国策として強化する施策の最高責任者である。(2016/10/12)


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【核を詠う】(218)『朝日歌壇2015』から原子力詠を読む(2)「ふる里は遠きにありて思えとや原発避難民十万余」  山崎芳彦
 「原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず」(竹山広 歌集『地の世』)という短歌を、いま開催中の臨時国会における安倍総理大臣の所信表明演説をテレビ放送を聞きながら、不意に思い起した。長崎の原爆被爆者である歌人が、その最晩年に詠った一首である。竹山さんはは2010年3月に90歳で亡くなった。25歳の時、長崎市で原爆に被爆し、被曝地の惨憺たる状況の中にあって「悶絶の街」の実相を身をもって体験した竹山さんは、それから65年を原爆被爆者として生き抜き、この国の短歌界にあってまことに貴重な、すぐれた歌業をなした人であることはよく知られている。この歌人の前記作品を安倍総理の所信表明演説中に思ったのは「福島では、中間貯蔵施設の建設、除染など住民の帰還に向けた環境整備、廃炉・汚染水対策を着実に進めながら、未来のエネルギー社会を拓く『先駆けの地』として、新しい産業の集積を一層促進…」と語っているときだ。(2016/10/01)


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【核を詠う】(217)『朝日歌壇2015』の原子力詠を読む(1)「福島も日本固有の領土ですもどれない人十二万人」  山崎芳彦
 今回から『朝日歌壇2015』(2016年4月、朝日新聞出版刊)から原子力に関わって詠われたと筆者が読んだ短歌作品を抄出、記録していく。同書は、朝日新聞が毎週月曜日に掲載している「朝日歌壇」選者(馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏)の選による入選全作品(2015年1月〜12月)を一巻にまとめたものである。この連載の中で2011年3月の福島第一原発事故以後の「朝日歌壇」入選作品のうち原子力詠を、記録し続けてきたが、今回も同じように抄出・記録する。同歌壇の入選作品は、毎週数千通の投稿作品の中から選者それぞれが10首を選んだものだが、その中から筆者の読みによって原子力詠を抄出しているのだから、記録する作品の背後には全国の投稿者による膨大な作品があるわけで、入選とはならなかった作品にも貴重な作品が多くあるに違いないことに思いを馳せもする。(2016/09/16)


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[核を詠う](216)『福島県短歌選集 平成27年度版』から原子力詠を読む(4) 「大熊に子を探すとう父ありてはるばる通う年(ねん)に十五回」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集 平成27年度版』を読んできて、今回が最後になるが、この歌集の作品、とりわけ原子力詠を読みながら安倍政府が進めている「原発回帰政策」の理不尽、非人間的な本質に怒りを深める。政府はいま、核発電復活を推進しているが、福島第一原発の事故によって多くの人びとが塗炭の苦しみを満五年を越えて強いられているにもかかわらず、その福島を原発復活政策の梃子にしようとしている。「福島復興」を謳いあげ様々な絵図面と幻想的な計画書、核放射線の危険性基準の恣意的な引き下げ、汚染地域の外見的なクリーンアップなどにより原発の事故があっても、それを克服し「復興から発展」ができるのだと見せかける政策を次々と打ち出している。(2016/09/07)


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[核を詠う](215)『福島県短歌選集 平成27年度版』から原子力詠を読む(3) 「放射性物質ふふむ雪ならむ白き時間がふくしまをふる」   山崎芳彦
 昨年、2015年元旦から東京新聞・中日新聞・北陸中日新聞・日刊県民福井各紙がそれぞれ朝刊の一面に毎日1句を掲載し続けている「平和の俳句」(金子兜太・いとうせいこう選)の昨年一年間の俳句をまとめた『平和の俳句』(2016年7月刊、小学館発行)を読みながら、改めてこの企画を今も続けている関連各紙の英断と底力に敬意を深くしている。同書に2015年8月15日掲載の作品「千枚の青田に千の平和あり」(浅田正文、石川県金沢市)があり、いとうせいこう氏が「作者は福島県の旧緊急避難準備区域から金沢に仮住まいする。」と説明を付している。金子氏は「これはドナルド・キーンさんの翻訳も掲載された。文句なくいい句です。金沢を訪れた際、実際に作者の方にもお会いした。みずみずしい、いい句ですね。」と評している(「2015年を振り返って」印象に残る句5句の一つに選んで)。(2016/08/22)


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[核を詠う](214)『福島県短歌選集 平成27年度版』の原子力詠を読む(2)「あの山の向かうは原発で住めぬ町とガイドは指しぬわが故郷を」  山崎芳彦
 今回も『福島県短歌選集 平成27年度版』の原子力詠を読み続けるが、読むほどに原発事故による災害、核放射線による大気、土、水、人間をはじめ生命あるものへの加害は、その存在をいかに危うくするものであるかを思わないではいられない。このことは、人間にとっていえば現実の生きる営みを深刻に阻害され、将来を毀損されることでもある。いま読んでいる福島歌人の作品には、農林水産畜産業に携わってきた人々がその道を閉ざされる、それぞれの業に生きることを困難にされている現状への思いが様々に表現されているものが多い。原発事故は、人が生きることを根元的に妨げているのだ。被災は広く深い。福島の原発事故が改めて明らかにした「核と人間は共存できない」ことをこの8月に、広島、長崎の原爆被爆のこの国の体験とつなげて考えたいと思う。(2016/08/11)


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【核を詠う】(213)『福島県短歌選集(平成27年度版)』の原子力詠を読む(1)「原発の格納容器の闇の中ロボット映すおどろおどろし」 山崎芳彦
 前回から一か月もの間を空けてしまった。筆者の事情によるものであり、お詫びを申し上げながら今回からは福島県歌人会編による『福島県短歌選集 平成27年度版』(平成28年3月20日発行)から原子力詠を読ませていただく。同選集は福島県歌人会が創刊以来62年間にわたって、一度の中断もなく継続して福島県歌人の作歌の果実を収めてきた貴重な年刊歌集の平成27年度版である。平成23年3月11日の東日本大震災・福島第一原発の過酷事故による被災にもくじけることなく、いやその苦難を真っ向から受け止めて福島の歌人は短歌表現をより確かなものに磨き上げ、作品を生み出し続けてきて、この国の短歌史に大切な歩を切り拓いていることに敬意を深くしている。(2016/08/03)


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【核を詠う】(212)今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(6)「融け落ちし燃料デブリは何処ならむ爆ぜし建屋に氷雨降る今日」 山崎芳彦
 今野金哉歌集『セシウムの雨』の作品を読んできて今回が最後になるのだが、福島原発事故の被災の実態、本質を短歌作品として詠み、福島の地から発信する今野さんのさらなる営為が続くに違いない。今野さんの作品は、原発事故が5年を経ても収束するどころか放射能汚染が人々を苦しめ続け、平穏、平和に健康で文化的な生活を営む人間の権利が蹂躙されている現実と、将来への不安を、まさに福島に生き、暮らす歌人としての真実の息づかいで短歌表現してきたし、これからもし続けるのであるに違いない。多くの原発事故被害者と、原発があるかぎり「明日の被害者」にならざるを得ないこの国の多くの人びとがさまざまな「原発ゼロ」を目指す運動に取り組んでいる。それに対して、安倍政府と加害者である電力企業と原発推進勢力は原発事故被害者を蹂躙する暴力的ともいえる姿勢をあらわにし、原発回帰を急いでいる。いま、参院選の中で、憲法と原発をひとつのこととして考えなければならないと思う。(2016/06/27)


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【核を詠う】(211) 今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(5) 「核事故に多大の被害をもたらしし東電よりの謝罪未だなし」 山崎芳彦
 福島の歌人・波汐国芳さんは月刊歌誌『現代短歌』4月号の特集「東北を詠む」のショートエッセイに「起つ心こそ」と題して次のように書いた。(2016/06/13)


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【核を詠う】(210) 今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(4) 「戻れないもう戻れない戻りたい三者三様に今を苦しむ」 山崎芳彦
 今野金哉歌集『セシウムの雨』の作品の中に、大熊町に住み原発の危険に警鐘を鳴らす歌を詠い、歌集『青白き光』の作者として知られ、原発事故の被災者としてふるさとを奪われ、避難先のいわき市で亡くなられた佐藤祐禎さんを偲び、たとえば「原子炉の爆ずるを危惧せし君なりき『青白き光』を残して逝けり」その他の歌が収められている。深い思いのこもった作品が多い。この連載の中で、原発詠を読み始めた最初の頃に佐藤祐禎さんの作品を何回かに分けて読み、記録したが、福島県の歌人の多くが佐藤さんの憤死ともいうべき死を悼み、惜しんでいる。月刊総合歌誌「現代短歌」4月号は好企画「特集・東北を詠む」を編み、福島をはじめ東北各県の歌人の作品と、読みがいのあるショートエッセイをまとめた多くの頁を組んでいるが、その中で福島県の歌人である伊藤正幸さんが佐藤祐禎さんを詠うとともに、彼岸にある佐藤さんに宛てた手紙のかたちをとったエッセイがある。心を打たれる1ページに、筆者は福島歌人の、ますます深くなっている思いの深さ、原発事故被災の苦難の中で結ばれている歌の縁の強さを改めて思った。今野さんの『セシウムの雨』を改めて大切な歌集と思いもした。(2016/06/02)


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【核を詠う】(209) 今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(3) 「幼子の内部被曝値高まれり梔子(くちなし)しろくこの年も咲く」 山崎芳彦
 歌集『セシウムの雨』の著者である今野金哉氏は、現在福島県歌人会の会長の任にあるが、同歌人会が毎年度刊行し続けている『福島県短歌選集』の平成27年度版(第62巻、平成28年3月20日刊)の巻頭言の中で、「『あの日』から五年が経った現在、(略)幾許かの明るい兆しも見えますが、辛く厳しい状況はなお続くのであろうかと暗澹たる気持ちを払拭することができません。/しかしながら、私たちは、こうした困難な生活環境や条件に生きている独りの人間としての『真実の声』を三十一文字に込めて訴えていく義務もあるものと考えています。(略)本選集が、次代に生きる人間への貴重な記録や今後における防災への警鐘になり、さらには『災害・事故の風化』にストップを掛ける大きな役割を果たすことも可能であるものと考えています。」と記している。原発事故による被曝地である福島県の歌人がどのように詠い、生きるかは、福島にとどまらないこの国の現在と未来にとっての重要な道標であると思う。(2016/05/24)


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【核を詠う】(208) 今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(2) 「自死といふ逃避思ひし日もありきセシウム汚染の畑を捨てて」 山崎芳彦
 福島に生きる歌人の今野金哉氏の歌集『セシウムの雨』の作品を読んでいるのだが、福島第一原発事故による原子力災害が5年余を経てなおも多くの人びとに深刻な苦難を強いていることを痛感させられる作品群である。歌人として、詠わないではいられない、書き残したいとの思いによって編まれたこの歌集の短歌作品を読みながら、改めて福島原発事故の加害者である国や東京電力をはじめとする原発推進勢力が今すすめている、その責任を果たすどころか、まことに理不尽、反人間的な本質をむき出しにした政策、対応に怒りを覚えないではいられない。例えば、いま政府は福島県南相馬市に出されている避難指示を7月中に解除する方針を決めている。これまでにも、いくつかの地域の避難指示が解除されてきたが、南相馬市の避難指示解除は、帰還困難区域を除く避難指示をすべて解除していこうとする政府の「原発による避難を消滅させる」「原発被害避難者切り捨て」への一里塚とすることを狙ったものともいえる。原発事故被害者の苦難のさらなる深刻化につながる「原発棄民政策」の推進であり、原発再稼働促進政策と裏表の政策であろう。(2016/05/17)


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【核を詠う】(207) 今野金哉歌集『セシウムの雨』の原子力詠を読む(1) 「悪夢かと思へる炉心熔融(メルトダウン)なり悪夢の呪縛解くる日は何時(いつ)」 山崎芳彦
 「この歌集は、すべての政治家、すべての反原発運動家そして全ての東京電力社員に読んでほしいと考えて出版したものである。」と巻頭に記された今野金哉歌集『セシウムの雨』(平成28年3月11日、現代短歌社刊)を今回から読ませていただく。福島市在住の歌人である今野金哉氏は、福島県歌人会の会長の要職に就いて活躍しているが、この歌集について「本歌集に収めた作品は、あの忌まわしい大震災発生の日から経た約五年間における、いわゆる『東日本大震災』に伴っての、途方もない悲劇の現実を真摯に詠み溜めた記録でもある。」(「あとがき」)と記している。まさに東京電力福島原発の過酷事故がもたらした災厄、受難の日々の中での歌人の魂の発露である短歌作品は、福島原発事故が無かったかのように、原発再稼働・原子力社会への回帰が進められつつある今、多くの人びとによって読まれ、今日の力、未来の力として原子力依存社会からの脱却の礎のひとつになるものだと筆者は、今野氏の「詠い残したい、書き残したい」真情に敬意を深くしつつ、原子力詠作品を記録させていただく。(2016/05/08)


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【核を詠う】(番外篇・憲法詠) 九条歌人の会編『歌集 憲法を詠む 第八集』を読む 「征きし人の遺言かとも九条を抱き生きこしわが半生は」 山崎芳彦
 「従来から、政府は、憲法第九条と核兵器との関係についての純法理的な問題として、我が国には固有の自衛権があり、自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法第九条第二項によっても禁止されているわけではなく、したがって、核兵器であっても、仮にそのような限度にとどまるものがあるとすれば、それを保有することは、必ずしも憲法の禁止するところではないが、他方、右の限度を超える核兵器の保有は、憲法上許されないものであり、このことは核兵器の使用についても妥当すると解しているところであり、・・・」(4月1日の安倍内閣が閣議決定した逢坂誠二衆院議員の質問主意書に対する答弁書)。この答弁書では、「我が国は、いわゆる非核三原則により、憲法上は保有することを禁ぜられていないものを含めて政策上の方針として一切の核兵器を保有しないという原則を堅持している。」、また核不拡散条約の非核兵器国としての義務を負っていることからも一切の核兵器を保有し得ないこととしている、ともしている。従来からの政府見解を維持した答弁書だといわれるのだが、現憲法のもとでも核兵器の保持と使用は認められているという見解である。(2016/04/30)


文化
【核を詠う】(番外篇・憲法詠) 九条歌人の会編『歌集 憲法を詠む 第八集』を読む(3) 「戦死せし父の生涯を問い続くる友の歌集は挽歌におわる」 山崎芳彦
 総合短歌月刊誌の『現代短歌』(現代短歌社発行)の4月号から注目すべき連載「連続対話・平和と戦争のはざまで歌う」が開始された。歌人の吉川宏志が時代に危機意識を持つ歌人たちとの対話をしていく企画であるが、第一回目には、SEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)に参加している歌人・矢野和葉と「分離した個人を繋ぐ、個としての言葉」と題しての対談を行っている。内容に触れることはできないが、小見出しに「日常の感覚でデモを語る」、「<私>の言葉の回復運動」、「私が生きる小さく多様な社会を詠む」が立てられ、矢野の作品も取り上げて、興味深い対談が展開されている。短歌雑誌としては、ユニークな、しかし時を得た企画として今後も注目していきたい。(2016/04/20)


文化
【核を詠う】(番外篇・憲法詠) 「九条歌人の会」編の『歌集 憲法を詠む 第八集』を読む(2) 「デモに散りし樺美智子の顔ふとも 今なお背負うかなしみなりて」 山崎芳彦
 「憲法九条を守る歌人の会」(九条歌人の会)編の『歌集 憲法を詠む 第八集」の作品を読んでいるが、この「九条歌人の会」の呼びかけ人の一人に、筆者が「核を詠う」連載の第一回で読ませていただいた長崎の原爆被爆歌人の故・竹山広さんの名がある。竹山さんの名は短歌界を超えて広く知られているし、遺された膨大な作品群を収録した「竹山広全歌集」(ながらみ書房刊)がある。この竹山さんの歌集『空の空』(2007年、砂子屋書房刊)に、「遷りゆく意志』と題する憲法を詠んだ一連の作品があるが、九条歌人の会の呼びかけ人に名を連ねた時期に詠まれた作品として、改めて読み返しながら、筆者は感慨を深くした。その一連を記しておきたい(2016/04/10)


文化
【核を詠う】(番外篇・憲法詠) 「九条歌人の会」の「歌集 憲法を詠む・第八集」を読む(1) 「九条破壊・軍国を企む政治なり花も声あげよ日本の四月」 山崎芳彦
 前回から期間が空いてしまったが、今回から番外篇として憲法にかかわって詠われた短歌作品を読んでいきたい。「憲法九条を守る歌人の会」(略称「九条歌人の会」事務局電話03−6902−0802)編の『歌集 憲法を詠む・第八集』(2015年11月5日発行)は、同会の呼びかけ人の作品(27人の各1首)、2014年応募作品(158人の各1首)、さらに「抄出作品」(歌人10氏が故人10氏の作品を抄出し掲載、川柳10句を含め100作品)で構成された合同歌集である。「『平和な未来を守るために、日本国憲法を守るという一点』で、戦前の轍を踏むことなく思想、信条、創作方法の違いを超えて手をつなぐことが、いまある創造の自由を守ることにも繋がることであると考えます。/短歌にたずさわる者にふさわしく『憲法九条』を守る心を創意をこらした幅広い工夫で表現し、平和を願う国民の、大きな流れになるよう力を尽くしましょう」(2005年に発表の「九条歌人の会」アピールより)とする明確な意思をもって多くの短歌人が詠む作品によって編まれた歌集は貴重であろう。同歌集の作品を読んでいきたい。(2016/04/04)


核・原子力
高浜原発3、4号機運転差し止め判決で申立人団・弁護団が声明発表 山崎芳彦
 今年に入って再稼働した関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを求める滋賀県民の訴えを認めた仮処分決定が大津地裁の山本善彦裁判長によって9日に出されたのを受けて、「大津地裁高浜3、4号機運転禁止仮処分申立事件申立人団、弁護団一同」が声明を発表した。(2016/03/12)


文化
【核を詠う】(206) 『角川短歌年鑑・平成28年版』から原子力詠を読む(2) 「汚染物の貯蔵地になる運命(さだめ)もち泡立草のなかなるわが家(や)」 山崎芳彦
 「原爆を知れるは広島と長崎にて日本といふ国にはあらず」という、長崎原爆の被爆歌人である竹山広の歌(竹山広歌集『地の世』)がある。2月22日に出された長崎地裁の「長崎『被爆体験者』集団訴訟」(被爆者健康手帳の交付を求める)に対する判決(松葉佐隆之裁判長)を読みながら、この短歌を改めて思った。原爆投下から70年余を経たいま、80歳を越えた原爆被害者がこのような裁判を闘って、原告161人のうちわずか10人のみに被爆者健康手帳の交付が認められるという判決を得たのである。長崎の「被爆体験者」が被爆者手帳の交付を認められたのは初めてだという。爆心地からの距離によって、行政が指定した「被爆地」から外れた地域の原爆被害者は「被爆体験者」として、「被爆者」と区別され、被爆者手帳の交付を受けられず、容易ではない訴訟を起こし、理不尽な交付申請却下が多数ななかで、極めて一部の原告に被爆者手帳の交付が認められたというのだ。敗訴した原告は控訴し、なお闘い続けることになる。まことに、無残な国である。(2016/03/06)


文化
【核を詠う】(205) 『角川 短歌年鑑・平成28年版』から原子力詠を読む(1) 「放射能消去できぬにやすやすと死の灰積み置く遺灰のごとく」 山崎芳彦
 今回から『角川 短歌年鑑・平成28年版』(月刊短歌総合誌「短歌」1月号増刊 平成27年12月刊)から、原子力にかかわって詠われた作品として筆者が読んだ作品を抄出・記録させていただく。『角川短歌年鑑』はこの連載の中で平成24年版以後毎年読んできているが、「核を詠う」短歌作品を読み、記録することを目的にした連載を続けている筆者にとって欠かすことはできない貴重な年鑑である。同年鑑では、毎年、さまざまな特集企画・データによって短歌界の現状、動向について、多角的に俯瞰するとともに問題提起も行っていて示唆を受けることが多い。所載の多くの短歌作品から、筆者なりの読みによって「原子力詠」を渉猟するのだが、そのためには全作品を読むことになり、拙く詠う者の一人でもある筆者にとっての勉強の場ともなっているのである。(2016/02/23)


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【核を詠う】(204) 「短歌研究」誌の「2015綜合年刊歌集』から原子力詠を読む◆ 崋己責任誰が取るのか靄の中経済と言ふ二文字が走る」 山崎芳彦
 九州電力の川内原発1、2号機が昨年後半に再稼働したのに続いて、この1月末に関西電力高浜原発3号機がプルサーマル発電を開始し、2月中には同4号機も発電を始める。安倍政権の下で原子力発電をはじめ、原子力の利用推進に共通の利害関心を持ち共に支え合い、共同する広範にわたる「原子力複合体」の動きは激しい。その勢力がまず目指すのは国内の原子力発電の復活、「福島原発事故以前」への回帰であり、その上に立って日本の原発モデルの海外への輸出や原子力関連事業の拡大に違いない。「3・11」以前にこの国を戻すことによって、「3・11」を飛び越えた地点に着地しようとするのだが、その先に何があるのだろうか。「戦後」から「戦前」へ、そして「戦中」に行きかねない時代への道を作っている安倍政権とその仲間たちと、「原子力複合体」は重なっている。危うい「現在」である。改憲の旗を掲げ、首相に"国民総動員"の権力を与えかねない「緊急事態条項」の新設すら言う安倍首相が、この夏に衆参同時選挙に打って出る可能性もある。(2016/02/09)


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【核を詠う】(203) 「短歌研究」誌の『2015綜合年刊歌集』から原子力詠を読む  屬里召泙兇觝堂堝への動きにてさきの川内けふの高浜」 山崎芳彦
 今回から、月刊短歌総合誌「短歌研究」(短歌研究社刊)が「2016短歌年鑑」として発行した2015年12月号に収載した「2015綜合年刊歌集」から原子力にかかわって詠われた作品を読む。この年刊歌集は、短歌研究社編集部が「寄贈を受けた短歌綜合誌及び全国結社短歌雑誌等に掲載のものより選出」した作品と「平成27年に寄贈を受けた歌集から2首を基準に採録した」作品群で、4000余名の歌人の作になる約1万2000首が収録されている。その作品群から筆者が原子力詠として読んだ歌を抄出した。誤読、作者の意図に添わない抄出があることを恐れるが、あればご容赦を乞う。(2016/01/29)


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【核を詠う】(202) 『朝日歌壇2014』から原子力詠を読む(3) 「体内に残留放射能もつ不安おしこめて生きし六十九年」 山崎芳彦
 「不意打ちの水爆実験の報を聞く 金時鐘(きむしじょん)の回想記を読みゐるさなか」(金時鐘著『朝鮮と日本に生きる』を読んでいるときに、北朝鮮の水爆実験を知った。) 山崎芳彦  短歌表現とは言えないが、1月6日の北朝鮮の水爆実験を知った時の1首である。(2016/01/17)


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【核を詠う】(201) 『朝日歌壇2014』から原子力詠を読む(2) 「福島に手当求めて流れ着く作業員という我らも難民」 山崎芳彦
 関西電力高浜原発3、4号機の再稼働について福井地裁が昨年4月に運転差止め仮処分決定の「樋口判決」が出されたのに対して、その8か月後の12月24日に、同裁判所(林潤裁判長)はその仮処分命令を取り消す決定を行い、政府・電力企業の意に添い高浜原発再稼働への道を開いた。関西電力は、その翌日には3号機への核燃料の装着を開始し、この1月下旬には運転を開始する予定だ。運転差し止め仮処分命令を発令した判断が、福島原発事故の教訓を真摯に受け止め、人びとの心を打つ内容だったのに対して、今回の「再稼働の結論ありき」といえる決定は、万が一にも高浜原発の重大事故が起きた場合の責任を自覚したものとはいえず、ただ政府と原子力規制委員会の「新規制基準に合格」を丸呑みした不当な決定である。そして、この決定を受けて関西電力が高浜原発で開始するのは、プルトニウムとウランを混合したMOX燃料を使用するプルサーマル発電であることに注目、警戒しなければならない。安倍政府が「国策」として推進しようとする核燃料サイクル事業の一環をなすものであり、まさに原子力エネルギー依存体制への回帰・逆走が始まる一歩である。(2016/01/04)


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【核を詠う】(200)『朝日歌壇2014』から原子力詠を読む(1) 「原発の輸出を約し握手する総理テレビに笑みを浮かべて」 山崎芳彦
 今回から『朝日歌壇2014』(朝日新聞出版、2015年4月30日刊)から原子力詠を読む。同書は、朝日新聞が毎週月曜日に掲載している「朝日歌壇」の入選作品を収録しており、今回読むのは2014年1月〜12月の作品であり、筆者の読みによる原子力詠を抄出させていただく。馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏各氏が選者であり、各回4氏がそれぞれ10首を選んでいるが、共選の作品もある。投稿作品は膨大な数に上る中からの入選作品であり、したがって入選作以外に様々な優れた、貴重な作品群があるに違いないと思いながら、特に筆者は原子力詠として読んだ作品のみを抄出させていただくので、選ばれなかった作品についていろいろなことを想像することもある。また、入選作品をすべて読みながら、心に深く残り、感動させられる作品に出会いながら、別途、ノートに記録してもいる。やはり、新聞歌壇ならではの社会詠、とりわけ戦争と平和、人権、格差社会の中での生活などを短歌表現している作品に注目する。(2015/12/22)


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【核を詠う】(199)『現代万葉集』(2014年・15年)の原子力詠を読む(3) 「被爆せし人間として生きる身の救えぬままのフクシマ四年目」 山崎芳彦
 『現代万葉集』(2014年・2015年)から原子力詠(筆者の読みによる)を読み記録しているが、今回で終る。今回は作品の抄出に先立って、前回に記した「世界核被害者フォーラム」(11月21日〜23日、広島市に海外9ヵ国からの参加を含め約900人)において採択された「フクシマを忘れない、繰り返させない特別アピール」全文を記しておきたい。「来年はチェルノブイリ原発事故から30年、フクシマから5年という節目の年を迎える。私たちは『核と人類は共存できない』という原点に立ち、世界中が原発に頼らない再生可能なエネルギーへの転換を図るとともに、核兵器の廃絶をめざし、人類の生存とこの地球を守るために、繋がりあい連帯しながら行動する。。このことを特別アピールとして決議し、チェルノブイリとフクシマの思いと痛みを自らの問題として受け止め、みんなの行動で核のない未来の実現を目指していこう。」との呼びかけである。(2015/12/14)


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【核を詠う】(198) 『現代万葉集』(2014・15年)の原発詠を読む(2) 「公のテロではないのか 海が死に民族が死ぬ原発事故は」 山崎芳彦
 前回に引き続いて『2014年版現代万葉集』から、原子力詠を抄出・記録する。前回は「東日本大震災」の項にまとめられた作品群からの抄出だったこともあり原発事故にかかわる歌が多かったが、今回はそれ以外の項目全体から筆者の読みによる原子力詠を抄出させていただくことから、原発にかかわる作品とともに原爆を詠った作品が少なくない。ともに「核被害」であり、原子力エネルギーの、あってはならない「利用」がもたらした人間の苦難、将来にわたっての地球的レベルでの苦しみと破綻につながる道筋の中での原爆被害、原発被害を経験しているこの国の人々が様々な方法で、そのことを明らかにし、伝え、破滅への道を閉ざす課題を担っていることを思えば、短歌文学にかかわり、作品を創造している全国の歌人、詠う人びとの作品は貴重であると思いながら、読ませていただいている。(2015/12/06)


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【核を詠う】(197) 『現代万葉集』(2014・2015年)の原子力詠を読む(1) 「半減期三十年後は百十歳天網恢恢疎にして漏らす」 山崎芳彦
 短歌界最大の超結社歌人団体である日本歌人クラブ(三枝昂之会長)は2000年から毎年、全国の歌人に自選3首の応募を呼びかけ、編纂した日本歌人クラブアンソロジー『現代万葉集』を刊行(日本歌人クラブ編、NHK出版発行)している。この連載の中では、以前に『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読み抄出、記録させていただいたが、東日本大地震・福島原発事故後に歌人がこの大事件をとらえて短歌表現した数多くの貴重な、後世に残すべき作品を読んで、改めてこの国の短歌文学の果たしている一つの重要な役割について考えさせられたことを思い起す。今回からは、2014年版、2015年版の『現代万葉集』を読み、筆者が原子力詠として読んだ作品を記録させていただく。2013年、2014年に作られ『現代万葉集』に収載された作品群からの抄出になる。非力な筆者だが、両歌集合せて約12000首に及ぶ全作品を読み、原子力詠としてとらえた作品を抄出したのだが、誤読、読み落としがあることをお詫びしお許しを乞いたい。(2015/11/28)


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【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(7) 「日経歌壇・産経歌壇」(7〜9月) 「100時間それはたったの4日間4日で国是覆すとは」 山崎芳彦
今回は日経新聞の「歌壇」、産経新聞の「産経歌壇」(いずれも7〜9月)の入選・掲載作品から、戦争法にかかわる短歌と筆者が読んだ作品を記録させていただく。これまで、各新聞歌壇の7〜9月間の入選・掲載短歌作品から、筆者の読みで、戦争法にかかわる作品を記録してきたが、この八月を含む夏の時期だから、戦争、原爆被爆の体験や記憶などを詠った作品が多く、作者からは「戦争法」とかかわって作歌したわけではないとの指摘を受ける作品が含まれることと思っている。筆者としては、そのことを考えなかったわけではないが、「戦争法案」をめぐる社会の激動のなかで、戦争にかかわって詠われた新聞歌壇の作品を抄出・記録することは意味あることと考えて行ってきたことであり、「主観・独断」の批判があれば甘んじて受けるつもりであることを、記しておきたい。それにしても、この夏、戦争について、様々に、豊かに詠われたことは確かだし、大切なことだったと、改めて思っている。(2015/11/19)


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【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(6) 「東京歌壇」(7〜9月) 「切れ目なく人波つづき国会を呑みこむ人の海となりたり」 山崎芳彦
 今回は東京新聞の「東京歌壇」(7〜9月)の作品から戦争法にかかわる歌として筆者が読んだ短歌を記録させていただくが、その前に同紙が今年一月一日から毎日、朝刊一面上段の左に掲載している画期的というべき「平和の俳句」(中日新聞、北陸中日新聞、中日新聞inしずおかとの共同企画、募集作品から金子兜太・いとうせいこう両氏が選)が、当初計画の戦後70年の今年一年間から、来年以降も継続することになったことを知った喜びを記しておきたい。多くの読者からの心からの要望、意見に応えての継続であり、選者の金子兜太、いとうせいこう両氏の希望でもあるという。このことは、「平和」を守ろう、もっと平和な社会、世界をと願う人々に敵対し、逆行する危険な政治が、いままさに行われている中での快挙であり、平和を求める様々な運動への励まし、共同の意思、ジャーナリズムの見事な立ち姿を示すものであると感動している。戦争法に反対する運動の中で力強く掲げられた金子兜太さんの筆になるプラカード、ポスター「アベ政治を許さない」は今後も掲げ続けられるのだと思う。(2015/11/09)


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【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(5) 「読売歌壇」(7〜9月) 「ひたひたと足音迫り来る気配われの青春奪ひし戦の」 山崎芳彦
 今回は読売新聞の「読売歌壇」から、戦争法にかかわっての短歌と筆者が読んだ作品を抄出、記録させていただくが、「戦争法にかかわって」というのが的を得ているか、異論も出るかもしれないとも思っている。現在、大きな問題として、安倍政権が「成立」を強行した安保法制をめぐって詠われた作品というより、先の戦争の記憶や、体験がを多く歌われている。しかし、それらの作品が、戦争法の強行採決や、解釈改憲による現行憲法の「破壊」などをめぐる社会的な激動、老若男女を問わない広範な人々の多様な運動などによって、改めて触発されて、戦争を詠うということも少なくなかったのかとも思う。「読売歌壇」の場合、選者(岡野弘彦、小池 光、栗木京子、俵万智の4氏)を選んでの投稿ができる。そのことも影響があるのかと思ったりもする。戦争法に直接かかわっての歌の多寡の是非を言うつもりはないし、いまこの時に、戦争について詠い、考えることの意味は、やはり重いものがあると考える。(2015/11/02)


文化
【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(4) 「朝日歌壇」(7〜9月) 「総理大臣からその国を守らねばならないといふこの国の危機」 山崎芳彦
 「人間の常識を超え学識を超えておこれり日本世界と戦ふ」(南原繁) この短歌は、南原繁(政治学者、元東京帝国大学総長)の作品で、『昭和萬葉集』の第一回配本となった巻六(昭和54年2月8日刊行)の冒頭の一首である。昭和十六年十二月八日、米英に宣戦の証書が詔書を発布した日の短歌であるこの歌は、南原繁の唯一の歌集とされる『形相』(初版は昭和23年3月、創元社刊、昭和43年6月に図書月販<後のほるぷ社>が復刊、昭和59年7月に岩波文庫版が刊行)によるもの。この作品について、『昭和萬葉集』の編集協力に携わった歌人の来嶋靖生は、「この巻頭の一首は『昭和萬葉集』全体の存在意義を秘めた、大きな一首である。言うまでもなく、その後の国の動向、現在の国の状況などを思うとこの一首の暗示するものは限りなく深く、大きく、かつ重い」(月刊歌誌「短歌研究」2015年8月号の「文化的想像力いま何処―『昭和萬葉集』の思い出」)と書いている。(2015/10/25)


みる・よむ・きく
『平和をとわに心に刻む三〇五人詩集』−夏蝉のように平和の精神となって沁み通っていくことを願うアンソロジーを読む 山崎芳彦
 一冊のアンソロジー詩集が、詩界を超えて多くの人の共感を呼び、広がっている。コールサック社が去る8月15日付で出版した『平和をとわに心に刻む三〇五人詩集―十五年戦争終結から戦後七十年』を2カ月以上をかけて、ようやく全篇を読み終えた。大きな感動を覚えている。305人の345篇の詩篇を収めたこの詩集の一篇一篇を、幾度か行きつ戻りつしながら読み、心に刻み、最後の二人の編者による解説、「詩の心で受けとめる悲しみは切実な願いのかたち」(佐相憲一)、「夏蝉のように『平和とは何か』を問い続ける」(鈴木比佐雄)を読み終えるまでに、結局60日余を要したことになる。(2015/10/22)


反戦・平和
「安保関連法案議事録作成経緯の検証と当該議事録の撤回を求める申し入れ」 賛同署名の呼びかけ
 去る9月25日に山崎正昭参議院議長、鴻池祥肇参議院安保法制特別委員長、中村剛参議院事務総長に対して「安保関連法案の採決不存在の確認と法案審議の再開を求める申し入れ」を、3万2千余の賛同署名を提出した賛同署名呼びかけ人(池住義憲、浦田賢治、小野塚知二、沢藤統一郎、清水雅彦、醍醐聰、藤田高景、森英樹、生方卓各氏)は、10月11日に参議院のホームページに公表された安保関連法案可決の議事録の撤回を求める申し入れを近日中に行うため、賛同署名の呼びかけを行っている。(山崎芳彦)(2015/10/21)


文化
【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に戦争法詠を読む(3) 「朝日歌壇」(7〜9月)◆ 峪笋総理だからと云ふ総理だから危険と感じる我ら」 山崎芳彦
 前回に続いて『朝日歌壇』(朝日新聞)に掲載の短歌作品から、戦争法にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を抄出、記録するが、各紙の新聞歌壇を読みながら『朝日歌壇』の入選歌に戦争法にかかわる作品が他紙と比べ格段に多いことを改めて感じている。戦争法というべき安倍政権の「安保法制」をめぐって国民的な議論がかなりの期間にわたって行なわれ、「戦争法案反対」の声と運動の大きな高まりのなかで、それをわが事として多くの短歌作品を詠んだ作品が増えていることを『朝日歌壇』が映しているのだろうと思う。それは、同歌壇への投稿作者の作歌のありようと選者の視点ともかかわることであろうが、選者の一人である佐佐木幸綱は、2014年『朝日歌壇』において、次のように書いている。「社会詠の増加」と題する文章だが「大きな流れとしては、個人の日常の生活に取材した投稿作が圧倒的に多い、そんな時代がつづきました。それが一昨年後半から昨年にかけて、流れが変わってきたような気がします。」として、次のように社会詠の増加について述べているが、それがいまも続いているといえよう。(2015/10/16)


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【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に読む戦争法詠(2) 「朝日歌壇」(7〜9月)  崋禺圓貿筏擇靴呂犬畫欧に反戦デモは報道さるる」 山崎芳彦
 「日本の資本家が彼等の企業の危機を侵略によって開こうとし、冒険的な日本陸軍がそれに和した結果、私は三八式小銃と手榴弾(しゅりゅうだん)一個をもって比島へ来た。ルーズベルトが世界のデモクラシイを武力によって維持しようと決意した結果、あの無邪気な若者が自動小銃を下げて私の前に現われた。こうして我々の間には個人的に何等殺し合う理由がないにも拘らず、我々は殺し合わねばならぬ。それが国是であるからだが、しかしこの国是は必ずしも我々が選んだものではない。」という、大岡昇平の小説『俘虜記』の一節を、筆者は新聞歌壇から戦争法にかかわって詠われたと読んだ短歌作品を記録しながら、不意に思いだし、昭和42年発行の新潮文庫版を本棚から探し出し、既に赤茶けたページを繰って確かめた。『俘虜記』と並んで昭和29年発行の同文庫の『野火』もあった。読み返し始めている。読みながら、戦争法が「成立」した現在について、思うことは多いし、戦争に向かう国家権力の本質についての示唆を受けている。(2015/10/09)


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【核を詠う】(番外篇・戦争法) “暑い夏”の新聞歌壇に読む戦争法詠(1) 「毎日歌壇」(7〜9月)「狼が来るぞと言へばまとまるや 安保論議のやり方憎し」 山崎芳彦
 安倍首相は国連の総会をはじめ各種会議での発言、核国首脳との個別会談において、安保法制(戦争法)の成立をさかんに吹聴しながら、日本の国連常任理事国入りの画策をしている。戦争法は米国から歓迎されているが、その他の国々の受止めは一様ではない。その戦争法が日本の主権者の猛反対、憲法学者や元最高裁判事、元法制局長官らの違憲宣告、大きな戦争法反対のうねりを無視して、全国から駆け付けた人びとが国会を包囲して戦争法の廃案を求める中で、主権者の声を聞かない国会議員の頭数のみを力としての強行採決によって「成立」したものであること、自ら「国民の理解は得られていない」と認めている法制であることは、もちろん言うはずもない。これからも安倍首相は、あらゆる機会をとらえて「積極的平和主義」、「国際貢献」、「同盟強化」などを言いながら、戦争法の宣伝を続けるだろう。だが、言えば言うほど、自衛隊、武力の行使拡大への懸念と不信が国際的に広がる可能性も強い。かつての軍国主義日本への記憶を甦らせる国やその国民は少なくないに違いないし疑念を募らせる国も多いだろう。(2015/10/03)


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【核を詠う】(196) 『福島県短歌選集 平成25・26年度』の原子力詠を読む(9) 「汚染土を潜り抜け来し蝉ならん声明(しょうみょう)のごと森を震わす」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集』(福島県歌人会発行)の平成25年度版、26年度版を読ませていただき、集中の原子力詠を抄出させていただいてきたが、今回が最後になる。今回、同選集の作品に入る前に、勝手ながら筆者の拙い短歌の数首を、冷や汗を掻きながら記すことをお許し願いたい。安倍政権による許しがたい戦争法強行採決による「成立」のあと、彼岸詣りをしながら、この夏に詠った短歌の一部を思い起した。(2015/09/22)


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【核を詠う】(195) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)から原子力詠を読む(8) 「収束のつかぬ原発汚染水に基準値超えるノドグロの出づ」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集』を読み続けているが、筆者の事情で前回から長く間を空けてしまったことをお詫びしなければならない。この間、戦争法案をめぐって、その廃案を求める大きな運動が前進して、さらに広がりを見せていることに、憲法破壊・唯我独尊の安倍政権の許しがたい政治への怒りの高まりに、小さくとも筆者自身にできることを為していきたいとの思いは強い。福島第一原発事故による被災にかかわって詠われた作品を抄出させていただきながら、改めて原子力発電がひとたび過酷事故を引き起こせば、人々の生活をどれほど深刻な苦難に陥らせるものかについて考えさせられ、同時にその苦しみや困難の現実の中で、確かな日々の生活を5年を越えて維持している人びとについて、思うことは多く、きれいごとだけでは済まされないさまざまな「生」の姿があるに違いない。原発事故被災により強いられた苦難の数々があるに違いない。戦争法を企む安倍政権は、事故被害者の苦しみの現実を無視し、環境破壊の深刻さを無視し、「原発回帰」にまっしぐらである。それだけでなく、核燃料サイクル事業の現実化への取り組みを策謀している。その陰に核兵器保有への企みが見える。(2015/09/08)


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【核を詠う】(194) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)から原子力詠を読む(7) 「中間貯蔵施設容認 ふくしまののうぜんかづら燃えている天」 山崎芳彦
 九州電力川内原発1号機の再稼働の暴挙、無謀に対する警告のように桜島(鹿児島市)の火山噴火が激しくなり、噴火警戒レベルが引き上げられ、さらに大規模な噴火の発生の可能性が高いと、気象庁が警戒を呼び掛けている。噴火警戒レベルが4(避難準備)に引き上げられ、避難も始まった。大事に至らないことを願うが、この桜島の噴火について川内原発の再稼働問題とかかわっての重大事象として大きく取り上げられることが多くないことに、異様な感じを持つ。桜島火山は巨大噴火を起こすカルデラ火山(陥没地形)として、川内原発の再稼働との関わりで問題になった姶良(あいら)カルデラ内にあり、2.6万年前から活動が続いており、桜島火山のマグマ周りには260立方kmに及ぶマグマが蓄積されていると見られ、この半分の量が桜島火山として噴出したとしても超巨大噴火の可能性が否定できないという。それは、川内原発に隣接する姶良カルデラにおける超巨大噴火あるいは大規模噴火の可能性を完全に否定はできないということだとされる。(2015/08/19)


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【核を詠う】(193) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)から原子力詠を読む(6) 「被曝物行き場の無きを被曝してあらばわれらも行き場の無きや」 山崎芳彦
 まことに許しがたいことだが、九州電力の川内原発1号機が今日8月11日に起動して再稼働、14日には発電・送電を開始、9月上旬には営業運転に入る予定だ。東京電力福島原発の過酷事故発生からほぼ4年半、この間、大飯原発の一時的な再稼働(2012年7月〜13年9月)期間を除いては原発ゼロが続いたが、その間電力不足による「危機」はなく、再生可能自然エネルギーの拡大への取り組み、電力消費のあり方に関する社会的な関心の高まり、脱原子力エネルギー社会に向かおうとする広範な運動も活発になっている。原発維持・再稼働を目指す政府の方針、電力企業をはじめとする原子力マフィアグループに対する異議申し立ての声は高まり、この間、福井地裁による画期的な関西電力大飯原発「稼働差し止め判決」(2014年5月)、高浜原発3・4号機の「稼働禁止仮処分決定」(2015年4月)、さらに最近の東京第5検察審査会による東京電力の勝俣恒久元会長ら旧経営陣3名を被疑者として福島第一原発事故による業務上過失致死傷罪を問う「強制起訴」の議決(2015年7月17日議決)などもある中での川内原発再稼働の暴挙だ。(2015/08/12)


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【核を詠う】(192) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)の原子力詠を読む(5) 「原発に仲間も家族も引き裂かれ安住の場なく彷徨ふわれら」 山崎芳彦
 いま参議院の特別委員会で「戦争法」案の審議が続いているが、8月5日に中谷防衛大臣が答弁のなかで、自衛隊が核ミサイルの輸送、提供が可能であるとする発言を行った。戦争法案を構成する重要な法律である「重要影響事態法案」、「国際平和支援法案」における戦争中の他国軍への後方支援に関して、「後方支援」の輸送任務として核ミサイルの輸送を行うことは「法律上は排除していない」と答弁した。8月6日付朝日新聞朝刊によると、「法案では後方支援の「輸送」任務に、何を運ぶかの制限がなく弾薬も武器も輸送できるため、『核兵器、化学兵器、毒ガス兵器は輸送可能か』と問われた中谷氏は『法律上は排除していない』と答えた。後方支援の『補給』をめぐっても、中谷氏は核兵器を搭載した戦闘機や原子力潜水艦への補給は『法律上除外する規定はない。現に戦闘が行われていない現場であれば給油はできる。』と認めた」と報じている。付け加えて、非核三原則があるので核兵器輸送は想定していない、政策上の判断として実施しない、などと述べても、戦争法案が成立すれば自衛隊が核兵器を戦闘中の他国軍に提供することになることは、閣議決定のみで明白に憲法違反のことを合憲と解釈する政府のもとでは無意味である。8月6日の前日の出来事だ。(2015/08/06)


文化
【核を詠う】(191) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)の原子力詠を読む(4) 「広島と長崎ありて福島あり核の連鎖を語気強く言ふ」 山崎芳彦
 衆議院で強行採決された「戦争法」案の審議が参議院で開始され、各種世論調査で圧倒的に多い反対の声を無視して、安倍政権はその成立に向けて突き進もうとしている。この国の主権者の戦争をする国になることを拒否する声も、憲法学者をはじめこの「戦争法」案が違憲だとする多くの人びとの声も、「憲法解釈権は我にあり」とする安倍首相は聞こうとしない。そして、この安倍政権は原発再稼働促進政権でもある。原発ゼロを求め、原子力社会からの脱却を求める人々の声も聞こうとはしない。戦争と原子力を重ねるとき、そこには人間否定の冷酷無惨な社会像が見える。それが安倍政権とその同調勢力が目指す政治がもたらす社会である。いま、福島歌人の短歌作品を読みながら、暑いこの夏を、原発事故被災者を苦しめ、心を冷えさせる安倍政権に対する怒りに共感することしばしばである。(2015/07/29)


文化
【核を詠う】(190) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)の原子力詠を読む(3) 「決められぬ政治を拒否せる選択が決めすぎる政府となりたり 無念」 山崎芳彦
 「戦争ができる・戦争をする国」にするための「戦争法案」成立を急ぐ安倍政権・与党は7月15日に衆議院安保法制特別委員会で強行採決し、翌日に本会議でも可決した。「戦争法へ見ざる聞かざる嘘言ひ募る 強行採決の安倍政治は悪だ」。国会前に身を運ぶことができなかった筆者は、無念の思いでテレビの映像を見ながら歌ともいえないが、一首を口にした。今回の見出しの「決めすぎる政府となりたり 無念」と詠った福島歌人の、安倍政権の原発推進政策の非道に怒る一首とも重なる。戦争法を急ぐ安倍政権は、原発再稼働を急ぎ強行する政権でもある。九州電力川内原発に核燃料が搬入され、原子炉に装着する作業が始まり8月中旬の再稼働に向けて、最終段階にある。この15日には四国電力伊方原発3号機に対する原子力規制委員会の規制基準適合の審査書決定が行われた。川内原発再稼働を皮切りに原発列島への回帰のための流れ作業がすすむ。(2015/07/20)


科学
【核を詠う】(189) 『福島県短歌選集』(平成25・26年度)から原子力詠を読む(2) 「みずみずしい色白頬の孫娘被曝はありや福島に住み」 山崎芳彦
 『福島県短歌選集』を読み、福島第一原発事故の被災によって、生きるうえで様々な面にわたって深刻な状況が続いていることを表現している短歌作品を記録しているのだが、その人々の苦難をよそに、安倍政府と原子力推進勢力は「原子力発電復活」つまり福島原発事故以前の原子力発電の状態に回帰する政策と事業方針の具体化を進めている現状を考えると、この国の政治経済支配権力の底の抜けた堕落と腐敗に怒りを禁じえない。いまこの時、耐え難いほどの原発事故被害に苦しみ、苦しみながら生きている多くの人々が居て、しかも原発の過酷事故がもたらす災厄は人が生きる環境を根底から破壊するほど巨大であり、時間軸で見れば計り知れないほどの長期にわたることが明らかにされているにもかかわらず、あたかも原子力発電が人々の生きるための前提、必須条件であるかのように、原発稼働ゼロの現状から事故以前、あるいはそれ以上の原子力発電体制の構築のための「流れ作業」が進められている。(2015/07/08)


文化
【核を詠う】(188) 『福島県短歌選集』(平成25年度・26年度)から原子力詠を読む(1) 「原発事故にいくさを重ね思ひをり避難の列が黒々と見ゆ」 山崎芳彦
 今回から福島県歌人会の発行になる『福島県短歌選集』の平成25年度版(平成26年3月刊)、同26年度版(平成27年3月刊)に拠り、福島県の歌人が平成25〜26年に詠った原子力にかかわる(筆者の読みによる)短歌作品を読み、記録させていただく。この連載の76回目から数回にわたって同選集の平成23年度版(平成24年3月刊)を読ませていただいたことがあったが、福島第一原発事故直後の時期に詠われた福島歌人の作品群に強い感銘を受けるとともに、原発社会について多くのことを考えさせられる契機の一つとなったことを思い起す。今回は25年度版と26年度版の作品を読むわけだが、原発事故後の厳しい状況が続く中で、多くの福島歌人が詠った作品の集積だけに、歴史的にも貴重な意味を持つ短歌作品群であると考える。(2015/07/01)


文化
【核を詠う】(187) 福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(3) 「廃炉への四十年は幻か先へ先へと延ばされてゆく」 山崎芳彦
前回に引き続き、福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』を読む。今回は第50号、51号から原子力詠を抄出し、記録させていただくが、この一連で既発行の同誌について読み終えることになる。同誌は今後も発行されて、会員各氏の貴重な作品を蓄積し、残し、伝え続けていく大きな役割を継続していくことになるに違いない。この連載の中で、また読むことができることを願いつつ、とりあえず今回で終る。「廃炉への四十年は幻か…」と、この51号に三好幸治さんの作品があるが、この6月12日に政府は関係閣僚会議で福島第一原発の廃炉に向けた工程を改訂し、1〜3号機の使用済み核燃料プールからの核燃料取り出し時期を「最大三年遅れとなる」ことなどを決め。福島の歌人である三好さんの洞察の確かさが作品で示された。そして「幻か先へ先へと延ばされてゆく」ことによる人々の苦悩と、それをもたらしている政府、東京電力をはじめ、原子力維持を推進する者たちへの怒りは、短歌を力として、鋭く深い。(2015/06/19)


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【核を詠う】(186) 福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』の原子力詠を読む(2) 「原発の事故後をめらめら燃ゆるもの暴く心と隠す心と」 山崎芳彦
 前回に引き続き福島の歌人グループ「翔の会」の歌誌『翔』から原子力詠を読み、記録する。今回は同誌の第49号(平成26年11月29日発行)を読ませていただくのだが、福島原発事故の被災により背負わされた苦難の日々の中で詠われた短歌作品を読みながら、このほど政府・経済産業省が示し、7月にも政府案として正式決定される2030年度の電源構成(エネルギーミックス)において、原発比率を20〜22%としていることに、強い怒りを覚えないではいられない。原子力発電を純国産エネルギー源であり運転コストが低廉で、安定して供給できるベースロード電源として位置づけ、原発なしには必要な電力の供給が不可能であるとする、この原発回帰・重視の政府の電源構成案は、あの福島原発事故がなかった、人びとの苦しみもなかった、さらに今後も原発事故は起こらないと言うに等しいものだ。(2015/06/10)


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【核を詠う】(185) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(1) 「庭の土入れ替へなりて除染といふ 入れ替へ叶はぬ心は如何に」 山崎芳彦
 今回から、福島の歌人グループ「翔の会」の季刊歌誌『翔』(編集・発行人 波汐國芳)の第47号(平成26年4月20日発行)〜第51号(同27年4月26日発行)の原子力詠を読み、記録させていただく。歌誌『翔』については、この連載の144回から148回まで、第35号(平成23年4月24日発行)〜第46号(同26年2月1日発行)迄の作品を読ませていただいたが、その後現在までに発行された号の作品を読み継ぐことになる。「翔の会」に参加している歌人14氏が福島の地で詠みつづけている短歌作品を継続して読むことができるのは、波汐さんはじめ会員方々のおかげであり、深く感謝するとともに、この連載の趣旨のために「原子力詠」にかぎっての抄出となり、記録できないすぐれた作品が少なくないことが、いつものことだが心残りとなる。お許しを願うしかない。もちろん、筆者はすべての作品を感銘深く読ませていただいている。(2015/05/31)


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【核を詠う】(184) 齋藤芳生歌集『湖水の南』から原子力詠を読む(2) 「咲き残る庭の小菊も根こそぎに袋に詰めて除染土と呼ぶ」 山崎芳彦
 前回に続いて齋藤芳生歌集『湖水の南』から原発にかかわる作品(筆者の読み)を抄出、記録させていただく。この歌集には、作者にとっての福島が、原発事故によって放射能汚染に傷つけられた山河、除染作業によって土や樹木をはじめ自然が痛めつけられ、人々の生活のありよう、関係にも複雑な裂け目が作り出されていることを声高にではないが、自らにとってのふるさとの現状との向かい合いによって詠われた作品が多く、読者の一人である筆者の心に深く沁みいり、改めてさまざまなことを考えさせる。前回にも触れたが、作者は震災・原発事故以前に中東のアブダビで三年間暮らし、帰国後、東日本大震災の日に東京で編集プロダクションに就職するための面接を受けていて採用が決まり、約二年半を東京で過ごしたのだが、その間に作った作品の多くが、作品の制作順にではなく編集されたこの歌集の、時間・空間が交錯した構成の中にあって、やはり福島を歌った作品は重く深い。(2015/05/22)


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【核を詠う】(183) 齋藤芳生歌集『湖水の南』から原子力詠を読む(1) 「連翹の枝を挿すなり父祖の土地の放射線量を測るかわりに」 山崎芳彦
 今回から福島市に在住する歌人の齋藤芳生(さいとうよしき)さんの歌集『湖水の南』(本阿弥書店、2014年9月刊)から、原子力にかかわる作品(筆者の読みによる)を抄出し、記録させていただく。作者の齋藤さんは『湖水の南』について、2010年から2014年にかけて発表した作品を収めていること(編集にあたり大幅な改編や改作を行い、未発表の歌も何首か加えた)、また彼女が東日本大震災が起こったその日に東京の編集プロダクションで働くため面接を受けていて、採用が決まったことからその後の約2年半を東京で過ごすなかで歌った作品が多いことを、「あとがき」で明らかにしている。同歌集は、原発事故により被災した福島についての作品を冒頭に置いているが、大震災・原発事故によって苦悩する福島への作者の思い、視座のありようを歌集の構成によって示しているものと思いながら読んだ。(2015/05/14)


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【核を詠う】(182) 澤正宏さんの原子力詠を読む(2) 「原発のこと言わないのと問う友よ味噌汁にもそれ入っているよ」 山崎芳彦
 前回に続いて澤正宏さん(福島市在住、福島大学名誉教授)が原発にかかわって詠った短歌作品を読んでいく。福島第一原発の事故にかかわって様々な体験をし、そのなかで1974年から始まった福島第二原発訴訟の裁判資料を集成した『福島原発設置反対運動裁判資料 全7巻』を作成するさきがけとなり、完成させる原動力の一人である澤さんは、短歌作品により福島の現状を発信してもいる。前回に記した経過により、この連載の中で澤さんの短歌作品を読み、記録することができたのだが、「このたびの大震災、原発事故で、記録して置くこと、記録していくことの大切さを痛切に知らされました。記録(言葉、事実)とは歴史を遺し、歴史を作り、歴史の証人になることなのですね。」とのメールをいただいて、『福島原発設置反対運動裁判資料 全7巻』さらに『伊方原発設置反対運動裁判資料 全7巻』の編集に深くかかわってその刊行に大きな役割を果たした人の言葉として、深く共感する。この拙い連載もできる限りは、との思いを強くした。(2015/05/07)


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【核を詠う】(181) 澤正宏さんの原子力詠「フクシマ四年目の春」他を読む(1) 「風花にもう同じ冬は来ぬ思い廃炉の行方は日々の棘ゆえ」 山崎芳彦
 今回から澤正宏さん(福島市在住、福島大学名誉教授)の原子力詠を読み、記録させていただく。澤さんについて筆者は、朝日歌壇にしばしば入選されていること、この連載の中で読んできた『朝日歌壇』の年刊(2012年、13年、14年)に収録された作品を記録したことによって存じ上げていたが、まことに不勉強なことに福島大学で教鞭をとる近現代文学研究者として『西脇順三郎の詩と詩論』など多くの著書を持ち、さらに『福島原発設置反対運動裁判資料 全7巻、別冊1』(クロスカルチャー出版)、『伊方原発設置反対運動裁判資料 全7巻』(同前)の編集に携わり解題、解説の執筆をされていることについては知ることがなかった。最近になって、『今 原発を考える―フクシマからの発言(対談 安田純治・元福島原発訴訟弁護団長×澤正宏・福島大学名誉教授)』(改訂新装版、クロスカルチャー出版、2014年5月刊)を読み、また澤さんとの少しのメール交流によって、一端を知るのみである。(2015/05/02)


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【核を詠う】(180) 『短歌研究・2014綜合「年刊歌集」』から原子力詠を読む(3) 「フクシマは沖縄と同じ構造と言ひ切りしのち暫く黙しき」 山崎芳彦
 『短歌研究・2014綜合「年刊歌集」』の作品群から原子力にかかわって詠われた(筆者の読みによる)作品を抄出、記録して来たが、今回が最後になる。この「年刊歌集」に選された原子力詠をを読みながら、筆者は福島第一原発の過酷事故による被災によってさまざまに深刻な人々の生活のこと、人が生きる環境と原子力のこと、さらにいまは停止している各地の原発再稼働に向かおうとしている政府、電力企業、財界など原子力に利益を求める原子力マフィアグループの動向、原子力依存社会からの脱出を求めて闘う人々のことなど、いろいろなことを考える。それは、いま私たちが生きている社会の現実とこれから迎える時代について様々な面から考えることに重なる。前回にも触れたが、福井地方裁判所が関西電力高浜原発3、4号機の再稼働を禁止する仮処分決定を下したことは、昨年の大飯原発3、4号機運転差し止め判決に続いて、樋口英明裁判長が憲法によって保障され尊重されなければならない人格権を守る立場を踏まえた明快・適正な司法判断として高く評価されるものだが、これに対して原子力マフィアグループは、理不尽極まりない攻撃を一斉に開始している。許しがたい、司法の良心に対する挑戦である。権力を持ち理不尽に揮う危険な勢力が束になっている。(2015/04/22)


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【核を詠う】(179) 『短歌研究・2014綜合年刊歌集』から原子力詠を読む(2) 「この国のありやうの今かくあるを許せるわれらなれば口惜し」 山崎芳彦
 今回も短歌研究社刊の『2015短歌年鑑』所載の「2014綜合年刊歌集」から福島第一原発事故にかかわって詠われた短歌作品をはじめとする原子力詠を読むのだが、本稿を入力している最中、今日4月14日に福井地方裁判所において、福井、京都、大阪、兵庫4府県の住民9人が関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働差し止めを求めた仮処分申請について樋口英明裁判長が、関西電力に対して「再稼働を認めない仮処分」の決定を出したことが報道された。この仮処分決定により、直ちに高浜原発3、4号機の稼働は禁止されることになり、異議申し立てによる決定の取り消しがない限り再稼働禁止の命令は有効に働くことになる画期的なものである。(2015/04/16)


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【核を詠う】(178) 『短歌研究2014綜合年鑑歌集』から原子力詠を読む(1) 「福島の子と言ひかけて止めらるるごとき蹉跌を繰り返すのみ」 山崎芳彦
 今回から短歌研究社発行の「2015短歌年鑑」(月刊「短歌年鑑」2014年12月号)に綴込として収録されている「2014綜合『年刊歌集』」から、筆者が原子力詠として読んだ作品を記録させていただく。これは短歌研究社編集部が寄贈を受けた短歌綜合誌及び全国結社短歌雑誌等に掲載の作品から選出して編まれたものだが、「全国歌人4000余名の '14年度作品を抜萃収録」しており、作品数は1万を大きく超えて膨大である。この歌集の中から、原子力にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を抄出させていただくのだが、読み違いなど不適切があればお詫びしたい。昨年の同年刊歌集も読ませていただいたが、「核を詠う」と題してこの連載を続けてきている筆者としては、短歌界がさまざまな形で原子力にかかわる作品を記録し、後世に残していくことの大切さを思っている。この年刊歌集から原子力詠を抄出させていただくのも、そのような思いからである。(2015/04/08)


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【核を詠う】(177) 本田一弘歌集『磐梯』から原子力詠を読む(2) 「超音波機器あてられて少女らのももいろの喉はつかにひかる」 山崎芳彦
 前回に続いて会津若松市在住の歌人である本田一弘さんの歌集『磐梯』から原子力詠を読ませていただく。前回に読んだ作品群から明らかなように、本田さんはこの歌集に多くの東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故にかかわって詠った作品を収めている。その中から、筆者が原発事故にかかわった歌として読み取った作品群を抄出させていただいているのだが、短歌という定型詩を踏まえた、文語詠により、時に会津の方言、上代の東北方言をも効果的に駆使して、原発事故が人々にもたらした災厄の深刻さ、被災した人々や自然に寄せる思いを表現し得ていることに、「歌の力」を改めて認識させられた。歌おうとすることに見事に対応していることばの響き、声調は読む者に伝えるべきことを、訴えることを沁みいるように届け、共鳴をよぶ。今回でこの歌集を読み終えるのだが、詠う―訴える、生を写す短歌作品が、原子力、原爆や原発と人びとのいのち、生活、社会のありようについて、深く、本質的に表現する文学であることを、拙く詠う者の一人である筆者は考えている。(2015/04/03)


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【核を詠う】(176) 本田一弘歌集『磐梯』の原子力詠を読む(1) 「ふくしまの雲を縫ひなば放射性物質ふふむ空をとぢむや」 山崎芳彦
 福島県会津若松市在住の歌人である本田一弘さんの歌集『磐梯』(青磁社、2014年11月刊)から原子力詠(筆者の読み)を読み、記録させていただきたい。本田さんは福島市に生まれ、高校教師の職にあり会津若松市に住まわれているが、短歌結社「心の花」に所属して活躍している。この歌集は氏の第三歌集であるが、「後記」に「磐梯は、磐の梯なり。天空に架かる岩のはしごなり。夫れ神は天上より磐梯を伝って地に降りたまひけむ。会津なる磐梯山は、福島の空とわれらの地とを繋ぐかけはしなり。/日々仰ぎ愛してやまぬ山の名をわが第三歌集の題とせり。平成二十二年から二十六年夏までの作三百十一首を収めつ。年齢でいへば四十一歳から四十五歳までの歌を略制作順に編みたり。」と記している。あの3・11東日本大震災・福島第一原発事故以前の歌は序章部の四十余首で、あとは震災・原発事故後の作品ということになる。磐梯山を架橋として繋がれている福島の空と地の現在を作者は歌って、この一巻を成したわけである。犠牲者への思いと、作者が生きる福島の現実を歌った作品の集積から、「原子力詠」として筆者が抄出することにおそれを持ちつつ記録させていただく。(2015/03/28)


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【核を詠う】(175) 『角川短歌年鑑平成27年版』から原子力詠を読む(2) 「汚染され除染されそして放棄されなほ生きをらむ咎なき土は」 山崎芳彦
 東京電力福島第一原発の事故から4年が過ぎた。短歌界でも、この国では未曽有の原発事故によって引き起こされた事態に大きな衝撃を受け、とりわけ深刻な被災を受けた福島の地の歌人をはじめ、原発列島化してしまったこの国に生きる現実を改めて思い知らされ、将来にわたって暗い霧の中にあるような不安を抱かざるを得ないことに気付かされた全国の歌人がさまざまな短歌表現をもって、詠う者としての姿勢を示してきた4年であったと思う。直接的なテーマとして詠わないでも、いまを生きる人間として原発・原子力の影を何らかの形で背負いながらの作歌は、生きる時代を離れて詠うことはできないのだから、原子力とのさまざまな向かい合い方や意識を映す作品を生んでいるだろうと思う。筆者には捉えきれない作品の背景や作者の意図、翳を読み切れないままに、たとえばいま読んでいる『角川短歌年鑑』に載っている短歌作品からも見過していることが少なくないに違いない。(2015/03/18)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(16) 「八月の広島の空すみ極まりいづこより湧くかわが悲しみは」 山崎芳彦
 「核を詠う」連載の特別篇として、歌集『廣島』を読み、その全容を記録しようとし始めたのは2014年8月6日付からなので、すでに7カ月になるが、今回で終る。読みながら夢に魘される夜もあったし、正直、神経の不安定な状態に苦しむ日もあった。歌集の作品を読むと同時に、広島、長崎の原爆被害に関わる記録文献や、さまざまなジャンルの文学作品も読むことによって、改めて原子力にかかわる人間、社会の根源的な問題について多くのことを考えさせられた。考えたことについて、改めて記す機会を持ちたいが、いまは、広島、長崎への原爆投下というあの悲劇的な事態をもたらしたのは、この国が軍国主義の国家権力を総動員して、侵略戦争を行い、「大東亜共栄圏」の美名を看板に戦争を拡大したことによることを、当然すぎるかもしれないが、考えたい。いまだからこそである。(2015/03/11)


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【核を詠う】(174) 『角川短歌年鑑・平成27年版』から原子力詠を読む(1) 「原発も武器も売り込みなうなうと生くる幸せを満喫せんか」 山崎芳彦
 今回は、角川学芸出版編の『角川短歌年鑑平成27年版』(平成26年12月、株式会社KADOKAWA)に所収されている短歌作品のうち「平成26年度 自選作品集659名」から、原子力詠(筆者の読みによる)を読ませていただく。全国にわたる歌人659氏が平成26年度の自作短歌から一人5首を自選した作品集だから、3295首が掲載されていることになる。その中から筆者が原子力にかかわって詠われているものと読んだ作品を抄出して記録するので、丹念に全作品を読んだつもりではあるが、読み違い、読み落としなど作者の意に添わないことがあることを恐れる。その場合、お詫びをするしかない。この連載では、これまで同年鑑の平成24年版から毎年読ませていただいているが、年々、記録する原発詠の作者数、作品数は減少している。しかしこのことをもって原子力に関わって作品化された短歌が減少しているということはできない。各地で営々として詠う歌人がいる(2015/03/04)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(15) 「つづきゆく平和まつりの人中をいのち寂しくわがひとりなり」 山崎芳彦
 立花隆氏が「被爆者なき時代」と題して、月刊「文藝春秋」3月号の巻頭随筆を書いている。その中で、氏は、いまNHK広島が氏と原水禁運動とのかかわりを描く番組を作っていて、昨年その広島編がロンドンに拠点を置く反核運動団体CND(核軍縮キャンペーン)のリーダーを呼んでの対談を軸に作られ全国に流れたこと、今年は間もなく、長崎篇を加えた新版が全国ネットで流れることになっていることを書き、「つい先日その流れで長崎大学のRECNA(核兵器廃絶研究センター)との共同プロジェクトという形で『被爆者なき時代に向けて』という特別講義と学生六十名が参加してのワークショップが・・・行われた。ここで、私は『被爆者なき時代に向けて』に二重の意味を持たせた。一つは今後核戦争を起させないようにするにはどうすればいいのかという問いかけだが、もう一つは本当に被爆者がいなくなる時代を考えろの意味だ。」と記している。後者は広島、長崎の被爆者が亡くなり、いなくなる時代に、被爆体験をどう継承していったらいいのかが、いま若い世代に突きつけられているということである。重要な問題提起だ。(2015/02/25)


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【核を詠う】(173) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む(5) 「被曝物行き場の無きを被曝してあらばわれらも行き場の無きや」 山崎芳彦
 福島市在住の歌人である波汐国芳さんの歌集『渚のピアノ』を読み、原子力詠(筆者の読み)を抄出させていただいてきたが、今回が最後になる。波汐さんの短歌作品を、歌集『姥貝の歌』、さらに波汐さんが編集人である歌誌「翔」、その他を通じて読ませていただき、この連載の中にかなりの回数にわたって記録してきたが、福島の歌人が東日本大震災・福島原発事故を詠いつづけ、詠い残していることの意味は、この国の短歌界にとどまらず社会的、歴史的に極めて大きく貴重であると思う。とりわけ原発事故、原子力にかかわって自らの体験、生活の具体を短歌表現し続けることは、すでに70年を経ようとしてなお続いている広島、長崎の原爆による被爆者・被災者の苦しみの歴史を考えても、その被災の態様は同じではないが、核災として同じであり、その現実とこれからの歴史の実態の真実を知ることができない原発災害であるだけに、詠うものが自ら背負うべき課題といえるとさえ考える。(2015/02/17)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(14) 「九日後の終戦の日に『原爆』の文字が始めて見ゆる我が日記帖」 山崎芳彦
 原子力規制委員会が、九州電力川内原発1・2号機に続いて、関西電力高浜原発3・4号機について新規制基準合格の審査書を正式決定する。原発の再稼働を前提とする許可を出すということである。すでに多くの原発が審査の申請を出しており、原発再稼働軌道を次々に走り出すことが必至の状況だといえよう。安倍政府の「原発回帰」国策が、さまざまな手法で促進されている。「再稼働」国策に応じる自治体に様々な優遇措置を講じ、応じなければ冷遇する。政府、原子力利権マフィアによる権力・金力がふるわれている。辺野古への基地移設に反対する県民の総意を受けて政府と対峙する沖縄県に対する対応の、まさに主権者を踏みつける安倍政権の姿である。原発についていえば、すでに再稼働を越えて、稼働年限の延長、そしてさらにリプレース(新設)許可への計画も、また核燃料サイクル事業推進方針も固められつつある。その先に自前の核兵器生産への陰謀が見えないか。(2015/02/11)


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【核を詠う】(172) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む(4) 「冬囲いの菰(こも)を外さば列なさん木喰い・人喰い虫・セシウム魔」 山崎芳彦
 いま読み続けている波汐さんの短歌作品に福島原発事故によってもたらされている核放射線にかかわって詠われたすぐれた作品が多い。今回抄出する作品の冒頭は「セシウムは鳥」と題する一連である。原子力災害の過酷さは、直接の健康被害がいま生じているかという視点を超えたところにある。10数万人に及ぶ人々が避難を強いられ、放射線被曝の不安に苦しめられ、今現在にとどまらず将来にわたる不安を抱えて生きなければならない、家族が離ればなれの生活を強いられ、職を奪われ、農畜産物海産物などが売れなくなって生活基盤を失うという危機に落とし込まれた人々も多い。原発事故から間もなく満4年になろうとしているが、原発事故の最大の問題である核放射線による被災の現実と将来について、政府と原子力利権マフィアは核放射線安全論を広げ、「復興」の名のもとに避難者の帰還促進、被災者、避難している人々に対する補償の軽減・打ち切り、さらに権力・金力による原発再稼働の促進など、理不尽の限りを尽くしている。(2015/02/06)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(13) 「復興を伝へてゆけど身のめぐりに原爆犠牲者困窮のさま」 山崎芳彦
 「わたしは、ABCCに半殺しにされたことがあるんですよ。思っただけでも腹が立つ。原爆を落したうえに被爆者をモルモットにするアメリカ。原爆が落とされるもとになった戦争を始めた日本の国は何もわたしらのためにしてくれない。わたしが貧血や体の具合が悪くて寝込んでいた時にABCCの人が、検査をすれば病気の原因がわかるからいうて自動車で迎えに来るんです。いやだ言うても三日も続けて来るんで断り切れず、血をとらない、病名を知らせる、薬を出すという約束で行ったんです。ところが検査室に行くと、血はとられる、いろいろ聞かれたり検査をされたり、立っているのもつらいほどだった。そして平気な顔で、血を入れ替えてやろうかなんていう。薬もない。挙句の果てに歩けないほど参っているわたしを、広島駅まで来て置いていきおった。」(2015/01/29)


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【核を詠う】(171) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む(3) 「原子炉は陽(ひ)の火盗むをその怖れ知りしこの国他に売るという」 山崎芳彦
 「あの3・11から三年と八カ月が過ぎた。冷静に周りを見てみると、意識や思いの二極化が進み、それがさらに深刻な分断を生んでいる。離婚、自殺、突然死・・・。そうした暗い部分にはあえて目を背けて蓋をし、無理に3・11前に戻ろうとする動きも見える。それでいいのだろうか。身近には百人百様の喜びや悲しみ、苦しみがある。それに目を凝らして、いま何が起きているのか、起ころうとしているのかを、きちんと伝えなければならない。強くそう思う。」(日々のブックレット3『このさんねん』、日々の新聞社刊2014年11月より。)、いわき市から2011年3・11の東日本大震災・福島第一原発事故について『日々の新聞社』(編集責任者・安竜昌弘)が報道したものを中心にまとめたブックレット3の「おわりに」で安竜氏が記している。これまでに『このいちねん』『このにねん』も発行、その三号目である。(2015/01/19)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(12) 「悲しい日をほんたうに悲しめないお母さんたち、ビラ読む眼がぬれてひかる」 山崎芳彦
 アメリカは、1945年8月6日、9日に広島、長崎に原子爆弾を投下し、歴史上初めての核兵器による無差別大量殺戮・破壊の戦争行為を行い、その惨禍はまさに反人間の極みというべき核被害を無差別に、被爆者にもたらした。その翌年1946年夏に「クロスロード作戦」なる核実験シリーズをマーシャル群島のビキニ環礁において行い、さらに1954年には同じビキニ環礁で水爆実験を含む核実験シリーズ「キャッスル作戦」を実施した。この1954年3月1日の水爆実験によって日本のマグロ漁船「第五福竜丸」が被災し、乗組員23人が大量に放出された放射性物質を含む「白い灰」を浴びた。同船の無線長・久保山愛吉さんは9月23日に東京大学附属病院で死亡した。「水爆犠牲者第一号」となったのだが、アメリカはそのことを認めてはいない。他の船員の健康被害も深刻なものだった。(2015/01/10)


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【核を詠う】(170) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』(2) 「被爆苦を超えんとしつつ吹雪くなか我の走れば並木も付き来」 山崎芳彦
 波汐さんの歌集『渚のピアノ』の刊行は2014年の短歌界にとって、やはり貴重な果実として評価された。様々な評言がある。東日本大震災・福島第一原発事故にかかわっての作品を、自らの歌人としての立ち位置を明確に定めて多くの作品を発表し続けている仙台市在住の歌人である佐藤通雅氏は、現代短歌新聞の5月号(平成26年)で、「福島に生きる人の歌」と題して、歌集の作品をひきながらの批評を書いている。波汐さんについての紹介もあるので引用させていただく。「波汐国芳は一九二五年にいわき市に生まれ、現在は福島市在住。もうじき九十歳に達しようとする今日まで、福島に根を下ろしてきた。そして思わざる原発事故に遭遇する。事故後のいわきの浜辺を歩いていて、半ば砂に埋もれているピアノに出会う。白い歯をむき出し、まだ息があるようにも思えたという。歌集の題はここからとった。」と、記したうえで、作品を上げながら多くのことを述べている。(2014/12/30)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(11) 「後の世にかかる兵器は使はざれ署名運動にわが名したたむ」 山崎芳彦
 井伏鱒二の小説『黒い雨』(新潮文庫、昭和53年版)を読んだ。これまでに何度か読んでいるが、歌集『廣島』を読んでいる中で読み直そうと思ったのだ。最近になって、川上郁子著『牧師の涙 あれから六十五年 老いた被爆者』(長崎文献社、2011年1月、第2刷)を読んだこともきっかけになった。また、集英社の刊行になる「コレクション戦争と文学」第19巻の『ヒロシマ・ナガサキ』(2011年6月、コレクションの第一回配本)に収録されている作品も読んでいる。歌集『廣島』を読んでいるさなかに総選挙があり、安倍政権の与党を“大勝”させる結果になり、それが有権者の52パーセントの投票率で、全有権者から見ればほぼ四分の一の得票によるものであったことを考えると、暗澹とするし、このまま安倍政権の専横を許すことになれば、かつてこの国が歩んだ「戦争の歴史」、人びとが塗炭の苦しみの中であえいだ時代への逆戻りの一里塚を踏むことになると恐れる。(2014/12/25)


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【核を詠う】(169) 波汐国芳歌集『渚のピアノ』の原子力詠を読む(1) 「汚染水天より降るを原発の事故の収束見えぬ長梅雨」 山崎芳彦
 今回から福島市在住の歌人である波汐国芳さんの第十三歌集『渚のピアノ』(いりの舎刊、平成26年3月発行)を読ませていただく。この連載の中で波汐さんの作品は、2011年3・11の東日本大震災・福島第一原発事故以後に刊行された歌集『姥貝の歌』(平成24年8月刊)で読み、また波汐さんが編集発行人である季刊歌誌「翔」(歌人グループ「翔の会」)の平成23年4月から26年2月までに刊行された12巻により同グループの歌人の方々の作品と共に読ませていただいた。その波汐さんが「この歌集は、現在における私の呼吸そのものである。」とする『渚のピアノ』を読みうることは、筆者にとっての喜びでもある。「批評の眼をもって時代を視、日常の生活の中から素材を見つけ、それを踏まえて前向きに詩的現実を創造してゆく中に己も起ちあげていくことを自分に課して来ました。それこそ、被災地福島の復興にもつながると信じる」(あとがき)と言う波汐さんの作品群だ。(2014/12/16)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(10) 「列島にひそかに降りつぐ原子灰にをののきつつ生くる日日をみじめに」 山崎芳彦
 歌集『廣島』を読み始めて10回目になるが、『廣島』の短歌作品は、原爆投下による悲惨の中で生き延びることを得た作者たちが、自らの過去の悲惨を語っているだけではなく、あのような惨禍がどのような政治の道筋の中で引き起こされたかをしっかりと認識することを、そのような歴史を再び繰り返すことのないよう訴えているのだと、筆者は読んでいる。そして、詠い、言い残す暇もなく一瞬のうちに殺された十数万の死者の無念をも読まなければならない歌集だと思っている。いま12月14日投票の総選挙戦の最終盤にさしかかっているが、メディアの調査によると、あろうことか現政権与党が議席の三分の二を超すことが予測されるという。現行選挙制度のもとでの議席数が、有権者の総意を反映しないことは明らかだが、この二年間の安倍政権の「政治」を承認し、さらに今後の政権運営、恐らくは許しがたい悪政のための「数の力」を与える結果を考えることは耐え難い。戦争する国への道だからだ。核武装をも危惧する。(2014/12/12)


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【核を詠う】(168) 小島恒久歌集『原子野』の原子力詠を読む(2) 「原爆祈念館の奥にひそまる死没者名簿わが名もやがて此処に記されむ」 山崎芳彦
 小島恒久さんの歌集『原子野』を前回に続いて読ませていただくが、今回で終る。この歌集は、2005年11月に上梓されたのだが、集中には「原子炉被曝」と題した原発にかかわっての作品5首がおさめられている。長崎の原爆被爆者である作者は、歌集名に示されるように原爆が投下された時の状況を短歌表現し、自らの被爆体験、被爆後遺症の苦難、そして被爆の半世紀後に癌を発症して原爆症認定を受けたことを作品にしている。原爆に被爆し、「生き残ったものの義務として、原爆について詠み継いでいく」という作者は、自らの体験をふまえて、ビキニの死の灰による第五福竜丸の被災、イラク戦争での劣化ウラン弾、そして原発についても詠っている。(2014/12/05)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(9) 「北支那の父は帰らず妹と原爆症の母をみとりぬ」 山崎芳彦
 歌集『廣島』を読んでいるのだが、そのさなか、九州電力の川内原発の再稼働に鹿児島県の伊藤祐一郎知事と県議会が同意したと報じられた。先に立地自治体の薩摩川内市が再稼働に同意していることから、安倍政府の原発稼働、他国への原発輸出促進政策の下、立地地域のみならず広範な周辺住民の不安と反対、さらに全国的な原子力社会からの脱却を望む人々の願いと意思を無視して、原発列島再稼働の突破口にされようとしていることに、広島、長崎への原爆投下によって殺された人びと、生き延びてもなお塗炭の苦しみを、今もなお苦しんでいる人々とともに、激しい怒りと、各地の原発再稼働を、おそらくこれから相次いで進める安倍政権とその同伴勢力を、権力の座から追放することへの決意と覚悟を新たにしなければならないと、強く思う。(2014/11/18)


文化
【核を詠う】(167) 小島恒久歌集『原子野』の原子力詠を読む(1) 「講義初めに被爆体験語ること慣ひとし来て四十年経ぬ」 山崎芳彦
 今回から小島恒久歌集『原子野』の原子力詠を読ませていただく。前回まで小島さんの第二歌集『晩祷』の作品を読んできたが、今回からの『原子野』は順序はさかのぼるが2005年1月に短歌新聞社から刊行された第一歌集である。作者が40年余にわたる長期の作歌の中断を経て再び作歌を再開した1996年以後の作品によって編まれたこの第一歌集について作者は、「歌集名は『原子野』とした。長崎での被爆体験は、その後の私の生き方の原点をなしたし、この歌集でも原子野をたび重ねて読んでいる。そうした私の鎮魂と平和への思いをこめて歌集名とした。」とあとがきに記している。(2014/11/10)


文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(8) 「八とせ経て原爆病があらはれてあはれや死にき新妻たか子」 山崎芳彦
 いま読んでいる歌集『廣島』が刊行された1954年に、角川書店の短歌総合月刊誌「短歌」10月号には、歌人5氏(岡野直七郎、山田あき、須賀是美、佐々木妙二、福戸国人)による座談会「原爆歌集『廣島』の意義」が掲載された。筆者は当該誌を読んでいないのだが、「短歌」2013年1月号の付録(「『短歌』創刊1954年ベストセレクション」)に上記座談会が復刻再録されているのを読むことができた。歌集『廣島』が出版されたのが1954年8月だから、その直後に企画されたのであろうと思うと歌集『廣島』の出版が当時の短歌界に大きな衝撃を与え、注目される出来事だったことがうかがえる。(2014/11/03)


核・原子力
原子力市民委員会が鹿児島県知事宛に「川内原発再稼働への同意の留保」を勧める声明を提出 山崎芳彦
 川内原発再稼働に向け推進側は予定のスケジュールを次々とこなしているかに見える。しかし、再稼働に伴う疑問、懸念は一向に払しょくされていない。そんな中、原子力市民委員会(吉岡斉座長、舩橋晴俊前座長の逝去に伴い、吉岡氏が座長に就任した。)が10月6日、伊藤祐一郎鹿児島県知事に宛、同委員会が9月30日に発表した「声明・原子力規制委員会が審査書を決定しても原発の安全性は保証されない」を提出するとともに、鹿児島県が九州電力川内原発1・2号機の再稼働への同意を留保するとともに、政府の要請があっても同意を留保するよう助言を行った。(2014/10/30)


文化
【核を詠う】(166) 小島恒久歌集『晩禱』の原子力詠を読む(3) 「若く被爆し原爆症病むわが終のつとめと叫ぶ『脱原発』を」 山崎芳彦
 小島恒久歌集『晩祷(ばんとう)』から原子力詠を読んできたが、今回が最後になる。向坂逸郎氏の志を継いで、経済学者・大学教授として、さらに社会運動、労働運動、平和運動などへの積極的な貢献を一貫して続けている作者の短歌作品は、多岐にわたる題材をとらえつつ、しかも深く勁い「志」につらぬかれた剛直にして素純なひびきを持っていると、筆者は読んでいる。作り物ではない確かな歌意とひびきは、「歌は人である」と考えている筆者にとって強い魅力をもつ短歌である。いわゆる、狭い意味での「歌壇」と呼ばれる世界の枠にとどまらない作品が、「アララギ」に拠って短歌の道を深めた作者によって詠いつづけられていることに、改めて多くのことを考えさせられてもいる。(2014/10/24)


文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(7) 「被爆せる事細細と記したる皮剥げし手帖我が秘めて持つ」 山崎芳彦
 『証言は消えない 広島の記録1』(中國新聞社編、未来社、1966年6月刊)を読み返している。同書は『炎の日から20年 広島の記録2』(同前),『ヒロシマの記録 年表・資料篇』とともに刊行された、中国新聞社ならではの優れたジャーナリズムの為し得た業績の一環であると、筆者は思っている。購入して半世紀を超えて筆者の書棚にこの三冊が並んでいる。この連載を始めてからしばしば助けを借りている。中國新聞社は原爆投下の爆心地から約900メートルの位置にあって、原爆によって従業員のほぼ三分の一にあたる114人の犠牲者を出し、本社は全焼したという。しかし、8月9日には代行印刷により新聞を発行した。9月に入ってから自社印刷を始め、同月11日から13日までの紙面で原子爆弾の威力、放射能の影響などを具体的に伝える「原子爆弾の解剖」と題する座談会(広島市を訪れ調査に取り組んでいた東大医学部の都築正男博士らによる)により、原爆報道を行った。同新聞社の広島・原爆報道は、今日も核兵器廃絶、戦争のない世界実現を目指すジャーナリズム活動として、見事に一貫していると思う。(2014/10/16)


文化
【核を詠う】(165) 小島恒久歌集『晩禱』の原子力詠を読む(2) 「かの夏浴びし放射能がわが身内にひそみ癌となり出づ六十年経て」 山崎芳彦
 今回も小島恒久歌集『晩祷(ばんとう)』(文中で歌集名の「とう」の表記を「祷」とさせていただくこと、お詫びしてお許しをお願いします。前回の文中で「文字化け」によりご迷惑をおかけしました。筆者)の原子力詠を読むが、同歌集に収録されている作品から、筆者としてどうしても抄出しておきたい作品に「水俣」、「原田正純氏逝く」と題する一連がある。言うまでもなく、この国の「公害」(大企業と国家権力、さらにその御用学者らによる犯罪というべきだろう)の歴史に深く刻印され、被害者とその家族を言葉に言い表しがたい様々な苦難と悲惨に陥れ、いまなお苦しめている水俣病にかかわって詠われた作品である。筆者が水俣病について関心を深めたのは、石牟礼道子さんの『苦海浄土 わが水俣病』(講談社、1969年刊)によってで、激しい衝撃を受けて、当時関係していたある雑誌に短い書評を書いたことを記憶している。(2014/10/11)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(6) 「傷一つなき友なれど放射能の悪気を吸ひてさみしく逝きぬ」 山崎芳彦
 1945年8月6日午前8時15分、B・29爆撃機エノラ・ゲイが広島市の中心部の相生橋を目標に投下したウラン原爆“リトルボーイ”が爆発した。原爆によって破壊され消滅するその時の様子をエノラ・ゲイの操縦士ポール・ティベッツは「巨大な紫色のキノコ雲がすでにわれわれの高度より約5000メートル高い1万3500メートルまで立ち上り、おどろおどろしい生き物のようにまだ湧き上がっていた。しかし、さらに凄まじかったのは眼下の光景だった。いたるところから炎が上がり、熱いタールが泡立つように煙がもくもく立ち上がった。」と語った。彼は、また別の機会に「ダンテが我々と一緒に機上にいたとしたら、彼は戦慄を覚えたことだろう。ほんの数分前に朝日を浴びてはっきりと見えた町が、いまはぼんやりとした醜い染みにしか見えないのだ。町はこのおそるべき煙と炎の下に消滅してしまっていた。」とも語った。(『オリバー・ストーンが語るもうひとつのアメリカ史』、早川書房刊)(2014/10/02)


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【核を詠う】(164) 小島恒久歌集『晩禱』の原子力詠を読む(1) 「己れのみか子らのうけつぐ遺伝子にも怯えて生くる被爆者われらか」 山崎芳彦
 今回から福岡市在住の小島恒久氏の歌集『晩禱(ばんとう)』(現代短歌社、2014年1月20日刊)から原子力詠を読ませていただく。著者の小島氏は、九州大学名誉教授であり、経済学者、社会運動家としての活躍によって著名だが、アララギ派の歌人として、自らの長崎での原爆被爆体験をはじめ、鋭い視点から社会・歴史・国際問題・平和などにかかわる短歌作品を詠みつづけている。歌集『晩禱』は、2005年に刊行した第一歌集『原子野』(短歌新聞社刊)に続く第二歌集であるが、筆者が8月の毎日新聞で同歌集を知った時には、出版社にも在庫がなく、未知の小島さんに直接電話をし「ぜひ読ませていただきたい」とお願いをしたところ、快諾いただき、励ましの言葉までいただいた。さっそくご恵送いただいて、作品を読みながら幅広く多彩なテーマを短歌表現された、88歳の現在に至る生き方を映している603首に感銘を受けている。(2014/09/26)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(5) 「眼醒むれば恐れつつ診る我が肌に斑点未だなし勤めに出づる」 山崎芳彦
 今読み続けている歌集『廣島』に収録されている作品は原爆被爆後9年を経た時点で一般公募により寄せられた6500首の中から選歌された1753首なのだが、被爆直後の体験をそのままに詠った作品が多く、また生き残っての苦難の生活、原爆に対する怒り、さらに将来への不安や、平和への願い、ビキニ環礁における米国の水爆実験による漁民の被曝問題などについても、作者にとって終わりのない「原爆被爆体験」、生き残った被爆者の思いを、隠すことなく写し、短歌表現している。この歌集が世に出るまでの9年間、原爆の真実は、米軍占領統治下にあって、厳しいプレスコードに抑え込まれた期間もあり、被爆者の実相は明らかにされず、したがって被爆者医療も困難を極め、国の対策も貧困な状況が続いた。(2014/09/18)


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【核を詠う】(163) 本田信道『歌ノート 筑紫から』の原子力詠を読む(3) 「フクシマを思ふ歌詠め、浅はかに足のとどかぬ淵に入るとも」 山崎芳彦
 本田信道『歌ノート 筑紫から』の原子力詠を読んできて、今回が最後になる。作者は九州・筑紫の地に在って東日本大震災・福島原発事故の被災地に深く思いを寄せ続け、詠い続けている。「過去形に放るなかれ原発のメルトダウン三基とはに見据えよ」、「フクシマを思ふ歌詠め、浅はかに足のとどかぬ淵に入るとも」、「フクシマを思ふ歌あれ、当事者のまことに迫る思ひの丈の」。福島を思い、原発について真剣に考えることは、離れた地に住んでいても、実は自身のこと、そしてこの国の現実とそこに生きる人々のことを思い、詠うことでもあると筆者は心打たれている。(2014/09/12)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(4) 「声涼しくアリランの唄歌ひたる朝鮮乙女間もなく死にたり」 山崎芳彦
 「およそ戦争という国の存亡をかけての非常事態のもとにおいては、国民がその生命・身体・財産等について、その戦争によって何らかの犠牲を余儀なくされたとしても、それは、国をあげての戦争による『一般の犠牲』として、すべての国民がひとしく受忍しなければならないところであって、政治論として、国の戦争責任等を云々するのはともかく、法律論として、戦闘、講和というような、いわゆる政治行為(統治行為)について、国の不法行為責任など法律上の責任を追及し、その法律的救済を求める途は開かれていないというほかはない。」(「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」、原爆被爆者対策基本問題懇談会意見報告、昭和55年12月11日)―この「原爆犠牲受忍」論は、広島・長崎の原爆被害者対策だけではなく、この国の戦争犠牲者対策に一貫している政策の論理である。(2014/09/06)


文化
【核を詠う】(162) 本田信道『歌ノート 筑紫から』の原子力詠を読む(2) 「被爆地と被曝地帯とある国の原発存続、どこまで論じた」 山崎芳彦
8月17日の朝日新聞に政府広報(復興庁、内閣官房、外務省、環境省)の全面広告「放射線についての正しい知識を」なるものが掲載された。政府広報だから、他紙にも一斉に展開されているのだろうと思ったが、確かめていない。それは、「今月3日、政府は福島県より避難されている方々を対象に、放射線に関する勉強会を開催し、放射線に関する様々な科学的データや放射線による健康影響などについて専門家からご講演をいただきました。」その内容の一部(だろう)が、「放射線を恐れるな」、「福島原発事故による放射線被曝は危なくない」キャンペーンであった。政府公認・御用達の放射線に関する「専門家・有識者」グループの一員としておなじみの中川恵一・東京大学医学部付属病院放射線科准教授と、レティ・キース・チェム国際原子力機関(IAEA)保健部長(当時)がCMタレントである。(2014/08/25)


文化
【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(3) 「水を欲る切なる願ひにそひかねつみとりする夜がまだ明けやらぬ」 山崎芳彦
 歌集『廣島』の作品を読みながら、『日本原爆詩集』(太平出版社刊、1970年)をも時折開いて読んでいるのだが、それぞれを読んでいて、かつて読んだ濱谷正晴氏(一橋大学大学院教授・当時)の講演記録「原爆体験〜原爆が人間にもたらしたもの〜」(2009年9月19日、原爆体験聞き書き行動実行委員会)を思い起こした。プリントしておいたつづりを探し出して、その中の「証言分析1.“これが人間か?!”」の項を読みながら、いま読んでいる短歌、詩がいかに、筆者が実際には知らない原爆投下による悲惨の実態を写しているか、明らかにしているかを痛感し、その表現の持つつよい力について思った。原爆に関わる歌集、詩集、あるいは様々なジャンルの芸術作品が大切に残され、多くの人々によって読まれ、目に触れることは、核兵器、核エネルギーについての危険な論理による政策が陰に陽に、政府権力とその同調者によって進められている今、大きな意味を持つと考える。(2014/08/19)


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【核を詠う】(161) 本田信道『歌ノート 筑紫から』の原子力詠を読む(1) 「壊れたる原発そこに在りつづく 爆発完了継続被曝進行形」 山崎芳彦
 今回から福岡県に在住の歌人、本田信道氏の『歌ノート 筑紫から』(いりの舎刊、平成26年6月14日)から原子力詠を読ませていただく。約40頁の冊子には、作者が平成23年3月から26年3月の間に作歌した短歌253首と長歌8首が収録されていて、その多くが東日本大震災、福島第一原発事故をテーマにした作品である。九州・福岡の地に在ってこれ程の作品を東日本大震災・福島原発事故にかかわって詠われた歌人の存在を知って、そしてその作品群を読んで筆者は感動と作者への敬意の念を、深い共感の思いとともに覚えている。お願いをして、この連載の中で、筆者が原発・原子力詠として読んだ作品に限らざるを得ないが、記録し、少しでも多くの人に伝えさせていただく。(2014/08/16)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』を読む(2) 「一瞬の放射能深くをさなごの五臓おかせしを八年後に知る」 山崎芳彦
 日本軍国主義の侵略戦争とアメリカ政府の許されない戦争犯罪が惹き起こした広島、長崎への原爆投下によって未曽有の惨禍がもたらされた日から69年、6日には広島で平和祈念式典が,9日には長崎で平和祈念式典が開催された。筆者はテレビで両式典を視聴したのだが、この二つの式典の来賓席に座り、また挨拶を述べた安倍晋三首相の存在に深い違和感を覚え、また安倍首相自身がその席に身を置くことへの不快感に苛立っている心情を感じた。特に、長崎の式典で田上長崎市長が平和宣言で集団的自衛権の行使容認閣議決定に言及し「平和の原点が揺らいでいるのではないかという不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれている。」と述べた時の眼の動き。(2014/08/10)


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【核を詠う】(特別篇) 歌集『廣島』(歌集『廣島』編集委員会編)を読む(1)  山崎芳彦
 八月を迎ふる暦いちまいを繰る吾が指にこころ宿るも  山崎芳彦。今年2月に、求めていた歌集『廣島』の初版の一冊を手にすることが出来た。新宿・早稲田のある古書店に、その一冊は古色蒼然とした、危うい姿でひっそりとあった。粗雑に扱えば表紙も、中の頁も剥がれてしまいそうな状態のその一冊は、しかしこの国の歴史にとって貴重な歌集、世界で初めて原爆の投下による被害を身をもって体験し、少なくとも9年後までは生き延びた人々が、その言いようもなく理不尽な苦難、痛苦の日々のなかにあって、その生の真実を短歌表現した作品を集成した歌集である。(2014/08/06)


文化
【核を詠う】(160) 吉田信雄歌集『故郷喪失』から原子力詠を読む(2) 「原発の地に命あり竹ふたつ物置の屋根を突き抜けて伸ぶ」 山崎芳彦
 福島第一原発事故で故郷を追われ、会津若松市にて避難生活を余儀なくされている福島県県大熊町の歌人吉田信雄さんの歌集『故郷喪失』の作品を抄出させていただき、今回で終わる。読みながらその望郷の思い、抽象的でも観念的でもない人間の生活の具体、実態の貴重さを、短歌作品として表出されていることに感じるものがあればあるほど、原発の持つ反人間的本質、人間と共存できない原子力エネルギー利用社会からの脱出、脱原発社会の構築を希求する思いが強まる。それに対して、理不尽な政治、経済的な思惑と「利益至上主義」で、事故が引き起こす底しれない災厄を経験しながらなお原発維持・再稼働ばかりでなく海外への輸出商材としてこの国の首相がトップセールスに走り回っている事態には、言う言葉もないほどの怒りを禁じえない。(2014/08/01)


文化
平和への思いを詠う短歌コンクール「八月の歌」(朝日新聞社主催・岐阜県高山市共催)の入選・奨励賞作品決まる 山崎芳彦
 平和への願いを詠む短歌コンクール(朝日新聞社主催、岐阜県高山市共催、高山市教育委員会後援)の入選作品10首と奨励賞受賞作品が決まった。このコンクールは、今年が6回目で、一般の部には海外三カ国からの14人を含め1162首が、また中学・高校の部には2008首の応募作品が寄せられた。フランスで平和活動に取り組んでいる歌人、美帆シボさんが選考して入選10首(一般、中学高校の部各5首)と奨励賞作品(一般15首、中学・高校の部24首)が決まった。表彰式と「平和を考える座談会」が8月2日に高山市で開かれる。(2014/07/31)


文化
【核を詠う】(159) 吉田信雄歌集『故郷喪失』から原子力詠を読む(1) 「二十年は帰れぬと言ふに百歳の母は家への荷をまとめおく」 山崎芳彦
 今回から吉田信雄さんの第一歌集である『故郷喪失』(現代短歌社刊、平成26年4月)から原子力にかかわって詠われた作品を読ませていただくのだが、歌集名が示すように原発事故によって故郷を追われた作者の歌集である。吉田さんは、福島県・大熊町に生まれ、在住していたが福島第一原発の事故で現在は会津若松市に避難して生活している。その吉田さんの避難生活の中での作品が多く収録されているのだから、その生活の中で生み出された短歌作品のどれを読んでも原発事故と結びついていて、改めて「原子力詠」と括って読み、作品を抄出することが躊躇われるというのが、筆者の率直な思いである。この歌集には、「故佐藤祐禎さんに捧ぐ」と記され、「あとがき」に吉田さんは「私を短歌の道に引き入れてくれた、そして無念にも昨年避難地いわきにおいて他界された故佐藤祐禎さんに、また歌の題材として多く登場する私の長命の両親にこの歌集を捧げたい。」と書いている。(2014/07/24)


核・原子力
原子力市民委員会の「川内原発再稼働を無期凍結すべきである」見解 −原発ゼロ社会を希求する市民に対して行動を呼びかける− 山崎芳彦
 『原発ゼロ社会への道―市民が作る脱原子力政策大綱』(2014年4月発表)を提言し、脱原発社会の構築を目指して政策提言を行う市民シンクタンクとして活動を続けている「原子力市民委員会」(座長・舩橋晴俊法政大学教授)は、原子力規制委員会が九州電力川内原発の新規制基準適合性審査で「合格」の判断を示す審査書案を提示する見通しが明らかな状況になったことから、7月9日に都内で記者会見を開いて川内原発の再稼働の無期凍結を求める見解を発表した。さらに、同14日には鹿児島県に対しても提言書を出した。(2014/07/22)


核・原子力
原子力規制委の「川内原発・規制基準適合」に抗議する共同声明を7市民団体が発表 山崎芳彦
 「安全とは言わないし、再稼働の判断にはかかわらない」(田中俊一原子力規制委員会委員長)と言いながらが、実質的に九州電力の川内原発1、2号機の再稼働にゴーサインとなる「新規制基準に適合する」とする審査書案を示した原子力規制委員会に対して、「原子力規制を監視する市民の会」など鹿児島・佐賀・関西・首都圏の7市民団体が抗議と審査書案撤回を求める共同声明を発表した。(2014/07/20)


文化
【核を詠う】(158) 『朝日歌壇2013年1〜12月』から原子力詠を読む(3) 「『東京は安全です』と言われれば区別の助詞の『は』がひっかかる」 山崎芳彦
 今回で『朝日歌壇2013年1〜12月』から読む原子力詠の最後になる。多くの人が原子力、特に原発事故に関わる短歌作品を詠み、朝日歌壇に投稿していて、選者によって採られて掲載されている作品の背景には相当な数の作品があることを思いながら読んでいる。筆者の感想を一つだけ記すが、いまこの国の全国各地に原発があり、その再稼働問題がかなり差し迫った状況にある中で、それぞれ原発が立地している地域(狭い範囲ではなく)に生活されている人々の中から、多くの短歌作品や、それだけでなく詩や俳句などの文学作品が生まれ続けてほしい、それが積極的に新聞媒体をはじめ、中央、地方の歌壇世界などの中で広められることがもっとこれから続けられてほしいということである。福島原発事故以前から、その危険性、事故の避けられない発生を警告する作品が、福島をはじめ原発立地周辺の歌人、詩人によって発表されていたことを、筆者は3・11後になって知ったのであった。筆者の不勉強、感性の鈍さ。(2014/07/18)


文化
【核を詠う】(157) 『朝日歌壇2013年1〜12月』から原子力詠を読む(2) 「原発を笑みもてセールスせし首相この国どこへ導くならむ」 山崎芳彦
 前回に引き続いて『朝日歌壇2013〜12月』から原子力詠の5〜8月の作品を読ませていただく。その前に安倍内閣が7月1日に閣議決定した「集団的自衛権の行使」と称する、この国の憲法が明確に否定する戦争・武力行使を、「憲法解釈」によって正当化する暴挙を行い、これまですでに進めて来た特定秘密保護法の制定や、武器輸出三原則を「防衛装備移転三原則」に変更したこと(防衛装備の海外移転、高性能化、国際共同開発・生産の推進などを内容とする)その他様々な準備を行ってきたのに加え、さらに閣議決定を踏まえて、たとえば安倍首相のオーストラリア訪問による防衛装備の協定調印や同盟関係形成への踏み込みなどに見られる極めて危険な動きがあるなかで、7月6日付朝日新聞の「朝日歌壇」に選者によって採られたいくつかの作品を読んでおきたい。(2014/07/08)


文化
【核を詠う】(156) 『朝日歌壇』(2013年1〜12月)から原子力詠を読む(1) 「悲しみのつづきにかなしみのフクシマありふるさとに降るきさらぎの雪」 山崎芳彦
 今回から『朝日歌壇2013 1〜12月』(朝日新聞出版刊 2014年4月)から原子力にかかわって詠われた作品(筆者の読みによる)を読みたい。これは、朝日新聞の毎月曜日(新聞休刊日にあたる場合は前日の日曜日)の朝日歌壇欄に掲載された2013年1〜12月の全作品をを収録した一巻である。朝日新聞の歌壇欄は明治43年に始まる長い歴史を持ち、多くの短歌愛好者の投稿作品から選者により選ばれた入選作品が掲載されるものであることは知られているが、かなり膨大な投稿作品の中から選者(現在は、馬場あき子、佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の4氏)が各10首(共選あり)の入選作品を選ぶのだから、投稿作品の多さからみると、ごく限られた一部が「狭き門」を通って掲載されることになる。(2014/06/24)


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【核を詠う】(155) 山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力詠を読む(5) 「日本の地軸揺れ来しこの後の行方を問わんいかなる国へ」 山崎芳彦
 山本司さんの歌集『揺れいる地軸』から原子力にかかわる作品、と作者が読んだ短歌を読ませていただいてきたが、今回で終わる。この歌集の「あとがき」で山本さんは東日本大震災、福島第一原発事故に向き合って、「歌人としては徹底してこれらの事態の今後の推移を作歌すべきだと思いが至り、この歌集の刊行を得た」と記したが、2011年3月11日から一年間で実に2590首を詠み、その後も精力的に詠み続けた果実から、この歌集に719首を収められたという。筆者も拙く歌う者の一人であるが、山本さんの作歌への情熱的な取り組みに敬意を深くした。日々、たゆまず、思いを凝らし、社会の動きをとらえ、作品化し続けている山本さんは、今日も歌っておられることだろうと思いながら、この連載に歌集から抄出掲載させていただいた。お礼を申し上げたい。(2014/06/17)


文化
【核を詠う】(154) 山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力詠を読む(4) 「首都圏の子らの身体に異変起きぬ被曝との関わり明かすすべなく」 山崎芳彦
 今回も山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力詠を読み続けるのだが、前回、作品を読む前に福井地裁の大飯原発3、4号機運転差し止め命令判決について、筆者が感銘を受けた内容を記したものの判決要旨の前半部分にとどまったので、今回も続けることをお許しいただきたい。多くの方が判決内容を読まれていると思うのだが、筆者としてもこの歴史的・画期的な判決内容について、あえて記しておきたい。(2014/06/10)


文化
【核を詠う】(153) 山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力を詠む(3) 「地図上に“原子力村”は見当たらずストロンチウムのごとく浮遊せる」 山崎芳彦
 前回から、筆者の事情で間をあけすぎてしまったことをお詫びし、今回も引き続き山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力詠を読ませていただく。いま、この国で原子力・原発にかかわっての動きは極めて重要な局面にあると言わなければならないと思いながら、短歌作品を読んでいる。(2014/06/01)


文化
【核を詠う】(152) 山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力詠を読む(2) 「原発の作業員死せり原因は不明と発表 未だに変わらず」 山崎芳彦
 前回に引き続いて山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力にかかわる作品を読み続けるのだが、歌集に収録された山本さんの作品は、東日本大震災の大地震・津波による被害の深刻さや、あるいは政治、経済、社会の動向、さらには世界的視野での動き、その他多方面にわたり、その作品群をもって編むことによって「揺れいる地軸」を掘り下げ捉えようとする意図があるのが特徴だと思えば、原子力詠に限定しての作品抄出は、作者の意に合わないだろうことを考えながら、あえてこの連載の意図によって読ませていただくことをお許し願いたい。(2014/05/03)


文化
【核を詠う】(151) 山本司歌集『揺れいる地軸』から原子力詠を読む(1) 「原子炉の溶融なりしとぞ政・財・官の癒着のごとく」 山崎芳彦
 今回から山本司歌集『揺れいる地軸』の原子力に関わる作品を読ませていただく。北海道在住のこの歌人について筆者は、社会問題について積極的に詠い続けている歌人という印象をもっていたが、必ずしも多くの作品を読んできたとはいえない。「新日本歌人」全国幹事・選者としての活躍について、そのことを知る人から山本さんについて聞き知っていたのだが真摯な人柄、積極的な作歌姿勢の歌人との評価である。同人誌「炎(ほむら)」、「歌群」の代表でもある。 歌集『揺れいる地軸』(角川学芸出版、2014年2月発行)はその歌集名からもうかがわれるように、2011年の3・11東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故を基調のテーマにし、さらにその基底にある時代、政治、社会、世界の動向などをもとらえ、記録した山本さんの短歌作品の集成であるといえよう。(2014/04/24)


核・原子力
函館市が国、電源開発(株)を相手に「大間原発建設差し止め」訴訟、「世界初のフルモックス原子炉、過酷事故による壊滅的打撃」など指摘  山崎芳彦
 北海道函館市(工藤壽樹市長)は去る4月3日に、国とJパワー(電源開発株式会社)を相手に青森県大間町で建設が進む大間原発の建設差し止めを求めて、東京地裁に提訴したが、地方自治体としては初めての原発建設差し止め訴訟であり、この提訴を支持する声が強まっている。なお、函館市議会は去る3月26日にこの訴訟の可否を問う議事を全会一致で可決している。政府がエネルギー基本計画を閣議決定し、原発の再稼働、新増設、核燃サイクルの推進などを打ち出している中で、函館市による大間原発建設差し止め訴訟は大きな意義を持つ。(2014/04/19)


文化
【核を詠う】(150) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(7) 「ああ原発 人の脳もぽろぽろと事故の風化が進みゐるらし」 山崎芳彦
 福島の歌人グループ(翔の会)による季刊歌誌『翔』(編集・発行人・波汐國芳)の第35号(平成23年4月発行)から読み始め、今回は第45号、第46号(平成26年2月発行)を読ませていただくが、2013年3・11の東日本大震災・福島第1原発の壊滅事故発生直後から今日に至るまでの期間に「翔の会」に参加する福島の歌人たちが詠い続けてきた作品から、原子力詠を抄出してきたことになる。「翔の会」の諸氏のご好意によるものであり、筆者の力不足から意に添わないことも少なからずあったことと、感謝しつつお詫びもしなければならない。今回で、この一連は一応の区切りとし、今後発行されていく『翔』をまた読ませていただく機会を待ちたい。「翔の会」に拠り、福島の地にあって作品を発表し続ける皆さんの歌人魂により、なお続くであろう厳しい日々のなかで紡がれる作品の真実と、皆さんのご健勝を願う思いは切である。(2014/04/17)


核・原子力
「原発ゼロ社会への道―市民がつくる脱原子力政策大綱」を原子力市民委員会が発表、脱原発社会への政策ビジョンを提示 山崎芳彦
 原子力市民委員会(舩橋晴俊座長)が4月12日、脱原発のための法制や政治体制の整備を通じて原発ゼロ社会への道を進むための「脱原子力政策大綱」を発表した。昨年4月に発足した同委員会は、中間報告「原発ゼロ社会への道‐新しい公論形成のための中間報告」を昨年10月に発表し、多くの市民、原発立地地域住民、専門家、地方自治体関係者、政治家をはじめ各方面からの意見を求めると共に、全国各地で16回に及ぶ意見交換会や、講演会、シンポジュウムなどを開催し、政策大綱の作成に取り組んできた。さらに、原発再稼動の凍結、汚染水対策、原発ゼロ社会の実現を目指し民意を反映した新しいエネルギー基本計画の策定、秘密保護法可決などに関する緊急提言や声明を発表するなど、積極的に政治、社会に対する発言を行ってきた。(2014/04/14)


文化
【核を詠う】(149) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(6) 「原発の炉心の光見えざれば何年かかる故郷への道」 山崎芳彦
 『翔』第44号の短歌作品を読みながら、福島第一原発の壊滅事故による核放射能の排出、拡大、人の暮らす場所のみならずあらゆる場所、自然環境を汚染し続けていることについて、その底知れない危険を感じつつ、日々を生きる人間、かかわりあう自然のさまざま、過去も現在も未来をも受け止めて詠われていることに、筆者は詠うものの一人として共感と敬意を感じないではいられない。同時に、原発・原子力に関するこの国の政治、経済、社会、人々のありようについて多くのことを考えさせられ、自分を省みさせられることに、短歌文学の持つ意味についても思うことが少なくない。(2014/04/08)


文化
【核を詠う】(148) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(5) 「原発に真向ひ生き来し友なるを歌集一冊『青白き光』」 山崎芳彦
 福島の歌人による同人歌誌『翔』(季刊)を読んできているが、今回は第42号(平成25年1月26日発行)、第43号(同4月27日発行)の作品から原子力詠を読ませていただく。同誌の作品はもとより原子力にかかわる短歌に限定して収録しているわけではなく、それぞれの歌人が個性のある多彩な作品を寄せている。しかし、この連載で詠み始めた第35号(平成23年4月発行)以後、東日本大震災・福島原発壊滅事故に関わっての作品が大きなウェイトを占めているのは、地震・津波の被災と、さらに深刻極まりない原発事故が解決、収束の見通しがなく続いているなかで、福島の地に生き、生活し、思い、日々を過ごしながら詠い続けているのだから、それぞれ置かれている立場や生活の場、家族や地域の現実が異なりはしても、当然であろう。(2014/03/28)


文化
【核を詠う】(147) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(4) 「覚醒せよ覚醒せよといふ声す原発事故の深き闇より」 山崎芳彦
 今回も歌誌『翔』の作品を読む。同誌の第40号(平成24年7月29日発行)、第41号(平成24年12月1日発行)を読むのだが、東日本大震災・福島原発壊滅事故から満1年余が経過した時期の発行だが、地震・津波による被災、原発事故による被災が複合・加重しあって、同誌を刊行する福島の歌人たちは大きな苦難が続いているなかで短歌作品を詠い続けていた。(2014/03/21)


文化
【核を詠う】(146) 福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(3) 「野も山も放射能汚染にさらされて逃げゆく所もう無き吾等」 山崎芳彦
 今回は歌誌『翔』の第39号(平成24年4月29日発行)から原発詠を読むが、東日本大震災・福島原発壊滅事故から1年余を経た時点の発行であり、原発事故、放射能汚染に関わって詠われた作品が数多く掲載されている。まさに原発事故の収束の見通しは無く、放射能禍の中にあって生き、生活し、さまざまなことを考え、感受しつつ「翔の会」の歌人たちは詠い続けたことが示されている。(2014/03/16)


文化
【核を詠う】(145)福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(2) 「原発の火葬を思ひ原子炉の建屋の残骸箸もてつまむ」 山崎芳彦
 2014年3月11日の今日、筆者はパソコンの前に座って本稿を書いている。あの日、2011年3月11日にもこの場所にいて、突然の地震の、かつて経験の無い衝撃に驚き、あわててパソコンを切り、その間にも激しくなる揺れに尋常でない事態を考え、必須と思われるものをバッグに詰め、厚手の上着を身につけ、ポケットに詰められるだけの食品を入れ、ペットボトルの水を持って、家を出た。茨城県南部の農村部のわが家は周辺が水田であり、家の近くの農道に、立っているのも難しいほどの揺れのため、座り込んで一人家を見ていた。しばらくすると、家の屋根のぐしの辺りが崩れ始め、屋根の上を瓦が転がり落ちだすのが見えた。(2014/03/12)


文化
【核を詠う】(144)福島の歌人グループの歌誌『翔』から原子力詠を読む(1) 「原発の差し止め訴訟起こししがブラックリストにのりたるわれら」 山崎芳彦
 今回から、福島市をはじめ同県内にに在住する歌人集団の「翔の会」が季刊で発行し続けている歌誌『翔』の第35号(平成23年4月24日発行)〜第46号(平成26年2月1日発行)、つまり平成23年の3・11以後、現在までに発行された号から、原発、原子力に関わって詠われた(筆者の読みによる)作品を読ませていただく。(同誌編集発行人の波汐國芳さんにお願いし快くお送りいただいた。「謹呈」とあった。深く感謝の思いの中にある。)(2014/03/08)


核・原子力
政府・原子力規制委が原発再稼動の条件とする「世界一厳しい規制基準」の嘘―原子力市民委員会が厳しく指摘 山崎芳彦
 原発再稼働推進、新増設もすすめることを方針とするエネルギー基本計画が3月に閣議決定される。原発再稼働を目指して、新規制基準の適合審査申請が各電力会社から目白押し(玄海3・4号、川内1・2号、伊方3号、大飯3・4号、高浜3・4号,止まり1・2・3号、柏崎刈羽6・7号、島根1・2号、女川1号 2014年1月末現在)で、この夏にも稼働を目指しているという異常、異様さである。(2014/03/01)


文化
【核を詠う】(143)『角川短歌年鑑』の「作品点描」(平成24〜26年)から原子力詠を読む(3)「原発なき未来を語る人のをりグラスの氷ゆびでつつきて」 山崎芳彦
 「角川短歌年鑑」の直近3年(平成24〜26年版)に収載の「作品点描」に取り上げられた原子力詠を読んできて今回が最後になるが、主として平成23年の3・11福島第一原発の壊滅事故によって引き起こされた災害にかかわって、福島はもとより全国の歌人、詠う人々が、さまざまな視点から詠った作品の、おそらくは極めて限られた一部を読ませていただいたことになる。3・11から3年、東北の被災からの復興は人々の苦しみから考えれば道遠しと言うべき状況であり、とりわけ福島第一原発事故による災害は、事故収束への見通しが立たないまま10数万人の人々が避難生活を強いられ、原発立地周辺地域の一部は核放射能の脅威により人が生活し、共同体を形成し、人間の歴史をつないでいくことができない「異界」にされようとしている。(2014/02/25)


文化
【核を詠う】(142)『角川短歌年鑑』の「作品点描」(平成24〜26年)から原子力詠を読む(2)「内部被曝の世代といふが現れむ団塊の世代の死に絶えし頃に」 山崎芳彦
 福島市在住の歌人・波汐國芳さんの短歌作品「活断層覚む」十五首が「うた新聞」2月号(いりの舎発行の月刊短歌総合紙)の一面の「今月の巻頭作家」欄に掲載されているのを読みながら、1925年生まれ、歌歴70年におよぶ波汐さんの意欲的な、詩精神ゆたかな原発詠に心うたれた。そのうちの5首を記したい。(2014/02/14)


文化
【核を詠う】(141)『角川短歌年鑑』(平成24〜26年)の「作品点描」から原子力詠を読む(1) 山崎芳彦
 「角川短歌年鑑」は、毎回「作品点描」にかなりの頁を割いて、その年の総合短歌誌、結社誌などに掲載された作品から、歌人が作品と作者を「点描」する企画を続けている。「点描」を書く歌人が選ぶ歌人とその作品についての評言、作品の読みなど、それぞれ個性や視点の据え方は当然区々であり、面白い企画だと読んでいる。今回から、その「作品点描」が取り上げた原子力詠を、平成24〜26年版の3年分を読みたい。(2014/02/07)


核・原子力
「脱原発・原発ゼロ」こそが都知事選の最重要争点―人類史的な課題に関わる選択 「100000年後の安全」を観て再確認した 山崎芳彦
 アップリンクの無料ネット配信により「100000年後の安全」を観て、改めて脱原発・原発ゼロへの大きな一歩を確実に、具体的に踏み出すことは、この原発列島が再び稼働することによって全人類的、地球的な破綻への道を進むという犯罪行為を食い止めるために、いまを生きる私たちの大きな責務であることを痛感した。多くの人々に「100000年後の安全」を観て欲しいと思い、友人知人に呼びかけている。アップリンクの無料ネット配信に敬意を表したい。都知事選挙の投票日まで無料配信が続けられることは、本当に意味深いことである。(2014/01/31)


文化
【核を詠う】(140)『角川短歌年鑑平成26年版』の「自選作品集」から原子力詠を読む(2)「阿武隈川くねり流るる流域の中通りとぞ苦しむ大地」 山崎芳彦
 前回に続いて『角川短歌年鑑平成26年版』に所収の「平成25年度自選作品集675名」から、原子力にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を読ませていただく。角川短歌年鑑の自選作品集を読み始めたのは、平成23年度から数えて3回目になるが、自選作品集(作者各5首)のなかから原発詠として読み、抄出させていただいた作者と作品の数は、平成23年度が107人、208首(自選作品集全体は688人、3440首)、24年度が73人、138首(全体679人、3395首)、25年度が53人、109首(全体675人、3375首)であった。筆者の読みによるものであるし、作者各5首に限定して自選された作品集なのだから、この3年間の数字によってなにごとかを推論したり、原子力を詠う短歌についての傾向を考えるベースにするつもりはない。『角川短歌年鑑』の「自選作品集」の3年間の「推移」をあげたに過ぎない。(2014/01/30)


文化
【核を詠う】(139)『角川短歌年鑑平成26年版』の「自選作品集」から原子力詠を読む(1)「この国に人の住めざる地は増えむ 遠く松木村、今、原発に」 山崎芳彦
 角川学芸出版編集による「角川短歌年鑑平成26年版」(平成25年12月、株式会社KADОKAWA発行)は、2013年の短歌界をさまざまな視点から総括する評論、座談会、作品の収載、さらに短歌界に関わる各種資料などを編んで、貴重な年鑑である。毎年、このような企画が続けられていることは、短歌文学についての歴史的な資料的価値とともに、短歌界、歌人が当面している課題や問題点を一年を区切りにして提起するという大切な役割を果たしているというべきだろう。この連載では前回まで短歌研究社の「短歌研究2014年版短歌年鑑」を読んだが、それにつづいて角川の「短歌年鑑」から、この連載、「核を詠う」短歌作品の収集と記録、という立場から読ませていただくことになる。「核を詠う」短歌作品ということで読んでいるのだが、筆者の読み、受け止めによってのものであるので、作者の作歌意図にそぐわない場合もあると思う。筆者が責めを負うしかないがご寛容をお願いする。(2014/01/23)


文化
「おれは帰らなければならない」・・・ 望郷の悲しみと祈りを詩う浪江町の詩人・根本昌幸詩集『荒野に立ちて―わが浪江町』を読む 山崎芳彦
 福島県浪江町に生まれ育ち、暮らし続け、あの3・11以後、避難を余儀なくされ、いまは相馬市に住み、詩を書き続けている根本昌幸さんの詩集がこのほど刊行された。『荒野(あらの)に立ちて―わが浪江町』(コールサック社刊、定価1500円+税)である。東日本大震災、あの巨大地震と津波による被災に加えて、東京電力福島第一原発の壊滅事故によって恐るべき核災に襲われた原発立地地域の浪江町を故郷とし、理不尽にもその故郷を追われた詩人が、あの3・11以後に書き記した作品によって編まれた望郷の深い祈りと願いがこもった詩集である。(2014/01/13)


文化
【核を詠う】(138)『短歌研究2014年版短歌年鑑』の年刊歌集から原子力詠を読む(3) 「原発の事故責任を問はぬまま我慢を強ふる『絆』と言ひて」 山崎芳彦
 朝日新聞1月6日(月)付朝刊の「朝日歌壇」は、今年に入っての初回になるが、選者4氏が採った作品を読み、少し驚いた。いや、驚くことはないのだろう。短歌を詠む人々がいま深い関心を持ち作品化しないではいられない題材として、特定秘密保護法、福島原発事故を巡る現状があり、多くの作品が出詠され、選者も採るべき作品として選んだということであるのだろう。(2014/01/12)


文化
【核を詠う】(137) 『短歌研究2014年版短歌年鑑』の年刊歌集から 原子力 詠を読む(2) 「憎まれて拒まれてまた除かるる吾らの土地よ陽炎の立つ」 山崎芳彦
 福島県いわき市在住の歌人、高木佳子さんが「うた新聞」(いりの舎発行)の一月号の特集「新春発言」において「坑内のカナリアとして」と題して、相当に刺激的で重要な問題提起をしているのを読んだ。高木さんは2011年3・11の東日本大震災・福島第一原発の壊滅的事故の被災をしたのだが、お子さんを含む家族が厳しい環境のなか、いわき市にとどまって生活し、同地から短歌作品はもとより、多くの短歌誌紙への評論やルポルタージュの発表、さまざまな会合に参加しての発言、個人歌誌の発行、インターネットブログでの報告など、積極的に発信をしている。地域に根ざしての行動も行っている。(2014/01/07)


コラム
靖国参拝の蛮行を安倍政権凋落への一里塚に、主権者の怒りの結集を 山崎芳彦
一日(ひとひ)過ぎ一日がくればこれの世を戦世(いくさゆ)にはこぶ安倍晋三ぞ   山崎芳彦(2013/12/29)


文化
【核を詠う】(136)『短歌研究2014短歌年鑑』の年間歌集から原子力詠を読む(1) 「線量に日々をかこまれ福寿草ののぞくフクシマ三年目なり」 山崎芳彦
 月刊短歌総合誌「短歌研究」(短歌研究社発行)12月号は2014年短歌年鑑として編集されている。当然、2013年の短歌界を回顧し、また展望する内容となっている。特集座談会「3・11から2年、震災詠を考える」(司会・佐佐木幸綱)では東日本大震災・福島原発事故にかかわっての短歌会の特徴として、現代歌人協会が『東日本大震災歌集』を出版したのをはじめ、短歌結社の「歩道」が『歌集平成大震災』を刊行、宮城県歌人協会が『東日本大震災の歌』を刊行するなど歌人団体がアンソロジーを企画出版したことを挙げている。(本連載の中で、『東日本大震災歌集』、『歌集平成大震災』から、原発にかかわる作品を読ませていただき、記録した。) (2013/12/28)


核・原子力
原子力市民委員会が緊急声明発表 「政府は原発ゼロ社会の実現をめざし、民意を反映した新しい『エネルギー計画』を策定せよ」 山崎芳彦
 経済産業省が12月13日に決めた原発を「基盤となる重要なベース電源」と位置づけ、核燃料サイクル政策の継続などを内容とする「エネルギー基本計画」案が、年明け後に閣議決定され、今後の国のエネルギー政策(原子力政策、核燃料サイクル政策を含む)の方向を決めることになることを重視した原子力市民委員会は12月18日に共同記者会見を開き、緊急声明を発表し安倍内閣総理大臣、茂木敏充経産大臣に提出した。原子力市民委員会は2013年4月に、脱原発社会建設のための具体的道筋について、公共政策上の提案を行うための専門的組織として設立され、2014年4月に「脱原子力大綱」をまとめる活動を進めているが、去る6月には「原発再稼働を3年間凍結し、原子力災害を二度と起さない体系的政策を構築せよ」の緊急提言、8月には「事故収束と汚染衰退策の取り組み体制についての緊急提言」、12月には「特定秘密保護法可決に際しての原子力市民委員会声明」を発表している。(2013/12/20)


文化
【核を詠う】(134)『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読む(4) 「十万年使へぬ土地をさらしつつ再稼働する原発はある」 山崎芳彦
今回も『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読むのだが、2011年3・11の東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故がこの国にとっていかに重大な出来事であったかを、短歌作品を通して改めて考えている。この連載では原発詠を抄出して記しているが、原発事故がどれほど深刻な影響を人々の生活、生存、社会のあり方、さらに自然環境に与えているか、この事態がなぜ起きたのか、これからどのように福島をはじめ被災地の復興、再生を実現していくのか。脱原発社会に向けてどのように進むのか。3年目を迎えようとしているなかで、反国民的な本性を剥き出しにしている安倍政権とその利害共同勢力には適切、機敏な政策実行を委ねることができないことは、閉会した国会における安倍政権・与党の振る舞いを目の当たりにして明らかである以上、国民的な議論と行動によって、虚構の「大予党」(現政権を許してしまった前回総選挙においては投票率59.3パーセントの中で自民党の得票率は小選挙区でも43パーセント、比例代表区にいたっては27.6パーセントに過ぎなかったことを考えれば、有権者の4分の1の支持を受けたに過ぎなかったことを思い起こそう。今年7月の参院選でも投票率52.6パーセントで自民党の得票率は比例代表で34.7パーセント、選挙区で42.7パーセントだったから前有権者ベースではやはり20パーセント台の得票率だ。)の独裁的な政治、行政執行に対して歯止めをかけるあらゆる手段と方法を講じる力を、困難はあっても構築していくことが求められているというしかない。(2013/12/13)


文化
【核を詠う】(133)『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読む(3) 「放射能見えず臭はず冬に入るみちのくの海、大地、森、河」 山崎芳彦
 今回も『現代万葉集』の原子力詠を読むのだが、それに先立って、原発、原子力問題とも深くかかわることになるに違いない「特定秘密保護法案」について、筆者の思いなどを記しておきたい。(2013/12/05)


文化
【核を詠う】(132)『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読む(2) 「いざ目覚めよ豊葦原の荒ぶる山原発いらぬと火焔をあげよ」 山崎芳彦
 前回に引き続き日本歌人クラブ編『2013年版現代万葉集』から原子力(原発事故、放射能禍、原爆)にかかわる作品を読むが、いま筆者がどのようなことを考えながら作品に向き合っているかについて、少し記しておきたい。(2013/11/28)


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【核を詠う】(131)『2013年版現代万葉集』から原子力詠を読む(1) 「福島にむきあう広島 ヒロシマとフクシマ 雨の八時十五分」  山崎芳彦
日本歌人クラブ(秋葉四郎会長)が全国の短歌作者に呼びかけ、2013年版『現代万葉集』作品を募集(2012年1年間の自選作品3首)し、出詠歌(1837名、5511首)を編集した日本歌人クラブアンソロジー2013年版『現代万葉集』が10月25日に刊行された(NHK出版発行)。日本歌人クラブは約5000人が加入する短歌界最大の超結社団体だが、2000年(平成12年)から毎年度『現代万葉集』を刊行している。(2013/11/18)


文化
【核を詠う】(130) 『朝日歌壇2013』から原爆・原発詠を読む(4)「除染の『除』、減染の『減』しかれども消染の『消』あらずして冬」 山崎芳彦
 『朝日歌壇2013』から、原発、原爆にかかわって詠われた(と筆者が読んだ)短歌作品を抄出し記録してきたが、今回で終る。多くの原発事故の被災や原子力エネルギー依存社会が生み出した矛盾が短歌表現されている作品を読むとき、人々の生命、生活、社会のありようと原子力のかかわりの深刻さ、これからどのように原子力の問題を考え、短歌文学の分野でも表現していくか、きわめて今日的な課題であることを改めて思った。そのためにも、核、原子力について、私たちが生きている現実の中で、知るべきことを知り、考え、時には行動し、向かい合う姿勢が必要であろうと考える。(2013/11/01)


文化
【核を詠う】(129)『朝日歌壇2013」から原発詠を読む(三) 「炎天に我もとぼとぼ蟻のごと脱原発を唱えて歩く」  山崎芳彦
 二度目になるが、『放射性廃棄物―原子力の悪夢』(ロール・ヌアラ著、及川美枝訳 緑風出版刊 2012年4月)を読んでいる。著者のロール・ヌアラはフランスの日刊紙『リベラシオン』の原子力、環境問題を専門にしている記者だが、同書は彼女が積み重ねてきた放射能汚染・放射能廃棄物に関する調査の結果を、私たちに示してくれている。同書は、彼女がドキュメント映画「放射性廃棄物―終わらない悪夢」制作(2009年)のために八ケ月にわたって「放射性廃棄物についての調査で世界中のゴミ捨て場を回ってきた」記録をまとめた貴重な一冊である。(2013/10/26)


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【核を詠う】(128)『朝日歌壇 2013年版』から原子力詠を読む(2) 「『おれたちはただのマウスよ』南相馬の放射能浴びし若きら叫ぶ」 山崎芳彦
 前回に引き続き『朝日歌壇 2013』から原子力詠の短歌作品を読み続けるのだが、現在、第185回臨時国会が開かれている。筆者は安倍首相の「所信表明演説」を聞き、新聞紙上で読んだが、聞きながら、読みながら、気分が悪くなった。そこには、日本の人々の現実、とりわけ東日本大震災・原発壊滅事故の実情を軽視し、この国の人々の現在と未来の生活と生命に対する無責任、弱肉強食社会にさらに向かう政権の本質を、言葉を飾り、躍らせてはいるが、差別と強者尊重・弱者足蹴の言語によって構成した「所信」があった。(2013/10/21)


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【核を詠う】(127)「朝日歌壇2013年」から原爆・原発詠を読む(1) 「原発の再稼働否(いな)蟻のごととにかく集ふ穴あけたくて」 山芳彦
 今回から『朝日歌壇2013』(朝日新聞出版刊、2013年4月)から、原発・原爆などにかかわって詠われた作品(筆者の読みによる)を読み、抄出していきたい。本連載では、以前に、同2012版を同様にして読んでいるが、今回の作品は2012年1月〜12月の朝日新聞歌壇欄に発表された投稿入選歌を一巻にまとめられた作品からの抄出になる。(2013/10/15)


文化
【核を詠う】(126) 鴫原愛子歌集『光を握る』から原発詠を読む「七ケ月余の避難生活より帰り来て里の荒廃を悲しむわれは」   山崎芳彦
 福島県南相馬市の歌人・鴫原愛子さんの第一歌集『光を握る』(北炎社 2012年12月刊)には福島第一原発の壊滅事故による被災にかかわって詠われた作品が収載されている。原発事故によって南相馬市は大きな打撃を受け、各地への避難を余儀なくされた市民が多かったが、鴫原さんは娘さんが住む横浜に退避し七ケ月を過ごし帰郷したという。(2013/10/09)


文化
【核を詠う】(125)『平和万葉集 卷三』から原爆・原発詠を読む(4) 「詠まずにはゐられで詠みし正田篠枝描(か)かずにゐらで描きし丸木俊はや」   山芳彦
 『平和万葉集 卷三』を読んできたが、今回で終ることになる。原爆、原発に関して詠われた作品を抄出、記録させていただいたが、13年前に編まれたこの作品集を、現在の政治・社会の状況を踏まえて読んで深く共感する短歌作品の多くに出会えたと思っている。(2013/10/04)


文化
[核を詠う](124)『平和万葉集 巻三』から原爆・原発詠を読む(3) 「核廃絶願いて夜々を折る鶴の六百羽となる古稀の夏至の日」   山崎芳彦
 『平和万葉集 卷三』から原子力に関る短歌作品を読んでいる(前回のタイトルで原爆・原発詠を読む(3)としてしまいましたが(2)の誤りでした。今回が(3)になります。お詫びして訂正します。)が、13年前に刊行された短歌アンソロジーを読みながら、核をめぐる、とりわけ原発をめぐる現状をみていると、しばしば暗澹たる思いに落ち込まないではいられない。とともに、現実の動向の無慚さに足をとられ、心沈ませているわけにはいかないと自身を鼓舞して、自らなしうることに目を向けようとしている。(2013/09/29)


文化
【核を詠う】(123)「平和万葉集 卷三」から原爆・原発詠を読む(3) 「臨界の核もたやすく起るとは事故の日までは思ひみざりき」  山崎芳彦
 前回に引き続き2000年に刊行された『平和万葉集』から、核、原子力にかかわる短歌作品を読むが、原発をテーマに詠われた作品が多いことに、いろいろなことを考えさせられている。(2013/09/24)


文化
【核を詠う】(122)『平和万葉集 卷三』から原爆・原発詠を読む(1)「人智もて星の滅びに勤(いそ)しむや兵器にあらぬ核も怖るる」  山芳彦
 今回から読む『平和万葉集 卷3』は2000年8月15日に刊行されたアンソロジーだが、書名が明かしているように「平和を愛するという一点での共同とその発展」という目的に賛同する短歌人をはじめ文化・芸術の各分野で活動する有志の協力によって刊行されたものであることが、刊行発起人(加藤克己、近藤芳美、中野菊夫、武川忠一、碓田のぼる)による序文に記されている。(2013/09/15)


文化
【核を詠う】(121)高木佳子歌集『青雨記』から3・11以後の作品を読む 「むざんやな をさな子の手にほのあかきヨウ化カリウム錠剤ひとつ」 山芳彦
 福島県いわき市在住の歌人・高木佳子さんの歌集『青雨期』(2012年7月 いりの舎刊)から、2011年3・11以後の大震災・福島原発の壊滅事故に関って詠われた作品を読ませていただく。同歌集は高木さんの第二歌集で約300首が収載されているが、1〜鶩の章のうち鶩の49首が3・11以後の作品である。この歌集は第13回現代短歌新人賞を受賞している。(2013/09/09)


文化
【核を詠う】(120)大口玲子の短歌「さくらあんぱん」(月刊歌誌「短歌」2012年6月号所載)他を読む 「いくたびも『影響なし』と聞く春の命に関はる嘘はいけない」 山芳彦
 大口玲子さんの3・11以後の短歌作品を読んでいるが、その間、福島第一原発の放射能汚染水のきわめて深刻な流出、漏出の問題が、海への流出拡大もあって、原発事故による放射能の環境に対する汚染が引き続いていること、それに対する対策が極めて不透明かつ有効性を欠くことなどもあり国内にとどまらず、国際問題ともなっている。日刊ベリタ上でも、諸氏がこの問題についての解説記事を書かれている。筆者は改めてこの問題について立ち入らないが、福島の原発事故は今もなお続いている、そしてさまざまな事象が明らかになってきているし、これからも何が起こるか予測しがたい厳しい状況にあることを、確認しておかなければならないことを改めて思う。原発の壊滅的な事故がいかに深刻な事態を将来にわたって引き起すものであるかについては、チェルノブイリの経験からも、いまなお進行中である被害の実態を学ばされているのである。(2013/09/02)


文化
【核を詠う】(119)大口玲子歌集『トリサンナイタ』から3・11以後の作品を読む③ 「なぜ避難したかと問はれ『子が大事』と答へてまた誰かを傷つけて」 山崎芳彦
 大口玲子歌集『トリサンナイタ』から、第三部に収録されている作品、2011年3月11日の東日本大震災・福島第一原発の壊滅事故以後の短歌作品を読んでいるが、今回がその最後になる。同歌集に収録されている作品は2005年末から2012年1月までに発表された作品だから,作者が「晩春の自主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ」と詠っている「真旅」はなお進行中であり、宮崎市での母と子の生活が続いている。さらに多くの短歌作品が、その生活における真実、生きているなかで作者が詠わずにはいられない作品が、仙台に残り新聞記者としての仕事をしている夫が、月に一回宮崎を訪れ、家族三人のときを持つ場面も含めて、詠い重ねられているし、積み重ねられていくことになるだろう。(2013/08/22)


みる・よむ・きく
天皇の短歌の政治的メッセージ性を論究する『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』(内野光子著)  山崎芳彦
 『天皇の短歌は何を語るのか―現代短歌と天皇制』(内野光子著)が出版された 天皇の短歌の政治的メッセージ性、政治権力との呼応などを論究した歌人の労作に注目したい(2013/08/18)


文化
【核を詠う】(118)大口玲子歌集『トリサンナイタ』から3・11以後の作品を読む◆ 嵌媾佞亮主避難、疎開、移動、移住、言ひ換へながら真旅になりぬ」 山芳彦
 前回に続き大口玲子歌集『トリサンナイタ』から2011年3・11以後の作品を読むが、大口作品の特徴、まぎれのない確かな表現力によって、原発事故による放射能を避けて、子とともに自主避難し夫とともに居住していた仙台から九州の宮崎県に移住して生活している日々のありようを、具体的に、明瞭に詠っていることに、ひきつけられる。原発事故から日をおかずに避難した自身の「生活」を詠っているのだから、被災の実情や苦悩を詠う原発詠とは違うテーマ、作品であるが、しかしまぎれもなく母と子の、原子力放射能による深刻なこの国の状況のなかでの苦難を、生きる具体を詠って、その短歌表現は貴重である。(2013/08/15)


文化
【核を詠う】(117)大口玲子歌集『トリサンナイタ』から3・11以後の作品を読む  屐愿杜呂鮴犬爐燭瓩某佑鮖Δ垢福戮叛鼎なる怒り湛へて言ひき」 山芳彦
 今回から大口玲子(おおぐちりょうこ)さんの第4歌集『トリサンナイタ』から、2011年3・11以後の作品を抄出、記録させていただく。同歌集は2012年6月に角川書店から出版され、筆者もすぐに読んだのだが、この連載では1年後の今回になってしまった。同歌集は、歌壇では昨年度の大きな収穫と評価され、若山牧水賞、芸術選奨新人賞などを受賞するとともに、東日本大震災・福島原発の壊滅事故の後、居住地の仙台市から当時2歳の子を連れて避難し、仙台市にある新聞社の記者である夫を残し、いくつかの地を経て宮崎県に在住して、その生活のなかで原発問題について詠い、発言し続けていることから広く社会的にも注目されている。(2013/08/11)


文化
【核を詠う】(番外編)本連載筆者の原発・原爆詠 「文明と言へど原子力の冠をつければにはかに世は暗くなる」  山芳彦
 今回は、この連載の筆者である私の拙い原発詠を記させていただく。昨年10月30日に「番外編」としてまことに拙いと承知しながらも、詠うものの一人としてこの連載のなかに掲載させていただいたが、それに続く拙作、昨年8月以降に作歌した一部を掲出させていただくことにした。声調ととのわず、表現の齟齬の多いことを自覚しているが、現在の筆者の詠う力量であるから恥とするのではなく、さらなる鍛錬をわが身に課してのことである。脱原子力社会に向かっての、多くの人びととの共同・連帯の取り組みのなかで、詠うものとしての力を蓄えていきたいと思う。(2013/08/03)


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【核を詠う】(116)三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読む(4) 「再稼動のニュースが聞こえて心臓が脳が身体が地団駄を踏む」  山芳彦
 7月21日午前9時、参議院議員選挙の投票所から戻ってきて、パソコンの前に座って本稿を記している。マスコミの報道や、実際に知人友人、地域の人びととの接触の感じから、何とも気鬱というか、心が晴れない感覚というのが、今の心境である。低投票率、政権与党、中でも自民党の大幅議席増を思うと、やはり心が重い。選挙の結果だけで社会が変わるものとは考えてはいないが、原発再稼働、輸出を進める勢力が政権をより強固なものになったとして振舞うことを想像すると、やはり耐えがたい嫌悪感にとらわれてしまう。(2013/07/22)


文化
【核を詠う】(115)三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読む(3) 「やりなおしできない世界を覚悟して警戒区域はいつも真夜中」  山芳彦
 いまたたかわれている参院選の福島選挙区では自民党、民主党の陣営が原発問題を選挙の争点から外そうとしていると、朝日新聞の「2013参院選注目区から」では書いている。「福島 原発語らぬ自・民」の見出しで、「自民 高市発言ショック、封印徹底」「民主 電力労組支援 歯切れ悪く」のサブ見出しが目立つ。共産・社民両党は脱原発を訴えているという。なぜ、共産、社民が脱原発で協力し統一候補が立てられないのか、この福島で原発問題を大争点にして論議を徹底してつくせないのか、いろいろあるかもしれないが、残念でならないと思うのは筆者だけだろうか。両党とも国民主権を大切にするというのだから、国民の意思が議会に反映できるよう、大道について欲しかった。「わが党が伸びれば・・・」だけではない道が無いはずはないだろう。筆者の切実な思いである。(2013/07/12)


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【核を詠う】(114)三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読む(2) 「福島を学ばぬままに再稼働を求める人らは富しか見えず」  山芳彦
 7月4日に参院選が公示され、21日の投開票に向けて選挙戦がたたかわれている。参院選だから政権を争う選挙ではないのだが、選挙の争点を考えればやはりきわめて重要な選挙である。参議院でも安倍政権の与党勢力が過半数を占め、万が一にも3分の2に達するようなことがあれば、この国はきわめて危険な状況を迎えることになるだろう。(2013/07/07)


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【核を詠う】(113)三原由起子歌集『ふるさとは赤』から原発詠を読む(1) 「突破する力がほしい阻まれたふるさとへ続く道の途中に」  山芳彦
 福島県・浪江町出身(東京在住)の三原由起子さんの第一歌集『ふるさとは赤』(本阿弥書店刊、2013年5月20日)を読みたい。福島原発の壊滅事故によって、ふるさとが、人びとが切り刻まれるように痛めつけられ、核放射能の汚染はその地で生れ、育ち、人としての自分を支えてくれた力を奪った。ふるさとは人の住めない苦しみの地にされてしまっている。人びとは、ふるさとから切り離され、あがきのなかで生きている。(2013/07/03)


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【核を詠う】(112)『東日本大震災歌集』(現代歌人協会編)から原発詠を読む(4)「燃え滓の始末も出来ぬ原発なれど買ふてくだされ 技術でござる」   山芳彦
 『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』(岩波書店 2013.4.16発行)を読み始めた。同書は1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所第4号炉の爆発事故による大惨事の影響を観察し、記録した研究者達の研究成果を5000点以上の文献・資料に基づいて系統的にまとめたものであり、膨大なデータと検証研究論文で構成されている。著者は、アレクセイ・V・ヤブロコフ博士ほか3氏、翻訳は星川淳氏を中心とするチェルノブイリ被害実態レポート翻訳チームによる。貴重な報告書であると思う。(2013/06/25)


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【核を詠う】(111)『東日本大震災歌集』(現代歌人協会編)から原発詠を読む(3)「原発の五十基超ゆる現実にひしがるるのみ未だ間に合ふか」   山芳彦
 「命より金」「人間より経済成長」の安倍政権の本質をもっとも象徴的に明らかにしていることの一つは、その原発政策であるといっていいだろう。地球規模で人間の未来を暗黒の中に陥れる安倍政権の原発政策である。6月2日の全国規模での反原発行動の中での、芝公園の抗議集会で大江健三郎氏が「政権は政治的・経済的な根拠ですべてを進め、『倫理的』ということを考えない。核不拡散条約未加盟のインドと原子力協定を結ぶのは、広島・長崎への裏切りであり、国内の原発再稼働推進が福島原発事故で苦しんでいる人々への裏切りであるのと同じことだ。次の世代が生き延びることのできる世界を残すことを何よりも根本の倫理的根拠としてやっていくことが自分の仕事だと考えている。・・・」と語るのを聞きながら、筆者は高木仁三郎氏の著書『プルトニウムの恐怖』(岩波新書)に書かれている内容を思い起こしていた。(2013/06/16)


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【核を詠う】(110)『東日本大震災歌集』(現代歌人協会編)の原発詠を読む(2)「安全と言ひくるめくる国側に東北の鬼とし老爺は声あぐ」  山芳彦
 岩波文庫の『志賀直哉随筆集』(1995年刊、高橋英夫編)を拾い読みしていて、「閑人妄語」の項の記述に呼びとめられた気がして、いろいろ思いをめぐらしながら読んだ。いろいろなことが書かれているのだが、たとえば、(2013/06/11)


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【核を詠う】(109)『東日本大震災歌集』(現代歌人協会編)から原発詠を読む(1)「ヒロシマの廃墟と重ね東北の原発事故のぬけがらの街」    山崎芳彦
 全国の歌人780人を会員とする現代歌人協会(佐佐木幸綱理事長)が刊行した『東日本大震災歌集』(2013年3月11日付発行)は、同協会が去る3月9日に福島市の福島テルサで開催した「現代短歌フォーラム イン福島」―3・11はどう表現されたか―の企画とともに、それに先立って全会員に呼びかけ作品を募り(1人1首、483名が出詠)まとめたアンソロジーである。(2013/06/05)


文化
【核を詠う】(108)歌集『平成大震災』(「歩道)同人アンソロジー、秋葉四郎編)の原発詠を読む(6)「原発の知識とぼしく過ぎしわれセシウムなるもの知りて戦く」 山芳彦
 歌集『平成大震災』に収録された作品から、原発にかかわって詠われた(筆者の読みによる)短歌を読んできて、今回で終るが改めて結社「歩道」のこのアンソロジー出版に敬意を表したいし、作品を寄せられた歩道同人の方々への共感を強くしたことを記しておきたい。この歌集を編集しながら、「作品の前では流涕佇立、長く時が流れてしまったのである。同時に、本集を後世に残す意義を改めて感じさせられもして、奮い立って仕事をつづけたのでもあった。」と「あとがき」に書いた秋葉氏の真情に感動を新たにしている。(2013/05/25)


文化
【核を詠う】(107)歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー、秋葉四郎編)(5)「放射能の許容基準値越えしとぞわが頼むべき浄水場が」  山芳彦
 「憲法九条を守る歌人の会」(略称「九条歌人の会」)の会報「歌のひびき」10号が送られてきた。同会を運営して下さっている歌人諸氏に感謝するとともに、同会に賛同するものの一人としてできることをもっと積極的になさなければと考えている。7月4日公示、21日投票の予定の参議院議員選挙が迫っているが、自民党はアベノミクスの「成果」を謳いあげるとともに、改憲を争点として押し出し、参院でも改憲の発議に必要な3分の2を超える改憲勢力の議席を目指している。当然、原発再稼働問題も大きな争点となる。(2013/05/18)


文化
【核を詠う】(106)歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー、秋葉四郎編)から原発詠を読む(4)「覚悟なく原発依存の成長に酔ひしわれらかと心のきしむ」   山芳彦
 円安・株高を囃しながら、安倍首相の財界・大企業を帯同してのセールスツアーを大々的に宣伝し、さらに目立つことなら何でもやって人気取りに狂奔している成果なのか、世論調査で高い支持率を誇っている自民党・安倍内閣だが、参議院選挙を経て多数を占めてから推進しようとしている政策の内容、政治姿勢を見ると許してはならない、恐るべきものというしかない。そのことについて内田樹(うちだたつる)・神戸女学院大学名誉教授が5月8日付朝日新聞朝刊(13版)17面のオピニオン欄に寄稿した「壊れゆく日本という国」は安倍政権の政治の本質を明らかにしていて、一読に値する。「『企業利益は国の利益』国民に犠牲を迫る詭弁 政権与党が後押し」「国民国家の末期を官僚もメディアもうれしげに見ている」の大胆な見出しが躍っているが、十分に政治の現在に迫る内容である。(2013/05/15)


文化
【核を詠う】(105)歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー、秋葉四郎編)から原発詠を読む(3)原発の汚染おそれて放置せし葱が列なし坊主花咲く 山崎芳彦
 筆者の住む茨城県南部の地では、このゴールデン・ウィーク中にほぼ田植が終わり、連日のような強風の中で、幼い苗が水張田に葉先を覗かせ列をなしゆれている。夕方には田の面があかねに染まり、夕陽が水面に映り、田の道を歩くのは心地よい時間である。時どき田の中に立つ農婦に会うがその顔もあかねに染まっている。(2013/05/09)


文化
【核を詠う】(104)歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー、秋葉四郎編)から原発詠を読む(2)「原発の事故にて休耕となりし田にしみじみとして雨ふりにけり」  山崎芳彦
 前回に続いて歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー)を読むが、前回、今回ともに東北各県の歌人の震災、津波、原発事故による被災を詠った作品を読み、その中から原発事故にかかわる作品を記録しているところであるが、自らの、あるいは家族、親戚、友人、知己の具体的な体験を踏まえ、生活の現実から生れる心情、心からの思いを短歌表現して深く切実である。(2013/05/06)


文化
【核を詠う】(103)歌集『平成大震災』(「歩道」同人アンソロジー、秋葉四郎編)から原発詠を読む(1)「放射能の風評被害は若きらの結婚にまで差し障るなり」  山崎芳彦
 全国に1150名の出詠会員を持つ短歌結社「歩道」(月刊歌誌『歩道』を発行、編集者・秋葉四郎)が、「歩道」同人アンソロジーとして刊行した歌集『平成大震災』(秋葉四郎編、平成25年3月、いりの舎刊)は、ひとつの短歌結社が東日本大震災・福島第一原発事故をテーマにして全国の同人が詠った作品を集成した歌集として大きな意義を持つ、短歌史に残る事業だと評価したい。(2013/05/01)


核・原子力
『原発をやめる100の理由―エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち』(「原発をやめる100の理由」日本版制作委員会著)を読む   山崎芳彦
 『原発をやめる100の理由―エコ電力で起業したドイツ・シェーナウ村と私たち』(「原発をやめる100の理由」日本版制作委員会著、築地書館、2012年9月刊)は、同書の誕生の経過からして、興味深い。その内容はさらに関心をもたせる。ドイツ政府、社会が日本の福島原発の壊滅的な事故に、直ちに対応して脱原発の政策を決定し、その敏速な実行に着手することを可能にした土壌を形成してきた基盤の分厚さの一端を感じさせられた。(2013/04/27)


文化
【核を詠う】(102)横田敏子歌集『この地に生きる』の原発詠を読む(2) 「わが歌の誰に届くや届かぬやされど詠み継ぐ原発の歌」  山崎芳彦
 前回に続いて福島の歌人・横田敏子さんの歌集から原発詠を読むのだが、その前に、前回にも触れたフランスから海上輸送されているプルトニウムMOX燃料について考えながら、それにしても今、なぜこのようなことが行なわれているのだろうかと、深い闇のなかさまようように考え込む。(2013/04/22)


文化
【核を詠う】(101)横田敏子歌集『この地に生きる』の原発詠を読む(1) 『福島の歌人(うたびと)たちよ声高く原発事故を詠い継ぐべし』  山崎芳彦
 本稿で書くのは、いささか不適当であろうことを承知の上で、あえて書き記しておきたい。国際環境NGОグリーンピースは4月15日付で、福島第一原発事故後初のMOX燃料のフランスからの国際輸送が差し迫っていることについて「不要かつ危険なMOX燃料国際輸送はただちに中止を」の声明を発表した。(2013/04/19)


核・原子力
肥田舜太郎著『被爆と被曝―放射線に負けずに生きる』を読む   山崎芳彦
 肥田舜太郎氏による『被爆と被曝―放射線に負けずに生きる』が今年2月25日に、幻冬舎ルネッサンス新書として発刊された。いま、放射能の危険性について多くの人々がつよい危機感と不安を持ち続けているとき、そして一方では意図的に低線量被曝・内部被曝の危険性を否定あるいは極端に軽視しようとする動きが強まっている時、原爆被曝の体験と、医師としての診療・治療・健康相談などの豊富な具体的経験を持ち、臨床医としての経験と放射能の持つ本質的な危険性についての研究に取り組んできて、原発事故発生後には全国各地で放射能問題について講演し、放射能の危険に自覚的に向き合って生きる具体的な対応策について提言している氏の著書だけに、時宜にかなった出版と評価したい。(2013/04/17)


文化
【核を詠う】(100)波汐國芳歌集『姥貝の歌』の原発詠を読む(3)「放射能に一生付き合えという罠のこの騙し金突き返さんか」   山崎芳彦
 この「核を詠う」の連載も今回で100回目になった。2011年8月に先行きの見通しもなく、3・11東日本大震災・福島第一原発の壊滅的事故の衝撃に触発されて、自分が何ができるかを考えた末に、原爆、原発にかかわって詠われた短歌作品を読み、記録しようと、そして出来るかぎり遺そうと考えて、この日刊ベリタの一隅を使わせていただくことが許され、スタートしたのだった。そして拙いながらも、少なくない人々の助けも借りて、原爆短歌、原発短歌を読み、多くのことを学ばされながら、続けている。(2013/04/15)


文化
【核を詠う】(99)波汐國芳歌集『姥貝の歌』の原発詠を読む(2)「花水木  花明かり道たった今擦れ違いしは放射能なり」  山崎芳彦
 福島原発の事故は収束どころか、なおはかり知れない危険な状態が続いている。原発立地周辺の町の避難区域の「緩和」措置、町の復興などを政府は言うが、原発のトラブルが続発している現状、依然として変らない東電や政府、関係者の隠蔽体質のなかで、実際にどのような事態が原発内部で起こっているのか。電源機能維持にかかわる事故による燃料プールの冷却機能の停止、汚染水を際限なく溜め続けながら地下貯水槽からの汚染水流出の続発と、その汚染水がどのように拡散され地下に浸透し影響するのか、さらに海への流出の危険性など、最近報じられているだけでもきわめて深刻な状況だ(2013/04/10)


文化
【核を詠う】(98)波汐國芳歌集『姥貝の歌』の原発詠を読む(1)『原発を詠み次ぎ警鐘鳴らししに叶えられざりき無力なるゆえ』   山崎芳彦 
 今回から、福島の歌人・波汐国芳さんの歌集『姥貝の歌』(<うばがいのうた>、平成24年8月 いりの舎刊)を読ませていただく。波汐さんの第12歌集だが、その原発詠を多く含む、「平成二十三年三月十一日以降の作品に新作未発表の作品を加えたものを主として、大震災以後の今日的視座で編集構成し、この時代に生きている者の生の証にしようと考え」(あとがき)刊行されたこの歌集は、短歌界だけでなく各方面からの注目を集めている。(2013/04/06)


文化
【核を詠う】(97)岩井謙一歌集『原子(アトム)の死』の原発短歌を読む<3> 山崎芳彦
 角川の「短歌」4月号に、岩井謙一氏が「歌集歌書を読む」を書いている。そのなかで、福島の歌人・横田敏子さんの歌集『この地に生きる』(ながらみ書房刊)を取り上げて紹介しているのだが、読んで驚いた。(2013/03/31)


文化
【核を詠う】(95)岩井謙一歌集『原子(アトム)の死』の原発短歌を読む<1>  山崎芳彦
 岩井謙一氏の歌集『原子(アトム)の死』が刊行されたのは2012年9月であり、発売後遅くない時期に、筆者は購入した。同歌集については、早くから少なくない歌人が論評を行なっていた。筆者もこの連載の中で何度か岩井氏の脱原発に反対し、敵意さえ感じられる作品、言説について触れてきたが、率直に言ってあまりの無残ともいうべき作品や言説を、正面から取り上げたくないと考えてきた(2013/03/21)


文化
【核を詠う】(94)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(5)  山崎芳彦
 東日本大震災・福島原発の壊滅的事故から満2年が過ぎ、3回目の3・11を迎えた。悲しみの日であり、怒りの日でもある。この2年の日々が被災者にとってどのような時間であったのか、失った家族、縁者、隣人のかけがえのない貴重で、忘れることの出来ようのない、諦めることの出来るはずがない共に生きた生命の喪失、それはとりもなおさず現実を生きる過酷な日々であると、筆者は、共有しきれないけれども、寄せる思いは深いものがある。震災短歌・原発短歌と一首一首、出会えるかぎり出会い、読むとき、ここに記せるのは原発にかかわって詠われた作品にかぎらざるを得ないが、詠った人を思い、その人々とつながる人々を思い、その現実から紡がれる作品をできるかぎり過たず読み切ろうと、私という人間をかけてつとめているつもりである。(2013/03/14)


文化
【核を詠う】(93)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(5)  山崎芳彦
 安倍政権の「アベノミクス」囃子が、株価の値上がり、円安の進行、金融緩和の強行などを笛や太鼓に、マスメディアの掛け声によって盛んである。安倍首相の昂揚した「強い日本」「世界一の日本」「自立自存の気概」などもひときわ声高である。改憲、国防軍などの言葉に躊躇もない。(2013/03/10)


文化
【核を詠う】(92)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(4)  山崎芳彦
 前回、孫引きによってだがドイツのメルケル首相諮問委員会の『ドイツのエネルギー転換・安全なエネルギー供給のための倫理委員会』の提言について触れたが、「倫理委員会〜安全なエネルギー供給」報告書 『ドイツのエネルギー転換・未来への共同事業』(2011年5月30日)と題する文書(翻訳 百濟勇駒澤大学名誉教授)によって、もう少し内容を見たい。(2013/03/05)


文化
【核を詠う】(91)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(3)  山崎芳彦
 アベノミクス効果を持ち上げる空気が、危険域に入っている。円安、株高、デフレ誘導、日米同盟強化などがマスコミではやされ、つれて原発、沖縄、社会福祉の切り下げ、格差の増幅などについてのまともな検証、事実にもとづく評価、地を這うようにして続けられている社会の変革への動きなどは、軽視され、社会の崩壊現象ともいうべきさまざまな人間の尊厳を毀損する事件の続発などについてその深部の闇を抉るような報道は衰えている。(2013/02/24)


文化
【核を詠う】(90)『現代万葉集 2012年版』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(2)  山崎芳彦
 前回に引き続いて、日本歌人クラブ編『現代万葉集2012年版』に収録された作品から、原発にかかわる短歌を読んでいくが、本連載でこれまでに読んできた作品も含めて、3・11の福島原発事故以前から原発の危険な実態に着目して詠い続けた歌人が少くない作品をさまざまな形で発表してきたこと、そして3・11以後福島、東北に限らない全国で原発にかかわる作品が詠われていることに、短歌文学のもつ優れた、貴重な意義を、改めて痛感する。(2013/02/21)


文化
【核を詠う】(89)『現代万葉集2012年刊』(日本歌人クラブ編)から原発短歌を読む(1) 山崎芳彦
 日本歌人クラブは、約5000人の歌人が加入する歌壇最大の超結社団体だが、2000年(平成12年)から毎年度、日本歌人クラブアンソロジー『現代万葉集』を刊行している。その2012年版は2012年10月25日に出版され、全国の1808名の歌人が5424首を出詠している。この2012年版『現代万葉集』について、現在同クラブの会長を務めている歌人・秋葉四郎氏は、「はじめに」で、「昨年は、東日本大震災という国難に遭い、更に南紀地方に大水害があった。そのほかにもさまざまな事件があり、多くの国民が心を痛めた。・・・現代短歌アンソロジー今年度版『現代万葉集』は、そんな社会を背景にした、現代日本の歌人たちの作品がここに集成されたことになる。」と記しているが、福島第一原発事故にかかわっての作品が多く寄せられ、収録されていることが、2012年版『現代万葉集』の大きな特徴となっていると言ってもいい。(2013/02/17)


文化
【核を詠う】(88)角川『短歌年鑑 平成25年版』所載の自選作品集から原発詠を読む(2)  山崎芳彦
 前回に引き続いて角川『短歌年鑑』の自選作品集から原発にかかわる作品を読むが、前回の文中の「吉川宏志氏の『言葉と原発』について」の2行目にある引用文「『原発を使っているのに・・・』」の「原発」は「電気」の誤りですので、お詫びして訂正させていただきます。ご容赦ください。(2013/02/10)


文化
【核を詠う】(87)角川『短歌年鑑 平成25年版』所載の自選作品集から原発詠を読む(1)  山崎芳彦
 角川『短歌年鑑 平成25年版』には、679名の歌人の「平成24年自選作品集」(各5首)が収録されている。誌上では歌人の生年により年代別にまとめているが、それぞれの作品のなかから原発にかかわって詠われたと筆者が読んだ作品を抽いておきたい。作者の意に反した読みがあれば、お詫びするしかないが、作者5首に限定しての自選作品であるから、原発詠があってもこの作品集には収められていない作品がそれぞれの作者の作品には少なくないであろうことは推測される。(2013/02/06)


核・原子力
『4つの『原発事故調』を比較・検証する−福島原発事故13のなぜ?』(日本科学技術ジャ―ナリスト会義著 水曜社刊)を読む  山崎芳彦
 日本科学技術ジャーナリスト会議(JASTJ)が2013年1月に出版した本書は『福島原発事故13のなぜ?』を副題にしている通り、これまでに福島原発事故についての事故調査報告書が2012年7月までに、「民間事故調」、「東電事故調」、「国会事故調」、「政府事故調」(いずれも略称)が出揃ったところで「再検証委員会」を立ち上げ、科学ジャーナリストの立場から各事故調の報告結果を検証したものである。(2013/01/31)


文化
【核を詠う】(番外編)「原発と短歌」についての歌人の評論を読む(1) 角川『短歌年鑑平成25年版』所載の小高賢氏の論考について  山崎芳彦
 角川『短歌年鑑平成25年版』(平成24年12月刊)が、“震災・原発と短歌”をテーマとする評論で構成する特集を組んだことは、先に触れた。同特集は、岡井隆「僕の方からの提案」、佐藤通雅「3・11大震災、原発問題と短歌はどう向き合ってきたか」、小高賢「『宿痾』を脱する契機に」、吉川宏志「言葉と原発」、高木佳子「『震災詠』と言う閉域」の5氏の評論で成っているが、その評論を読んでの感想を、内容を引用しながら書いてみたい。同年鑑は24年版でも震災・原発に関する篠弘、吉川宏志らの評論を掲載し、筆者はそれらについて、この連載の中で感想を書いたことがあった。(2013/01/26)


文化
【核を詠う】(86)吉川宏志歌集『燕麦』から原発にかかわる作品を読む 「原爆と原発は違うと言い聞かせ言い聞かせきてしかし似てゆく」  山崎芳彦
 前回までかなりの回数を重ねて、福島の詠う人々の短歌作品を読んできた。原発にかかわる歌を抄出して読んだのだが、福島原発が壊滅的な事故がひきおこしたことによる災害のもたらす人々への苦難、その実態は何とも言い難く深刻であることを改めて思い知らされた。筆者としては、ひたすら読み、思い、記録することに努めたつもりだが、原発が本質的に抜き難く持つ核の反人間性を、原爆短歌を読み続けたときと同じように見ないではいられない。(2013/01/19)


文化
【核を詠う】(85)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った作品を読む(15) 相馬短歌会『松ヶ浦』・伊達町つくし短歌会『つくし』・きびたき短歌会『きびたき』各歌集から  山崎芳彦
 岩井謙一という歌人がいる。氏は第四歌集として『原子(アトム)の死』を昨年(2012年)9月に刊行したが、そのなかに次のような短歌がある。(2013/01/13)


文化
【核を詠う】(84)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った作品を読む(14) 福島・松川短歌会合同歌集『思い草』の作品から   山崎芳彦
 『角川 短歌年鑑 平成25年版』(平成24年12月刊 角川学芸出版)は、昨年の同24年版に続いて、原発と短歌にかかわる企画を組んでいる。同年鑑については、掲載されている作品も含めてこの連載のなかで読んでいくつもりだが、今回は「論考 震災・原発と短歌」の中の歌人・吉川宏志氏の「言葉と原発」と題する評論の内容の一部を見ておきたい。吉川氏は同24年版で「当事者と少数者」で原発問題について貴重な問題提起をしていた(この連載の42回、43回で氏の見解について触れた。)が、今回の評論も大切な論点を提示している。(2013/01/07)


文化
【核を詠う】(83)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った作品を読む(13) 『平成23年版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<8> 山崎芳彦
 安倍内閣が発足すると同時に、原発政策の明らかな方向が示されている。やはり、ひどい政権を成立させてしまったものだと思う。原発政策に限らず、この政府がこれから行なおうとする国策は、人びとを苦難の時代に引きずり込もうとするものだといわざるを得ない。そうはさせない、と思う。(2012/12/31)


文化
【核を詠う】(82)福島の歌人たちか原発災の日々を詠った作品を読む(12) 『平成23年版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<7> 山崎芳彦
 前回、山口幸夫著『原発事故と放射能』(岩波ジュニア新書)について触れたが、今回も同著を読んで考えさせられ、これまで筆者も感じてきたことに、さらに刺激を受けるとともに頭の中を整理させられた内容について、福島歌人の作品を読む前に、記したい(2012/12/29)


文化
【核を詠う】(81)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った作品を読む(11) 『平成23年版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<6>   山崎芳彦
 衆院選で「大勝」した自民党の原発政策の、予想はされたが、まことに危険な内容が明らかになりつつある。選挙中には、いささかの化粧を施していたが、政権の座につくことがなってむき出しの原発維持・新設容認の方針があからさまだ。いよいよ、脱原発への逆流が強まることになる。(2012/12/26)


みる・よむ・きく
若松丈太郎著『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』(コールサック社刊、2012年12月9日発行)を読んで   山崎芳彦
 福島・相馬市に在住して、福島第一原発の建設当時からその危険性。原発立地地域の深刻な問題に真正面から向かい合い、詩、評論、ルポルタージュなどで、危機を警告し続け、その身を動かして反原発の闘いに参加して来た詩人・若松丈太郎さんの最新の一冊が発行された。若松さんについては、昨年、『福島原発難民』(コールサック社刊)に接して以来、筆者は、その後のまことに優れた詩作、評論による詩人の動向を追ってきたが、今この著書で「核災」「核発電」という、物事の本質を的確に表現し、核加害者・勢力を人間の生きるその真実の根拠地から糾弾する詩人の魂に、改めて深い感銘を受けている。筆者は「あとがき」で次のようにことばを燃え立たせている。(2012/12/22)


文化
【核を詠う】(80)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った短歌作品を読む(10)『平成23年版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<5>  山崎芳彦
 衆議院総選挙の結果は、予想していたように、自民党の大幅な議席増で自民・公明両党による連立政権が復活することになったが、予想される新政権は、この国の進路にきな臭い、危うさを感じないわけにはいかない。この間の選挙期間中に安倍・石破自民党、石原・橋本維新その他の勢力が撒き散らした、改憲―「国防」軍事力の強化、日米同盟の深化と領土問題を梃子にした「自ら国を守る」思想動員、景気・経済回復を唱えての原発維持存続の意思表示・・・が吹き荒れ、禍々しい空気が、依然として核放射能を撒き散らしているこの国のなかで舞った。(2012/12/20)


文化
【核を詠う】(79)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った短歌作品を読む(9)『平成23年度版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<4>  山崎芳彦
 最近出版された詩人・若松丈太郎さんの『福島核災棄民―町がメルトダウンしてしまった』(2012年12月9日発行、コールサック社刊)を読んでいる。若松さんについては、この連載の中で『福島原発難民』(2011年、コールサック社刊)やアーサー・ビナードさんとの共著詩集『ひとのあかし』(若松さんの詩とビナードさんの英訳詩、斎藤さだむさんの写真で構成、2012年、清流社刊)などについて触れたことがある。まだお目にかかってはいないが、東海正史さんの歌集を南相馬市立図書館に蔵書があることを確かめていただくなど、お世話になった。電話での交流だけだったが、まことに親切な応対、励ましをいただいたことが忘れられない。以来、尊敬する詩人として、少なくない作品をも読ませてもいただいている(2012/12/14)


文化
【核を詠う】(78)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った短歌作品を読む (8)『平成23年度版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<3>    山崎芳彦
 総選挙が奇妙な熱を帯びている。これまでになく多くの政党が名乗りを上げそれぞれいかにも独自の政策を掲げているかのように、テレビ媒体の中で「論戦」を、はげしい口調で展開しているのだが、そのにぎやかさのなかで、例えば、改憲して国防軍を、核武装を想定してのシュミレーションを、原発の維持を、などという物騒なことが、不思議ではなく語られている。この選挙戦は、あたかもどのような非条理、破天荒ともいえることでも、言いたい放題に言い、その空気に有権者、国民を引きずり込もうとする企みを持って展開されているのではないかと、思わせる。(2012/12/10)


文化
【核を詠う】(77)福島の歌人たちが原発災の日々を詠った短歌作品を読むА 慂神23年度版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<2>  山崎芳彦
 福島第一原発の作業員の被曝についての情報が、今になって種々明かされているが、例えばWHOの求めに応じて東京電力が報告しているとして、朝日新聞が12月1日付の朝刊(13版)1面トップで、「甲状腺被曝 最高1.2万ミリシーベルト」と白抜きの大見出しで報じている。素人の筆者でも甲状腺に100ミリシーベルト以上浴びると癌が増えるといわれ、それも甘すぎるリスク判断だとする見方も少なくないことを知っている。(2012/12/04)


地域
千葉・三里塚の太陽光発電完成・・・の記事を読んで思う  山崎芳彦
 「鶏舎の屋根を発電所に 千葉・三里塚の有機農業グループが完成」(大野和興さん、11月24日付掲載)を読んで、思うことが多かった。そのことを記したい。(2012/11/30)


文化
【核を詠う】(76) 福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読むΑ 慂神23年度版 福島県短歌選集』(福島県歌人会編)から<1>  山崎芳彦
 この国の政府、大企業の恐るべき所業を見るにつけ、この国に未来はないのではないかという虚無感に襲われる。もちろん、その虚無感に溺れ沈み込んではいられないのだが、余りにも理不尽、非道なことが行なわれていることに怒りを禁じえない。(2012/11/26)


文化
【核を詠う】(75)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読む⑤ 新アララギ福島会の合同歌集『あらゝぎ 東日本大震災特集号』から(下) 山崎芳彦
 前回に引き続いて新アララギ福島会の合同歌集から、原発にかかわる短歌作品を読み継ぐ。「原発にかかわる」と書いたが、同歌集の作品はほとんどすべてが原発とかかわって読まれた作品というべきである。直接原発そのものとかかわって歌っていなくても、この日々の作者達の生活を原発、放射能の翳が、その濃淡やあらわれかたの違いがあっても。ただ、ここに紹介するのは、筆者による抄出歌である。この歌集が広く読まれることを願いつつの抄出である。(2012/11/20)


文化
【核を詠う】(74)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読むぁ/轡▲薀薀福島会合同歌集「あらゝぎ 東日本大震災特集号」から(上)  山崎芳彦
 すべて一括りにしていうわけではないが、この国のジャーナリズムの原発についての論調に、特に経済関係の特集や解説記事には、驚かされることしばしばである。最近発行された「週刊東洋経済」臨時増刊の「原発ゼロは正しいのか 電力政策・無策の恐怖」を読み、その感を新たにしている。(2012/11/15)


福島から
「福島・三春の“収穫祭”2012に参加して」・・・S・H(茨城・取手)さんからの手紙「この地から見る日本の姿の原風景に心を揺さぶられた・・・」     山崎芳彦
 去る10月20日〜21日に福島県三春町で「福島・三春の“収穫祭”2012」が開かれた。昨年に続いて2度目の収穫祭だが、現地の芹沢、農産加工グループ、福島「農と食」再生ネット、滝桜花見祭実行委員会の3団体が主催、三春町、JAたむらが協賛している。三春の収穫祭の呼びかけには「土の放射能を計り、耕し、種をまき、取り入れ、収穫物の放射能を計る。放射能を計ることが日常となった営みが三春では続いています。芹澤農産加工グループの加工所には、多くの方々の協力を得て、太陽光発電所が完成・・・ささやかですが、原発に頼らない生産とくらしを作り上げる足元からの実践です。今年の収穫祭はこの太陽光発電の稼働を記念するシンポジウム(車座座談会)を織り込み、地域との交流を一層深める」として、魅力的な企画内容が示されていた。(2012/11/09)


文化
【核を詠う】(73)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読む 弦短歌会福島支部歌集『3・11福島から 歩き続ける』から   山芳彦
 いま、3・11福島原発事故以後、国内で唯一稼働している関西電力大飯原発3・4号のある敷地内の断層(破砕帯)現地調査が行なわれ、その結果についての評価会合を原子力規制委員会が開いているが、「活断層である可能性は否定できない」とする合意が11月4日の会合で示された。11月5日付朝日新聞朝刊によると、|倭悗滑った痕跡が見つかり、12・5万年前にできたものとみられる、滑りの原因を活断層とみて矛盾はないが、地滑りの可能性もある・・・というものだが、現地調査を行なった専門家の意見が割れたことから、7日に再会合を開くことになったという。(2012/11/06)


文化
【核を詠う】(72)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読む② コスモス福島支部歌集『災難を越えて 3・11以降』から  山崎芳彦
 コスモス短歌会の福島支部会員22名の歌人が、平成23年12月に刊行した歌集『災難を越えて―3・11以降』がある。県内各地に住まわれている会員が、それぞれの東日本大震災・福島原発事故からほぼ10ヶ月の「災難」の生活の中で詠った短歌作品が、各会員10首の出詠でまとめられた貴重な一冊である。いささか遅れたが、同支部の高橋安子さんにお願いして、快く同歌集をご恵送いただいた。同じ福島県内でも各地在住の人々の作品だけに、それぞれ特徴のある作品がまとめられている。(2012/11/02)


文化
【核を詠う】(番外編)本連載筆者の3・11以後の原発・原爆短歌 「さわだちてこの身をめぐる血の鳴れば国会包囲へと病みを忘れぬ」  山崎芳彦
 この連載の筆者である私も、まことに拙いが詠うものの一人である。もとより、自分を「歌人」と思うことはなく、生活の中で湧き出る感慨を、短歌形式で表現するものの一人である。短歌を作り始めて11年、亡き母の短歌作品を「全歌集」として、自分で編集・版下作成をして刊行したのをきっかけに、母が参加していた短歌会にあとを追う形で入会し、作歌の指導を受け、今日に至っている。その私が、昨年の3・11東日本大震災・福島原発事故を契機にして、拙くとも詠うものの一人としてなにができるか、原発・原子力の社会から脱け出るためにできることを考える中で、原爆にかかわる短歌、そして原発にかかわる短歌を読み、出来るかぎり記録して、より多くの人の眼に触れさせ、また後に遺していくことに、取り組もうと思い立った。(2012/10/30)


文化
【核を詠う】(71)福島の歌人たちが原発災の1年の日々を詠った短歌作品を読む 々臚渦僚検悗△鵑世鵑董戮慮業短歌から  山崎芳彦
 2011年3月11日の東日本大震災・東京電力福島原発の破滅的な事故からすでに1年7ヶ月が過ぎた。福島原発の周辺地域はもとより、地震・津波に加えて原発の壊滅的な事故による核放射能の放出と拡散、汚染による被害は人々を故郷の地、生活の地から追い、生活基盤を一気に破綻の状況に陥れた。今日に至っても、苦難の日々を生きなければならない状況がつづいていることは、政府や電力企業がどのように言おうとも、「収束」などと首相が早くに宣言したことの無責任ぶりを、改めて怒りを持って思い起こされるに違いないことを、隣県の地に住み、放射能のホットスポットといわれる地域に生活しているだけでも、身に沁みて考えられる(2012/10/24)


核・原子力
『市民の科学』第5号(特集「市民のマネジメント」・「原発ノー!と市民の倫理」)を読む(2) 山崎芳彦
とつの特集「原発ノー!と市民の倫理」の内容について記したい。 (2012/10/20)


核・原子力
『市民の科学』第5号(特集「市民のマネジメント」・「原発ノー!と市民の倫理」)を読む(1) 山崎芳彦
 市民科学研究所発行(2012年7月30日)の『市民の科学』第5号は特集として「市民のマネジメント―フォレット、バーナード、そしてドラッカーへ―」と、第4号の特集「原発はいらない」に続く「原発ノー!市民の倫理」で構成されている。今日的であるとともに今後に向けての貴重な問題提起の論考が、一貫性を保ちながら、多彩な視点を系統的に組み合わせた特集として、「市民の科学」−市民のための科学を確立することをめざす同研究所の目標にふさわしい内容となっていると評価できると思う。(2012/10/19)


文化
【核を詠う】(70)ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集「連祷」を読むァ 屬錣燭蕕佑亠△譴未劼箸弔龍兇△蠅夜に入り雪となりしひろしま」  山崎芳彦
 深川さんの歌集『連祷』の作品を読みながら思うことは、その生き方の真摯さ、生きた時代と真正面から向かい合い、人間が人間として生きるために、それを妨げるものとは不屈に闘い、とりわけ平和を脅かし人間性を貶め傷つけるものに対して一歩も退かず対峙する、わが身を前に出してたたかう強靭で、深く広い視野を持って実践する行動力が生み出す、詩精神の美しく確かな発露である。(2012/10/12)


核・原子力
『市民の科学』(第4号「特集・原発はいらない」)を読む  山崎芳彦
 市民科学研究所(NPO法人京都社会文化センター付属機関)が発行している『市民の科学』の第4号(2012年1月刊)と第5号(同7月刊「特集・市民のマネジメント」「特集・原発ノー!と市民の倫理」)をまとめて読んでいるが、それぞれのテーマがまことにタイムリーで、いま考えなければならない現実社会の課題に即した論考や報告が、きっちりと位置づけられ、読まれ、市民が動き出す動力源になることを待っているようだ。今回は第4号について記したい。発行されてからいささか時が過ぎたが、筆者の不勉強による。しかし、同誌の内容は、読むに遅すぎるというものではないと考え、いまになって読んで勉強させられたと思っている。(2012/10/09)


文化
【核を詠う】(69) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集『連祷』を読む ぁ崟鐐茲硫坦家鏗欧卜ち会えり いずれを問うや戦争の罪」   山崎芳彦
 深川宗俊歌集『連祷』の作品を読み続けるのだが、その前に、今回読む作品群と直接にはかかわらないが、深川さんの一篇の詩を記しておきたい。深川さんが精力を傾け取り組んだ三菱重工の広島工場に強行連行され兵器生産に従事させられた朝鮮人徴用工の指導員として働いていたとき、ともに原爆に被爆した朝鮮人徴用工246人(家族5人を含む)が、1945年9月15日に帰国の途についた(深川さんは広島駅頭まで見送った)にもかかわらず、その後祖国に帰り着いていないことを知った。(2012/10/07)


みる・よむ・きく
詩集『脱原発・自然エネルギー218人詩集』(コールサック社刊)を読む  山崎芳彦  
 アンソロジー詩集『脱原発・自然エネルギー218人詩集』(日本語・英語合体版 コールサック社、8月11日刊)を読んでいる。鈴木比佐雄・若松丈太郎・矢口以文・鈴木文子・御庄博実・佐相憲一の各氏によって編まれた、内外の詩人による、原発をテーマにした多くの詩篇を読み、心が揺さぶられ、あるいは研ぎ澄まされる。原子力の本質と、それがもたらす生きている人間、生物、自然に対する苦患と向かい合うのは、それぞれの詩篇によって、人間である自分について、生きている世界について思いを広げ、深め、希望につなげていることの実感を、確かめる営為である。(2012/09/28)


文化
【核を詠う】(68) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集『連祷』を読む 「われもまた隣人なりき原民喜の炎の街の跡たどりゆく」 山崎芳彦
 今回読む深川さんの歌集『連祷』の作品には、ヒロシマの戦後の情景を原爆の記憶、人々の姿、深川さんに刻み込まれた心象風景などが、さまざまに表現され、印象深い。多くの広島の歌人、詩人、作家は川を深くシンボリックに詠み、書いているが、今回読む一連にもひろしまの川が多く詠われている。そして川といえば橋である。川に生きる生物である。そして、原爆投下時の被爆者が求めた水、多くのいのちを弔った川でもある。(2012/09/23)


核・原子力
政府、『原発ゼロ』目標の閣議決定を見送り  『脱原発基本法』の成立をめざそう  山崎芳彦
 野田内閣は「2030年代に原発稼働をゼロとするよう、あらゆる政策資源を投入する」との文言を記した、エネルギー・環境会議がまとめた「革新的エネルギー・環境戦略」の閣議決定を見送った(19日)。実質的に「原発ゼロをめざす」方針を放棄することを決めたといえる。財界そろっての強硬な反対とおどし、原発立地自治体の地域基盤の見通し不安からの反発、米国はじめ国際的な反応などに加えて、野田首相自身の「原発は必要」の本音や内閣、党内の不協和音によるものだ。福島の教訓はどこへ行ったのか。(2012/09/20)


文化
【核を詠う】 (67) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集「連祷」を読む ◆峺覆屍(し)を日本大使館前にと言い遺し李南洙は死にき貧困のなかに」  山崎芳彦
 いま、竹島(独島)をめぐって、日韓関係に穏やかではない状況が、ある意味では意図的に作り出されている。筆者はこの島の領有権、領土問題について何らかの判断を持つものではないが、日本の少なくない政治家と勢力が、この事態を利用して「領土を守るのは国の主権の問題であり、主権を侵されて国の独立はない」などとして、中国との尖閣諸島をめぐる問題にもからめて「国を守る」「日本人が命をかけて領土を守ろうとしなければ・・・」などと煽りたて、近隣諸国との緊張を高め、そのことによって日米関係の深化、オスプレイの沖縄基地への配備など基地能力の強化、自衛隊の軍事力の強化、歴史教育の変質化などを企んでいることは、警戒しなければならないと考える。特に、自民党総裁選の候補者のほぼ全員が、積極的な改憲論者であり、日本軍国主義の侵略戦争を正当化する見解を隠さない政治家であり、とりわけアジア諸国に対する非道な行為の歴史を隠ぺいしあるいは欺瞞的に歪曲して恥じない、醜い精神、政治信条の持ち主たちである。(2012/09/17)


文化
【核を詠う】(66) ヒロシマの真実を追求し詠い闘った深川宗俊の歌集『連祷』を読む  屮▲ぅ粥爾寮室森の海をわたり沈みゆきしや祖国を前に」   山崎芳彦
 今回から、深川宗俊さんの歌集『連祷』(1990年8月6日発行 短歌新聞社刊)の作品を読むことになるが、個人歌集一巻としては異例ともいえる812首という多くの作品を収めた335頁の大冊である。この歌集について、深川さんと交友の篤かった水野昌雄氏はその著『続・続・歴史の中の短歌』(2007年 生活ジャーナル社刊)で、次のように論じている。(2012/09/10)


文化
【核を詠う】(65)原爆被爆下の広島で詠い闘った深川宗俊の歌集『広島―原爆の街に生きて―』を読む(3) 「骨髄を蝕ばまれ死にゆく少年の記憶になき一九四五年八月六日」  山崎芳彦
 この歌集の作品を読むのは今回で終るが、1959年の出版なので、原爆投下からほぼ14年間に詠われた作品と考えてよいと思うが、戦後まもなくの歌人の中でも際立った逸材として注目された深川さんの短歌表現力が発揮された作品群であるとともに、その『広島―原爆の街に生きて―』の歌集名にふさわしい視点の豊かさ、広がり、そして表現のリリシズム、ヒューマニティに、筆者は感動しながら読んでいる。(2012/09/03)


文化
【核を詠う】(64)原爆被爆下の広島で詠い闘った深川宗俊の歌集『広島―原爆の街に生きて―』を読む(2) 「被爆の痕(あと)暗く遺す父の骨ありといわれ焼場の熱気するどし」  山崎芳彦
 深川宗俊さんの短歌作品を読みながら、この連載の初めのころの回で触れたが、筆者は一度だけ、ほとんどすれ違うようにだがお会いしたことがあったことを、改めて思い起こしている。すでに40年以上も前のことだが、原爆の被爆二世のこと、広島の被爆者の実態や、文化運動について深川さんに取材したのだった。その頃、筆者は短歌に特別の関心を持たなかったので、短歌についてお聞きすることはなかった。(2012/08/30)


文化
【核を詠う】(63)原爆被曝下の広島を詠った深川宗俊歌集『広島−原爆の街に生きて―』を読む ゝ空つかみ熱いよ熱いよと少女のこえ呪いのごとく日陰なき街  山崎芳彦
 深川宗俊(19211〜2008)さんは、広島の原爆被爆者として、被爆下の広島の実相を詠い、優れた反戦、平和の詩歌作品を創造し、戦後の広島の反戦・反原爆の詩歌運動を、峠三吉らとともに推進した歌人、詩人である。さらに三菱重工広島機械製作所に勤務して朝鮮人徴用工の指導員であった体験を踏まえ、戦争の被害加害と厳しく誠実に向かい合い、広島で被爆した朝鮮人徴用工問題に取り組み、日本政府と軍事産業に対して賠償責任を追及する運動の先頭にたち裁判闘争を前進させる上で大きな役割を果たした。「被爆二世」問題など、原爆被爆者の運動、さらには松川事件など戦後の混乱期に起きたさまざまな冤罪事件にも取り組んだ。深川さんの足跡をたどろうとすれば、戦後の、広島だけにとどまらない、反戦、反核、民主主義の文学と、実践活動の業績を見なければならないと思う。(2012/08/21)


文化
【核を詠う】(62)占領下の広島で原爆の惨禍を詠った詩歌集『黒い卵』(栗原貞子)の短歌を読む(2)「焼け跡の瓦礫の中ゆいく千のいまはの際の悲しかりけん」  山崎芳彦
 8月6日の広島、9日の長崎それぞれで今年も平和記念・祈念式典が開かれ、原子爆弾の被爆者が受けた悲惨な犠牲の実態を訴えつつ、核兵器の廃絶を世界に訴えると共に日本政府が原爆被爆者に対するより正当な補償の対策を講ずることなどを求めた。同時に、福島の原発事故に関連して「核と人類は共存できない」(広島)、「放射能におびやかされることのない社会を再構築」(長崎)を、それぞれ宣言のなかで昨年に続いて表明していることは、「脱原発」の言葉が入っていないとの指摘もあるが、一昨年までには取り上げられることのなかった原発、「核の平和利用」に対する否定、少なくとも重大な懸念の意思を表明したものとして受け止めてよいと思う。(2012/08/13)


文化
【核を詠う】(61)占領下の広島で原爆の惨禍を詠った詩歌集『黒い卵』(栗原貞子)の短歌を読む(1)「子らよ、子らよ、よく無事なりし、しつかりと二人の子らの手を握り締む」  山崎芳彦
 八月が、今年もめぐってきた。筆者は、毎年カレンダーをめくり八月にかえるとき、心の中で八月六日、九日の広島、長崎の原爆によって殺されたひとびとのことを思うのが常となっている。十五日の敗戦の日は、憎しみの日となる。「なぜ、この日が十五日でなくもっと早くなかったのか」と思うと、東京大空襲、海外の戦地に屍を晒し、あるいは傷を負い惨憺たる苦しみを強いられた人々の無惨さに思いが及ぶ。(2012/08/06)


文化
【核を詠う】(60)原発銀座で詠う若狭の歌人・奥本守歌集『生かされて』から原発短歌を読む 「日雇いの農民被曝者の写真見る寝転ぶのみにて死を待つばかり」  山崎芳彦
 昨年3月11日に起きた東京電力福島第一原発の事故をめぐる政府事故調査・検証委員会(畑村洋太郎委員長)の最終報告が去る7月23日に発表されたことで、民間事故調(北澤宏一委員長、2012年2月発表)、国会事故調(黒川清委員長、同5月発表)が出揃った。東京電力の報告書(6月発表)もあるが、これは当事者による調査・検証であり、社会的に評価に耐えうるものとしては認められまい。 (2012/07/31)


文化
【核を詠う】(59)原発銀座で詠う歌人・奥本守歌集『若狭の海』から原発短歌を読む「プルサーマル安全と審査を認めるは人の命を見捨てることか」  山崎芳彦
 若狭の歌人・奥本守さんの第三歌集『若狭の海』(平成13年3月 ながらみ書房刊)に所載の原発にかかわる短歌作品を読むが、第一歌集『紫つゆくさ』、第二歌集『泥身』それぞれの原発短歌に引き続くことになる。(2012/07/23)


文化
【核を詠う】(58)原発銀座で詠う若狭の歌人・奥本守歌集『泥身』から原発短歌を読む(2)「事故現場のビデオを隠し通報を遅らせし『もんじゅ』の指導者許せず」  山崎芳彦
 前回に少しだけ触れたが、17万人がそれぞれの志を持って集った「7・16 さようなら原発10万人集会」(東京・代々木公園)に、筆者も参加した。自分の体調をはかりながら、前夜まで参加を決めかねていたが、「十万の人が『さよなら原発』を叫ぶ明日ぞ吾も言ふべし」という、つたない一首を手近の紙に書き付けて、参加を決めた。(2012/07/20)


文化
【核を詠う】(57)原発銀座で詠う若狭の歌人・奥本守歌集『泥身』から原発短歌を読む(1)「絶対にないと言われし細管のギロチン破断す美浜二号機」  山崎芳彦
 若狭の原発歌人、奥本守さんの第二歌集『泥身』(平成9年6月、ながらみ書房刊、絶版)に収録されている原発短歌を読む。前回まで二回にわたって奥本さんの第一歌集『紫つゆくさ』(平成3年3月刊)の原発にかかわる作品を読んだが、『泥身』にも多くの原発短歌が収録された。歌集の「あとがき」で奥本さんは次のように書いている。(2012/07/17)


文化
【核を詠う】(56)若狭の歌人・奥本守が原発を詠う短歌を読む(2)歌集『紫つゆくさ』から 「原子炉の内に漏れたる放射能浴びて病む人死ぬ人を聞  山崎芳彦
 福井県の若狭湾には、国民の強い反対・抗議の声を「大きな音」としか聞かない野田首相の強権的な再稼働「決断」によってフル操業に入った関西電力大飯原発3号機も含め、15基もの原子炉がひしめいている。もし、ここで原発事故が起きたらとは、野田首相も原発にかかわる関係者も考えないのであろうか。「想定外」のことは、実は想定されることを福島原発の経験は明瞭に示したはずではなかったのか。最近の国会における論議、政府の答弁を聞いていると「安全神話」が、これまでと表現は変っても、聞くに堪えない語り口で語られている。(2012/07/16)


文化
【核を詠う】(55)若狭の歌人・奥本守が原発を詠う短歌を読む(1)歌集『紫つゆくさ』から 「働きし敦賀高浜大飯まで事故は相次ぐ原発の炉に」  山崎芳彦
 「福島原子力発電所事故は終っていない。・・・世界が注目する中、日本政府と東京電力の事故対応の模様は、日本が抱えている根本的な問題を露呈することになった」(2012/07/12)


文化
【核を詠う】(54)福島原発事故による放射線被曝からの避難を詠う大口玲子の「逃げる」を読む 「避難民となりてさまよふ仙台駅東口みなマスクしてをり」  山崎芳彦
【核を詠う】(54)福島原発事故による放射線被曝からの避難を詠う大口玲子の「逃げる」を読む 「避難民となりてさまよふ仙台駅東口みなマスクしてをり」                        山崎芳彦(2012/07/05)


文化
【核を詠う】(53)大口玲子歌集『ひたかみ』の「神のパズル―100ピース」を読む(3)「原子力関連施設いくつ抱へ込み苦しむあるいは潤ふ東北よ」 山崎芳彦
 大口玲子歌集『ひたかみ』から、連作「神のパズルーピース100」を読んできて、今回が最後になる。この連載の中で作品を読み記録するたびに、核に関わる作品以外の、すぐれた、心を揺り動かされる作品に出会うとき、それらの作品を記録することが出来ないことを残念に思うことしばしばである。しかし、「核を詠う」作品を読み記録するシリーズとして連載を続け、原子力文明の中にある現実、そこにつながっている歴史にかかわる(と筆者が読んだ)短歌作品を収録していく意図の中では、やむをえないことと、思い切らざるを得ない。(2012/07/01)


文化
【核を詠う】(52)大口玲子歌集「ひたかみ」の「神のパズル―100ピース」を読む(2)「もし夫が被曝して放射性物体とならばいかにかかなしからむよ」 山崎芳彦
 前回に続いて、大口玲子歌集『ひたかみ』に収められている原子力に関わる連作「神のパズル―100ピース」を読んでいく。大口さんの短歌のひとつの特徴として、時代の大状況、戦争、歴史、社会問題に積極的に目を向けて短歌表現した作品が多いということがあると思う。いま読んでいる「神のパズル」もその代表的な作品群で、読むとおり、大口さんは原子力エネルギーの利用・原発について自らの位置を明らかにし、抽象的、概念的にではなく「われ」の体験や実感、積極的な対象への接近によって具体的に「われ」に関ることとして詠い、さらに状況に身を入れて行った。筆者は、彼女の作品に竹山広の短歌と重なるものを見る。(2012/06/24)


文化
【核を詠う】(51)大口玲子歌集『ひたかみ』の「神のパズル―100ピース」を読む 「『原発』と『原爆』の違ひ書かれあるパネル見てをり案内を聞かず」  山崎芳彦
 この連載48回目に、歌人・大口玲子さんについて、いくつかの作品とともに触れ、彼女の第三歌集『ひたかみ』(2005年5月、願書館刊)の中の、原子力、原発、原爆、放射線などに関わって詠った100首の大連作「神のパズル―100ピース」があることを記した。 (2012/06/20)


文化
【核を詠う】(50)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞出版刊)から原発短歌を読む(5) 「汚染のち除染のち仮処分とう拭えざるままフクシマに冬」  山崎芳彦
 まことに許し難い、不条理を大銀行は言うものである。6月14日付朝日新聞朝刊の7面トップの記事のことだ。 「東電融資に特約条項 柏崎再稼働など事業計画順守」の見出しで、金融機関から東京電力への総額1兆700億円資金援助の大枠が固まった、として「電気料金の値上げや原発再稼働を前提とした東電の事業計画が守られなければ、融資を止められる『特約条項』を設けた。」というのである。(2012/06/16)


文化
【核を詠う】(49)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞出版刊)から原発短歌を読む(4) 「父をかえせ母をかえせと哭きし峠三吉 土を村をと呻く福島」   山崎芳彦
 「今のような状況の中で、私たちが本当に考えなくてはいけないのは、原子力に期待していたような時代状況からの、ある種、文明的な転換についてだと思います。そういう転換を成し遂げるためには、多くの人たちが原子力問題の根本を理解し、先を考える必要があります。今の日本の政府が大きな政策上の転換もなく、このまま進んでいくのであれば、今後、そのことによっていろいろな影響を受けるであろう若い人たちに、私なりのメッセージを届けること―・・・」(2012/06/11)


文化
【核を詠う】(48)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞出版刊)から原発短歌を読む(3) 「浜風がひそやかに野を山を越え太郎を眠らせセシウム降り積む」  山崎芳彦
日本の全原発が停止する日は十五夜と確認したり 大口玲子(2012/06/08)


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【核を詠う】(47)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞出版刊)から原発短歌を読む(2)「下肢のみが映る原発作業員躊躇いがちに復旧語る」  山崎芳彦
 大飯原発3・4号機の再稼働を巡る動きが緊迫化している。福島原発の、原発立地住民はもとより広範に被害をもたらし、世界を震撼させた事故は現在に至っても、何一つ問題は解明も解決されもていない。破壊された福島原子炉1〜4号機の実態すら明らかにされていないのが現状だ。厖大な核燃料と高濃度の使用済み核燃料を抱えたまま。かぎりない水の注入による「核燃料の保管」も、放射能汚染水の漏出、地下への浸透、海への流出垂れ流し。破壊された原子炉からの空気中への放射線の放出、日々環境汚染を続ける放射能・・・これらに有効な対策を打てず、周辺の農畜産漁業を破綻の淵に置き去りにしたまま、まことに姑息としかいいようのない舞台装置の上の「原子力ムラ」芝居で、「大飯原発の再稼動」を突破口にした原発体制の再構築のシナリオを見せられるのには、耐え難い。(2012/06/04)


文化
【核を詠う】(46)『朝日歌壇 2012』(朝日新聞社刊)から原発短歌を読む(1)「生きてゆかねばならぬから原発の爆発の日も米を研ぎおり」  山崎芳彦
 東日本大震災・福島原発事故からすでに1年2ヶ月余が過ぎたが、被災者の苦境の深刻さは、依然として続き、その苦難の中で人々は困難に立ち向かい懸命に日々を生きている。それに対して、野田政権、国会の余りにも国民の現状と思いからかけ離れた、というよりも背信的なありようには、絶望的にならざるを得ないが、しかし、それでは彼らの思う壺にはまることになろう。必ずしも明瞭な見通しがあるわけではなくとも、全国各地で、地を這うように、さまざまに繋がりあい、力を通わせあいながら、現状を打開し、社会の変革に取り組む力が、それぞれの根拠地を構築しつつ広がりを作り出していることも、確かであろう(2012/05/31)


文化
【核を詠う】(44)『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)から原発短歌を読む(4)「世界すでに昏れ落ちたりきカーテンを閉ざしてホットスポットに住む」  山崎芳彦
 南相馬市の詩人・若松丈太郎さんの詩、日本に住み詩作をはじめ多彩に活動するアーサー・ビナードさんの英訳詩、つくば市在住の写真家の斉藤さだむさんの写真、で構成された美しい本、『ひとのあかし』(2012月1月 清流出版刊)を読んでいる。(2012/05/21)


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【核を詠う】(43)『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)から原発短歌を読む(3)「原爆忌六十六年目の野辺に汚染の藁をにれがむ牛ら」   山崎芳彦
 前回に引き続き『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)に収録された作品から原発にかかわる(筆者の抄出による)短歌を読み続けるが前回にも予告したとおり、はじめに、同年鑑に掲載の吉川宏志氏の評論「当事者と少数者」の後半、「少数者」についての論述を紹介する。(2012/05/17)


文化
【核を詠う】(42)『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)から原発短歌を読む(2)「原発に憤り堪えているような入道雲ののぼる北空」   山崎芳彦
 引き続き『短歌年鑑』に収録の作品(自選作品集、各5首)から、原発にかかわる(と筆者が読んだ)短歌を読むが、同年鑑に所載の、吉川宏志氏の評論「当事者と少数者」に、筆者は注目し、共感した。震災・原発事故を詠う歌人のありようについて、氏の見解は、柔軟にして強靭な内容で説得力を感じさせられた。その内容について、少し触れてみたい。引用させていただくので、吉川氏の意と異なるものになれば、筆者の責任であり、お詫びするしかない。(前回の冒頭の部分で、「同年鑑に収録されている短歌作品は平成22年10月から24年9月の期間のものと考えてよいだろう」と記してしまったが、「平成22年から23年9月の期間」の誤りでしたので訂正してお詫びを致します。)(2012/05/12)


文化
【核を詠う】(41)『短歌年鑑平成24年版』(角川学芸出版刊)の原発短歌を読む(1)「誤ちて人が持ちたる禍つ火ぞ原子の力いま手に負へず」 山崎芳彦
 角川学芸出版が毎年刊行する「短歌年鑑」の平成24年版が発刊されたのは昨年12月7日で、同年鑑に収録されている短歌作品は平成22年10月から24年9月の期間のものと考えてよいだろう。年鑑の内容は、短歌作品はもとより、評論や座談会などがかなりのウエイトを占めているし、平成二十三年度出版の歌集・歌書・合同歌集一覧、一年間の歌壇の出来事などや全国結社・歌人団体の住所録と動向、全国短歌人名録など資料もあり多彩な編集内容だが、月刊総合歌誌「短歌」を出版している同社にふさわしい年鑑となっている。(2012/05/11)


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【核を詠う】(番外編)福島原発事故独立検証委員会の報告を読む(2)「『二つの原子力ムラ』の『共鳴』が原発推進の原動力」という歪曲  山崎芳彦
 前回は、福島原発事故独立検証委員会の報告書が、原発の「安全神話」について、反(脱)原発の主張と運動(「原理原則に基づくイデオロギー的反対派」と報告書はいう)が原発推進の「原子力ムラ」の「安全神話」を強化する土壌を提供したとする、悪意に満ちた歪曲の論理を展開していることについて指摘したが、今回は、同報告書の「原子力ムラ」論について、思うところを述べてみたい。前回の「安全神話」論ともかかわって、検証委員会の考え方が露わになる部分と思われるからだ。(2012/05/03)


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【核を詠う】(40)3・11後に原発を詠う原発列島各地の歌人の作品を読む(3)「六ヶ所に溜まり続けし使用済核燃料の行き場が見えぬ  山崎芳彦
 4月25日の朝、朝日新聞の朝刊(13版)の隅々にまで目を配って、特に原発に関する記事を見逃すまいと読み終えて、大きくため息をつきながら本稿を書き始めた。原発というと、すぐ正力―渡辺の読売新聞を連想するのだが、朝日新聞のほかには日刊紙を購読していないので、日々の新聞ニュースは朝日新聞のみになる。特別の思い入れがあって同紙を購読しているわけではないが、気になることがあれば友人に他紙を見せてもらうことにしている。(2012/04/26)


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【核を詠う】(39)3・11後に原発を詠う原発列島各地の歌人の作品を読む◆峪故絶えぬ敦賀原発並みいれば魔界ゆくごとくこころ戦く」  山崎芳彦
 「原発を一切動かさないということであれば、ある意味、日本が集団自殺するようなものになる」―民主党の政調会長代理である仙石由人が4月16日の名古屋市内における講演会で、このように述べ、「日本の経済・社会が電力なしでは生活できないということは、昨年の計画停電騒ぎで明らかだ」と強調したことが、翌17日付の朝日新聞朝刊で報じられた。各新聞とも、この仙石発言を報じたであろう。この仙石「民主党内実力者」議員は、大飯原発の再稼動をめぐる関係閣僚会議にも出席して、再稼働の議論を主導していることも報じられている。(2012/04/22)


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【核を詠う】(番外編)福島原発事故独立検証委員会の報告書を読む(1) その「安全神話」論と、「反原発運動」に対する逆立ちした批判・攻撃  山崎芳彦
 福島原発事故の大変は、一年余を経てますます深刻化している。大震災の被害による現地住民の苦闘、地域崩壊の危機、政府の対策のどうしようもなく焦点の定まらない、しかも遅れの現状。そして福島原発事故の先の見えない被害の甚大さ・深刻さの中での原発再稼働への暴走。このような現状を考えながら、筆者は、以前にも少し触れた「福島原発事故独立検証委員会」(北澤宏一委員長、一般財団法人日本再建機構イニシアティブ―船橋洋一理事長、が同機構のプロジェクトとして検証委員会を設置した。)の調査・検証報告書を遅れ馳せながら読みつつ、同機構、検証委員会そのものに、強い違和感を感じた。同プロジェクト機構・検証委員会の構成については、あえて触れない。(2012/04/17)


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【核を詠う】(38)3・11後に原発を詠う原発列島各地の歌人の作品を読む  峺暁 原潜 原発ゆるすまじ 核は現代の死神ならん」  山崎芳彦
 大飯原発の再稼働にむけて、野田政権は突っ走っている。原発安全神話の再構築を、従来の「安全基準」の見せ掛けの厳格化も含め、さまざまな詐欺師的手法で、果たそうとして、再稼働のための儀式を、時をおかず急いでいる。福島原発事故以来の経過が、政府の「収束宣言」の偽りを暴き、原発立地地域の人びとはもとより、国民的な危機の状況は全く解決されていないで、将来が見通せない苦境、全国各地に広がる放射能不安のなかで、大飯原発再稼働に反対する声が高まっている。(2012/04/15)


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【核を詠う】(37)3・11後の原発短歌を読む 三原由起子「3・11後の私」(福島・浪江町出身の歌人が詠う) 山崎芳彦
 福島原発の地・浪江町出身の歌人、三原由起子さん(東京在住)とお目にかかる機会があった。前回の稿で触れた「福島に寄せる短歌と写真展」の会場で、同展に作品を展示していた三原さんとお会いしたのだった。三原さんは、角川書店発行の月刊歌誌「短歌」3月号の特集座談会「3・11後、歌人は何を考えてきたか」(被災地在住歌人を交えた二世代座談会)の30代以下世代の座談会に出席し、積極的に福島原発の被災地であるふるさとに寄せる思い、原発にかかわる歌を詠うことの大切さ詠い続ける決意について語っていたことを読んでいたので、ぜひ作品を送っていただけるようお願いしたところ、3・11以後に短歌総合誌その他に発表した作品をまとめて「20011年3月11日後のわたし」と題して、送って下さった。(2012/04/07)


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【核を詠う】(36)3・11後の原発短歌を読む 佐藤祐禎「流亡」」(福島原発の地を詠い続ける歌人の作品) 山崎芳彦
 春の彼岸が過ぎた。東日本大震災・福島原発事故から一年が過ぎた。いや、「過ぎた」といってよいだろうか。過ぎてはいない、過去形で語れる日々ではないと思う。被災者の生活、原発の現状、日本の現実、ひとくくりに表現することは出来ないが、何事も過去になってはいない。何も解決してはいないなかで、多くの人々が苦難に耐え、生き、たたかっている。その実態の全容を筆者ごときが記すことは出来ない。出来ないから、人に聞き、教えられ、自らの生き様を省み、なしうることは何かを考える。原爆短歌を読み、原発短歌を読み、記録しているのも、その営みのひとつと思っている。(2012/03/31)


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【核を詠う】(35)福島原発の地で詠った佐藤祐禎歌集『青白き光』の原発短歌を読む(3)「廃棄物をよこしてくれるなと泣き出しぬ六ヶ所村より来れる女は」 山崎芳彦
 佐藤祐禎(福島県双葉郡大熊町に在住されていたが、現在は原発事故に追われて、いわき市に居住)さんの歌集『青白き光』の中の原発にかかわる作品を読んできたが、今回で読み終えることになる。平成十六年に初出版の歌集に、ほぼ5年後の福島原発事故を予感させる、あるいは事故を招きかねない電力企業の実態と、その背景にある国策に対する憤りを短歌作品としながら(これは、たたかいだ)、その地で生き、しかし、ついには怖れていた原発事故によって「運命に翻弄され」「明日をも知れない浪々の身」となり、なおも詠い続けている歌人は、同歌集が昨年末に、いりの舎により文庫版として再刊されたのち、「『青白き光』を読んでくださる皆様へ」と題する一文を書いている。(いりの舎と、東京・世田谷のせたがや地域共生ネットワークの共催で、去る2月23日〜26日に東京・下北沢で開催された「福島に寄せる短歌と写真展」―福島県双葉郡と歌集『青白き光』の世界〜失われつつある故郷を想い続けるために〜を訪れた際に、いりの舎社長・玉城入野氏から戴いた。会場には、被災した福島の写真と、佐藤さんの短歌、福島・浪江町出身の歌人である三原由紀子さんの作品が展示されていた。)(2012/03/23)


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【核を詠う】(34)福島原発の地で詠った佐藤祐禎歌集『青白き光』の原発短歌を読む(2)「原発を知らず反対せざりしを今にして悔ゆ三十年経て」  山崎芳彦 
 東日本大震災・福島原発の壊滅事故が起きた昨年の3月11日から1年が過ぎた。東北各県はもとより全国各地で、更に世界各国の多くの都市で、大震災・大津波による死者を悼み、被災者を激励する行事・行動が行なわれ、福島原発事故の教訓から「原発ノー」「脱原発」を求める行動が広範に展開された。(2012/03/20)


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【核を詠う】(33)福島原発の地で詠った佐藤祐禎歌集『青白き光』の原発短歌を読む(1)「いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる」 山崎芳彦
 前回までの東海正史歌集『原発稼働の陰に』に続いて、東海さんと同様、福島原発の地で短歌を詠み続け、平成十六年七月に歌集『青白き光』(短歌新聞社刊)を出版した歌人、佐藤祐禎さんの原発にかかわる作品を読んでいく。前回の最後に記したように同歌集は昨年十二月に、いりの舎から文庫版で再版されている。同書には佐藤さんの「再版によせて」が付されていて、佐藤さんの近況を知ることができる。筆者は昨年十一月に、短歌新聞社刊の『青白き光』を国会図書館から、地元図書館経由で借りて、図書館内で閲覧し、全文をノートに書き写しながら読んだが、本稿では、いりの舎版で再読していく。(2012/03/12)


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【核を詠う】(30)福島原発の地で詠った東海正史歌集『原発稼働の陰に』を読む(1)「放射能に血病み骨病む君のため出来る何あり星宿(せいしゆく)暗し」  山崎芳彦
 「『放射能』と書いて『無常の風』とルビを振りたいものだ」 と、原爆の反人間的本質を描いた小説『黒い雨』の作者である作家・井伏鱒二は、彼の友人であるジャーナリスト・松本直治の著書『原爆死・一人息子を奪われた父親の手記』(一九七九年七月 潮出版社刊 二〇一一年八月十五日増補改訂版を同社より刊行)に寄せた序文で書いた。同書は、北陸電力に就職した愛息が東海・敦賀両原発に出向して安全管理課の業務に従事したが、放射能被曝による舌癌で三十一歳の若さで死去した経緯を追及してまとめた手記であるが、放射能の被曝が原因であることを認めず、被害者に挙証責任を転嫁する電力会社に対して企業の挙証責任を追及して「病める原発への証言」つづったものである。(2012/02/12)








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